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江戸時代の花見はどのようなものでしたか?

千葉大の中村郁郎准教授(植物遺伝学)によると、かつて桜の花見は遠くから眺めるものだった。野生桜の多くが巨木になるためだが、ソメイヨシノの登場で花の下で花見をする文化が誕生した。 http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20090317dde001040025000c.html 上記記事によれば、昔の花見は遠くからながめるものだったです。 実際に江戸時代の江戸の花見はどのようなものだったのでしょうか? やはり桜の下で飲み食いをしていたと思うのですが。

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  • Pinhole-09
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回答No.3

北斎や広重の浮世絵の江戸百景や名所図会に、庶民が桜、梅見などの花鳥風月や、虫の声を聞くなどの楽しみをする風景があります。 花の下の縁台(茶屋が用意したものか?)に腰を掛けている者のほか、ござを敷いている者もいます。   徳利が見え酒食しているのは今と同じです。

その他の回答 (2)

noname#94392
noname#94392
回答No.2

杉浦日向子「お江戸でござる」新潮文庫では「花見」の項があります。  >花見は、桜を見に行くというより、自分たちを見せに行くパフォーマンス場です。若い人がおそろいの着物を着て、歌ったり、即興の芝居をしたりします。   また落語の演題には「花見の仇討ち」があります。臨場感が楽しめます。

  • zorro
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回答No.1

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