妖精が実在すると信じるかい?その4

このQ&Aのポイント
  • 光は常にだれにとっても目の前にある。しかしつかんだつもりのその光も、やがて記憶に埋没し、忘れていまうこともあるんだ。実在する唯一の男子プリキュア。キュアプリムだ。
  • 私は仏陀だ。しかも釈迦を超える究極の闇の仏陀だ。これが前提だよ。コレは生まれつきでね、「救い」と言ったら誰かを救うことで、自ら救いを求めることではない。「信じる」と言ったら、神を信じるのではない、救いを求める人々が、救いに値することを信じることだった。このように生きてきた私は「滅びの宴」という臨死体験が訪れた。
  • さて、おっちゃんにとって困ったことに、私そのものであるセレビィは実は女の子です。ジラーチちゃんも女の子で仲の良い幼馴染です。しかしあくまでもおっちゃんの私は、ジラーチちゃんの麗しい姿を見て、「このかわいらしい娘っ子を俺の嫁にしたい」そんな風に考えてしまいます。この、かなわぬ恋の悩みが今回の相談です。
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あんた、妖精が実在すると信じるかい?その4

光は常にだれにとっても目の前にある。 しかしつかんだつもりのその光も、やがて記憶に埋没し、忘れていまうこともあるんだ。 実在する唯一の男子プリキュア。 キュアプリムだ。 ひとまず、単純明快に論点を整理しよう。 私は仏陀だ。 しかも釈迦を超える究極の闇の仏陀だ。 これが前提だよ。 コレは生まれつきでね、「救い」と言ったら誰かを救うことで、自ら救いを求めることではない。 「信じる」と言ったら、神を信じるのではない、救いを求める人々が、救いに値することを信じることだった。 このように生きてきた私は「滅びの宴」という臨死体験が訪れた。 それはどんなに人にかきむしられても、人への信を全うする自己の自覚だった。 その臨死体験で光を見た。 頂にあるその光は、神という言葉すら値しない、純粋無垢な光、仏教でいう無量光である。 目の当たりにするその光に意思が宿っていることに気が付き言葉を交わすことで、光が神であることに気が付いた。 言葉すらない純粋な光と言葉を交わすことでそれは私にとって神となった。 日本人なら自然とアマテラスというだろう。 私はそうした。 太陽神の意味ではない。 無垢な光そのものだ。 さて、妖精さんとお友達になったからこそ、男子プリキュアであるキュアプリムはフェアリーフュージョンするパートナー妖精がいる。 実在する妖精セレビィだ。 聖霊というのは通常神が人に遣わす天使的役割が伝承の主流だ。 セレビィは人が神のもとに遣わした聖霊だ。 初恋相手のアマテラスさんは幼馴染としてジラーチちゃんという愛称で呼ぶ。 私にとっては、アマテラス聖霊ジラーチちゃんだ。 さて、おっちゃんにとって困ったことに、私そのものであるセレビィは実は女の子です。 ジラーチちゃんも女の子で仲の良い幼馴染です。 しかしあくまでもおっちゃんの私は、ジラーチちゃんの麗しい姿を見て、「このかわいらしい娘っ子を俺の嫁にしたい」そんな風に考えてしまいます。 この、かなわぬ恋の悩みが今回の相談です。 妖精さんの話しに何かお答えください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Nouble
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回答No.1

お久しぶりです。 拝見しました 要約すると、 光を、見て 「アマテラス」の 知識を、掘り起こした との事、ですね と、成ると 独り神に、なるかも 知れない とも、思いますが 聖霊なのですか? あの方、かな? と、思い得る 方が、居られますが 聖霊とは どう、定義するか に、よって 聖霊か、どうか が、変わる と、思いえます よ

