• ベストアンサー

《それが考える( Es denkt. )》とは?

noname#207067の回答

noname#207067
noname#207067
回答No.6

~~~~~~~~~~~ 一七 論理学者らの迷信に関しては、私は倦まずに、これら迷信家諸士の承認したがらない一つのちょっとした簡単な事実を繰りかえし力説したい。 ――それはすなわち、思想というものは、<それ>が欲するときにやって来るもので、<われ>が欲するときに来るのではない、したがって主語<だれ>が 述語<思う>の条件であると主張するのは事実の歪曲である、ということだ。要するに、(それが)思う――(es denkt)――、だがしかしこの<それ>(es)をば、 ただちにあの古くして有名な<われ>だとみなすのは、控えめに言っても、一つの過程、一つの主張に過ぎないもので、ましてや<直接的確実性>などでは決してない。 つきつめたところ、この<それが思う>というものさえすでに言いすぎである。この<それ>がというのがすでに、思考過程の解釈を含んでおり、 この過程そのものに属するものではない。 ここでひとは文法上の習慣に従って、「思考とは一つの活動であり、すべての活動には活動している主体がある、されば――」とう式に推論しているのである。 ほぼ同様の図式に従って、旧来の原子論は、作用する<力>にたいし、そのうえさらにあの極致の物質粒――このものの内に力が潜在し、それから力が働き出す――を、 すなわち原子を求めた。しかし、より緻密な頭脳の持ち主たちが、ついにこの<地球の残渣>なしに済ますことができるようになった。そしておそらくひとびとは、 いつかはこうしたやりまえに慣れるであろうし、論理学者たちとても、例の小っぽけな<それ>(これは名だたる古い<われ>が揮発した末にできたものだが)なしに済ますようになるであろう。 ニーチェ全集11 善悪の彼岸 道徳の系譜 信太正三 =訳 ちくま学芸文庫 40~41ページ 善悪の彼岸 第一章 哲学者の先入見について ~~~~~~~~~~ Jenseits von Gut und Böse. Vorspiel einer Philosophie der Zukunft. Von Friedrich Nietzsche. http://www.nietzschesource.org/#eKGWB/JGB-17 ~~~~~~~~~~~~~ 一五 良心の疚しさなしに生理学を研究するためには、感官が理想主義的哲学の意味における現象ではないということを、肝に銘じていなければならぬ。 そうした現象と見るかぎり、感官は全く何らの原因でもありえないことになろう!そういうわけだから、感覚主義は、発見的原理とはいえないまでも、すくなくとも 規制的仮説ではある。――ところが、どうだ?他面において、外界はわれわれの感官の産物である、と主張する者がいるとは? もしそうならば、われわれの肉体とても、この外的世界の一片であるからには、われわれの感官の産物ということになろう!またそうならば、われわれの感官そのものとても ――われわれの感官の産物ということになるだろう! これは思うに、根本的な帰謬法(reductio ad adsurdum まったくの背理に陥る帰結)である。 もちろん、自己原因(causa sui)という概念が根本的に背理の代物であるとしてのことだが。こういう次第だから、外界はわれわれの感官の産物ではない? 一六 いつもながら、無邪気な自己観察者といった連中が存在する。彼らは<直接的確実性>というものがあると信じている。 たとえば、「われ思う」とか、ショーペンハウアーの迷信だった「われ欲す」とかいったものがそれである。あたかもこの場合、 認識が純粋に、ありのままにその対象を<物自体>として把握できるかのようである。しかもその際、主観の側からも、客観の側からも、 まやかしが起こることがないというかのようである。しかしながら、<直接的確実性>というものは。<絶対的認識>とか<物自体>とかいうものと 同様に、それ自身のうちに形容矛盾(contradictio in adjecto)を含んでいる、このことを私は百遍でも言うつもりだ。 後略 ~~~~~~~~~~~~~~~ 今日は人の道さんのところにショーペンハウアーの引用で疲れました。 ニーチェはついでです。 引用ついでに前後を少し読んでみたら >もちろん、自己原因(causa sui)という概念が根本的に背理の代物であるとしてのことだが。こういう次第だから、外界はわれわれの感官の産物ではない? なんだか奇妙なことを書いていますね。 私はもうokwaveに参加したくないのでこんなことをしていても何の意味もないとは思うのですが。

