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近藤勇は薩長との戦を避けたかった??

新選組の近藤勇について教えてください。徳川慶喜が大政奉還をした後、薩長は徳川と戦がしたいが為に王政復古の大号令のなど、色々喧嘩をしかける様なことをしていたと思いますが、その時、徳川側の中でも戦をしたい と、言うもの、戦をさけたいと言うもの、と分かれていた様ですが、近藤勇どちら側の意見だったのでしょうか?できれば、何か資料などに載っている、史実に基づいたお話を頂ければと思います、よろしくお願いいたします!!

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noname#115647
noname#115647
回答No.1

もちろん戦をしたい側ですよ。 といっても、近藤や新選組は政治的な思想や国の将来的な視野があるわけではなく、「武士は戦い、討ち死にすることこそ本望。」と当時(幕末)としては、旗本あたりでも持ち合わせていないような殊勝な心掛けを持っていました。 もっとも京都時代は「会津様お預かり」の身分で、給金はもらってはいましたが、「アンタ武士なの?」と問われれば、「ウーン?、武士らしきもの。」としか答えようがない。 出自といえば多摩郡上石原村の百姓、まあ片田舎で田舎剣術道場を経営していましたが、「俺はどうしても本物の武士になりたい。」と、一発奮起して京都まで赴きます。 まあ当時は士分という身分の売り買いもあったようですが、やはり高い(数十両ぐらい?)。田舎剣術道場経営ぐらいではとても払えるものではありません。 それに近藤はプライドが人一倍高く、「実力をもってして、武士として認められたい。」、天然理心流もなかなか実戦向きの剣で、それを試してみたい気持ちもあった。なかなか立派な心掛けですが、本質的には見栄坊です。 京都時代はなかなかの働きで、それなりに名を上げ組織も拡張されますが、多くの隊士たちのその出自のうさんくささから、「壬生浪」(みぶろ)とさげすまれ、なんとか打開策はないかと思案したところ、尊皇攘夷派の伊東甲子太郎(いとうかしたろう)という名士をスカウトします。 しかし伊東は尊王、近藤は徳川将軍至上主義で、あくまでも佐幕派です。 時代が時代であったため、意見に食い違いをみた伊東は新選組を離れ、近藤は伊東を言葉巧みに誘い出し、酒で酔わせたあと暗殺してしまいますが、これが近藤の運命を変えた。 復讐に燃える伊東の残党からの狙撃を肩に受け、刀も握れぬ身体になってしまします。 刀の持てぬ近藤勇はこの時点で終わったといってよいでしょう。かっての虎は猫と成り果てぬ。すべてが弱気、運の尽き。刀も握れず、何の武士か。 近藤が重症で苦しむ最中、鳥羽伏見の戦いは始まります。実質指揮を執ったのは肝胆相照らす仲の副長土方歳三でしたが、やはり壬生浪はみぶろ、伏見奉行所でも迷惑がられ蔑まれます。そこら辺の武士よりも、よほど武士らしいというのに。 勇猛果敢に戦うも、やはり新式の銃や大砲には敵わず、裏切りの軍まででて総崩れ、敗退して新選組のあらかたは散逸してしまいます。 主だったメンバーは大阪から船で江戸へ逃げ帰りますが、いざ江戸を枕に討ち死にと覚悟を決めていたところ、どうも状況がおかしい。 すでに幕閣は恭順と閣議決定し、将軍も謹慎中。やる気なし。新選組などと悪名高い者たちに居ずわられては困る、何とか江戸から追い出す手立てはないものか、と勝安房(安房守。海舟)あたりが思案を重ねた結果が甲州送り。甲州鎮撫隊(甲陽鎮撫隊)などと称し、甲州を防御せよとの命令。 名はやろう、身分もやろう、金も存分にやろう、それでここから出て行ってくれ、というのが本音。 多分、近藤や土方は気が付いてはいただろうが、どうしょうもない。 このまま江戸へ居て降伏すれば、恨み重なる新選組などは罪人扱いの打ち首、さらし首と決まっている。行くしかない。 近藤は大久保(剛)、土方は内藤(隼人)と名誉ある名を賜り、身分もそれぞれ若年寄格、寄合席格と異例の大出世。金もふんだんに貰った。何かと新選組は儲かる。 しかし新選組もにわか募集の寄せ集めに過ぎなかった。かっての精鋭ではない。 甲州の勝沼ではさんざんに負けた。いや負けたというよりは逃げたと言った方が妥当だろう。戦ではなかった。そりゃそうだ、人間カネを存分に手にすれば命が惜しくなる。逃げて当然。 戊辰戦争における新選組の組織だった戦いは、この二つだけ。 後はバラバラになり、個人的な戦いに終始する。 沖田は江戸で病死。最期は猫が斬れぬといって嘆いた。 近藤は千葉の流山で降伏。板橋で斬首。 藤田五郎(斉藤一)は会津で敵を斬りまくる。大正まで存命。 杉村義衛(永倉新八)は靖共隊(靖兵隊)を結成するも、松前藩に帰参する。大正まで存命。 (藤田、杉村、共に明治政府においては、新選組の罪に対するおとがめは無かった。) 原田左之助は上野山の彰義隊に加わり負傷するが、その傷が元で死亡する。 土方歳三は榎本武揚と共に函館五稜郭で政府軍と戦ったが、降伏決定の後、自殺的突撃を敢行。銃弾に貫かれて戦死する。 榎本はしばらく不遇の時を過ごしたが、黒田清隆のヒキで復活。政府高官となる。 つくづく人生とは運命のイタズラと思える。