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日本の中世から近世における最大の木造荷船

Kittynoteの回答

  • Kittynote
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回答No.4

再度、失礼致しますm(_"_)m 前投稿No.3の追加修正 (1) URL遺漏分 〇「ムガル朝時代のインド洋と日本/近藤治」 『追手門学院大学文学部紀要 29/1994-06-30』(137-153頁) http://ci.nii.ac.jp/naid/110008793188 <4/17>(140頁32・33行目) 1626年タイに向けて航海した別の朱印船は積載容量800トン、乗組員397人であった。 (2)「(積載容量)800トン」に関して 改めて手持ちの電子辞書『ブリタニカ国際百科事典』「角倉船(すみのくらぶね)」 項目を覗いてみますと、 「17世紀初め、京都の商人角倉了以とその子与一が朱印状を受けて、安南国の東京 (トンキン)などとの貿易に従事させたいわゆる御朱印船の一つ。 京都の清水寺に寛永11(1634)年奉納された絵馬によると、3本マストの日本前型の 船とみられる。同3(1626)年にシャムへ渡航した船は、乗客、船員ともで397人、 およそ500t級の大型船と推定される。」と記述されていました。 1000石≒150トン換算とすれば、積載容量800トンであれば約5300石相当のところ、 500トンならば約3300石相当と大幅な差となりますが、 残念ながら何れが実態に近いのかは判断出来ません(><) 以上 お騒がせしました。

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 >1626年の角倉船の資料によると、その商船は長さ20間(約36メートル)、 >横幅9間(約16メートル)で約800トンとされている。 >乗員は397人で、水夫80人余、船長は角倉一族で、航海士などオランダ人、中国人を雇っていた。>残りの300人余が客商である。 外形寸法から推定すると、史上最大の「木造荷船」は、いろいろ疑問はありますが、どうやら「角倉船」のようです。 ただ、深さが不明なので、残念ですが大工間尺を計算できません。 推定トン数が500、700、800と資料によって異なっています。 京都清水寺に奉納された角倉船の絵図は、 「風俗画的表現に重点がおかれ、船の描写は二の次ぎであるため、船舶画というにはほど遠いものでしかない」ということですので、絵から船型の肝心な部分を推定できません。 船型が異なるので、大工間尺の考え方をそのまま当てはめてよいのか、分かりません。 それに、三百人の客を乗せる構造ですから、貨客船とみることもできます。 また、積荷が米ではなく、金、銅、銅貨他いろいろです。 朱印船は、シャム、明で作られたものが多いそうで、ジャンクそのものかまたはその類型だそうです。 まだ、調べていませんが「角倉船」がどこで作られたのか疑問です。 日本財団図書館 「船の科学館 物知りシート」 https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00033/contents/031.htm 朱印船に用いられたのはミスツィス造りとか日本前(にほんまえ)と呼ばれたジャンク(中国船)で、中国やシャム(現在のタイ)などから購入されたほか、国内でも建造されました。遣明船のように国内海運の大型商船を朱印船に転用した例は見当りません。  具体的な朱印船の姿は、寛永11年(1634)に長崎と京都の清水寺に奉納された絵馬からうかがうことができます。なかでも、長崎の末次船の絵馬は朱印船の姿をリアルに描いていて、最末期の朱印船が中国船をベースにしながら帆装の一部や舵と船尾回りに西欧のガレオン船の技術を取り入れ、船首楼を日本独特の屋倉形式とするなど、中和洋の技術を折衷したジャンクであったことを今に伝えています。 学生が創る人間科学大事典「朱印船」 http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E6%9C%B1%E5%8D%B0%E8%88%B9 現在、10点ほどの朱印船の絵が残されているが、こうしたものを見ても「日本前(にほんまえ)」、あるいは「朱印前」と呼ばれた朱印船は、みな中国式のジャンクをベースとして、これに西欧のガレオン船の技術を取り入れ、それに日本の伝統的技術を加えた折衷形式の船であることがわかる。これらは中国やシャムなどで購入されたが、一部、日本でも造られた。1617年(元和3)、平戸藩の重臣佐川信利が平戸で建造したのはその一例である。 朱印船の積載量は、小さいもので薩摩の島津氏が福州で購入した12万斤(きん)積(480石、載貨重量72トン)から、因幡の亀井氏がシャムから購入した80万斤(きん)積(3200石、載貨重量480トン)までかなりの差があった。 (参考文献 朱印船  吉川弘文館  永積洋子 著) 知らない用語が多く、例えば、 「積載容量800トン」(一説には単に500トン級の記述も)をどのように解釈すればよいのか、迷っています。 「容量○トン」ですから、重量なのか、容積なのか、迷っています。 「載貨容積トン数」と言う用語がありますから。 どちらにせよ、沿海航路用の弁才船より、外航用の朱印船の方がかなり大きかったことは事実です。 次に、いわゆる「千石船」では、幕末に作られた1900石積が最大のようです。 「九店仲間の結成と廻船支配/柚木学」『商學論究 22(3/4)/関西学院大学/1975-02』によれば、 幕末(安政期から文久期)に船の大型化傾向が進み、「第5表 九店差配廻船明覧」には、 積石数1900石船が多数あります。 ついでに、(ただ、抜書きするだけですが)まとめておきます。 1.「なにわの海の時空館」の実物サイズの忠実な復元「浪華丸」は、全長29.4メートル、船幅7.4メートル、深さ2.4メートル。 荷物の積載可能量は 千石積ですので1000x0.15トン=150重量トン。正確に積石数八六五石とした資料もある。 2.舞鶴市神崎の湊十二社に奉納された「大弊丸」の雛形から推定すると、 「実船に換算して、(全長は121.1尺)、航長さ五九・一尺、肩二七・九尺、深さ九・○尺で、大工間尺石数は一四八四石」。 3.幕末の菱垣廻船”歓晃丸”は航長51尺5寸(15.6m)、肩幅31尺(9.4m)、 肩深11尺5寸(3.5m)でこれらを掛け合わせて10で割って積石数を求める大工間尺に よると1836石となりますが、実力は2300石余りあったようです。 (参考) 4.慶長年間に造船された、伊勢神宮の御用材運搬船「太一丸」は、全長約113尺・航長約93.8尺・肩幅35.5尺・深さ10.5尺です。大工間尺3496石積。 日本財団図書館「伊勢地域活性化に資する木造船建造・技術伝承事業」 https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2004/00187/contents/0031.htm  歴史を楽しむことができました。 よいヒントを与えて下さったことに感謝申し上げます。

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