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表現の自由と云う無節操さ。

マスコミは 『フランスかわいそう』 『IS最悪!!』 な一辺倒な報道に終始していますが イスラム国側の主張は 「神への冒涜!!」 など一月に起きた雑誌の表紙への誹謗中傷に対するモノ に対する抗議、政治的主張による改善の要求などだと思います 確かに 「オマエの母ちゃんでべそ~ww」 などと言われたら怒るだろうし それが 人生、すべてを心酔させている人物、偶像に対して言われたら それは怒り以上のモノでしょう フランスの選民思想が根底にある中東のアイコンへの 『表現の自由』という大義名分な理論偽装をした 冒涜という見方もできますが みなさんはどう思います?

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  • rokutaro36
  • ベストアンサー率55% (5458/9820)
回答No.11

(Q)「不快だ」「考慮して欲しい」というのは自由 「許しがたい」「殺してやる」というのは権威主義 ここらへんの説明をお願いします。 (A)不快だ、考慮して欲しいというのは、 相手の自主性=自由を重んじる言葉です。 つまり、自分の意見を伝えて、賛同して欲しいということ。 許しがたい、殺してやるというのは、 自分が正しいのだから、お前は従えば良いという 有無を言わさないということ。 権威があるものに、従うのが当然というということです。 こういうのを「権威主義」というのです。 もちろん、こうしたことの問題は、 「誰が、誰に対して言うのか」ということも含まれます。 例えば、対等の者同士が、ケンカをして、 お互いに、許しがたい、殺してやると言い合っても、 それは、単なる言い合いにしかすぎません。 しかし、権威を持っている者が、権威のない人に 同じこと言えば、ケンカではすみません。 相手を恐怖に落とすだけの力があります。 権威の同調者に、本当に殺されるかもしれません。 そうなることを恐れて、言いたことが言えないと 権威主義の体制から、 言いたことが言えるという自由を勝ち取ったのが、 フランス革命の本質というのが、フランスの考え方です。 だから、権威を持つものに対しては、何を言っても許される というのがフランス流の「言論の自由」なのです。 言論の自由と言っても、常識の範囲内でのこと という歯止めを持っている日本的言論の自由とは、 この点が、ちょっと違うのだと思います。 言論の自由と話は違いますが、 福祉という点でも、フランスと日本は、考え方が根本的に違います。 例えば、子育ての支援。 フランスでは、子育て支援が充実している国として有名ですが、 実は、親の収入に関係なく支援が受けられます。 つまり、大金持ちでも支援は受けられるのです。。 日本では、高額所得者は、そのような援助を受けられない というのが当たり前です。 日本人とは、根本的な価値観が違うのですよ。

noname#213996
質問者

お礼

何度もの補足に付き合ってもらってすみません 回答ありがとうございました。

その他の回答 (12)

  • kuni-chan
  • ベストアンサー率22% (678/3074)
回答No.13

 暴力は正当化できません。  あなたは理由があればテロをしても良いとお考えですか。  言いたい事があるなら合法的な手段はいくらでもあります。

noname#213996
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • 02140023
  • ベストアンサー率19% (82/416)
回答No.12

自由と責任はセットです。 何を言っても構いませんが、それで人様を怒らせた報いをうけるのは自己責任です。

noname#213996
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.10

欧米人てのは、普遍主義をもっています。 つまり、自分たちの価値観が最良であり、それは 世界のどこでも通用すべきものだ、という考え方 です。 だから、クジラ漁に抗議したりするわけです。 欧米人にとってみれば、表現の自由は大切な 権利です。 それは、軽侮すべきイスラム信仰などよりも はるかに価値があるものです。 一方イスラムにとっては、表現の自由などよりも 信仰の方が大切で、価値があると考えています。 それが衝突した訳です。 衝突といいますが、双方が走り寄って衝突したわけ ではありません。 フランスの普遍主義が、一方的にぶつかってきたのです。 ”みなさんはどう思います? ”     ↑ 欧米は、自分たちの価値観が世界どこでも通用すべきだ、 なんていう普遍主義は止めるべきです。 そんなのはただの思い上がりの幻想でしかありません。 それぞれに文化があり、それはそれぞれ同等の価値が あるのです(文化相対主義)。

