宗教は科学によって駆逐されるもの?

このQ&Aのポイント
  • 宗教は人間の能力の限界を超えた障害を乗り越えるために存在するものだと理解しています。
  • 科学は、究極的にはこの世のすべてを解明しようとするものです。
  • 科学が特定の宗教の中で信じられてきた事実を覆すたびに、宗教全般の扱う範囲が狭まっているのではないかと思います。
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宗教は究極的には科学によって駆逐されるもの?

宗教は人間の能力の限界を超えた障害を乗り越えるために存在するものだと理解しています。 一方で科学は、究極的にはこの世のすべてを解明しようとするものです。 宇宙の始まりから素粒子の研究、生命の起源、生物の体の働き、そして我々人間の心の働きにまで科学の範囲は及んでいます。 最終的に究極理論と呼ばれるものが見つかり、演繹的に世の中のすべての現象を科学的に記述できるようになってしまえば宗教の存在意義は何なのかということになりませんか? それでもなお、宗教の存在意義はあるのでしょうか? 科学がある特定の宗教の中で信じられてきた事実を覆すたびに、 それに合わせて宗教全般の扱う範囲が徐々に狭まってきているのではないかと思います。 実際今日次々と生まれてくる新興宗教を見ていると、 科学と真っ向から対立するようなものはほとんど見受けられません。 それともそもそも宗教の扱っている範囲と科学の扱っている範囲は異なるもので、 駆逐とかいう考え方自体が間違っているのでしょうか?

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  • sync-mag
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回答No.8

 「どの村にも、灯りをともす教師と、灯りを消してまわる聖職者がいる」と言ったのはヴィクトル・ユーゴーでした。  ご質問は知識を問うているのではなく、見解を尋ねているのだとお見受けしました。わたし自身は「わからない」としか答えようがないのですが、世の中の科学者はおおむね「科学と宗教は別もの」という立場をとっているように思います。しかし、これは無用なあつれきを起こしたくない大人の知恵、もしくは詭弁でしかないとも思っています。  科学的知見にとぼしい時代であれば、世界観は宗教の形を取るしかありませんでした。わたしも歴史の一環としてはそういう「哲学」が嫌いではないのですが、これをいまの時代に信じるかと言われても困ります。  科学はまちがいなく宗教から知識の体系としての装いを奪ってきました。死後の復活も死後の世界もないとわかった時代に、宗教の意義とはなんでしょう。科学に興味のないオカルト好きの妄想でしかないのでしょうか。世界の叙述としての宗教に価値はなくても、人倫の根拠として重要だという人たちがいます。  近代までのヨーロッパでは、人間の道徳はキリスト教に由来するのだから、キリスト教を信じない地域には道徳がないのだ、と本気で信じる人たちが大勢いたそうです。考えるまでもなくバカげた話です。神様を信じようと信じまいと、道徳は私たちの社会が必要とする以上、変わらず存在しつづけるでしょう。ただ、そのときに神様を信じる人はその根拠にあとづけて持ちだすだけなのだと思います。  もし宗教と道徳がイコールであるなら、神の名の下にくり広げられてきた蛮行はどう正当化するのでしょう。ブッシュ大統領は「イラクに攻め込め」という神の声を聞いたそうですが、神様に少しでも親切心があれば、「でも大量破壊兵器はないよ」とも言って欲しかったです。  とはいえ、宗教に個人的な慰めを見いだす人までを否定しようとは思いません。それこそ他人に迷惑をかけないかぎり、個人の勝手ですから。  創価学会の信者をやっているお年寄りを知っています。信仰を通じて人付き合いを絶やさないでいるその人を見ていると、無下に否定するべきものではないのだろうと感じました。昔の隣人はオウムの信者でしたが、特に迷惑をこうむったこともないので、驚きはしたもののとりたてて否定的な感情は抱きませんでした。  というわけで、信じる人が信じるのは自由だと思っています。ただし、他人に迷惑をかけないことと、わたしを巻きこまないことが条件です。  かく考えるので、宗教を理由に科学を否定する人に、わたしは反対です。進化論を個人的に信じないとかは自由でしょうが、それを学校教育に押しつける運動には反対します。  究極理論については、たとえこれが完成したとしても人間に理解できるのか疑問です。科学者ですら、方程式でしか把握できないものを実感できるとは思えません。具体的に目に見えるテクノロジーならまだしも、こういう生活の実感から遊離したものがいくら積み上がっても、やっぱり否定する人は否定して神様を信じ続けるのではないでしょうか。  新興宗教の類が科学と衝突していないように見えるのは、単に科学に興味がないか、勝ち目がないと思って躱しているだけなのだと思います。そういう意味では、宗教も生き残るために科学と上手く棲み分ける方法を模索しているのでしょう。  わたし自身は虹に感動するのに神様は必要ないし、庭でのたくるミミズを理解するのには生物学があればいい。困っている人を助けるのに「地獄」も「天国」も要らない、という立場です。

