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飴売り 江戸時代
江戸時代などに唐人飴売や飴細工などの文化があったと思うのですが、それについて質問です。 彼らはいわば飴を加工する職人だったと思うのですが、原材料となる飴はどうしていたのでしょうか? その製造現場や製造過程についての資料があるページがあれば教えてください。 調べてみたのですが飴売りについての記事ばかりで原材料部分の記述が見つかりません。詳しい方よろしくお願いします。
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原材料となる飴はどうしていたのでしょうか? 下記のように、米、麦、いも、などの澱粉質が原料です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%B4 江戸より古く平安時代以前に「阿米」という言葉が記録されています。戦争中はサツマイモから飴を作るのが流行っていました。 販売店は下記を http://www.candy.or.jp/link.html 米からの作り方は下記などを http://www.ame-tawaraya.co.jp/making/index.html ご覧ください。
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- hue2011
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米屋がつくるのです。 米屋といっても現在の、精米をして袋に詰めて売るというような商売ではなく、俵から玄米をマスにいれて売ってくれるものですけど、いくら昔でも玄米を直接たべにくいから、マニュアルに精米をしたのです。 これをつき米屋と言います。米を臼みたいなものにいれて、棒でかき回して白米にするんですね。 そういうことをすると、かなり米粉が出ます。 現実に菓子職人のために石臼で米粉を作って納品したりもしていました。どちらにせよあまりものとかあふれるものはあります。 ところで昔、江戸時代なんかで胃痙攣みたいなことをおこしたら飲ませる薬があり、正体は麹からつくったジアスターゼとかアミラーゼというものでした。消化酵素です。胸やけなんかの時に重宝していましたが、これを米粉に混ぜてみたらどうだろうと誰かが思いついたのですね。 これは明治になってから高峰譲吉が物質としてはっきり発見して定義し、自分の名前の2文字をつけてタカジアスターゼと命名しました。それは後日の話。 米を麹で仕込んだらだんだん酒になりますが、米粉にその胃薬を混ぜて仕込むと一種の甘酒状態みたいなでんぷんが生成され、放置するとだんだん甘くなります。これがアメの元です。煮込んでいくと、とろみのある甘いエキスみたいなものになっていき、透明になります。これが水あめですね。 これは米のクズで作ったものですから安く売れます。 これを飴屋が仕入れて加工したりしたんです。そのうち紙芝居みたいなものが発生すると、子供を釣る餌としてこれを煎餅にはさんで売るというような商売もできました。 とにかくタダも同然というものでないと、ああいう商売はできません。しかもその辺にあふれているものでないと、仕入れが面倒です。
お礼
回答ありがとうございます。 なんとなくイメージが掴めました。
- citytombi
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うるち米と大麦で作られる「米飴」だったのでは? http://www.ame-tawaraya.co.jp/history/index.html 水あめを練って水分をへらしたのが固あめ,これを人がふたりで引き合って気泡を含ませて白くしたのが白あめです。
お礼
回答ありがとうございます。 米でしたか。
お礼
回答ありがとうございます。