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宇宙を決定論が支配した時代があったのでしょうか?

ケプラーの時代には、宇宙は決定論で動いており、精緻な観測ができるならば、未来を正確に知ることが可能であるし、また逆に過去にさかのぼる場合も過去のある時点を一意に知ることができると考えられていたそうです。 その後、量子力学などの科学が進歩して、現在では決定論で未来や過去を論ずることができないということになりました。少なくとも未来は論ずることができない。 このことを概念的に図式化すると、未来方向に二進木が広がっており、それぞれのノードで右に行くか左に行くかは確率過程であって、事前に知ることはできない。 同様に、過去に向かっても二進木が広がっており、実際は一つのパスを通ってきたのであるが、理論的に過去にさかのぼる場合には確率的にしかさかのぼれないと理解しております。 つまり観測ではなく、理論的に過去をさかのぼる場合には、常に「複数の過去」が想定されなければない。<=この考え方が正しいのかどうか、疑問を持っています。 Wikipediaを見ると、下記の様な記述があります。 「初期の高温の宇宙については、宇宙創生から約10の-33乗秒後から始まったビッグバンによってうまく説明されるが、いくつかの問題もある。」 この文章の一部を抽出すると、「ビッグバン以前の過去は一意に推論可能であって、ビッグバンよりも約10の-30乗秒前の宇宙は無い」と言う命題を含むことになるでしょうか。 ビッグバン以前という極めて限られた時間帯に関しては、決定論で論じてもよいのか、それともいろいろな可能性があったが、観測事実として「ビッグバンより約10の-33乗秒前に宇宙が創世された」と言っているのでしょうか。 ビッグバン以前の宇宙が観測されたとは考えにくいので、理論的にさかのぼっているだけだと思うのですが、はたしてこの時代の過去をさかのぼるときに決定論でさかのぼって良いのでしょうか? 観測できない過去を推論するときに決定論を使ってよいのかどうか、科学者の皆様のご意見を頂きたくお願い申し上げます。

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回答No.1

疑問てんこ盛り、だと(元)研究者は思います。 ○ケプラー?、どこかに「何とかの悪魔」と云う決定論の決定版がありますが、ケプラーの時代には みんなもっと「謙虚だった」、空を見上げ「宇宙は広いなー、未知は山盛りだろうなー」 と思っていた。ニュートンの「伝説」が本当なら「あーあ、このとてつもないもの、一体どうしたら 良いんだよ」と思っただろう。 大体「三体問題」さえ「解けない」のに宇宙なんか分かる訳はない。 だが、産業革命で「上流階級」は「狂ってしまった」足元は「泥沼」だったのに「宇宙なんかチョロい」 などと言い出した。ある意味「行き詰まった」訳だ。 ド・ブロイ公爵だったか十九世紀末に「もう物理に研究テーマは無い、と学生に言った」伝説がある。 だが、問題は山積みだったので、アインシュタインの「奇跡の年」前後に、物理学は木っ端微塵に なってしまった。 ○量子力学などの科学が進歩して、これを進歩と呼ぶべきだろうか?前が全く見えなくなったと云う べきだろう。指針はあるが「科学哲学」から見たら「混沌」だろう。 ○未来方向に二進木、確かに複数になった、だがその数は可付番無限では無く、稠密無限(実数の密度) になってしまった。だが、数学的に「そっちはダメ」と云う「領域」は明確になった、有り難いが、 特殊な場合以外助けにならない。(なお「確率」的解釈は哲学になるので無視) ○実際は一つのパスを通ってきたのであるが、理論的に過去にさかのぼる場合には確率的にしか さかのぼれないと、、明らかに論理学的に矛盾している、多世界解釈は嫌いだがこういう時は便利、 なお「解釈」は「解釈」であって「事実」は揺らがない。多世界解釈は「時間」を遡及すると 「収縮」してしまう事を表わしているから便利。そろそろ厭きてきたので、少々跳ばそう。 ○ビッグバン以前の過去は一意に推論可能、、そんなこと誰も知らない、もちろん「何にも無かった」 事は確かだが、それを「一意に推論可能」と呼ぶのはおかしい。無いのは推論ではなく放棄だ。 ○ビッグバンは論ずるが、インフレーションを論じないのは明らかに「逃げて」いる。インフレ-ション だって怪しいのだ、それを疑えばビッグバンだって「かなり怪しい」だからホーキング先生は 「虚数世界」を含む「永続宇宙」を提案する、これも「解釈」で事実と何の関係も無い。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