faradayday
質問者

お礼

>科学的知見にとぼしい時代であれば、世界観は宗教の形を取るしかありませんでした。 このたった一行のことがうまく質問で書けませんでした。 質問内容とは関係ありませんが、その表現力が羨ましいです。笑 >世界の叙述としての宗教に価値はなくても、人倫の根拠として重要だという人たちがいます。 >… >神様を信じようと信じまいと、道徳は私たちの社会が必要とする以上、変わらず存在しつづけるでしょう。 まさにこの点が私のモヤモヤしていたけどうまく言葉に表せない部分でした。 >究極理論については、たとえこれが完成したとしても人間に理解できるのか疑問です。 >…やっぱり否定する人は否定して神様を信じ続けるのではないでしょうか。 究極理論が解明された段階で、世界の叙述としての宗教には存在意義がなくなっても、 依然として、そういった人たちのために別の役割としての宗教は存在し続けるわけですね。 回答を読んでいろいろとすっきりしました。 他の方々の回答もとても参考になりましたが、 明快な表現で的確にご回答くださったsync-magさんにベストアンサーを差し上げたいと思います。 ありがとうございました

その他の回答 (7)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.7

>演繹的に世の中のすべての現象を科学的に記述できるようになってしまえば これがね、無理なんですよ。科学というのは古代ギリシャの時代から、「細かく割って単純化すること」によって理解を深めてきました。例えば古代ギリシャではすべての物質を細かく割っていけば、最終的には「原子になる」といっていました。現代ではもっとどんどん細かくなっていって、今のところ「すべての根源はヒモ」ということになっています。で、そこまで細かくしていってなにが分かったのかというと、「訳が分からなくなった」のです。 「中国で蝶が飛ぶとアメリカで台風になる」というジョークがありますが、例えば明日の天気ひとつにとっても当たらないことはしばしばあるわけです。気象予報士は頭をかきながら「予想より気温が下がらなかった」とか「上空の空気が予想と違う動きをした」なんていいますが、なぜ気温が予想より下がったり上空の空気が違う動きをするのか、スーパーコンピュータをしても予測不可能なのです。 なぜ予想ができないかというと、事象の結果は単純な理由によるとは限らず、複雑な要因が複雑に絡み合って結果に至るからです。最近、これが「複雑系」と話題になっていますね。 人間の脳はかつては偉大なる一台のスーパーコンピュータだと思われていました。しかし、研究が進むに従って、一台のコンピュータというより、脳細胞そのものが一台のコンピュータでそれがネットワークで繋がる、いってみればインターネットのようなものが実際の脳に近いものではないかといわれています。脳研究は現代科学界でももっともホットな研究分野のひとつで、「知のゴールドラッシュ」という人さえいます。しかしそれほどまでに優秀な人(今、日本でもアメリカでも最も優秀な医師は脳神経外科医になるそうです)が集まっても、脳については「まったく分からないことが分かった」という状態なのです。 これからの時代、何事の研究も「複雑系」なしに理解は進まないと思うのですが、肝心の複雑系がとても難しくて、「つまり複雑系ってどういうことですか?」「うーん、それはな。世の中は複雑だナってことなんだ」という状態なのです(複雑系の本を読みましたが、書いている人もなんだかまだよく分かってないのではないかと思いました)。 未だ、「科学の9割は仮説である」といわれるほどで、実は科学って知れば知るほど「意外と世の中まだなにも分かってない」のです。