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《それが考える( Es denkt. )》とは?

雪中庵(@psytex)の回答

回答No.2

「それ」が存在するという事と、それを感じる「自己」の 相対という構図は、その存在の源泉が、感受表面での量子 相互作用に還元される事で、その相互作用パターンに基づ く予測としての空間的広がりの中の仮象に過ぎなくなる。 その「経験による予測」が、「経験(時間の流れ)=過去=超光 速」と「予測(空間の広がり)=未来=光速下」の相補分化とし て得られる時、それは階層現象性を表面的に(いい加減に) 捉える事による原理的光速性(超弦=量子定常波)の潜在化 による現象表面的非光速化に由来する、「感受表面での量子 相互作用=光速」からの仮想的対発生だと言える。 本来同一次元(絶対化=無)である光速下から超光速への 連続的変化を、「超光速=過去=記憶=時間軸」と「光速下= 未来=予測=空間軸」に分化させ、その仮想的延長における 「直交基底=時空」によって、不確定性原理の相補性(=量子) を可能にしているのだ(位置Sと運動量St、時点Tと質量Tsの それぞれの対において、一方の確率性を確定しようとすると 他方が無限不確定に発散(=無)する)。 その「仮想的」に派生する時空において、そのプロセスの 相補性により時間軸は空間軸と虚数関係にあり、等距離点に おいて相殺される0の面(界面原点)を生じる。 それが量子(光子)の軌跡=4次元ミンコフスキー空間の ライトコーンであり、存在の根源において量子性(超弦)に 還元される存在の実体である。 つまり、「仮想=何かあるんじゃないの」という疑問として 生じている時空を、「本当は無いんだけどね」と無に還元する ものなのだ。

bragelonne
質問者

お礼

 たぶんその《無= 0の面(界面原点)= 存在の実体》は 言葉のお遊びである。こう直感します。  ご回答をありがとうございます。  お遊びでないときには 《それ》について かくかくしかじかなりとか いや 何にも意味はないとか いづれかの答えが得られて来ているはずだからです。《仮象》としてでも・還元しないかたちにおいて ふつうの言葉を用いて説明し得るところまで到っているはずだからです。  つまり さもないということは あなたのニヒリズムは ただ死神からの使者として発している自己表現であるとなるでしょう。

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