ありがとうございました。

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noname#212313
noname#212313
回答No.8

 種々の理由により、本件の回答を終了せざるを得ないといったんは判断しましたが、もしかするともう少し教えて差し上げるほうがよいのかもしれないとも思えるようになりました。(勉強する暇/気はない等々事情はあるにせよ)何となく納得いかない、という感覚を持ち続けるのが苦痛な方もときとしていらっしゃるかもしれません。 >観測ではなく、理論的に過去をさかのぼる場合には、常に「複数の過去」が想定されなければない。<=この考え方が正しいのかどうか、疑問を持っています。  複数の過去(過去でなく、現時点でも未来でもよい)を想定するかどうかは、その必要があればするし、なければしないということになります。まあ、至極当たり前なんですけれども。  複数の世界の想定をするのは、量子力学の多世界解釈が有名です。解釈でしかありませんけどね。啓蒙書的説明の多くは未来がいくつにも分岐するとしていますが、確率過程を考慮すれば、過去についても同じです。いくつもある。  イメージしやすいように譲歩して平易化するなら、異なる二つの状態が確率的に変化して同じ状態になるとすれば、二つの世界が一つの世界になった、つまりその一つの世界としては、確率的に二つの過去が想定される、といったことになります。シュレディンガーの猫も、観測後は一つの状態(死or生)ですが、その過去では死んだ猫と生きた猫という二つの重ね合わせだとシュレディンガーは言う(だから量子力学はおかしい、というのが彼の主張)。  コペンハーゲン解釈は生死重ね合わせた一つの状態だと言う。それが一つの状態と思えないのは、我々の理解力不足のせいだ。多世界解釈は時々刻々、確率的分布に従った猫の生死の世界が増えて行くとし、猫の生死が分かれるごとに、我々も分かれて増えて行くとする。  しかし、多世界解釈はエヴェレット解釈を分かりやすいようにした喩えでしかありません。解釈問題をさらに解釈しただけ。エヴェレット解釈と対立的な解釈はコペンハーゲン解釈です。確率的な状態が観測により一つの確定的な状態になるとしている。コペンハーゲン解釈では複数の過去も現在も未来も想定しない。  エヴェレット解釈は、確率的な状態は確率的な状態のままであるとする。それが物理学的実体。そして、人間は実体のうちの一つの状態しか観測できないと考える。この宇宙全体でいえば、実は宇宙誕生から現時点まで、あり得る全ての状態を持っている(ただし、確率に従った濃淡のようなものはある)。  その中から個々人は一つの状態だけを観測できているだけなのだ、というのがエヴェレット解釈です。宇宙の誕生時点からずっとそうなっていることになる。  それに対応するようなことを、ホーキング博士が特異点について、考察しています。直接的にはブラックホールの中心にある特異点についてだけれど、宇宙の開始での特異点も同様だと考えて差し支えない。  ホーキング博士は古典物理学(確率を本質としない物理学)では無限大を内包して物理学的な解釈が不可能な特異点を量子力学的に扱うべきだとし、そうしてみると特異点を「量子のあぶく」とでも呼ぶべきものになるとしている。  それは、時間がなく、ありとあらゆる可能性を内包した量子のような存在、というものになる。それが時間を持つに至って、さらに現今の宇宙スケールまで延べれば、人間は全体を観測できない宇宙の実体がありとあらゆる状態を持つことに対応し、エヴェレットの考える量子力学解釈になり得ます。  そういう解釈の下では、観測できているものは観測できていない実体の一つでしかないし、数多の状態の過去からたった一つの現在に推移したことにもなる。  まあ、上記は一例です。(よくご承知の上でのことでしょうけれど)何をお尋ねになったか、少しは分かるかと思い、ご紹介だけしてみました。しかし、普通はそこまで考えずともよいです。常識的には、空気の温度や圧力からの類推でよろしいですよ。つまり、決定論的なことは不要、ということです。実際には使えたこともないですしね、決定論。古典物理学の数式から出てきた、仮想的なものでしかありません。ラプラスの悪魔とか、ね。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