物理学だって「絶対に正しい」と証明されているのはニュートン物理学くらいで、相対性理論だってまだ「仮説」に過ぎません。先日光速より速いニュートリノが検出されたと発表されて大騒ぎになりました。結局計測ミスということだったようですが、これが計測ミスでないと「相対性理論は間違っていた」ということになってしまいます。 子供に「トンボは尾翼がないのに飛べるのはなぜ?」って聞かれても、答えられる人は世界中にひとりもいないのです。トンボはそこらじゅうで飛んでいるのに。 あと、科学ってのは「単なる事実」に過ぎません。別に科学が宗教の代わりをしてくれるわけではないのですよ。「なぜ彼女はもう僕のことを好きじゃなくなったのですか?」と聞いても、科学は「もう彼女は君のことが好きじゃないんだよ」としかいってくれないでしょう。科学は「他の女を探しなさい」とまではいってくれないのですよ。 だけど人間誰もがそんなに強いわけではありません。もし極限状況でもブレない強い人がいるとしたら、その人は狂信者でしょう。例えばスティーブ・ジョブスがそうでした。彼は生涯ブレなかったけど、生涯他人の意見に耳は傾けなかった。ガンが発見されたときも「俺がガンじゃないと思っているからガンじゃない」と訳の分からないことをいって結局死期を早めました。スティーブ・ジョブスに神は要らなかったでしょう。他ならぬ彼自身が彼の世界の神だったからです。自分が神なら神は要りません。 だけど、世間の人々は彼よりかなり謙虚なので、心の支えが必要なのです。みんな多少なりとも自己中だから、もう死ぬかもしれないって極限状況に追い込まれれば「神様でも仏様でも何様でもいいですから、どうかお助けください」って祈ってしまうのですよ。 これは私の個人的な考えですが、社会性生物である人間を最も苦しめるのは、孤独感だと思います。例えばどんなつらい仕事でも、気を許せる仲間も頑張っている、と思うと不思議と耐えられますよね。災害に被災しても、避難所で同じように被災した人たちと一緒にいれば自分を保つことができます。 逆に、職場でみんな楽しているのに自分だけ割の合わないつらい仕事をさせられていたらたまらないと思いますよね。いじめも自分ひとりがターゲットになるからつらいわけで、クラスで10人くらいいじめられている奴がいたら「俺ひとりじゃないからまだましだ」と思えますでしょ? 自分は孤独ではないという救いのために宗教が必要なのだと思います。ちなみに私がもう死ぬしかこの孤独から脱する手段はないと思い詰めたときに乗り越えられた理由は、同じ苦しみをナザレのイエスは知っているということからでした。

faradayday
質問者

お礼

>>演繹的に世の中のすべての現象を科学的に記述できるようになってしまえば >これがね、無理なんですよ。 >… >トンボはそこらじゅうで飛んでいるのに。 前半の議論については、いろいろ突っ込みたい部分もありますが、 それ以前にそういう「仮定」をしたらという話なので、それを踏まえてお答えいただきたかったです。 >あと、科学ってのは「単なる事実」に過ぎません。別に科学が宗教の代わりをしてくれるわけではないのですよ。 >… >ちなみに私がもう死ぬしかこの孤独から脱する手段はないと思い詰めたときに乗り越えられた理由は、同じ苦しみをナザレのイエスは知っているということからでした。 後半の説明は、よく理解できました。 私自身宗教の存在意義についてよく分かっていなかった部分もあったので、勉強になりました。 ご丁寧にありがとうございました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.6

