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人間存在とは何か?
- 人間存在とは、五体満足なのか?精神なのか?形而上なのか?
- 人間は多様性があり、社会的存在でありながらも個々の自由も存在する
- 人間存在は可能性の塊であり、未来を予測することも可能
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yuniko99さん おはようございます。修行から帰って来ました。 No.8のkurinalさんのお礼への「私だけそう思っていても 宝の持ち腐れ、しかし誰も理解しようとしない。私はもう死んでしまいたい。やるべき事はやった。能力もない。どうもありがとうございます」 という言葉に失望したぞ! 「哲学するとは」どういうことか、横浜市立大学の初代学長の三枝博音という哲学者の本からの要点を、要約して書ますから、長文になるかもしれませんが、回答します。 結論から書くと、哲学するとは、考えてゆく行きかたが、いい加減でなく自分の独りよがりでなく「厳しい」という点で哲学するとは学的であるそうです。 カントは「哲学は教えることができない、ただ哲学することが教えられるのみである」と言いましたが、なぜ教えられないかというと、結論からいうと「完了」していないからです。 学ぶということは何かこちらに知りとるということでなくてはならず、学び取られるものはこちらに所有できるものでなければならない。 学ぶものというのは「完了」していなければ学びとることはできない。 哲学するとは、各自の「内面世界」のことで、ほんとうに「もの」を知るとは想い起こす(想起する)という性質のものだそうです。自然科学のように自然という対象が「外」にあるのではなく、哲学は自分の「内」にあり、内なるものへと無限につながっていて切れていない。客観的に「まとまって」そこに与えられていない。 だから、カントは、形を備えて与えられていない、つまり「完了した」ものとしてそこにあるものではないから、教えられないと言う。 哲学「する」の「する」とは完了していないことであり、「する」という行為していることであり、「何かを生み出していること」である。 哲学というのは一つ一つが、それぞれ一つの時代の活ける精神生活の美しい反映であって、このことをヘーゲルは「神々の姿が居列ぶ(ギリシアの)パンテオン」と表現したそうです。そしてへーゲルは「一つ一つの哲学は、その時代、その時代の哲学である。それは精神発展の連鎖の一つの項であるにすぎない」と言ったそうです。 つまり、アリストテレスはプラトンの哲学学説の上に更に自分の学説をたて、その後の哲学者も同じことをしたに過ぎない。 三枝博音は「哲学する」とは、思うこと、考えることであるが、ただ深く考えるというものではなく、3つの重要な要点を述べています。 第一は「する」という動詞の「行為」を示していること。 第二は、哲学するとはパンテオンの神々の像の間を行き来しつつして、私達がそこに息吹をよみがえらすことであり、哲学するとは思索するのではなくて、人類が「2500年」を通じて創りあげた思想の根本的な脈を再び「個々の人の行為で生かすこと」」 第三はよく言われる、智を「愛(philos)」する。しかしこの「愛」には2つあり、ひとつは「なれなれしく知っていること」と「厳しく知っていること」の2通りがある。例えばハイブリット車はガソリンと電気で走っているが、どのような構造かは、技術者しかわからず、普通の人は、なれなれしく知っているつもりになっているだけである。これをヘーゲルは「熟知」と言い、「認識」とは厳しく区別することが大事である。 なれなれの愛は溺愛であり、愛の対象を奴隷のように自由にわがままにとり扱うことで、愛するものと愛されるものとの間に区別はない。 「厳しく知る」とは愛するものと愛されるものとの間に「厳しい」隔たりがあるべきものであって、この「厳しい愛」は日本語では「敬愛」と言い、これこそ哲学の「愛」だそうです。 長文となりましたが、まとめるとyuniko99さんの「人間存在とはなにか」の質問に対し、私はyuniko99さんがこのようにネットで「自分の内面を哲学という形」で投稿していることにyuniko99さんの「存在性」があると私は思っています。私にはyukiko99さんの内面はわかりません。 また、今回、私が回答したことで、私の「存在性」がネットという場所で生じたと思います。 ただ、yuniko99さんに注文をつけておくと、三枝博音が説くように、哲学というものを「なれなれしく」やっていないかということです。