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本当の自信の根拠
- 自信は自分を信じることだが、その根拠は外部の評価や客観性に基づく必要がある。
- 外部の評価に左右されず、自分の考えや行動に自信を持つことが重要である。
- 自信をつけるためには、自分自身の能力や経験を振り返り、自分を客観的に評価することが必要である。
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10代や20代のうちは根拠のない自信を持てることが若さの特権だと思います。元々実績なんてほとんどない年齢なんだから、根拠なんてほとんど持ちようがありません。 30代以降になると、何がしかの経験や実績に基づいた自信ということになりますね。修羅場を何回も経験した人が強いです。スポーツの試合でも、ものすごい場面でピークを過ぎたベテランの選手が活躍することがありますが、あれはそういうベテランの選手だとそういう場面を勝ったことも負けたことも含めて多く経験しているから落ち着いていられるのです。 自信をつけることについて、砂漠の狐と呼ばれたロンメル将軍はこんなことをいっています。「部下に必勝の信念を植え付けるのは簡単だ。小さい勝利を重ねればよい」とのこと。 メンタルトレーナーによると、一番自信につながるのは「+10%」あるいは「成功率60%」の課題に挑んで成功することだそうです。一生懸命やらないと達成できない、しかし一生懸命やれば達成できるという課題に挑戦して、それに成功すると自信を得るというわけです。 ちなみに私も若い頃は自分に自信が持てなくて大変なコンプレックスでしたが、ふとあるときに「俺が俺を応援しなかったら、いったい誰が応援してくれるんだ?」ということに気が付きました。 後にアメトーークの「ナルシスト芸人」の回で品川祐さんが「僕たちはものすごくアンチも多いので、自分が一番のファンになってあげないと誰もファンがいなくなってしまう」といってましたし、あるCMで「ブレるなよ。自分が信じられないやつを、いったい誰が信じてくれるのか」とありまして、それは正しいのではないかと思っています。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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君に命じよう。 これは教えの一つだ。 「素敵すぎますわ、お兄様」 そういう返答をしろ。 役に立たねえだろ。 経済とは一切無縁だろ。 悟りでは喰えねーんだよ。 釈迦の功績に一つは乞食を尊敬の対象にしたことだ。 このことを君は今後のために踏まえとけ。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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オラ、読んでみろ。 君には才能がない。そろそろ納得してくれまいか? https://okwave.jp/qa/q9249268.html 言葉で表現する前段階でもすでに知性がある。 このイデアともいわれた観念世界が涅槃だ。 到達すると肉体の生滅とかかわりのない永遠の命である自己が実感できる。 自らを丸ごと観念に昇華させるということだ。 ありがとう。 私は永遠に生きる。 君たちは死ぬ。 これが私の教えだ。 釈迦は、 あーらかわいそーねー。 私は涅槃に到達したから幸せよーん。 君たちは輪廻して、繰り返し死ぬのねーん。 こう教えた。
お礼
なにこの上から目線(笑) テーマはイデア論ではありません。どうぞ永遠に生きてください。それは地獄ですけどね。 死は最高で最後の救いです。私は永遠の命など欲しくありません。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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> その悟りが難儀であり、悟ったとしても言葉に表すのは到底不可能だ。 未熟者め言葉で表す必要が無いということが大切な悟りだ。 だから無の境地なんだ。 釈迦は語る言葉はないと結論したんだ。 当然、教えることもない。 泣き言をいうな。 ど根性バトルだ。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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7.8だ。 人生とはそうやって年輪を重ねるのだと、おおむね昔から言われている。 これは効率が悪く不経済だ。 しかしなに、個人的趣味で楽しむのなら誰も何も言わない。 社会と離れて自己に取り組むことだ。 ここはオカマバーで華々しいわいせつ物陳列が歓迎される。 私が君に親切なのも下心があるからだ。 私は男子プリキュアでね、男が嫌いだからキュアプリムだ。 パートナー妖精のセレビィと幼馴染のジラーチちゃんが好きだ。
お礼