宗教の存在意義として次のモノが考えられます。 (1)社会の秩序を維持する。  何が正しく、何が悪いのかを教えるのは多くは  宗教です。 ・新渡戸稲造の「武士道」冒頭にあります。 「お国では宗教教育をしていないと聞きましたがホントですか?」 「ホントです」 「お~、それでどうやって子供達に道徳を教えることが出来るのですか?」 ・中国では道徳教育が盛んですが、効果は御存知の通りです。  宗教を使わないと、道徳教育は難しいのです。 (2)食物連鎖の頂点に位置する人間には天敵というものがありません。  だから、人間は傲慢になりがちです。  それを押さえ、人間を謙虚にさせるツールとして神が必要とされる  場合があります。 (3)人間は、将来を考えることが出来る唯一の生き物です。  だから死を怖れます。  宗教は死の恐怖を緩和する力を持っています。 まだいくつかありますが、とりあえずこの辺りで。 それで、科学はこの宗教の意義を代置できるでしょうか。 (1)科学が進歩して、人間の行動をコントロールできるように  なれば、この秩序維持機能は意義を失います。  しかし、それで良いのかという疑問は残ります。  そういう疑問も究極の科学は解決できるんでしょうね。 (2)人間を謙虚にすることが出来る薬や何かが製造できれば  やはり、宗教のこの意義は失われるでしょうね。 (3)これは実現が最も速そうに思えます。 ”最終的に究極理論と呼ばれるものが見つかり、演繹的に世の中のすべての  現象を科学的に記述できるようになってしまえば宗教の存在意義は  何なのかということになりませんか?”     ↑ なると思われます。しかし問題点も指摘できます。 1,そのような境地に達することが出来る能力を果たして   人間が持っているか、どうか。 2,科学技術がこれだけ発達している現代において、   宗教を信じている人は増えています。   あらゆることが合理的に解明できても、それでも   宗教は無くならない可能性があります。   存在意義が無くなっても、なお存在し続けるもの   というのは存在するでしょう。     

faradayday
質問者

お礼

分かりやすい説明をありがとうございます ただ、1つ目の宗教の存在意義について、 >(1)社会の秩序を維持する。…宗教を使わないと、道徳教育は難しいのです。 というのがよくわからないのですが、宗教を使わなくとも善悪の定義は可能だと思うのですが。 それとも善悪を定義した段階で、そこに宗教が成り立ってしまっているということですか? もしくは善悪を定義するためにはどうしても宗教がバックグラウンドに必要という事ですか? またhekiyuさんは科学とテクノロジーを混同しているように思います。 究極理論が見つかるというのは 「人間の行動をコントロールできる」技術や「人間を謙虚にすることが出来る薬や何か」や不死の薬を 人類が手にするという意味ではなく、 理論的に世のすべてが解明した段階で、宗教は人間にとって存在する必要がなくなるのではないかという質問です。 ただし、私の中でこの点に関しては解決しました。 質問した段階では私の宗教に対する認識と言うのは、人間の理解に及ばない範囲の現象の説明を宗教にまかせているという程度のものでした。 しかし宗教にはhekiyuさんの提示されたような、それをさらに超えるような存在意義があるのですね。 ですから、「理論的に世のすべてが解明した」というだけでは宗教の存在意義はなくならないのでしょう。 >存在意義が無くなっても、なお存在し続けるものというのは存在するでしょう。 私もその点に関しては同意です。

回答No.5

宗教を十把一絡げにして語るのは危険です。 まず、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などアブラハムの宗教においていは、科学と相反するストーリーを真実であると主張するのですから、科学による駆逐とはまではゆかなくても、科学によって信憑性を否定されてゆくことに間違えはありません。 ところが、仏教や道教など、科学と対立しない宗教もあるので、科学技術が進歩し、大衆に普及してゆく時代においては、インドの仏教や漢民族の道教が発展・普及しなければおかしいと思っております。 しかし、キリスト教やイスラム教、そしてユダヤ教は、単に宗教の枠を超えて、政治権力化しております。 キリスト教は、異教徒である日本人なら、非戦闘員である女子供にさえ核兵器を使っても良いと考えるに至るほど、非人道的で政治的兇暴な集団になってしまいまいした。 アブラハムの宗教群が否定され、仏教や道教が台頭する時代に、再び最終兵器を使って異教徒の大量殺戮が起きるのではないかと恐れております。

faradayday
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 やはり出た杭は打たれるというか、精神的なもの以外にまで手を出してしまった宗教はいずれは勢力を失っていくのかもしれませんね。 >キリスト教は、異教徒である日本人なら、非戦闘員である女子供にさえ核兵器を使っても良いと考えるに至るほど、非人道的で政治的兇暴な集団になってしまいまいした。 それは広島・長崎の原爆のことでしょうか? それこそアメリカ人を十把一絡げにする議論なような気がするのですが…。 >仏教や道教が台頭する時代に、再び最終兵器を使って異教徒の大量殺戮が起きるのではないかと恐れております。 何を根拠にそのようなことをおっしゃるのか理解に苦しむので、できれば補足説明をお願いします