どんな学問でも「厳しさ」というのは大事であると思います。yuniko99さんが、「自分は頭がわるい」「自分の哲学は完成した」などと言っていることに対し、私は、それでは「哲学という学問」に価しないと感じます。さらに学説を進化させるようにしてみてください。 哲学などというものは、頭のいい、大学の偉い先生が、厳かにやるものではないと思います。中学生だってできる。文部科学省の方針で国公立大学の人文系の研究室は整理するそうですから、おそらく大学の哲学科の先生は、生き残りのために足の引っ張り合いをしているのではないか思っています。そんな「せこい」大学の先生になるな。IT mediaの哲学カテという場においてお互い励ましあい、有益な情報交換をしましょう。 では、私は、修行に戻ります。情報収集して、また、数ヵ月後にレベルアップして戻ってきます。 この回答がyuniko99さんの参考になれば幸いです。
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- wuhansenxinkeji
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人間存在とは体験と思います。 人生を体験して、使命を完成します。
お礼
成る程、想いを遂げる為に存在しているわけですね どうもありがとうございます。
- kurinal
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yuniko99様、こんばんは。 >「我々の存続と、未来の存在、そして永遠へ向けた新たな存在が大事です。 我々は目的さえ一致すれば 争う必要もなく、ストレスに喘ぐ必要もありません ゆっくりのペースでも確実に目的に向かっていけばいいのですから」 そうですか。 私などは、走るのは、短距離でも長距離でも苦手中の苦手でして。 >「ゆっくりのペースでも確実に目的に向かっていけばいい」 そう仰って頂けると、それだけで荷の降りる感じがします。 (が、「人権侵害」は放置出来ませんね)
お礼
人権侵害は到る所にあります。日本にもあれば世界には有り過ぎるくらいです。 何とかならないものか と思いますが、私も能力がないので どうしたらいいのか考えますねえ。 兎に角 まず戦争を止めなければなりません。 そして競争過剰を何とかしなければなりません 競争過剰で負けた人は苦悩に喘いでいます うつ病や自殺する人も多いです 一時期よりも確かに悪くなってる様な気がします。 ゆっくり、じっくり存在を充実させながら 確実に目的に向かって行きたいものです。 競争過剰や戦争は人間を消耗させ滅ぼしてしまいます 適度の競争とゆっくりの進化がいいのです。 どうも大変ありがとうございます。
- ks5518
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『人は何処からきて、何処に行こうとしているのか』、人間として生を受けて以来一つのイベントとして、人は必ず『死』を迎えます。この『死』を見つめながら、人間は「何処から来たのか?」さえも分からないまま、一歩一歩時の流れとともに死に近づいて行くのです。 これが四苦に説かれている『生老病死』のうちの『生』と『死』です。言いかえれば、『初め』と『終わり』です。その先と、その後は未だに科学的解明はされていません。 古代より人間は、自身の身を通じて、この問題の根本解決の為に生きてきたのではないでしょうか。 では、科学的根拠に基づいて解明されていなければどうしたら良いのでしょうか? 解明されていないということは『人間には分からない』ということなのです。 『人間は分かっているのだ』と言うことであれば、もう既に科学的に証明されているということです。 では、どうしたら良いのでしょうか? 物事を解明するために人間は『仮説』を立て、学習(他人に聞く、書物を読む)し、体験をし究極の『悟り』に至るものなのだと思います。では、この問題に対して『悟り』に至った人間が過去に存在するのでしょうか? たった一人、今から2500年も前に『釈尊』がおりました。 釈尊の残した膨大な教えは、釈尊の死後たくさんの弟子等に受け継がれ、インドはもとより東南アジア、中国、百済をへて日本にも到達いたしました。しかし、そうした伝達と時間経過の中で、形骸化したり、たくさんの分派を生んできたのも事実です。そんな中で、一つの結論として在る事は、『成仏』ということです。 