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手話における主語について

noname#5222の回答

noname#5222
noname#5222
回答No.3

主語はあります。ただ「私」「あなた」が主語の場合は、省略する場合が多いんです。 あと、1度手話に出てきた「人」や「モノ」は、もっと簡単な表現で代用することが多いです。 たとえば「それ」とか「さっきの」とやって『その人』『さっきの話の人』という風に・・。 polnareffさんは手話が一定の言語体系を確立している外国語のようなものだとわかっていらっしゃいますが、 たいていの人は手話は、言葉を話すように表現している、言葉の直訳のように思っています。 「あなたは何を食べたいですか?」これを手話でやってくださいと言われたら、多くの人は 「貴方」+「何」+「食べる」+「したい」+「です」+「疑問」と表現するはずです。 でも実際には『食べる』+『何』という2つの表現で、済んでしまうのです。 A「私は彼を怒鳴った」B「彼は私を怒鳴った」・・これも言葉通りに手話にすると A「私+怒鳴る+彼」B「彼+怒鳴る+私」となると思いますが、 実際には、A『(わたしは)怒鳴る+彼』、B『(わたしは)怒鳴られた+彼(に)』と 同じ[怒鳴る]という動作でも[怒鳴る][怒鳴られる]と別な表現をするのです。 主語がナイというよりも、主語を表さなくても主語がわかるような表現が多いのです。 それなのに主語をわざわざ付け足すのは蛇足です。 多分、慣れた口語表現をするように、アタマで考えて手話をすると 実際のコミュニケーションでは、まわりくどくて逆に理解しにくいですよ、 ・・「主語は必要ないですよ」と講師の方は言ったのだと思いますけど。。

polnareff
質問者

お礼

 回答していただきありがとうございました。  私は手話を解しませんが、例に挙げていただいた「あなたは何を食べたいですか?」を手話に訳すと「『食べる』+『何』」という極簡単な表現方法で済んでしまうという理由は分かる気がします。音声言語の場合は、有限の音声の組み合わせによって無限とも言える表現方法が可能なため、まわりくどい言い方も存在するのだと思いますが、手話は極めて有限である身振り手振りの動作を用いて無限の表現を効率良く可能にするために、できる限りシンプルな表現方法の実現を目指しているという解釈でよろしいのでしょうか。  そう考えますと先ほどの「あなたは何が食べたいですか」が「食べる、何?」となるのは実に合理的ですね。手話にも主語があるということですが、やはりできる限り合理的な表現方法を旨とする手話では主語も必要最低限にということですかね。

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