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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:体罰 血の気の少ない時点で駄目なんでしょうか?)

体罰の是非と教育における役割

noname#210533の回答

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noname#210533
noname#210533
回答No.3

私にしては短い回答ですが、私はそういう考え方も 通用する相手や場合もあるだろうな、と思います。 と、同時に、その正反対の考えだって通用する世界と 相手がいることを知っています。 どうも、白黒はっきりさせたがる人々が多くなった 気がするのですが、相反する考え方が「住み分ける」という 考え方が中々出来ない人達がいます。 (あなたがどうかは、知りませんよ?) 共通しているのは、自分で自分を制御できない未熟者に 対して、(生い立ちが不幸だとかは論旨からずれるので 不問)どのように外部から制御するか、その理論と手法。 そのようにドライに書いてしまえば、色んなケースと 色んな処方箋が無ければ嘘です。 先ほど、自分を制御できない未熟者、と言いましたが、 社会のルールなど、自分を規制するものに中々合わせて いけない人についても、当然ながら外部から干渉の手が 伸びるわけです。 でも、その場合には、悩む本人との協調、或いは信頼関係が どれだけ形成できるかが成否を分ける、でしょう。 前者が動物のしつけの用であるのに対して、後者は良い形で 師と弟子、先輩と後輩の二人三脚とも言えるでしょう。 不良の中にも、必死で苛められないように、見捨てられない ように、強がっていて、実は小心者で優しい女の子のような 心配りを持つ者もいるでしょう。 或いは、いつまでもこんなバカバカしいことに付き合って いられるか、と仲間を内心で軽蔑しつつも、とりあえず 自分にそこそこ認めてもらえるポジションをくれるから いてやってる、と思ってる者もいるはずです。 だから、野々村さんが考えるようなパターンもあれば、 逆に理性的に教えてくれる人や、暴力が支配しない 別な領域に連れ出してくれる人に従う人もいるでしょう。 別な見方ですが、自分を大切に扱ってもらえなかった 生い立ちから、荒んだタイプの人なら、軍隊式に全員 整列でスパルタカスをやる教官よりも、身を挺して 自分をかばってくれる「自分に目をかけてくれる先輩」や、 「自分を慕ってくれる後輩」などによって、自らの尊厳を 持ち、自らを律して成長できる人もいるでしょう。 十分物質的にも精神的にも大事に育てられたにも限らず、 自分の冒険心を満たし、エネルギーを発散させたいが ために暴れる幼稚園児みたいな悪童には、怖い教師の 軍隊式も効果が高いと思います。 勉強が出来ないと一言で言っても、数学が苦手な者 国語が苦手な者など、到底一概には言えない、ということに 似ている気がします。 中には、幼いいたいけな幼女や、濡れて震える子猫などに 堪らない愛情を注いでしまう不良もいるでしょう。 ペット繋がりですが、何らかの共通した趣味・趣向で 意気投合して相棒になり、他人に絡むようなことが 無くなるケースもあります。 私は、自分に関わる目前の人と、必要に応じた付き合いの 中で、相手の人となりを見ながら、その人の心の窓を探し 言葉の使われ方、感じ方を見て、自分がその人に何が したいか、その想いに沿って考え方やアプローチを 考えます。 一般論ではありませんが、目前の特定の人について 考える方が、役に立つ場合が少なくないからです。 だから、その都度考えるしかありません。 新しく出会う度に、です。

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