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介護殺人と安楽死(健常時に確認を取る様な法整備を)

介護の仕事を経験した者です。NHKスペシャルの介護殺人を観ました。 免許証などに脳死時に臓器移植意志カードというのがありますよね。 認知症になる前に安楽死してくれるような意志カードの作成の法整備とはどれくらい進んでるのでしょうか? 少しでも介護殺人の件数を減らしたいと思ってます。私も認知症になったら殺して(安楽死させて)欲しいです。 認知症後安楽死意志カードを作成すれば大分解決の方向に進むと思うのですが。。

  • mk278
  • お礼率61% (279/456)

みんなの回答

  • iwashi01
  • ベストアンサー率17% (187/1047)
回答No.4

認知症の診断は難しいのです。 正しく診断できる医師は多くありません。 また、認知症には程度があって、だんだん判断力が衰えていくような状況で どの状況まで認知症が進んだら安楽死の対象か決める必要があります 「認知症になったら安楽死」 言うのは簡単ですけど、 安楽死にしていい認知症の診断基準をまず作らないといけません。 また、 診断の手続き(診断できる専門医の資格とか、必ず複数の医師で診断するとか) 安楽死を実行する手続き(安楽死を実行する医師の資格とか、実行方法など) をきっちり決める必要があります。 また、診断や実行する人の料金をどういう風に負担するのか も、決める必要があります。 ただ働きでさせるわけにいかないですから。 いくら本人が認知症になったら殺していい思って、 意思表示のカードを作ったとしても、実行は簡単じゃないですね。 「認知症になったら」のような条件を付けずに、 65歳以上になったら本人の希望があれば安楽死を許可する のような法律なら、まだ可能性があるように思います ただし、安楽死を実行するために、専門の施設を作る必要はあるでしょうね。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10482/32974)
回答No.3

私はですね、若い頃、「死ぬことなんて怖くない。ただ死ぬ理由がないから生きているだけだ」なんてうそぶいていたのですよ。ところがそう思っていた頃にちょいと大病をして死にかかりましてね。 病気の間は、もうね、「早く治すこと」ばかり考えていました・笑。すげー真面目にリハビリしてたんですよ。早く退院しよう、早く仕事復帰しよう。入院中はそればかり考えていたように記憶しています。退院してだいぶ元気が出てきてからようやく「あれ?俺は死ぬことは怖くないっていってたよな?」と自己矛盾に気づいたのです。ものすごいショックを受けましたが、それを乗り越えたときに私は堂々と「私は死ぬことが死ぬほど怖い」と口にできるようになったのです。 臓器提供意思カードに臓器提供の意思が示されていて、そこに家族の同意にもサインがあった人が脳死状態になり、関係者が最後の意思確認を家族にすると「やっぱり臓器提供はしたくない」と断られることはとても多いそうです。日本で臓器提供による移植手術がなかなか広がらないのは、土壇場で提供拒否する家族がものすごく多いからなのだそうですよ。 元気なときはピンとこないから「じゃあ、そうしてくれ」といえるのだと思います。しかし現実問題として突きつけられると、やっぱりどうしても動揺してしまうのだと思いますね。 質問者さんも、ある日いきなり知らない人がやってきて、「あなたは認知症と認定されました。あなたは認知症になる以前、安楽死同意の書類にサインをしたので安楽死となります。書類をご確認ください」といわれて見覚えのない(認知症ならそういうことをやったことももう記憶にないでしょう)書類に確かに自分の署名捺印があったら、諦めますか?これは何かの間違いで、同姓同名の人と間違えていないか。あるいは、こういう書類を捏造して老人を「処分」しようとしていないかとは思わないでしょうかね。 蛇足:もし安楽死意思提供カードなるものができたら、その書類を捏造して「処分」する事件は必ず起きると思います。なにしろ死んだやつから訴えられる心配はありませんからね。

mk278
質問者

お礼

ご回答誠に有難うございます。お蔭様でとても参考になりました。 もう少し考えてみたいと思います。

noname#225664
noname#225664
回答No.2

>私も認知症になったら殺して(安楽死させて)欲しいです・・・たぶん若いころだと平気で言えるのでしょうか、認知症で安楽死という考えは一般的に通用しないと思います。認知が出来ずとも動物の習性としての「死ぬまでは生きぬく」ということは尊重しなければいけない。介護はリーズナブルな運営費を基本に、独立団体監視体制のもとに、許認可し、税を投入すべきものです。施設に入れない状況が問題の原点なんですよ。一見おとなしそうでも実は大本営発表に近づいてきた放送局として「認知」しておくことも大事ですね。 質問者さん自身を想像してみてください、高齢になり、いくらかボケてきたかと自覚しだして、まもなく安楽死の恐怖に苛まれるのでは?、まるで「死刑囚」のような一生ではいかにも淋しいです。

mk278
質問者

お礼

ご回答誠に有難うございます。お蔭様でとても参考になりました。 もう少し考えてみたいと思います。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2589/17102)
回答No.1

別の番組で放送されていましたが、周囲からは意識が無いように見えても実際には意識があり、何が行われていたか理解していた、ということもあるようです。そのような状態の人を「植物状態だから」と判断して安楽死に持ち込まれるようなことがあるとすれば、それもまた恐ろしいことだと思います。

mk278
質問者

お礼

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