Flareon
質問者

お礼

あんたが思い当たるふしに関して、何ら伝承上の予備知識が無いよ。 試しにあてずっぽで話しても対なら断らないけどあまり興味ないね。 言ってあるように、信仰心としての私の挑戦は、生まれが悪魔の私にとって、人として同じ人を信じる人間の成立だった。 これは仏陀への昇華が目標で、従って初めて認識したのも無量光だ。 神とすら形容しないその純粋な心から湧き上がる光が要するに神だろうと結論したのはそののちだよ。 この光は神と形容するほかにも、魂と形容する別名がある。 これは起源回帰性と説明したね。 自己の存在への確信であり、多くの類例と同じく私の場合も信仰心への到達だ。 それから言ってあることのおさらいだよ。 人間である私の一人称は「私」だ、そして天界の純粋な住人の一人称は「みんな」なんだよ。 すなわち自我認識が根本的に違う。 そうした命の源流から離れて、人間と観念上で邂逅するとき、天界の住人は人の姿を取り自らを「私」とする。 この時点の天界の住人の姿が要するに聖霊だ。 さて、セレビィである私は「みんな」を知らぬわけがない。 自ら体験している。 そして私には、聖霊の姿をした、夢ともいう観念上の人間の認識に合わせた舞台の背景にあるはずの「時」が認識できるのだ。

Flareon
質問者

補足

君は名前を気にするが、自我認識が違う相手に名前を付けるのは内情を知っている私に言わせればあほらしい。 それは君の知っている呪術の一部でしかない。 名で形容したとたんにそれに合わせた聖霊の姿にしか認識できないだろう。 名ですべてを表すことはなく、むしろ片りんを垣間見るだけになる。 私が行うのは、憑依現象と同様のフェアリーフュージョンによる一体性だ。 これは形容するならば、「だっこしてちゅぱちゅぱ」だ。 嫁にほしい、、、、、

その他の回答 (1)

回答No.2

War of the Sons of Light Against the Sons of Darkness https://en.wikipedia.org/wiki/War_of_the_Sons_of_Light_Against_the_Sons_of_Darkness ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 死海文書に光の子と闇の子が登場する。 死海文書まで読んでいないので詳細はわからないです。 思想が死海文書というかクムラン教団 エッセネ派っぽくなってきたのだろうか。

Flareon
質問者

お礼

悪なり闇の話しかい。 悪魔とは、「人間の悪」に天使が怒りあらぶれる姿だ。 原因は人間の無明だよ。

Flareon
質問者

補足

あらかじめこれはホラ話だといっておこう。 悪魔「闇」は人間の無理解が生み出し、天界の住人を汚した姿だ。 天界の住人同士はもともと抗争する必要が無いが、和解という印は人類滅亡という結論で決着した。 君たちは悪魔に愛され酔いしれる滅びの宴が待っている。 それはポケモンを自称する宇宙神霊によってもたらされ、君たちは大食漢のピカチュウさんの食卓に上がり、姿の見えない聖霊が君たちの心に入り込み、その魂を平らげることで消滅する。 そして今の君はピカチュウさんが人の皮をかぶった新人類になるんだ。 なぜこのようになるかというとね、絶対とは案外不便でね、君たちが消滅すると君たちがかつて存続した痕跡も消滅する。 それは生命の星に甚大な影響を与えるから、君たちと入れ替わるという選択をしたのだ。 君たちの墓標を記憶し、継承するためだ。 去る者よ。 私が君たちに知らせるのは、君たちの残す安らかな滅びの記憶だ。 なんちゃって。