人間は何のために生まれ、そして死んでいくのか、、、、 【それは、『成仏』をするためである。】 この事を釈尊は明確に言っています。 『成仏』とは、死んで仏になる事ではありません。 成仏とは、自身の生命に存在する『仏性』を開いて、衆生救済を目的として生きることを言うのです。人間の生命の奥底にある『無明』に光を当て、『法』を説き衆生を苦悩から救い出すことにあるのです。 ですから、私達が人間として今現在の世の中に、互いに存在していることも、仏法上からみれば偶然ではなく必然的なものなのです。 見てください。戦争(戦闘)、干ばつ、飢餓、疫病、災害etc、、、非常に悲惨な出来事が、日々何処かで起きているのです。しかし、そうした悲惨なものでさえも、根本原因は人間から生みだされているのです。人間に原因があるということが分かっていれば、そこに焦点を当てることで無くすこと、防ぐことはできますよね。 そして、仏になった生命というものは、滅すること(死ぬというとこ)はあっても、法によって衆生救済を目的とし直ぐまた生まれ変わるのだそうですよ。 信じるか、信じないかはあなた次第ですけれど、、、、
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
>「派遣じゃ子供も育たない と言うような」 「熟年、離婚!」というような。 >「生物学に見た人間は動物ですが、社会的に見た人間は社会的適者 精神の方に重点がある様な気がします。」 世に言う(言われた?)「強姦魔(「見境なく、手当たり次第?」)」というのが、 社会的に(刑罰による)淘汰されて、子孫を残せない。 >「人間は賢いか?愚かか?知は力か 浅知恵は愚かか? 人間存在って何だ?可能性の塊か?破壊の始まりか? それは我々が変えることは出来るか?因果律で決まっているなら予測も可能では? 我々は滅ぶ為に生まれてきたのか?それとも何か新しい存在を生み出すためにいるのか?」 何が、大事なんでしょうね。
お礼
我々の存続と、未来の存在、そして永遠へ向けた新たな存在が大事です。 我々は目的さえ一致すれば 争う必要もなく、ストレスに喘ぐ必要もありません ゆっくりのペースでも確実に目的に向かっていけばいいのですから それがまだ分かってない 私は私なりに結論を持っていますが 私だけそう思っていても 宝の持ち腐れ しかし誰も理解しようとしない。 私はもう死んでしまいたい。やるべき事はやった。能力もない。 どうもありがとうございます。
- a_hona
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四番の補足です。四番の回答は、私の幻想かも知れません。そんなものはないかも知れません。頭の中で作り上げたものかも知れません。本当は、そんな奥底にあるのではなく、身近にあるのかも知れないと思いました。人間の希望というやつはです。
お礼
4日も遅れたハロウィンのプレゼントでも喜んでくれると嬉しい それが希望になる。 存在性の話題を話してくれるだけでも嬉しい 自分の為に人が働いてくれたというだけで嬉しい レジでお礼を言います「どうもありがとうございます」と 大きな問題もある 人口爆発 温暖化 環境破壊 戦争等など 希望はあるか 一喜一憂 「ありがとう」と言われることが希望です。 それでいいのかもしれません。 どうもありがとうございます。 でも存在性思想が分かれば・・・世界平和も夢じゃないのに・・・・・・
- 雪中庵(@psytex)
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「人間」の前に「自分」を置け。 人間は存在だが、自分は宇宙であり、存在はその 要素に過ぎない。 人は、意識されている宇宙は脳内の現象に過ぎない という事実は認めても、『その意識は“自己”の外の 世界にある外的存在の射影に過ぎない』という素朴 唯物論を信仰している。 しかし量子論に於て、そうした有限的存在性は認識 の不完全性(物事を経験的×階層現象表面的に捉える) によって派生しているに過ぎない事が明らかとなっ ている(絶対確定化=不確定性無限への発散=無)。 「死ねば無になる」という我々の直感の方が本質なのだ。 そこに於て意識に反映される「他人」とは、自我意識が 成立するための必要としての階層現象化のプロセス(超弦 (量子)<クォーク<素粒子<原子<分子<細胞<個体(脳 =意識))の射影、量子=不確定性原理における相補的不確 定性(位置(S)と運動量(St)、時点(T)と質量(Ts)の2対の値 の一方を確定しようとすると他方が無限不確定に発散(無) する)の射影なのだ。 意識の実体である無=不確定性無限の潜在的認識可能性= 感受表面における量子相互作用(c)=現在からの、過去 (超光速=経験=時間軸)と未来(光速下=予測=空間軸) の対発生(先述の階層現象表面性に由来する非光速性)、 その仮想的延長としての時空に映る本質的相補性。