投稿ありがとうございました。

noname#212313
noname#212313
回答No.7

 #6です。 >質問者の無知や誤解を指摘し揶揄する事で、ご自身の知的優越感を得ていらっしゃるのかもしれませんが、そのような目的での投稿は不要ですので、以後、お止めいただきたくお願い申し上げます。  二重の驚愕と言わざるを得ません。「何を勘違いしているのか。そうではない、~ということを言っているのだ」と仰ってくださるはず、と期待しておりました。そうなれば、「そうでしたか、申し訳ありません」とお詫びし、愚昧な私ごときでも多少なりとも知っていれば「それなら、~」とお答えできるかもしれないと思っておりました。  然るに内容について一切言及なしに、「やめよ」旨のみ仰るということは。それ以上は申しますまい。ただ、私は知的な面で申せば、下から2割のほうにおります。質問者様のように、各種学問等に物申せるような力がないことは明らかです。以上で、本件の回答を終えます。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

有難うございました。

noname#212313
noname#212313
回答No.6

 #5です。 >観測ではなく、理論的に過去をさかのぼる場合には、常に「複数の過去」が想定されなければない。<=この考え方が正しいのかどうか、疑問を持っています。  #5がその回答です。まさか杞憂が偶中するとは思いも寄りませんでした。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

質問者の無知や誤解を指摘し揶揄する事で、ご自身の知的優越感を得ていらっしゃるのかもしれませんが、そのような目的での投稿は不要ですので、以後、お止めいただきたくお願い申し上げます。

noname#212313
noname#212313
回答No.5

 なぜ、決定論を突如として持ち出すような突飛な疑問がでたのか計りかねていました(いや、未だ計りかねているのですが)。  もし「直接は観測不能な過去を、ある一つのストーリーとして記述するなら、それは決定論でないと不可能」と思っていないのなら、この回答は杞憂に過ぎず、無視してください(急速な膨張としてのビッグバン以前だけに限定しているなど、不可解な点がある)。  以降、もし決定論でないと不可能だと思っているとして。  そんなことがあるわけがない。例えば空気について、普通に温度や圧力は測定するし、理論的にも説明できている。決定論的に空気分子の一つ一つが定まった運動をしていなくても、何ら問題ない。  なぜなら、確率を扱う統計学が数学にはあるから。例えば、平均値というのは非常によく使われ、極めて有効な指標となっています。物理現象の仕組みが決定論的でありながら情報が無い場合でも、本質的に確率的でも、どちらでも同じような記述になるし、過去の推測も未来の予測も可能。  例えば、室温をセ氏200度に保った密室に水を入れた皿がを置いたとして、その後の様子はきちんと記述できる。マクロな物理学としては、理論的に一意に決定でき、実験すればその通りになる。その密室に乾いた皿があるとして、「仮定として部屋の湿気の20%がその皿の水由来だとすれば、どういうことが起こったのか」という過去の推測も可能です。それが事実かどうか気にするなら、その過程を理論的にに求めた上で、理論的考察から予想されること、例えば皿の周りの湿気の影響などを調査して、そうだったかどうかを調べて行くことになります。  宇宙誕生の初期とて同じこと。大雑把には統計学的な理論だと思えばいい。どんな物理学者とて、素粒子の位置と速度まで知りたいとは思っていない。そんなことは必要ないし、仮に分かったとしても何にも寄与しない(やはり確率過程であること、計算量として扱いきれないこと、などの理由による)。 P.S.  以上のように回答を書いてみて、「やっぱり、仮に物凄く不勉強なゆえであっても、こんな勘違いするわけないな。これって勘違いのレベルを超えて妄想だもん」と思えます。  まあ、無駄な文章を書きなぐったことになりますが、もしここまでお読みであれば、「そんなわけないよ、何考えてるんだ」とお笑いいただければ幸いです。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

