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新撰組は京都御所に住む天皇陛下を守る徳川家の幕府か
新撰組は京都御所に住む天皇陛下を守る徳川家の幕府から送り込まれていた天皇家をお守りする全国から集まった刀の名人の集まりで天皇陛下の親衛隊だったんですか? 新撰組って江戸時代の話ですか? でも天皇陛下が新撰組の解体を徳川幕府に指示したので、薩長戦争の徳川幕府軍の戦闘部隊として徳川家側の兵として鉄砲部隊率いる西郷隆盛の薩長軍に刀の名手の集団である新撰組は鉄砲と刀の戦をして全滅した? あとなぜ新撰組の吉田?は新撰組時代にお金に執着していたの?
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>新撰組は京都御所に住む天皇陛下を守る徳川家の幕府から送り込まれていた天皇家をお守りする全国から集まった刀の名人の集まりで天皇陛下の親衛隊だったんですか? 広義に考えると、その通りです。 孝明天皇は、徳川幕府に対して「都の治安維持」を要求していましたからね。 その為に、幕府は「京都所司代」配下として新撰組を設けました。 京都所司代(松平容保)新撰組に対しては、長州・土佐・薩摩などの過激分子の対策について感謝状を出しています。 >天皇陛下が新撰組の解体を徳川幕府に指示した これは、間違っていますね。 孝明天皇は、(三条実美・岩倉具視に)忙殺・暗殺されるまで「攘夷」でしたが「幕府崩壊は望んでいなかった」のです。 孝明天皇が崩御してから、全てが逆転したのです。 今まで「朝敵・国賊」とされた三条実美・岩倉具視・長州藩・天誅組などが「孝明天皇崩御」で「天皇の忠臣」となりました。 逆に、孝明天皇から認められていた幕府側は「朝敵」となったのです。 結果として、策士である三条実美・岩倉具視の計画が順調に進んだ結果ですね。 ※三条実美は、偽の勅書・偽の天皇旗を作った事が多いのです。 ※天誅組の乱も、偽の勅書が原因。鳥羽伏見の戦いでの幕府軍敗北も、偽の天皇旗(当時は、誰も天皇旗を見た事がなかった)に戦意を失ったのです。 >新撰組の吉田?は新撰組時代にお金に執着していたの? 色んな説がありますが、ネットで検索して下さい。 余談ですが・・・。 孝明天皇の嫡男は、長州藩内で死んだ!との逸話が残っていますよ。 三条実美など7卿が都落ちをする時に、幼い祐宮(後の明治天皇)を人質として連れ去ったとの事。 ※孝明天皇は、長州藩・三条実美など7卿を「国賊として追討令」を幕府に出しています。 ※が、幕府の追討準備が完了しても「出撃命令」は拒否しました。 ※祐宮は「病弱体質で右利き」でしたが、数年後都に現れた明治天皇は「相撲体系で左利き」。 ※山口県内での逸話では、伊藤博文が隊長だった「相撲隊隊員」が明治天皇に成りすましたのだそうです。(高杉晋作は、騎兵隊隊長) ※実際、明治天皇の后は「皇后」と称するのが一般的ですが「皇太后」と称していますよね。 ※つまり、明治天皇の(表向きの)后は「孝明天皇の后だった」との説もあります。 ※明治時代は、天皇・皇室に関する事項は「一切関心を持つと罪になる」重要なシークレットでした。
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- staratras
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>新撰組は京都御所に住む天皇陛下を守る徳川家の幕府から送り込まれていた天皇家をお守りする全国から集まった刀の名人の集まりで天皇陛下の親衛隊だったんですか? 少なくとも「天皇陛下の親衛隊」ではありません。親衛隊とは君主・元首などの身辺を守る武装組織のことで、戦前の日本では近衛師団というものがありました。しかし新選組は「京都の治安を維持するために」幕府が京都守護職の下に置いた浪人などの(武士でないものも含む)武装組織であって、天皇の警護を第一の目的とはしていません。この京都の治安維持活動は具体的には反幕府の運動の取り締まりです。 天皇の親衛隊であれば京都御所(の中が畏れ多いのであればそのすぐそば)に置かれたはずですが、実際に置かれたのは当初は壬生村(現京都市中京区)です。その後西本願寺に移転しました。どちらも御所のすぐ近くではありません。もちろん「京都の治安を維持することで天皇も守られる」というのであればそれはその通りで、実際に朝廷から感状(功績を認める賞賛する書状)を貰ったこともあります。 >でも天皇陛下が新撰組の解体を徳川幕府に指示したので、薩長戦争の徳川幕府軍の戦闘部隊として徳川家側の兵として鉄砲部隊率いる西郷隆盛の薩長軍に刀の名手の集団である新撰組は鉄砲と刀の戦をして全滅した? 天皇が新選組の解体を命じた事実はなく、また隊の最期も先の大戦の「玉砕(部隊全滅)」のようなものをイメージされているのであれば、そうではありません。 戊辰戦争に幕府軍の一部隊として加わったのちは、戦局の不利を悟って脱走するもの、戦死するもの、とらえられて処刑されたもの、戦争を生き延びたものなど、隊士の進んだ道はさまざまです。中には明治新政府に仕えたものもいます。また刀だけで戦ったのではなく銃砲も使っています。
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ありがとうございます
違います。 江戸時代かどうかを知りたければ、検索すればいい。
お礼
ありがとうございます