• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:カント哲学または認識に関して)

カント哲学または認識に関して

noname#215347の回答

noname#215347
noname#215347
回答No.1

面白いね・・ 頭が良いのか 悪いのか・・(笑) こんな所で質問して 回答が幾つも付いて それのどれを あなたが選ぶのだろー? 一問多答の こういったサイトでは あなたの力量を超える回答が 得られたとしても あなたが それを素直に受け止める事が出来るかどうか・・なのに・・ 学ぶのならば もっと 違った方法が 幾らでもあるのにな・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高度な質問ほど こんなサイトでは無駄だって事は理解出来ないみたいですね・・

関連するQ&A

  • カントにおける図式、構想力と悟性との関係について

    カントの哲学、特に感性的認識においての、現象を知覚する時点から悟性による認識までのメカニズムがいまひとつ分かりません。下記の点が特に気になっているので、教えていただけないでしょうか。 (1)図式と構想力との関係。 (2)『判断力批判』では「構想力と悟性の遊動」と書かれています。これは構想力がデータを送り、悟性がデータを受けようとするときにうまく一致せず、それゆえ美を感じるということなのだと理解していますが、では通常美的判断でない状態では、構想力はどんなデータを送り、悟性はどんなデータを受けているのでしょうか?

  • カントにおける内官の場所

    初心者なので、基本的な間違いがあったらすみません。 カントにおいて、外官(感性)【感覚器官】というのは理解できておりますが、内官(感性)とすれば、感官としての内官はどこに存在するのでしょうか。純粋理性批判を一応通読したのですが、直観がカントにおいては悟性と繋がっておらず、他のこころの働きの内容を見ても、ちょっと繋がる場所が見いだせませんでした。

  • 言葉を勉強しています。

    1つ目は「感性」です。 1 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。 2 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。 と出ていましたが、どういう意味ですか?もう少し噛み砕いて教えていただけないでしょうか? と「感受性」です。 外界の刺激や印象を感じ取ることができる働き。 外界つまり、外の印象を感じ取るとは「自意識過剰」という意味なんでしょうか?こう理解すると2つがリンクしないので分かりやすく教えてください。お願いします。 最後に2つの使い方を教えてくれますでしょうか?よろしくお願いします。

  • 高校倫理 カント『純粋理性批判』について

     大学受験生です。  教えていただきたいことがあります。  カントの『純粋理性批判』に対する参考書の解説の中で  「感性のはたらきとは、必ず特定の時間、空間を前提としてなされる」  「私たちの経験による認識というのは、実は何らかの時間、空間を限定した上で ないと成立しない」 という表現があるのですが、よく内容がつかめていません。  具体的にわかりやすくご説明いただけると助かるのですが。  よろしくお願いします。

  • 純粋理性批判(Q11)

    純粋理性批判(Q11) goo辞書によると、「統覚=知覚表象などの意識内容を自己の意識として総合し統一する作用」となっています。 この統覚に関する中山訳の記述から4点、教えていただきたいことがあります。 1. 「すべての思考に先立って与えられうる像は直観と呼ばれる。だから直観に含まれるすべての多様なものは、この多様なものが発生する主体における<わたしは考える>ということと、必然的に結びついている。しかし、このような像が生まれるのは、人間の自発的な営みによってである。そして[感性は受動的な働きだけをすることを考えると]この像は、感性に属するものと考えることはできない」 そして、この像を統覚と呼ぶ、と続きます。 <質問1> 「すべての多様なもの」とは具体的に何を指しているでしょうか。 カントにおける直観とは感性によって得られるものと理解していますが、たとえば、赤いバラを見たときの「色・形状・匂い」などを指しているのでしょうか。そういったものとは別のものでしょうか。 <質問2> この解説によると統覚というのは悟性の役割とあまり変わらないような気がするのですが、どのような違いがあるでしょうか。 2. 「すなわち直観において与えられる多様なものを思い浮かべる自己統合の意識はどこでも同一のものとして維持されるが、この自己統合の意識にはさまざまな像の総合が含まれる。こうした総合が意識されることで、初めて自己統合の意識の同一性が可能となるのである」 <質問3> 「どこでも同一のものとして維持される」とはどういう意味でしょうか。 <質問4> 質問1にも関連するのかもしれませんが、総合の対象となる「像」とはなんでしょうか。また、 「こうした総合が意識されることで、初めて自己統合の意識の同一性が可能となるのである」の意味と意図がわかりません。   

  • 「直観」と「直感」の違い、その差って何ですか?

    frauさんという人が、どっちも同じだと言っています。 ふつう哲学では、「直観」という言葉は使いますが、「直感」という言葉はあまり使われません。 「直観」という言葉が哲学で使われるようになったのは、中世の聖アンセルムスからで、アンセルムスは、「直観」を二通りの意味で使っていました。 一つは、直観的認識は、現に目の前にあるものについての知識という意味。 もう一つは、いかなる直観的な認識も先行する認識に限定されていない、論証的な認識の反対という意味。 カントが「直観」という時、後者の意味に使っていました。 要するに推論によらない知識を「直観」と言っていました。 そしてカントは感覚を「感性的直観」といい、そして時間・空間を非感性的「純粋直観」と言って直観的に知られると言っていました。 それを批判したのが、パース。彼は言っています 「私たちは直観する能力を持っているかどうかを直観的に判定する能力を持っていない」、と。 また、「私たちは直観と直観以外の認識とを区別することができない」、と。 そしてパースはカントのいう感覚も、時間・空間も、直観によって知られるのではなく、推論によって知られるものだと言っています。 デカルトは「われ思う・コギト」を直観によって知られると言いましたが、パースによればそれも間違い、推論だと言っています。 「直観」という言葉はひじょうに便利な言葉です。 それを私は「知性(理性)で知った」と言えば「なぜ?」と聞かれますが、それを「直観で知った」と言ったら、「直観か、だったらそれ以上追及してもしようがないな」となります。 だから何でも、それを直観で知ったと言えば、人から批判されるのを防止できます。 改めて、お聞きします、「直観と直感の違い、その差って何ですか?」 そして、そもそも「直観」って何ですか?

  • カント哲学をわかりやすく教えてください

    カント哲学について調べたのですが、恥ずかしながらまったく意味がわかりません。 高校生にもわかるように説明していただけると助かります。 よろしくお願いします。

  • カント哲学

    カント哲学の哲学史的意義とはなんでしょうか?? 今カントについて学んでいますがよくわかりません。。。 詳しぃ方アドバイスお願いします!

  • カント哲学とは?

    これまで多くの方が、OKwave上で カント哲学とは、いったい何のことか? という質問をしてこられています。 主な回答を見てみましたが、 人間の脳が当たり前におこなっている思考活動のことを ただ、屁理屈をこねながら面倒な用語で言い換えているようにしか 思えません。 例えて言えば、歩くときには、片方の足を前に出して 次に、反対側の足を動かす・・・ という程度の理屈を論じているようにしか見えません。 いったい、なぜ大勢の学者が、カントの哲学について 真剣に論じているのかも理解できません。 カントの哲学の本質を、1行で要約していただけますでしょうか。 よろしくお願いいたします。 文系の勉強が苦手な科学者から、この質問の投稿を頼まれました。 私も、その質問依頼を聞いて、その通りだと感じました。 長い説明は、なさらないでください。 ありがとうございます。

  • カント哲学について教えてください

    こんにちは。 大学で、カント哲学についての課題が出ました。 とにかくちんぷんかんぷんで、質問すら的確にできない 状況なのですが、ひとまずキーポイントである 「自由と自然の二元論」の意味が分かりません。 どなたか教えていただけると幸いです。