その悟りが難儀であり、悟ったとしても言葉に表すのは到底不可能だ。 > 社会と離れて自己に取り組むことだ。 日々自己と対峙してまっせ。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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7だよ。 自己の確信 現代語で気づきともいわれる心情で昔の言葉だと悟りだ。 そうして確固とした自覚を積み重ねるんだ。
- 畑 茂夫(@Flareon)
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君の説による自信とは、自己評価と客観的評価のバランスの話だけだ。 でもいいところを研究しているね。 がんばりな。 足りないのはね。 自信とはいわない。 自己の確信とでもいう心情が考察されていない。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自己の確信とでもいうべきその心情ってなあに?お・し・え・て♪
- ddtddtddt
- ベストアンサー率56% (180/320)
>外部、つまり他人や社会の評価については当然のことながら良い評価を真実のこととしたくなりますがそれはあくまでも「自分にとって」のことです。 そうではないと思いますよ。他人や社会が良い評価をした事も事実です。これを完全に否定すると、「傲慢」「自己中」と似た一種の「自己欺瞞」に陥る事になります。仕事をしたくないがために、仕事をする能力がないと自分を信じ込ませる類の話です。 完全に一人で生活できる人はいません。また我々は、どうしてもけっこう人の目が気になります。つまり無意識のうちに、他人の評価を常に受け入れ内面化している訳です。なので自分の評価基準が、完全に客観的でないという事はあり得ません。まぁ~客観性の定義は難しいですが、「不特定多数の評価と概ね一致する事」としておきます。 自分の評価基準でOKなものが、不特定多数の意見でOKなら、自信を持って良い事になりませんか?。えっ?、質問文にそういう事は書いてある?。 >結局「自信」についても、外部の声を意識的、無意識的に取り入れざるをえないのですから、自信をつけることを取捨選択するのも結局自分の責任となりますし、・・・自信の根拠が外部の声を調整したものであるならば、・・・ ・・・だから謙虚に耳を傾けましょう(^^;)。
お礼
ご回答ありがとうございます。 これ、書き忘れてましたが、ご回答者様の回答で思い出しました。 不特定多数の外部からの評価が何であれ、それが自己認知と一致しているのなら、自他にとっての真実なのだということは常々(体験的にも)考えてきました。ですから >自分の評価基準でOKなものが、不特定多数の意見でOKなら、自信を持って良い事になりませんか?。 ってことになりますね。 >仕事をしたくないがために、仕事をする能力がないと自分を信じ込ませる類の話で 理屈の上ではそうなりますね。でも他人の良い評価を利用して怠慢の口実にするってことは現実的には稀でしょう。心理的にはそれはやる気や動機になりますし、「動」のエネルギーに向かうと思います。 その「動」は怠慢のためのものではなくて、自分に与えられたポジティブな評価を他者や社会のために使う(恩返しする)というように生産的な志向に向かうと思います。
補足
後記します。 >自分の評価基準でOKなものが、不特定多数の意見でOKなら、自信を持って良い事になりませんか?。 ってことになりますね。 客観性、客観的というのはそれ自身が自信をもたないものだと考えます。 おっしゃるように客観性の定義も難しいものです。 客観性という姿勢をもって真実を見つけることは不可能です。 ですから自信においてはこの思考方法をもってそれを得るまでが限界なのでしょうね。 ですので客観性
- daiamon3
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自信というものが思い込み、勘違いという側面もあると思います。 また外部の評価であれ、自身の考えであれ、人間は非常に自分に都合の良い生き物なので、基本的に自分の信じたいものを信じます。 極端な例えですが、幽霊を信じている人と信じていない人がいます。 信じている人は幽霊がいると「信じたい」ので、その裏付けを体験や情報から集めて、自分の意見、幽霊が存在するという自信の根拠とします。 逆も同じです。 自信というのもそれと一緒で、「自分の考え」に基づいた「自分の経験」と「情報」の裏付けによるものだと思います。 だから自信が勘違いや思い込みなのか、と言えばそうです。上記の理屈でいうと事実なんて関係ありません。 自信をつけるなら、仮説と検証を繰り返してみたらどうでしょうか。 「自分の考え」に基づいて行動し、成功すれば自信になりますし、失敗しても「このやり方は失敗する」という事が分かれば十分だと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >人間は非常に自分に都合の良い生き物なので、基本的に自分の信じたいものを信じます。 ですよねー。これは集団心理で顕著に現れます。 その集団のリーダーなりカリスマ的存在なりの周りにイエスマンが多いとします。 