noname#213996
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#213996
質問者

補足

>ただの思い上がり その思い上がりの文化に投資しちゃうんだよな、ほかの外国人が だからエスカレーションする 原爆の風刺画書かれても怒らない日本人も外国人の一人 ただ あれだけパリの惨劇をメディアで伝えられれば ISの思惑どおり 感情収入が減り 閑古鳥状態 ただそれに負けまいとするナショナリズムが よりイスラム原理を叩く パリの観光は大丈夫だろうか・・ と全くの人事ながら思ってしまいます。

  • rokutaro36
  • ベストアンサー率55% (5458/9820)
回答No.9

(Q)だからといって茶化すのはどうかなと 宗教は時には救済の役割もある その役割を批判されたらどうなのかなとも思います。 (A)宗教の役割を批判しているのではなく、 偶像崇拝を禁じるというイスラム教の教義を イスラム教徒ではない人にまで、「従いなさい」と 強要することは絶対的権威主義であり、 それを茶化しているのですよ。 ようするに、イスラム教徒が 「不快だ」「考慮して欲しい」というのは自由、 「許しがたい」「殺してやる」というのは権威主義 ということなのです。 日本は、天皇家を持っていることもあって、権威に対しても 何を言っても良いということはなく、 一定の配慮が必要と言うのが当然のように感じますが、 (私もその一人です) フランスは絶対的権威を認めないというのが、 思想の根本にあるので、一般的な日本人とは感覚が 違うと思うのです。 その感覚が違うということを知っておくことが、 とても重要なことだと、私は思います。

noname#213996
質問者

補足

>「不快だ」「考慮して欲しい」というのは自由 >「許しがたい」「殺してやる」というのは権威主義 ここらへんの説明をお願いします。

  • rokutaro36
  • ベストアンサー率55% (5458/9820)
回答No.8

一言で、表現の自由と言いますが、 簡単に言ってしまえば、フランスと日本では、 意味が違うのですよ。 日本での表現の自由は、「与えられた自由」と言って良い。 例えば、戦前、天皇に対する表現の自由はなかったが、 戦後、それは連合国(米国)によってもたらされた。 戦後、70年も経て、今では、日本の表現の自由は、 日本人独自の文化と混ざり合って、 一定の歯止めもありながら、ヘイトスピーチなどでは、 国際的に遅れているなど、単純には言えない状況に なっています。 一方、フランスの表現の自由は、フランス革命によって 血で勝ち取ったというのがフランス国民の一般的な価値観、 つまり、歴史観と切り離せないのだと思います。 フランス革命というと、日本では、 絶対王政対民衆の革命と教科書で教わりますが、 フランスでは、絶対的権威対民衆 という形で教えられます。 絶対的権威とは、絶対王政だけでなく、教会の権威も 含まれているのです。 つまり、フランスでは、宗教の絶対的権威に対する批判は、 自分たちの祖先が血で勝ち取った 譲ることのできない「表現の自由」なのです。 なので、宗教の絶対的権威に対する批判は、 抵抗なく受け入れられるのがフランスなのです。 なので、日本では、イスラムの偶像崇拝の禁止は、 尊重されるべき、すくなくとも、考慮されるだと言う意見が多くても、 フランスでは、そのような絶対的価値観こそ、 批判されやすい対象なのです。 ということを考慮しないと、フランスの表現の自由は、 理解できないと思います。 つまり、「無節操」ではないのです。

noname#213996
質問者

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だからといって茶化すのはどうかなと 宗教は時には救済の役割もある その役割を批判されたらどうなのかなとも思います。

