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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:危険なシナリオ)

危険なシナリオ:平昌オリンピックと北朝鮮の関係は?

staratrasの回答

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  • staratras
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回答No.5

北朝鮮とくにキム・ジョンウン朝鮮労働党委員長の言動を見ると、一見過激な発言に見える裏には相当緻密な計算があることに気付きます。おそらく冷静に計算している優秀なブレーンがいるのでしょう。北朝鮮の最大の政策目標はキム委員長を頂点とする国家体制の維持(戦前の日本風に言えば「国体の護持」)であることは明らかで、核兵器やICBMの開発もそのための手段です。 こうした点から見れば、今回のピョンチャンオリンピック・パラリンピック参加は北朝鮮にとってそのための貴重な「時間稼ぎ」であると考えられます。ただし、オリンピック・パラリンピック後に新たな挑発を行うためというよりは、一刻も早く核弾頭付きのICBMを完成させてアメリカに手出しを思いとどまらせるためです。北朝鮮に核開発を断念させることは極めて困難です。核開発をやめるという核合意をイランが遵守しても、合意事項以外の問題を取り上げて合意の破棄を示唆するアメリカ・トランプ政権の外交姿勢を見ているからです。 アメリカにとってはこの裏返しなので、北朝鮮がオリンピックに参加することは、参加せずに緊張が激化するよリはましですが、それまでの「制裁圧力」を緩和する方向につながれば困ったことになります。とはいうものの、甚大な犠牲が見込まれる武力行使には強い懸念があり、簡単に踏みきれるものではありません。要するに手詰まりです。 北朝鮮は1987年に大韓航空機爆破事件を起こして韓国との対立が激化していたこともあり、1988年に開催されたソウルオリンピックには参加しませんでした。しかしこの不参加は北朝鮮には何も利益をもたらさず、逆にオリンピックを契機として韓国が発展し、先進国を目指す道を歩むのを見ているほかありませんでした。 現在の北朝鮮がちょうど30年前の同じ韓国で開催されたソウルオリンピックの二の舞を避けたいと願っていることは間違いなく、オリンピック参加を最大限政治的に利用するでしょう。そしてオリンピック・パラリンピックが終わればまたそれ以前の、手詰まり感のなか、北朝鮮の核弾頭付きICBMの開発が着々と進行する状態に戻るだけです。

meido2010
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かにそうです。 皆がオリンピック、パラリンピックに目がいっている最中に 誰もが注目しない目標に照準を合わせるのは軍事の常識です。 もしも、北朝鮮がそこまで考えているのなら危険ですね。

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