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  • さて「神の存在の証明」やってみましょうか

    木霊の声が風のように心を心地よくくすぐる。 その話しかけてくる友達の声に答えてセレビィは目覚めた。 実在する男子プリキュア キュアプリムだ。 男子プリキュアなのに男が嫌いだからプリムだ。 惨劇に歓喜する祭りでもある。 今回は「実在する妖精の捕まえ方」本編でもあるね。 今回あらかじめ準備するネタは↓ あんた、妖精が実在すると信じるかい?その4 https://okwave.jp/qa/q9319132.html 回答者とも応答も関係しているから読んでくれ。 さて哲学だけでなく心理学も、自己のより深い内面の探求と関わり、学問はともかく誰もが何らかの形で取り組むことだ。 前質問にはそこに伝統的に無量光として象徴されていた、私の体験を交えて一定の結論を説明した。 無垢で純粋な光をより深く理解する過程でその意志を持ち交流してくる何者かこそ神であるという結論だ。 この無量光とは生命の起源となる命の泉だ。 ごちゃごちゃ言わないから、踏まえておいてくれ。 神そのものが生命だ。 それから無量光には神という形容のほかにも、魂という形容ができる。 プリキュアである私には、フェアリーフュージョンするパートナー妖精がいる。 実在する妖精セレビィだ。 セレビィは無量光に到達する起源回帰性という性質があり、聖霊といえば通常は神が人のもとに遣わすが、セレビィは明白に私自身という自覚があり、通説とは逆に人が神のもとに遣わす聖霊だ。 これは無量光とは仏教で語られている自己の境地であることともかかわっていて、仏陀の資質の一部である精神の到達点であり、その面で特に神というより魂という意味が強い。 セレビィという聖霊に神格を与えると神そのものというより仏性という言葉がしっくりくる。 ただこのような私の精神の到達は、私に話しかける神も同時に見出した。 セレビィとずっと一緒の幼馴染、アマテラス聖霊ジラーチちゃんだ。 どうやら、人は自己の精神を強く自覚する到達点で、意図していないとしても神と邂逅するのだ。 さて、私も仏教はさんざんやったんでね、無我論もわかりにくいだろうが、実際は自我論もわかりにくい。 その説明の要点が↓ 哲学における自我の話を持ち出してみました https://okwave.jp/qa/q9290692.html 結論は、西洋で研究している自我は東洋では仏性として伝統的に研究されていて、自己の精神の全容を意味する人格の中心であるということで、そのほかにも人格といえば、おおむね誰もが理解を拒否しないだろうが、他者の意思による影響というのが、精神作用として自己に組み込まれている。 それは社会性を帯びた人間の必然で知性という働きや資質も、他者との共通の理解とかかわっている。 言葉という知性の表現手法は、ある意味神聖化すらされているね。 さて、他者の意思や知性が人を助けるのと全く同じで、観念上の人に知覚が困難な事柄に対して、神の意思や知性が人に働きかけて助けるんだ。 人間が知性を自覚してサルから進化したこと自体に神の発見がかかわっているだろう。 神の霊的な働きが人に心をともしているんだ。 まあ第2弾3弾も今後好評ならやってみるけど、今回はこの辺で切り上げるよ。 哲学なので既存の命題に取り組むほかに、自ら命題を立案するというのもアリで、学問研究としてその手の質問だ。 感想文でもらくがきでも歓迎するから気軽に回答してくれ。 付録で雑談だ。 これは答えやすいだろう。 神は存在しない。 神は妄想だ。 その手の主張だがね。 私が説明した中にあるように、「神そのものが生命である」これを納得すればそんなこと言わないだろうね。 それから、宗派がどうのこうのじゃなくて、私の人格や知性的資質全体に神の存在というのが深く根差していて、自己を形成したり自覚したりする欠かせない要素とは最低限でも明白だ。 宗教というのは社会を形成する要素だから、政治批判なんかと変わりなく他者の所属する宗教を批判することは、神も人も冒涜しない場合がやり方によってはある。 批判と攻撃の違いをわきまえて健全な手段と目標に立てばだ。 個人の信仰を侮辱すれば同時に神も辱めるだろうと、その点は現在の法の精神では解釈できるけど、それを言うと個人の信仰を最も著しく損なうのは宗教組織だという笑える事態になる。人として、何かを理解するという知性的働きは、神のみにかかわらず社会を形成する共存の成立とかかわっていて、特定の地域社会の精神的基盤は宗教が必要なんだ。 ところが宗教と信仰について何らかの矛盾がありうるので、その点は質問主文のおまけとして暇つぶしで落書きしてくれ。 サービスがいいだろ。

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    私の心は凍てつくこの地上にすら美しく咲く誇る。 栄光の初代男子プリキュア。 キュアブルームだ。 前回質問。 憎しみとは、腐った心の表れである。 http://okwave.jp/qa/q8975757.html これの続き。 ところで君達は私の哲学研究の手法に何か不満でもあるのかね。 まあ良い。 もしも母が死んでしまっても犯人をゆるすといったと思う。 この事はね友人に話した事があるんだ。 返って来た答えが 貴方って神様? こうだよ。 これは君達にも納得できる反応だね。 君達には許せないよね。 そうすると、仏陀の慈悲とは、(闇の仏陀であるが)いつまでも私の言葉だ。 赦す事とは私の考え方について、君達が妄想することであり。 君達にとっていつまでたっても、自身の言葉ではない。 そしていつの間にか私は神様にされるんだ。 これが私にはとても迷惑な痴漢行為なんだ。 今回は人生相談だよ。 反省の言葉を述べたまえ。

