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Regrets and Reflections: My Senior Year Struggles
- As I approach graduation and prepare for medical school applications, I can't help but look back on my senior year with a mix of disappointment and reflection.
- I had always believed that senior year would be the pinnacle of my achievements, but it hasn't turned out that way. Despite my strong work ethic, intelligence, and looks, I find myself regretting the choices I made and the opportunities I missed.
- One particular disappointment is my involvement in extracurricular activities. Despite dedicating a significant amount of time to one organization, I am no longer on the board, which has left me feeling disheartened and questioning my abilities.
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全般的には、学校の最終学年で、学業以外に参加している活動の中で、高い評価とリーダーシップを発揮していることを思い描いていたけれど、一生懸命頑張ってきた一つの団体で幹部になれなかった事を嘆いているのだと思います。 on the board は、その団体(the one organization) の中の幹部会、役員会に名を連ねていることと思います。 なぜ過去完了かと言うと、I am not on the board anymore のanymoreがヒントで、自分がある時期まで、思い描いていた(had envisioned:過去の時点までの継続)が何処かで夢破れ、そしてもはや(anymore)現在その思い描いていたものは現実ではない。これがenvisionedと過去形でも過去に思い描いていたけれど、現在そうでないと言うことを説明することは可能なのですが、過去完了にすることによって、継続的に”ずっと”思い描いていた事を表していて、だからこそショックが大きいのだと思います。また、anymoreと言う表現も過去完了がその前に使われているからこそと思います。
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- Nakay702
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お粗末な回答をしたことを恥じています。No.2さんの回答を見て、なるほどと思い、お任せを決め込んでいましたが、恥の払拭ができるならそうしたいので開いてみると幸いにもまだ閉じられていないので、再投稿することとしました。 >I’m a senior at a good college about to graduate, planning on applying to medical school. I have a family who loves me and lots of friends. I was blessed with a strong work ethic, intelligence, and looks. But right now, all I see are the things I should have done differently. I always believed that senior year should be the ultimate in bearing the fruits of my labor, like it had been for me in high school. I had envisioned fantastic grades and high leadership in all the extracurriculars I’d join. But I am not on the board anymore in the one organization I dedicated a significant amount of time to. ⇒私はある優良大学の4年生です。卒業間近で、医学部に応募するつもりです。私には、私を愛してくれる家族とたくさんの友人があります。私は、強い研究・労働心、知性、ルックスに恵まれました。けれども今しがた私は、これまでしてきたこととは違うことをすべきだった、ということが分かりました。 私は、高校時代がそうであったように、骨を折ればそれは最終学年で実を結ぶはずである、と常に思っていました。私は、参加するすべての課外活動において素晴らしい成績と高い指導力が身につくものと心に描いていたのでした。しかし私は、ある組織団体にかなりの時間を捧げましたが、もはや、その中に私の座る席はありません。 >I had envisionedのところはなぜ過去完了形なのでしょうか? ⇒組織団体に参加したとき(過去)、すでに高成績を「心に描いていた」ことを表わすためで、過去完了形の持つ典型的な意味用法(大過去)ですね*。 >ここでのon the boardの意味を教えてください。 ⇒この場合のboardは、「(列席するための)座席、(活動するための)場や舞台」を表していると思います。ということで、I am not on the board anymoreで、「もはや私の座るべき席はない」とか、「私の活動する場・舞台はない」といったニュアンスだと考えます。 *回答No.2さんの言われるように、「継続」を表すという解釈もあり得るかも知れません。 蛇足ですが、「英語発達史」を紐解いてみました。それによると、have + ppが使われ始めた当初(13世紀頃)は、例えば、I have the fish caught. のように、have + O + ppの形で間接受身(~してもらう)や完了(継続・経験・結果などを含む)の両方を表したそうです。その後16世紀頃までに分離して、have + O + ppで間接受身(~してもらう)を表し、have + pp + Oの形(語順)で完了を表すようになった、とのことです。これで次のことが分かります。 (1) have + ppの完了形は、目的語を取る他動詞から始まって、自動詞に適応されていった。 (2) have + O + ppとhave + pp (+O) の分離は、haveの原義(持つ)を残すか失うかの分かれ目にもなった。 (3) 「haveの原義を失う」と言っても、程度差があって、haveの原義は、継続・経験・結果などでは幾分残っている。 (4) 直前の完了を表す場合や大過去では、haveの原義がほぼ完全に失われて、have + ppは「文法化」している。換言すれば、have + ppのアスペクト的な区分機能が、時制区分の機能に「昇格」して、1つの独立した文法範疇を成すに至った、とも言える。 ということで、I had envisionedを「大過去」と取るか、「継続」と取るかは、「hadの原義がどの程度残っているものと取るか」ということと関連していますが、決め手はなく、多分に主観的な問題であろうと思います。cortaさんが、「この語形の意味について何度も疑問に感じる」のも「うべなるかな」と思う次第です。
お礼
ご回答ありがとうございます
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10025/12549)
>I had envisionedのところはなぜ過去完了形なのでしょうか? ⇒履修登録をしたとき(過去)、すでに高成績を「心に描いていた」ことを表わすためで、過去完了形の持つ典型的な意味用法(大過去)ですね。 >ここでのon the boardの意味を教えてください。 ⇒「(例えば、成績上位者の)一覧表に(載らない)」というような意味でしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます
お礼
ご回答ありがとうございます