関連するQ&A

  • フロイトのタナトス

     ( a ) 生まれつきの自然本性には 《死の欲動》などはない  と見るものですが 現在の時点でどういうふうに捉えられているのか できましたら 解説をお願いしたいと思うのですが。  ▲(ヰキぺ:デストルドー) ~~~    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BC  § フロイトの説  精神分析の臨床では死の欲動を確認する術は少ないとフロイト自身言っている。  事実この概念を想定するのはマゾヒズムやサディズムの発生機序や、陰性治癒反応、それに外傷神経症という夢の願望充足の例外を捉えるためである。  しかしこの概念は超自我の破壊性を説明するものとして考えられており(エディプスコンプレックスを通して父親からの去勢不安や父親自身への子供の怒りが超自我という分裂した自我に引き継がれて、死の欲動は子供の中心的な自我から分裂して存在するという理論)、それ故にフロイトにおいては重要なものとして後年まで考えられた。  ~~~~~~  ☆ というふうに   ( b ) フロイトの説じたいも あやふやなのでしょうか?  ▲(同上) ~~~~  § 後継者の発展  Federnは最重度のメランコリーに「死の欲動」が観察されるとし、同様の指摘はしばしばなされる。  フロイトの弟子にも受け入れた者はいたが、しかし大勢ではフロイトの「死の欲動」概念は批判が多く、フロイト死後になってから、死の欲動の考えを取り入れた学者達により新たな展開がなされてゆく。  継承発展させた人物はメラニー・クライン、ジャック・ラカンが代表的である。  現代では「死の欲動」という概念は精神分析の臨床では用いられにくく、むしろ「攻撃性(アグレッション)」それ自体が本質的なものとして考えられている。  それは臨床において現れるのは「死の欲動」という概念ではなく、むしろ医師への攻撃的な反応や怒りだからである。  また自傷行為や自罰行為も見られ、このことから「攻撃的なもの」としての死の欲動の概念が深く考えられるようになった。  ~~~~~~~~~  ☆ 質問者の理解では   ( c ) たとえば広義のエロスなる生の欲動は おそらく生物としての生まれつきのチカラとそのハタラキだと考えますが タナトスなる《死の欲動》は もしそれがあったとしても飽くまで後天的なクセとして形成されたものである。すなわち 派生的・第二次的な性癖であると捉えましたが その点 どうなのでしょう?  ( d ) ただし 次のような・元に戻るような見方も提出されていました。すなわちやはり 生来の欲動ではないかという。その点 どうなのでしょう?  ▲ (同上) ~~~~  § 現代への影響  フロイトに先立ちフリードリヒ・ニーチェが「神の死」を言明し、当時楽観主義は知識人の間では既に力を失っていた。  フロイトの思考の変遷も悲観的な世界情勢と無縁ではなかったであろう。  彼は第二次世界大戦の戦禍を見ずに亡くなったが、はからずもその後ヒロシマ・ナガサキへの核爆弾の投下、ホロコーストなどが起こって破壊衝動を「予言」したような形になり、水爆開発などで現在では計算上は人類を複数回滅ぼせるほどの大量破壊兵器を所持していることが明らかになっている。  後世多くの精神分析家が「死の欲動」論を援用してこのような人間の暗黒面の解明に切り込んだ。  ~~~~~~~~  ( e ) この《死の欲動》を 人間なる存在そのものの中に組み込む見方は まわり回って例のユングの《四位一体》説と軌を一にしていると思われるのですが その点 どうなのでしょう?  すなわち 神の三位一体に それと同等の位格を持つ悪なる神を加える見方です。この第四の位格のアクマが けっきょくタナトスなる死の欲動と類型的に同じ内容となっている。のではないか?  よろしくどうぞ。  ( f ) ヨーロッパの知性は 気がくるっている。のではないでしょうか? 四位一体説に立つなら 善は悪 悪は善というふうに 何でもかんでも うまく言いくるめることが出来ます。不法行為も犯罪もすべて 悪であるが同時に善であるとなります。善〔なる神〕と悪〔なる神〕とが互いに同等であるならです。  しかも わるいことに 神などは存在しないとする向きがあっても その説は――存在するという説についてと同じように――ついぞ証明しえないことなのですから。  組織宗教としてのキリスト教は 観念の神をいだきこれを何だかんだといじくるのは くるっていませんか?

