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自信のなさに対する自信家とは
引き続きの質問です(「永遠の悪循環」) 先の質問で、回答者の方からとても興味深い指摘をされました。 「自信」ということについての質問でしたが、ある回答者は 「それでもあなたは、自信のなさについては絶対的な自信を持っている」 と。 前々から自分の自信のなさとそのことに関する絶対的な自信には自覚がありましたからその指摘自体は驚きませんでした。 けれども、改めてそう言われると、世間で言う所謂「自信のナイ人」のイメージとはちょっと違うような気がします。 例えば異性(女性)に嫌われることにかけてはこのサイトを利用しているすべての男性を敵に回しても絶対に負けない自信があります。 「どっからでもかかってこんかい!」という感じです。 そしてまた、批判には滅法弱いですが、 誉め言葉に関しては、どのように誉められても、 全く受け付けない鋼のような体質になっています。 女性でも、有名人でも、誉められたことがあっても、 「ウソを言うなよ!」という感じです。 一向に受け付けません。 その代わりちょっとした一言で訳もなく自己否定の材料にしてしまいます。 行きずりの人の心無い一言だけで、ああ、やっぱり自分はダメなやつなんだと、絶対的な裏づけを取ったような気になります。 先の質問の回答をきっかけに皆さんの意見を訊きたくなりました。 「自信のないことにかけては絶対磐石の自信を持ってる人間」について それはどのような人間だと思いますか? ご意見お聞かせいただければ幸いです。
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質問者が選んだベストアンサー
中国の詭弁についての古い寓話でこんな話があります。「ものを学ぶ人は賢いか?」という質問に対する回答です。もし、「賢いです」と答えると「不正解」です。なぜなら、「賢い人はものを学ぶ必要があるか。人は賢くなるために学ぶのであって賢いということは学ぶ必要はないということではないか」だからです。 では、「賢くないです」と答えると「不正解」です。なぜなら、「賢くない人はそもそも学ぶのか。何かを学ぶということはそれすなわち賢いということではないか」だからです。 つまりこの質問はどっちに答えても「不正解」となる質問なのです。あの、「飛んでいる矢は止まっている」とか「アキレスは亀に追いつけない」というようなパラドックスと同じです。 詭弁とかパラドックスというのが語弊があるなら、質問者さんは単に言葉遊びをしているともいえるでしょう。前述の質問でどう回答しても不正解になるからくりと同じで、質問者さんの質問をどうこねくりまわしても「私には自信がない」という結論になる(というかそうにしかならない)という仕掛けです。 世の中には、いつでも調子が悪い状態でいたい人というのがいます。こういう人は、いつでも「あそこが痛い、ここが痛い、調子が悪い」とボヤいています。それで、色々と薬や健康食品を飲んだりしますが一向によくなりません。よくならないのも当たり前で、こういう人は「いつも絶不調でいたい」のです。いつも調子が悪ければ、付き合いが悪くても働かなくても不機嫌でも周りは「あの人は体の調子が悪いから」と一定の理解を示してくれます。しかし、もし何かの健康法で調子がよくなってしまうと「あの人はなまけものだ」と非難されてしまいます。だから、いつでも調子が悪くないと困るのです。 質問者さんも、自分の自信のなさに絶対の自信を持っているといっても、他人から正面きってそれを肯定されるとそれはそれで困ってしまいます。「確かにそのとおりだ。君はなにひとつできない人だ」なんていわれたら自殺するか精神が崩壊するかどっちかです。私はどちらも望みませんけどね。それにもし質問者さんが「自分に自信がないことが絶対の真理」であるならば、それを他人に確認する必要もありません。なぜなら、それは「絶対の真理」であるから他人がどう言おうとそれに反論する人は「真理が分からぬ愚か者」だからです。 逆に言えば、質問者さんが「自分が何もできないことに対して絶対の自信を持っている」なら、「何もできないことに自信を持てる」のですから「何かができることに対しても自信を持つこともできる」というロジックも成立します。「もし自分が何も自信を持つこともできないとしたら、何もできないことに対しても自信を持つことはできないはずだ」とね。
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- anachronism
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> 行きずりの人の心無い一言だけで、ああ、やっぱり自分はダメなやつなんだと、絶対的な裏づけを取ったような気になります。 そういわれること、そう感じることに何らかの快感を感じる性質なんでしょう。 そういう自分を何とかしたいとか、そう思わずにいたいとか、ポーズではなく本当に思っているんだとしたら、そんなことに「絶対磐石の自信」など持たないし、こんな質問を立ち上げたりはしないでしょうからね。
お礼
>そういう自分を何とかしたいとか、そう思わずにいたいとか、ポーズではなく本当に思っているんだとしたら、そんなことに「絶対磐石の自信」など持たないし、こんな質問を立ち上げたりはしないでしょうからね。 へえ・・・そういうものですか?
- tri2m
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自分も「自身の無さには絶対の自信」を持ってます。 結局の所自分の場合は「弱い」人間です。 皮膚が無い神経剥き出しの状態です。 根本的には「もう傷つきたくない。もう傷に耐えられるものはない」 ここに終始する人間と考えます。
お礼
>自分も「自身の無さには絶対の自信」を持ってます。 そうなんですか・・・ 早速のご回答ありがとうございました。
お礼
とても面白くお答えを読みました。 すごく不真面目に聞こえるかも知れませんが、 私も上記のような「言葉遊び」大好きです。ゼノンのパラドックス・・・ 「アキレスと亀」とか「矢は永遠に的に辿り着くことは不可能である」とか・・・ >逆に言えば、質問者さんが「自分が何もできないことに対して絶対の自信を持っている」なら、「何もできないことに自信を持てる」のですから「何かができることに対しても自信を持つこともできる」というロジックも成立します。「もし自分が何も自信を持つこともできないとしたら、何もできないことに対しても自信を持つことはできないはずだ」とね。 こういう回答を待っていました。 そうなんです。 余談ですが、私はもう14年間も精神科を転々としていますが、 精神科でもカウンセラーでも異句同音に言われるのは、 なんだか話してるととっても自信がありそうで、堂々としてて、 時には人を食ってるようにすら感じるんだけど・・・ と言われます。 それはきっと今のこの裏返しの自信のなせる技ではないかと思い始めています。 だから、仰るような逆の自信を持つことが出来れば・・・
補足
>前述の質問でどう回答しても不正解になるからくりと同じで、質問者さんの質問をどうこねくりまわしても「私には自信がない」という結論になる(というかそうにしかならない)という仕掛けです。 先の質問の回答にしてもこの上記のeroero1919さんのご指摘にしても 同じ「見抜かれる快感」と言うものがありますね。 これはなかなか精神科医やカウンセラーなどでは味わえないことです。 よろしければまたご意見をお聞かせください。