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高瀬船で分からないところがあります

森鴎外の高瀬船の、庄兵衛が自分の暮らしと喜助の暮らしを比べている シーンで、彼と我との間に、果たしてどれほどの差があるか。自分も上からもらう 扶持米を、右から左へ人手に渡して暮らしているにすぎぬではないか。 彼と我との相違はいわばそろばんの桁が違っているだけで、喜助のありがたがる 二百問に相当する貯蓄だにこっちはないのである。 この文章が何を言いたいのか分かりません。庄兵衛のほうが喜助より、金持ちなのに、 最後の文はどういうことですか。

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  • fujic-1990
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回答No.1

> この文章が何を言いたいのか  「足るを知る」ということの重要性を読者に指摘したい(気づかせたい)のだと思います。  足る(満足する)ということを知らないと、収入や資産の絶対額が大きくても不満が大きくなります、庄兵衛のように。  それに対して「足るを知る」と、わずか二百文という小銭でも「有り難い」と感謝し、喜助のように満足できるのです。  ところが、もっと裕福なはずの庄兵衛には、有り難いと感謝できるほどの貯蓄がない(実際は200文の数百・数千倍の貯蓄はあるだろうが、庄兵衛にはありがたがることができない額だ)と、不満に感じられてしまうのです。  これほど「『足るを知る』ということは、人生において重要なのだ」ということを、鴎外は読者に言いたかった(気づいて欲しかった)のだと思います。  ※ 足るを知る心のありよう = 知足の境地  ちなみに「時蕎麦」という落語によると、蕎麦1杯16文ですから200文というと、粗末な立ち食い蕎麦が12杯しか食べられない計算ですね。

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  • Nakay702
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回答No.3

以下のとおりお答えします。 >彼と我との間に、果たしてどれほどの差があるか。自分も上からもらう扶持米を、右から左へ人手に渡して暮らしているにすぎぬではないか。彼と我との相違はいわばそろばんの桁が違っているだけで、喜助のありがたがる二百問に相当する貯蓄だにこっちはないのである。 >この文章が何を言いたいのか分かりません。庄兵衛のほうが喜助より、金持ちなのに、最後の文はどういうことですか。 ⇒この文章の前後を数行ずつ見れば分かります。 (1)喜助はお上から二百文をもらって喜んでいる。 (2)庄兵衞の家は、女房と子供四人、それに老母の七人暮しである。 (3)人には吝嗇(りんしょく=けち)と言われる程の、儉約生活をしている。 (4)それでも彼のもらう扶持米(ぶちまい=給与のようなもの)だけで暮しを立てていけないので、女房が時々実家から金を持ってきて帳尻を合はせる。 (5)それで、(庄兵衞のもらう扶持米の額はその数十・数百倍かも知れないが)二百文に相当する貯蓄も彼にはないのである。 (引用) 庄兵衞は彼此初老に手の屆く年になつてゐて、もう女房に子供を四人生ませてゐる。それに老母が生きてゐるので、家は七人暮しである。平生人には吝嗇と云はれる程の、儉約な生活をしてゐて、衣類は自分が役目のために著るものの外、寢卷しか拵へぬ位にしてゐる。しかし不幸な事には、妻を好い身代の商人の家から迎へた。そこで女房は夫の貰ふ扶持米で暮しを立てて行かうとする善意はあるが、裕な家に可哀がられて育つた癖があるので、夫が滿足する程手元を引き締め て暮して行くことが出來ない。動もすれば月末になつて勘定が足りなくなる。すると女房が内證で里から金を持つて來て帳尻を合はせる。それは夫が借財と云ふ ものを毛蟲のやうに嫌ふからである。さう云ふ事は所詮夫に知れずにはゐない。庄兵衞は五節句だと云つては、里方から物を貰ひ、子供の七五三の祝だと云つて は、里方から子供に衣類を貰ふのでさへ、心苦しく思つてゐるのだから、暮しの穴を填(う)めて貰つたのに氣が附いては、好い顏はしない。格別平和を破るやうな事のない羽田の家に、折々波風の起るのは、是が原因である。  庄兵衞は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べて見た。喜助は爲事をして給料を取つても、右から左へ人手に渡して亡くしてしまふと云 つた。いかにも哀な、氣の毒な境界である。しかし一轉して我身の上を顧みれば、彼と我との間に、果してどれ程の差があるか。自分も上から貰ふ扶持米(ふちまい)を、右から左へ人手に渡して暮してゐるに過ぎぬではないか。彼と我との相違は、謂はば十露盤(そろばん)の桁が違つてゐるだけで、喜助の難有がる二百文に相當する貯蓄だに、こつちはないのである。  さて桁を違へて考へて見れば、鳥目二百文をでも、喜助がそれを貯蓄と見て喜んでゐるのに無理はない。其心持はこつちから察して遣ることが出來る。しかしいかに桁を違へて考へて見ても、不思議なのは喜助の慾のないこと、足ることを知つてゐることである。  喜助は世間で爲事を見附けるのに苦んだ。それを見附けさへすれば、骨を惜まずに働いて、やうやう口を糊することの出來るだけで滿足した。そこで牢に入つ てからは、今まで得難かつた食が、殆ど天から授けられるやうに、働かずに得られるのに驚いて、生れてから知らぬ滿足を覺えたのである。…(引用終り) 以上、ご回答まで。

  • gesui3
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回答No.2

> 庄兵衛のほうが喜助より、金持ちなのに、 これが違っています。誤解です。 収支決算で残高が殆んど無ければ金持ちとはいえません。 「二百問に相当する貯蓄だにこっちはない」と言っているではありませんか。 庄兵衛は多くもらって、多く支払っているのです。つまりお金を回しているだけです。使用人なども多く、出費も多いのでしょう。何も残らない生活をしているのです。

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