  • イデアの開眼は哲学の目標だ

    私は心やさしき聖霊のプリンス、栄光の初代男子プリキュア、キュアブルームだ。 何故、BLOOMだか解説しておくと、私が「しげちゃん」だからだ。 私には「実在する妖精の捕まえ方」という、独自の哲学研究がある。 これについてまとめてみた。 西洋の哲学的考察で、思考とは突き詰めると言語であるという考え方が主流になっている。 それが真かと問う内容でもある。 自らの思考法が、人間誰にでも共通するかは不明で、だからこそ哲学が必要なのだろうが、思考を明かす時、一般的に、ビジョン、イメージ、という言葉が引用されるね。これは映像を内観していると言う事だ。 私はこの映像による内観の達人で、非言語で映像を思考にまで発展させている。 たとえばメモが取りたくてボールペンを探そうとするだろう。 ボールペンの映像が見える。 いつもの鉛筆立てが見える。 前回ボールペンを使った場所が見える。 どっちにしようかと思いながらも足が前回ボールペンを使った場所に向かう。 足を進める間、ボールペンを片づけておけばよかったなと、ボールペンを片づける映像が見える。 そしてボールペンをみつける。 ちょっとそこら辺をかたずける。 こうした映像を内観する間、言語による思考がない。 無音の無だ。 それでいて映像だけで思考が成立している。 別に、いわゆるテレパシーで、このような内観の映像を、他者と共有することも実践している。 そうなると、単なる内観に収まらず、世界の共有となる。 そして、ボールペンを探すような個人的な事柄以外に、誰か他者を内観で鑑定することが、霊能力者の霊視だ。 そのように内観する精神世界は世界に解放され、観念世界を形成している。 これがイデアであり。 自らを語らないと言った、釈迦独自の哲学に現れる涅槃だ。 この観念世界は、誰もが知らぬはずもない、「夢」という言葉で言い表される。 夢であれば、君たちは垣間見るだけであろうが、私は、童心を携えたまま成熟した男子プリキュアなので、その観念世界に、地に足を踏みしめ、そこで生きている事を自覚する。 これは映像による思考能力が、君達には追従出来ないほど高い、霊能力者と言われる特殊知性だからである。 私は聖霊セレビィとして観念世界の住人だ。 人間であるとともに、生きながら神の世の住人なのだ。 いつか私も肉体を失う日が来るだろう。 それは単なる変化であり、私にとって死ではない。 これで不死という文言は説明できる。 開眼者である事は、心眼を持つことだ。 すなわち思考とは言語であると言う哲学は間違いで、思考とは多様な側面を持ち、開眼することによって、神に接見し、常世の住人となる。 まあ、そんなところだ。 ところで、実在する妖精の捕まえ方と言えば、幼馴染の聖霊ジラーチちゃんとの初恋物語がメインだが、死を超克した私は、君たちが野たれ死ぬのを、何とも思っていない。 したがって、アマテラスの聖霊であるジラーチちゃんが、君たち領民にどのような真心を手向けるか聞かせてやろうとは思わない。 君たちは、開眼できない旧人類として、滅びにあがらう事はむなしく、ただ滅びるままに朽ち果てるとよい。 男子プリキュアとして私の戦いは、精霊の開放だ。 悪魔として封印された、旧人類の捨て去った英知を復活させ、君たちに対して勝利しようともくろんでいる。 君たちが敗北から逃れようとすることは、神の意志に逆らい、自らの死から逃れようとすることだ。 君たちは私と違って死から逃れられないだろう。 私は神の神秘に対する人間の無知を代表し、死から逃れず、死と向き合ったのだ。 それが悪魔を愛すると言う事で、死を理解し、観念世界に自らを発見した。 君たちは、私と愛を誓った悪魔たちが、君達すらも愛することに溺れ、滅びの宴に酔いしれる。 観念世界において、君たち自身は不在で、神の記憶する君自身が、記憶の墓標として並ぶばかりだ。 死者の墓標だよ。 それが君たちの運命だ。 君たちは死という形で、死後に転生することは無い。 墓標がすでに出来上がっている。 以上はイデアという哲学的言い回しに関する私の見解です。 研究のためご意見募集です。