そこで問われるのが、そのリーダーの、自分への評価に対する客観的視点(謙虚さ)です。それがその集団の性質を決めてしまうといってもいい。 そこで独裁者が自分の力を過信します。そして態度に現れる(傲慢さや力での支配)。 自分に「自信がない」思考停止状態の子分らはその態度が自分が持つべきそれとって代わる現れ(投影)とします。そして依存は高じます。 さらに、自分の所属している集団は自分が選択したものゆえ、それを否定するのは自己否定につながります(社会心理学でいう認知バイアス…というか単なる自己欺瞞と思うのですが)。それゆえますます組織にしがみつく。これでひとつの(宗教的)組織(や国家)のできあがり。 一方で自己欺瞞に陥る諸悪の根源の方々(リーダーや子分)に疑問を感じ、異議申し立てをすれば異端者として迫害。そしてその組織は独善偽善に陥る…ああ恐ろしい。 >「自分の考え」に基づいた「自分の経験」と「情報」の裏付け があればいいのですが、それもまた高い客観性が問われます。 その「経験」や(自分が発信する)「情報」に対して絶対的に正しいという思い込みがあると >自信が勘違いや思い込みなのか を問う人間が真実を問う者であったとしても「関係ない」んですよ。 >自信をつけるなら、仮説と検証を繰り返してみたらどうでしょうか。 検証つまり実践ですね。 その「成功」が集団を支配したいという欲望や目的に変化するのでしたら危険です。「自信」は諸刃の剣ですね。
- 雪中庵(@psytex)
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他人の能力に対する「信じる事」は、相手の情報 不足の状態で、可能性を信じる事であるが、自分に ついての「自信」は、「能力」の情報をいくらでも 確認できるので、同じ「可能性を信じる」のでも、 自分の能力を十分確認・鍛錬した上で、それが環境 において有効に機能する事を「信じる(=環境の側 の情報不足に対する)」のだと言える。 自分の能力を確認・鍛錬せず、甘い見通しで行う事は、 過信や無謀と呼ぶ。 自己鍛錬し、正確に己を測り、また対象の情報を 可能な限り集める事で、自信は確信になります。 孫子曰く「相手を知り己を知れば、百戦危うからず」。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、「相手を知り己を知れば、百戦危うからず」は戦法だけではなく自信のことでもありますね。 過信や無謀についても納得です。 本物の自信には「確信」が必要ですね。それは鍛錬があってのことですね。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1158/9169)
自信というのは自分が持っている価値基準で判断するものなのでは。他人からの評価は関係ないはずです。ただ自分の価値基準の中で矛盾があってはならないと思います。しかし他人からの批判を恐れるというのが自分の価値基準ならばそれも一種の自信なのではないでしょうか。こういう人が口では自信がありませんと言いながら心の中では自信に満ちているということ大いにあると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 たとえば「天才」という評価は外部からのものですが、その評価をするからにはその人も天才でなければならないはずです。 その基準がもっとも曖昧なのは芸術の世界だと思います。 なかでも絵画については、子供が描く絵のような(もちろん子供が描くから秀でてないのではありません。むしろ子供の方が天才の萌芽が見られるものです)、もしくは絵の具をぶつけただけのような絵なのに、どうして天才のものだと評されるのかと不思議でなりませんでした。 逆に外部から天才とうたわれても、本人にはまったくその自覚も自信もないという場合もあります。 >他人からの批判を恐れるというのが自分の価値基準ならばそれも一種の自信なのではないでしょうか。 定義が「自分を信じる」のであらば、それがネガティブなものであろうと価値基準となっている以上それも自信となるかもしれませんがしかしそれは理屈のうえであって、現実には「自信」とは使われていません。 >こういう人が口では自信がありませんと言いながら心の中では自信に満ちているということ大いにあると思います。 これは謙虚さというものでは? こういう人とは上記の「批判を恐れる人」だと思いますが、内心では自信があるということは矛盾となりますが。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 メンタルトレーナーのお話での100%ではないというところに興味があります。それと+10%は何に対してのパーセンテージということも…。 一生懸命やってもだめ、やらなすぎてもだめ、ということでしょうね。よい意味での逃げ道を自分に作るというか… >「俺が俺を応援しなかったら、いったい誰が応援してくれるんだ?」 ほんとですよね!私もいつも自分に言い聞かせてます。ネガティブなことを思い込み、思い込まされているのでしたら自分の言葉で解けばいい。脳は主語を理解しないといいますから、誰の発言でもいい。言葉によって歪んだ思考は言葉によって矯正するんです。