  • ニヒリズムにそもそも意味があるのか?

     次の議論をめぐって問います。  ▼ (ヰキぺ:ニヒリズム) ~~~~~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%92%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0  § まえがき    ( a ) ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism / 独: Nihilismus)とは、    この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。  ( b ) ニヒリストは概して以下の論点を強く主張している。    上位の支配者、創造主の存在を示す理にかなう証拠はない、「真なる道徳」というものは存在しない、世俗的な倫理は実現不可能。よって我々の存在には結局真理はなく、好まれる行動など存在しない。  § 1 概要  ( c ) ニヒリズムという語は、・・・今まで最高の価値と人々がみなし、目的としていたものが無価値となった歴史的事態のことを言うときが多い。  ( d ) 心理学者を自認するニーチェによれば、ニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けて2つある。    1.何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、消極的・受動的ニヒリズム)。    2.すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、積極的・能動的ニヒリズム)。  ( e ) ニーチェは積極的ニヒリズムを肯定し、永劫回帰の思想の下、自らを創造的に展開していく、鷲の勇気と蛇の知恵を備えた「超人」になることをすすめた。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  Q‐1 《永劫回帰》などは あり得ないと思うのですが 納得できる説明がありますか? 同時に《超人》についても同じ問いを 問います。  Q‐2 ( d-2 )で《仮象》と言っていますが 経験事象としての世の中が移ろいゆかざるを得ない無常の世界であることは分かっています。いまさら《イツワリ・無価値》というのは どこかおかしい。《空観》というのは ごくふつうの世界観なのであって この世界が《仮象》であることは 分かっています。  ゆえに 《自ら積極的に「仮象」を生み出し》という考えは 根本的におかしいのではないか? それともどういう意味がありますか? すなわち《いま起きている現実における仮象と向き合って 一生懸命に生きる》のであって いちいちわざわざあたらしく仮象を《生み出す》こともない。と考えるからです。  Q‐3 《何も信じられない》( d-1 )という自己表現は 意味がないのではないか?   なぜなら 経験事象については あくまで《考え認識する》のであって 思考に非ずとしての《信じる》という表現を用いるのは 自己矛盾であると考えられるから。  つまりは すでに見たように 世の中は 《仮象》だと見ているのだから。  Q‐4 《 d-2.すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方》 これは そのような《ニヒル》にむしろ価値を見い出すと言っているのであるから 価値の無という意味での虚無志向ではないはずだ。積極的・能動的だというにしろ ニヒリズムという用語は あやまっているのではないか?  世の中は《無価値》だとは けっきょくのところ 言っていない。ことになるにもかかわらずです。  Q‐5 《人間の存在には意義、目的、理解できるような真理・・・がない》( a )というのは これも表現としておかしい。つまり 意味がないのではないか?   この世の中には 科学的な事実認識を採り入れた主観真実はあるが 絶対的な真理などは人間には分からないのだから この命題は 分かりきっていることである。それをいちいち《主張して 哲学的な立ち場》だとするのは 阿呆らしくないか?  

  • ES-335について

    ES-335のシールド差し込み口に挟まった糸くずを取ろうとしてボルトを外したらシールド差し込み口がギターの穴の中に入ってしまいました。 どうやったら取れますか?