  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.4

>私は(おそらく私も含めて科学の勉強、研究をしている人間の多くは)科学を勉強して自然の仕組みを深く知るたびに感動してしまうのですが…。 それなら「科学の最先端ほど非科学的なものは無い」 というのも理解出来るでしょう。 人間の力で貴方の言う「究極理論」にまでたどり着けるのかは 私には分かりません。

faradayday
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 要するに何がおっしゃりたいんでしょうか…^^; 最先端の理論は実証段階にすら入っていないものが多くあるだけで、別に非科学的とは思いませんが。 >人間の力で貴方の言う「究極理論」にまでたどり着けるのかは私には分かりません。 まあそういう究極理論に到達したらという仮定の話ですので、それを踏まえて答えていただきたかったです。

回答No.3

僕は宗教は科学というより芸術に近いと考えています。 像や絵画など芸術性の高いものには宗教が絡んでいるのも多く、神社やお寺、山の大自然など、神聖と感じる心は芸術作品を見てきれいだと感じるのと似ていると思います。(一概には言えませんが) また、子どもが誕生した時に喜びを味わい、生命の神秘、命の大切さ等を感じ、宗教の偉大さを少しわかったような気がします。 いくら、科学が発達して生命の誕生の仕組みを説明されても、「へー」と思うだけで心に響きません。 なので科学が進歩しても宗教の存在意義は変わらないと思います

faradayday
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 生命の神秘、命の大切さがなぜ突然宗教の偉大さに繋がるのか、その点に論理の飛躍を感じました。 いずれにしてもdandandori2さんにとっては科学は心の豊かさを提供してくれるものではないのですね。 私は(おそらく私も含めて科学の勉強、研究をしている人間の多くは)科学を勉強して自然の仕組みを深く知るたびに感動してしまうのですが…。

回答No.2

どんなに科学が進歩しようが、いまだに石の人形拝んだり紙切れにインキの印刷物をありがたがって持ってたり、金属やら功績のカケラに手お合わせてるんですから、 何かにすがろうとする弱い人間や、決断を人任せにして責任逃れしつつも何かを選択したい都合のよい人間は宗教を信じますよ。反吐が出ますけどね。

faradayday
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 僕はそういう信仰心に対してそれほど嫌悪感はありません。 単純に、宗教の存在意義というものは科学によっていつか奪われるのではないかとふと疑問に思ったので質問させていただきました。

  • dragon-man
  • ベストアンサー率19% (2700/13647)
回答No.1

科学が進めば進むほど、次々に分からないことが出てきます。例えば、命や意識、知能はとはなにか、最初にどうやって出来たか、宇宙の果てはあるのか無いのか、今分かっている素粒子よりさらに小さな素粒子はあるのか無いのか、あるとすればいくつくらいあるのか。 いつまでたっても人間の知恵ではとうとう分からないことがたくさんあるのでしょう。そうするとなまじ知能がある人間は不安で耐えられない。なにかにすがりたくなる。そこへつけ込んで生まれるのが宗教です。なにか分からないことがあると神様のせいにすればいい。ああそうなのかと安心できる。 この世や命はどうやって出来たのかと問えば、神様がお作りになったの一言で済む。宗教とは実に便利なものです。それで人の世の安寧が得られれば下手な科学より安上がりで便利です。 いくら科学が進んでも追いつけない人間はいます。あの麻原ショウコウに空中浮揚などといわれると、東大京大を出た秀才が本気にする。宗教とは凄いものです。 科学と真っ向対立する宗教はいくらもあります。ダビンチの地動説を迫害したカトリック教は昔としても、アメリカでは今でもダーウィンの進化論を教えない州があります。神様が7日間でこの世をお作りになったというキリスト教を否定するものだと。ダーウィンは間違っていると。 人間世界がこの先いつまで続くか分かりませんが、おそらく最後に残るのは科学ではなく宗教でしょう。

faradayday
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 科学が究極理論に到達したらという「仮定」の話ですので、失礼ですが「科学が進めば進むほど、次々に分からないことが出てきます。」というのはそもそも意味のない話になってしまいます。 それでもなお「いくら科学が進んでも追いつけない人間はいます。」というのであれば、確かにそうだと言わざるを得ません。 科学が究極理論に到達してもなお宗教の存在意義は消えないということですね。

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