投稿ありがとうございます。 質問の要旨は下記の通りです。 観測ではなく、理論的に過去をさかのぼる場合には、常に「複数の過去」が想定されなければない。<=この考え方が正しいのかどうか、疑問を持っています。

回答No.4

 宇宙は「ミクロの不確定性を揺らぎとして枝分かれの先に内包する樹系図の先の集合」ととらえることができると思います。枝分かれの先の集合というマクロのレベルでは、揺らぎをそれぞれの枝分かれの先に内包する決定論の世界で、さらにそこに生じた精神性に由来する偶然性が絡まった結果が地球上の現状だと考えてよさそうな気がしています。  ミクロの世界は不確定  マクロの物質世界は決定論  精神性が加味されると偶然性が加わる 私はとりあえず今のところこういうスタンスです。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

ミクロの不確定性tがマクロには影響を与えないという考えた方もありえますね。 どうもありがとうございました。

回答No.3

現代科学は細分化されており、宇宙論学者は理論物理学に 疎い(ないし表層的にしか知らない)ゆえに、「観察可能性外 の存在」などという無意味な概念を弄ぶのだ。 >宇宙を決定論が支配した時代があったのでしょうか? 科学者は専門バカになり、庶民は目先の即物的損得に目を 奪われて科学から世界観のヒントを得ていない今がそうだ。 現代人は、経済的に競争してお金をかせぐ事が生きる目的 になっている=心の豊かさより物の豊かさが指標、という。 それは、「自分(意識)の外に独立した存在がある」という、 いわゆる素朴唯物論と呼ばれる決定論の一種であり、 量子論や不確定性原理は、どこか遠くで学者が弄ぶものだ と考えられており、庶民の世界観には何の影響も与えていない。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

有難うございました。

  • potachie
  • ベストアンサー率31% (1065/3387)
回答No.2

素人ですが。。。 ケプラーの時代、といっても、ケプラー自身は、師のチコブラーイエの観測結果を整理して法則化しただけですし、チコブラーイエ自身は天動説を証明するために、自説を覆すほどの精緻な観測をしたわけです。 この精緻な観測の記録から、ケプラーは法則を見つけ、ケプラーが法則化できなかった疑問点の多くはその後の新しい法則で解決されるわけです。 今の観測が、未来に繋がっています。未来は台風の予想進路のように多くの要素で変わってしまいますが、大きく大きく捉えると宇宙や物理法則の行き着く先が予測できるという学者さんもいますよね。ほんとかな?と思うのは、私はこっちの方です。私が生きている間にもクルクルと話が変わっていて楽しいです。。。 観測結果を矛盾なくつなぐために法則や原理があるわけで、その法則や原理から観測以前に遡る方法を探しているわけですよね。その結果、ビッグバン以前も予測される「仮説」があるわけです。 ここの研究は、ひとつひとつ今観測できるものを検証して、それを積み上げ、覆して探っていることが分かって、面白いですし、今の時点ではその意味の範囲で信用できると私は思います。 世の中のすべての学問、科学だけでなく、哲学、文学など、学のつくものは、すべて「真理」を探求するものだと思っていますが、その中で、「科学」は「科学的手法」で真理を追究しています。天文学は物理学を取り入れてやっと科学としての歩みを始めましたが、物理学以外の科学はまだまだ取り入れつつある段階に見えます。検証できない理論を科学的に積み上げる手法は、これから発達していくのかな、と思っています。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

有難うございました。

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