  • azuki07
  • ベストアンサー率20% (11/55)
回答No.7

日本の大手メディアは報道らしい報道はできないんですね。 言論らしい言論活動が大手メディアで行われると既得権益者に不都合なことが多すぎる上、一般市民もあまり面倒なことは考えたくないし観たくない巻き込まれたくない。強者に従うことが正義、身分相応という考えが定着している。おまけに報道を通して世論コントロールを仕掛ける機関にとってその方が便利。 日本は上から下まで変化を望まない社会なんですね。

noname#213996
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • 92128bwsd
  • ベストアンサー率58% (2275/3919)
回答No.6

1月のシャルリ・エブド襲撃事件はアルカイダとの関係が指摘されていて、今回のパリでの同時多発テロはISのしわざと言われているので、一緒くたに議論することはできないでしょう。 そこで1月のシャルリ・エブド事件に絞って言うと私も”表現の自由”に対する違和感を持ちました。 まず第一に表現の自由は国ごとに定められた国民の権利とそれを保証する法律です。ところが時刻以外の事に対して何を言っても良いのかというと、その国の法律では良いことになるでしょうが、国際的にそれが許されるべきは誰も決めていないと思います。 1988年にイギリスの作家が発表した、ムハンマッドを冒涜した小説”悪魔の詩”に関しては、イランのホメイニ師がイスラム教の法学者の立場からこの作家の”殺人命令”を出しました。日本でこの本を翻訳した筑波大の助教授は加害者不明のまま殺されました。これがホメイニ師の命令に関係していたとして、日本の法律では殺人罪ですが、イスラム教では別の見方をするでしょう。 その意味では自国の法律・権利を盾に国外のこと・人に対して何を言っても良いと言うのはおかしいと思います。だからシャルリエブド事件の後、各国の首脳がパリに集まりテロに対して戦うことを誓ったところまでは納得行くのですが、そのあとでメディアが問題の風刺画を転載したことに対しては、先進国のおごりで、かつ挑発行為と思いました。 後、表現の自由を認めている国でも、表現の自由は権利なのであって、行使すべき正義では必ずしも無いと言う事も理解すべきことと思います。名誉毀損で訴えられないギリギリの事を表現するのが正義かと言うと明らかに違います。

noname#213996
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.5

  「オマエの母ちゃんでべそ~ww」と言われたら 「オマエの父ちゃんインキン~ww」と返せば良いのです 殴るのはガキの反応です  

noname#213996
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • human21
  • ベストアンサー率37% (938/2476)
回答No.4

イスラム教の預言者を侮辱した新聞が、今年の1月に襲撃されました。 その後に、アルカイダから犯行声明が出ています。 この襲撃事件を受けて、フランスはシリアへの空爆を開始しました。 そして今回の同時多発テロが起きて、ISが犯行声明を出しています。 一連の流れを見ると、最初のテロが起きる原因を作ったのはフランスの新聞です。 その後にフランス国民は、この新聞を表現の自由という美名で支持してますが、 預言者を侮辱する事が表現の自由だとは思えません。 また、このテロの後、シリアへの空爆を始めましたが、テロを起こしたのは アルカイダ系であって、ISではありません。 この対応も間違っていると思われます。 上記の二つの間違った対応が、今回のテロに繋がったと思っています。 テロは非難されるべきものですが、テロの原因も考えないと 新たなテロを引き起こす事になってしまいます。 9.11のアメリカ同時多発テロが起きた後、イラク侵略という 間違った対応が、ISという新たなテロ組織を生んだのと同じ過ちです。 テロは武力では解決できないと、過去の歴史が教えてくれています。 武力以外の解決の道も探してほしいです。

noname#213996
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.3

>表現の自由と云う無節操さ。 仰るように立場や利害で視野視点を変えると異なる姿や印象や評価があると思います。 でも、そこには自分の自由とともに他者の自由が双務的に尊重し成立していなければ、歪んだり恣意的なものとなるのでは・・・ そのような意味合いの自由は独善・我欲であったり、裏付けとしての義務や責任の面でも自己都合でなく客観的な価値観&評価でないと〇〇の自由は自己都合や独りよがりの危うさ&押しつけに繋がると思います。

noname#213996
質問者

お礼

ありがとうございました。

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