組織の血の気が少ないと嫌われる?

このQ&Aのポイント
  • 組織内で血の気が少ないと嫌われる問題について考えてみましょう。
  • 体罰信奉者の意見や怖い教師の存在から、血の気が少ない人間が組織内で欠陥とされる可能性があることを見ていきます。
  • また、組織内での血の気の重要性について、自衛隊や警察、運動部の例を挙げながら考えていきます。
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血の気が少ないと嫌われる組織?

私は暴力 喧嘩は嫌いです 普通に云う事は聞いて参りました 非行等の問題は起こしませんでした 唯振り替えると 超えられない軟弱者になるのですね 私は中学 高校 大学時代も、 元来運動音痴で鈍臭い事もあり、暴力が日常の部活動には入りませんでした 桜宮高校等体罰の問題が報道されておりますが 体罰を信奉されている方の意見としては、 口での注意や罰則規定はやる事はやるが超えられない 限界を超える強い精神を体罰により生み出す と云う事だと思います 私の同級生に 普通の教師が当たり前の事を云うと反抗し、 怖い教師の怖さ 暴力で枠組に入り、 怖い教師の理不尽さ(挨拶代わりに殴る 白でも黒と云えと云う) も受け入れるが、鍛えられ強くなり、適度に弱い者苛めを行うが、怖い教師の存在が抑止力になっているので感謝していると云う事でした (そこには愛情もあると思います) 唯自衛隊 警察等や運動部は上記の様な気質が主流で 別に非道をしていなくても暴力 苛め嫌いと云う人間は本質的に欠落した人間だと云う事になるのでしょうか? 又彼等がその様な態度を取るのは自己を確立する為なんでしょうか? 桜宮高校の問題も嫌なら辞めればと云う意見がありましたが、 中学時代 暴力三昧のクラブがあり、強かったのですが 入部しても勉強する時間がない、人間関係や体罰日常についていけない人間で退部する人間に顧問は体罰を加え、後部員には口を聞くな 関わるなと云っておりました 結局最後まで続けたのは 勉強嫌い部活動の競技で身を立てる 普通に云う事を聞けない怖いから聞くと云う人間でした 血の気が少ない時点で組織では欠陥なんですね? ご回答宜しくお願い致します

noname#250543
noname#250543

質問者が選んだベストアンサー

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  • localtombi
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回答No.5

いわゆる「体育会系」というやつですか? 何事も精神論で語って、その通りにしなければ自己反省という名の鉄拳制裁が待っているというような・・・そういう組織ですね。 規律を重んじる世界(自衛隊、警察)やトップダウン的で社訓を毎朝唱和するような会社では、理不尽な行為がまかり通ることもありますね。 また、ブラック企業系や場末の土建系も、言うことさえ聞いていれば何もされない傾向があります。 血の気が多いというのは、すぐに頭に血が上って見境がなくなり、物事の善悪の判別がつかなくなる愚かな人に多いですが、逆を言うと、血の気が少ないというのは、何事も冷静に考えることが出来る人とも解されます。 彼らがそうするのは、周りには似たような人しかいない環境で育ったため、自己主張や虚勢を張っていなければ潰されるという恐怖感から来ています。 そうすることで「自分は偉い」と意思表示するのですが、社会に受け入れられなくても自分の周りでさえ受け入れられれば「是」とする浅い考えに基づきます。 なので、血の気が少ない時点で組織では欠陥というのは、彼らの論理では受け入れられない・ウザイ存在に映るかも知れません。 まともなことをやってこなかった人間には、まともなことはおかしく映るものです。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 冷静に判断出来るのが大切ですが 組織の多数が血の気が多いとそれが主流 是となりますが、 合わなければ冷静な判断でやっていける組織で発揮すれば良いのですね

その他の回答 (5)

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (934/8791)
回答No.6

非暴力で伸びている運動部もあると聞きますが・・ >口での注意や罰則規定はやる事はやるが超えられない >限界を超える強い精神を体罰により生み出す 自分の限界を楽しむ輩には当てはまりませんね。 自分に甘く、やらざるを得ない状況に追い込まれてやっと事に当たるタイプの人にはいい場合もありそうです。 自由奔放でわがままに育った人には、怖い人の存在が必要ですから・・

noname#250543
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 私自身もやろうと思ってもなかなか出来ないことがあります だから強制はある程度は必要だと思いますが、ただそれが即暴力は引いてしまいますね それが人間の感覚の違いなんですね

回答No.4

型に嵌めて考えすぎです。 一部では独裁者が仕切る運動部、二等兵物語で新入生を苛める部員、というのも残っているとは思いますが少数派です。 警察にも自衛隊にもいろいろな人が居ます。 一見大学の教授のような知的な人も技術系には結構います。 ときどき暴走する一部が新聞に出るだけです。 人間は多種多様です。 一言で括るのは大変です。 ちなみに 私の友人は銀行のセキュリテイー関連の仕事をしていますが、外見は893さまのようです。

noname#250543
質問者

お礼

組織の上司の性格により暴力的かそうでないかになるのですね ご回答ありがとうございます

回答No.3

暴力に対抗するために勉強しているんじゃないの? 体罰(暴力に非ず)が必要なのは、教えられる側に依存するかもしれません。 馬の調教と同じですな。言って分からなければというヤツです。 結局、家庭の躾のレベルに依存するわけですな。 文字の無駄遣いのような投稿ですが、最後の一文とそれまでの冗長な文章には 何の関連性もない。血の気と暴力には何の関連性もない。 人と接する機会が増えれば分かる事でしょう。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 云っても解らないからと云う事は解ります しかし、暴力的な人間がおり、それを当たり前になっているのが矛盾を感じるのです

回答No.2

血の気が少ないのは、むしろ長所では? 冷静を保ってられるのでうらやましいかと僕は思います ^ ^ 短気は損気と言う諺があるくらいですからね。 長所を伸ばしていきましょう。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 冷静に判断出来る所で精進して参ります

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2314/7952)
回答No.1

血の気の少ない人は、対話で解決する情熱も少ないので、 引き篭もるか、粛清されるか、圧政を敷くか、全く譲歩しない暴力性を持ってますので、結果的に同じ武力行動を選択します。 それを打破したのが、ガンジーの行った非服従主義。これは対話が全くない独立運動。権力への脅迫でできていますから。 組織にとっては、他人と組み織らない、とても迷惑な存在です。

noname#250543
質問者

お礼

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