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士族と卒族を分ける石高のラインについて

士族と卒族を分ける石高のラインというか目安がわかる方いませんか? 現在ちょっとした調べごとで、石高から「多分この人は明治時代に卒族になったかなぁ」というのを予想しなくてはなりません。 100万石レベルの藩だとこのへん、80万石くらいだとこのへん等、目安になる資料やHPを知っている方がいましたら教えてください。

みんなの回答

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9602)
回答No.2

Qwepiii さん、こんばんは。 士族と卒族を分ける石高ライン。難しいですね。各藩で違いますしね。 御徒士というのは士族の一番下で扶持米取がほとんど、柳川藩みたいに一部蔵米取といいます。飫肥藩は石取り徒士がいました。。 足軽というのは卒族の先祖です。どうやらお米というよりお金をもらって言う人たちが多かったみたいですね。 御徒士 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E5%A3%AB 足軽 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E8%BB%BD

回答No.1

その藩の規模、財政によって線引きが異なるため、一概に「この辺」と言うのは難しいようです。 一例ですが、名古屋藩では士族は最低50石以上だったようですね。 参考 http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000087172 また、仮に元々の石高が高くても徳島藩の稲田家は「家臣の家臣」ということで550石を貰っていた家老格の身分であっても一律で卒族にされてしまったようです。 参考 http://kaizaemon.com/inada/inada.html その人が属していた藩を探して、実際の事例を検索する以外に方策はないでしょう。 以上、ご参考まで。

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