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手話における主語について

noname#1775の回答

noname#1775
noname#1775
回答No.1

こんにちは、polnareffさん。 たまには、回答者になってみようと思います(*^_^*)。 手話も、基本的には通常の日本語と変わらず、文章構成は「主語+目的語+動詞」という順番だと思います。 「私はリンゴが好きです」と言う場合は、「私+リンゴ+好き」ですね。しかし、例えば、「固い」などの形容詞などを使って、「固いリンゴ」と言いたい場合は、「リンゴ+固い」にしたりしますね。 日本語は、特に、会話では主語が省略されたりしますが、 手話では、「です」という部分で、「私は」と主語を表現する場合が多いと思います。 ひょっとして、的外れな回答かも知れませんが、何かの参考になれば、幸甚です。 残念ながら、点字については門外漢ですので、取り合えずは、手話の回答という事で。

参考URL:
http://133.85.20.2/kamiya/jsl/bunpou.html
polnareff
質問者

お礼

 こんにちは、coyoteさん。回答していただけて大変感謝しています。  coyoteさんのお話からすると、修飾語と被修飾語の語順が日本語と逆だったりするんですね。  また、肝心の主語の件ですが、coyoteさんの回答から何かヒントを得たような気がします。知人が言っていた「手話には主語を明示するシステムがない」というのは日本語式に考えるとただそう思えるだけのようですね。主語の位置を「SOV」あるいは「SVO」とばかり考えていると主語を見失ってしまうのかも知れません。アラビア語やタガログ語のように「VSO」や「VOS」、「OVS」、「OSV」なんていう言語も世界にはあるんですから。  御紹介いただいたサイトの方も大変参考になりました。同じ日本で使われている手話にも何種類かあるようですね。これは初めて知りました。とても興味深いです。  また、何かありましたらご協力下さい。coyoteさんのご質問の方にもまたお邪魔させていただきたいと思います。今回はありがとうございました。

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