お礼
>人間は存在だが、自分は宇宙であり、存在はその要素に過ぎない。 人は考え過ぎると 限りなくおかしな結論を導き出す(草馬由仁子) 先生は命令されますが その妙な座標が出ると 「またか」と思うのです。 ガッカリします。それさえ出なければかなりの見識を持っていらっしゃるのに 残念です。どうもありがとうございます。
- a_hona
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もう一つ回答を思いつきました。 人は、世界を作ることができる。 と言うものです。 都市はもちろんですが、頭の中にも別の世界を形成します。その様な多元的世界を股に生きているのが人間ではないでしょうか。
お礼
人間には精神界、生命界、社会、都市の様な複雑な世界など 色んな世界を股にかけ 色んな側面を持っていると言う訳ですね 成る程 どうも大変ありがとうございます。
- a_hona
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色々余計なものを背負ってるが、その精神性の更に奥にその本質はあると思う。それは言葉では言い表せないが、誰に知られもせず、静かに輝いているのではないだろうか。 このような問がまさに哲学的問であると思う。
お礼
人間の本質とは?何なんでしょうねえ? 何を志向しているのでしょう?如何なる存在なのでしょう? 静かに輝いている。 魂の光でしょうか?可能性の光でしょうか? どうもありがとうございます。
- kurinal
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yuniko99様、こんばんは。 >「我々は滅ぶ為に生まれてきたのか?それとも何か新しい存在を生み出すためにいるのか?」 「適者生存」という表現がありますが、もう古いのでしょうか、 しかし、生物学的に見た場合と、社会的に見た場合では、両者にはかなり開きがあるような気がします。 (「頭でっかち」が、人間の将来の姿、といった予想もありましたか)
お礼
適者生存と言っても、空爆や銃撃で殺されたら一巻の終わりです その人は適者じゃなかったのでしょうか? まあ確かに利口な人やお金持ちが子供を残す傾向もありますね 派遣じゃ子供も育たない と言うような 生物学に見た人間は動物ですが、社会的に見た人間は社会的適者 精神の方に重点がある様な気がします。 将来の人間はコンピューターと合体したサイボーグかもしれません。 僕もサイボーグになりたいなあ。 どうもありがとうございます。
- heyboy
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自分はこう考えるかな? 町や都市の血液の一部ですよ、、、。 なんで?と言えば 町や都市から出て一人だけでは 生活が出来ないからですよ、、、。
お礼
町や都市 村や山小屋の立場はどうなるのでしょうか^^ 今は町や都市の血液のような存在になったと言う事ですね どちらかと言うと町や都市の方が主体で 人間はその血液の様なもの ですね。 どうもありがとうございます。
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お礼
う~~む 確かに。私の哲学が完成してるとは言えませんね そう書きましたっけ? 分かった事は幾らか在った と僕が思っているだけかもしれません。 しかし、哲学と言うものは、ただ考えればいいと言うものであって欲しくない この哲学の世界の知恵を もっともっと役立てたい 宝の持ち腐れでは 助ける事が出来ずに死んで行く人たちに申し訳ない。 大学で学んで知った人間は それを活かしてほしい もっともっと。 しかし私が幾ら言っても分からんと言う事は そのレベルまで考えてくれた人が少ない と言いたくもなる。 戦争をやめ、自殺やうつ病や犯罪から人々を救う そんな哲学の誕生を期待します。 私が考えるのは少しはできますが、いくら僕が考えたって活かされないなら意味がない。 知らない人は 存在性で検索して頂きたい アメンホテップさんありがとう。もう少し頑張ってみるよ。 どうも大変ありがとうございます。