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情報の偏り
これだけ情報を得られる世の中なのに、真実を分かる人が少ないのはなぜでしょう、たとえば、私の職場は3000人の社員がいます。当然、噂などがたくさんたちますが、自分がその当事者で良く分かっている事などでも、噂が一人歩きして、それを信じる人が後をたちません。また、私が小学校の時に教わった元寇の話(日本人は単独で挑んだ。嵐がすべてを追い払ったなど)これらは現地調査などをした経緯から、すべて間違いだとわかりました。特にうさんくさい宗教など、なぜ人は安易に信じるのでしょうか、もう少し客観的や理論的に物事を判断できれば、世界が安定するのでは
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質問者が選んだベストアンサー
単純な話でございまして。 人間は「信じたい話を信じる」生き物だからです。質問者さんもそうですし、私もそうです。付き合っている女性から「あなたのことを心から愛している。あなたなしでは生きていけない」といわれたのと、他の人から「あの女、嘘つきだぜ」といわれた場合、どっちを信じるのかってことです。 特にお金が絡んだり、愛情が絡んだりすると人間は客観的な判断能力を失いがちです。
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暗記教育の弊害です。 自分で考えないステレオタイプを育てます。
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ありがとうございました。
- trytobe
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私も、情報源(ソース)が閲覧できない限りは、伝聞は伝聞として怪しいままだ、とは思うようにしているため、 ご質問のような、 ・日本人は単独で挑んだ。 ・嵐がすべてを追い払った ・これらは現地調査などをした経緯から、すべて間違いだとわかりました。 などは、すべて改めて原典に遡って確認できたものを、その文献名などの引用元表示とともに説明するようにしています。
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ありがとうございました。
- Nouble
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私は全面的に ご意見賛成です 噂には、往々にして 無責任 等の悪意があり 被害者がいます 誰かを血祭り に、しないと 安定が 保たれない そんな構造の社会の 安定を望む と、いうなら 真っ先に そう主張する本人が 血祭りに 挙げられて 此の社会から 消えて頂きたい 自らの犠牲を 率先して尚も そう主張される 其なら、 社会全体で 其のちしぶきを 謳歌した後 ご意見、考慮しましょう でも、其の犠牲が 払われた後に 行われる決議には 犠牲容認派は 誰一人残ってなく 全会一致で 犠牲容認案は 否決される でしょう がね 大体 他人の屍や傷の上に 平気で安住できる方が 気が変では? 生きる価値無し では?
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ありがとうございました。
>これだけ情報を得られる世の中なのに、 >真実を分かる人が少ないのはなぜでしょう インターネットに話を例えるなら、情報の氾濫といったところでしょうか。 信憑性が低い、あるいは信憑性があるかないか分からない情報。 嘘の情報と真実の情報が入り混じっている。 そして、その嘘の情報を根拠もなく真実と思い信じ込む。 それが質問者様がおっしゃられている噂の一人歩きという 情報という偏見に繋がる可能性があるのではないでしょうか。
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ありがとうございました。
其処!? もっと 違った観点から考えれば良いのに・・・
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ありがとうございました。
>現地調査などをした経緯から、すべて間違いだとわかりました。 逆に言えばここまでしないと分からなかったんでしょう? つまり皆が皆真実を知ろうと思えば、最低でも一つ一つの事象をすべて検証する必要があって それをやれるのが現実的か?ということになるのは容易に想像がつくと思います。 また、「今」の現地調査と「昔」の現地が同じかどうかを知るためには 誰かが発表した研究データを知る必要があり、 それがあってるかどうかを検証していかないといけませんよね。 それには地質学やら天気やら海水の動きやら…バタフライエフェクトまで考え出したらキリがない。 じゃあ次点ネットの検索ではどうか?というと ネットに全ての情報が乗ってるわけではないし ネットの意見が偏ってないわけでもない。 ネットだと自分が知りたい意見ばかりに目がいってしまうという問題点がある。 もっと身近な話としての噂ですが、 噂の本人に確かめていい噂とダメな噂があるから聞けない場合がある。 本人自体も勘違いしていることもあるし なにが真実かなんてわかんないわけで。 客観的に見よ、は正しいと思いますけど客観的に見た結果真実に足る噂だと判断されることもあるし 理論的にという人のほうが噂に振り回される傾向にあると思いますけどね。 頭が柔軟な人の方がいろんな視点を受け入れていけると思うのです。 世界は安定しません。しなくていいです。 不安定な中でかろうじてバランスを取るのが良いからね。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。