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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:純粋理性批判(Q11))

純粋理性批判(Q11)についての質問

このQ&Aのポイント
  • カントの純粋理性批判(Q11)に関する質問です。質問1では、「すべての多様なもの」とは具体的に何を指しているかを尋ねています。質問2では、統覚と悟性の違いについて知りたいとしています。質問3では、「どこでも同一のものとして維持される」という表現の意味を尋ねています。質問4では、総合の対象となる「像」とは何か、また自己統合の意識の同一性について理解したいと述べています。
  • 要約文2
  • 要約文3

質問者が選んだベストアンサー

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  • old_sho
  • ベストアンサー率38% (20/52)
回答No.2

カントに通じて居られる方々に混ざって口出しするのはいかがと思いつつ、一言。 質問1は、拙いのではないですか。「具体的に何を指しているか」というのは。 具体的には指していないというか、具体的に指したら話が混乱するように思うのですが。読者としては何等かの表象を持たないと理解出来ないというのは、その通りなのですが、ここは比喩的に観るところのように思います。私は昔、電光掲示板みたいなものか、と考えた気がします。古いことで怪しい記憶ですが。いまなら液晶テレビですかね。与えられるのは点の点滅(=多様)に過ぎないのに、そこに具体的な象を見る、なぜか、という話なのではないでしょうか。カントが実際どう考えていたかは別ですけれども。 ----そこには問題が在ると思いますが、ゲシュタルト心理学のサワリを高校で聞くわれわれの感覚で見るのではなく、カントの時代は「要素心理学」とも呼べないレベルだったと、割り引いて見る必要があると思います。 で、質問2の方ですが、能動的能力、受動的能力という割り振りでいうなら、悟性の役割と言うべきと私も思います。ただカントは、その役割を論ずる階梯に応じて、各種の名を付けつつ論じて居るらしいので、その命名に従っておかないと読み進めないということではないでしょうか。感性データの第一処理=統覚、と思いましたが、もっとややこしい話らしいです。 3,4は「綜合と統覚」に関してのghostbusterさんのご回答を読まれては如何でしょうか。 ---と、最後は他の人に振るというお粗末でした。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 URL 大変参考になりました。 「純粋(根源的)統覚」の意味するところがなんとなく理解できたように思います。 まだ、曖昧な理解かもしれませんが、これからさらに読み進めていくしかないのでしょうね。 >これまで別々に論じられてきた「感性」と「悟性」でしたが、ここで感性の側に属していた「直観」が、超越論的統覚の条件に従うという。 >ここで言っているのは、統覚の働きは、単に対象の認識をするばかりではなく、そもそもの認識の対象を成立させるものである、と言っているのです。 :という解説もありましたが、このことから見ると、統覚は、本書の根っこ的概念のひとつなのでしょうか。 色々と大変参考になりました。 とりあえず、次へ行ってみます。   

hakobulu
質問者

補足

1と2は何となく見えてきたような気がします。 改めてお礼はさせていただきます。 ご助言いただいた http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4358563.html を読んでいます。 お礼欄で、補足的に質問させていただくかもしれませんので、よろしくお願いいたします。

その他の回答 (1)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.1

<質問1> 「すべての多様なもの」とは具体的に何を指しているでしょうか。 カントにおける直観とは感性によって得られるものと理解していますが、たとえば、赤いバラを見たときの「色・形状・匂い」などを指しているのでしょうか。そういったものとは別のものでしょうか。 ○簡単な説明は以下のようなものでしょうね。 例えば、花びらの一つ一つに意思と個性があるものとして考えてみましょう。 複数の花びらは花びら同士をそれぞれ別の存在と認識するでしょう。中に立派な花びらがいて、悟りという名の直感を持って考えると「もしかして複数の花びらは個性も形も違うが同じ根から出た存在ではないか」と気づいたとしましょう。 これは個別の花びらの悟りですね。 複数の花びらは気づいてはいないが、実は花びらの全てを含む全体を統合する意識がありそれは「花」と呼ばれる意識である。 つまり、個別の花びらは「花」という共通の統合意識化の下で存在している。ということになりますね。 複数の花びらの意識は個別に独立に存在していながら、全てが統合意識の下で花として有機的に存在している。という表現になりますね。 例題は花ですが、手と指の関係、木の葉と枝と幹の関係など例は何でも良いのです。 花びら、木の葉の一枚一枚を個別の人間に置き換えればまた同じ説明ができるのですね。 人間も手と指の関係のように複数で一つの存在を形成していることに気づけば説明は簡単なのですが、そこまで至らないと理解は難しいのですね。 参考に

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。   

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