  • ESについて

    現在就職活動をしている者です。質問なんですが、春採用の時に応募して落ちた企業が、また夏採用を現在募集しています。そして、その夏採用には、春採用落ちた人も募集して良いとのことです。そしてエントリーシートの質問内容は、春採用の時と全く一緒でした。この場合、全く同じことをエントリーシートに書いても良いのですか?それとも変えた方が良いのですか?志望理由、自己PR、やってみたいこと等は前回と全く変わらず、同じなんですが。。。 P.S. 前回の春採用では、ESを通過して面接で落ちました。

  • 「es」について教えてください。

    映画の「es」について質問があります。 1.スタンフォード大学での実験とは実際にあのような実験ですか?この前テレビでやっていた   一方が質問をし一方が間違えた場合に罰を与えるというものですか? 2.「es」とはどういう意味ですか?   ミスチルが「es」を発売した時になんか意味があったと思っていたのですが忘れてしまいました。   教えてください。 調べてみると近いしい物は幾つか見つかるのですが なかなか正確にはわかりません。 解答ヨロシクお願いします。

  • ES

    哲学用語でesというのがありますよね。私も学生時代にちょっと学んだような気がするのですが・・・。どなたか簡潔に教えていただけないでしょうか。よろしくおねがいします。

  • 「es」のなそなぞ。

    「es」で主人公が囚人役全員に出したクイズ、『セイキが半分しかない動物は?』の答えが聞き取れず、意味もよく分かりません。 多分に下らない事だとは思いますが、気になって仕方ないです。 どなたか教えて下さい。

  • ESについて

    私は今就活をしています そしてES作成に四苦八苦しています 「私」を知ってもらうのがESということらしいので 私がどんな考えをもって 今まで活動してきたのかを 書こうと思っています 私はアルバイトもサークルもゼミも人並みにやってきたつもりでした なのでESに大きくかけるものであると思えません そのかわり 私はとにかく学外にでて ボランティア活動や ゲストハウス巡り、 地域振興の学生団体に参加しPRビデオの作成や 何百人もの人がいる関西のミスチル大好きサークルに参加したりなど とにかく人がいるところに参加してきました 人とは10代から40代の方が含まれます 全てに共通するのは 人と接したい そして 自分を知ってもらいたい との思いです それ以外共通する項目は見当たらず 一貫性を追及されると 何も言えません もちろん 外に出たことで 学んだことや 小さな挫折もしてきました しかし こういった事柄は 私の教養不足もあり 「ESの書き方」の具体例には載っていませんでした こういった内容でも ESに書いてもよろしいのでしょうか?

  • ESについて

    就活中です。 現在ESを書いています。 テーマが3つ有り、 •今まで頑張った事 •皆で成し遂げた経験 •サービス業で大切なことは です。 成し遂げた経験とサービス業は一応文が完成したのですが、 今まで頑張ったことが思いうかびません。 色々思い出してみたのですが、大学ではアルバイトしか頑張ってきませんでした。 理由は突然父が倒れて家計が苦しくなったので、せめて自分の物だけでも…と思い頑張りました。免許も自分で貯めました。(他の方も自分で支払ったかもしれませんが…) サークル、ボランティアなどは何もしませんでした。 しかし頑張った事をアルバイトにしてしまうと3つの内容が全てアルバイトになってしまいます。 成し遂げた経験ではアルバイトで地域一位の売り上げになり表彰されたことを書きたいし、 サービス業についてはアルバイトの事以外例が思いつきません。 3つのテーマの内容をアルバイトにしてしまうのはよくないでしょうか? またESに父が倒れたことはあまり書かない方がいいのでしょうか? アドバイスお願いします。

  • ESに書き足す

    就職活動中の大学生です。 ESをパソコンで書いて作成したのですが、書いていない項目があることに気がつきました。 この場合、その項目だけ手書きで書いても構わないものでしょうか? 本来ならその部分もパソコンで書いて印刷し直すべきなのでしょうが、元々このESは 1.私が企業の応募フォームにて項目を記入、送信 2.企業がpdf化したESを私に送信 3.それを私が印刷して面接に持参 という手続きで作成したものなので、pdfであるために編集できないのです。