知識の源はどこから?眠っている間に超自我が別世界に行く?

このQ&Aのポイント
  • 人間は無限に近い知識を他者に伝播させる能力を持っています。知識の源は、眠っている間に超自我が別の世界を訪れ、そこにある図書館のような場所に記録を残していると考えます。これを覚醒した人が持ち帰り、私たちの世界でその知識を利用することができるのです。
  • このアイデアはフィクション作品にも使えるかもしれませんが、否定的な回答や冷やかしのコメントはスルーしてください。もしあなたがこのアイデアを元に何か提案してくれるなら、とても嬉しいです。
  • 知識の源についての真実を探求することは人間の好奇心の一部です。私の考えでは、眠っている間に超自我が別の世界を訪れ、知識が記録されている図書館から情報を持ち帰るという可能性があります。さまざまなアイデアを想像し、探求することで、新たな知識が生まれるのです。
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この世の知識はどこからくるのか?

人間は無限に近い知識を、他者に伝播させることができます。それは、どうしてか、私なりに考えています。 私としては、知識とは、パラレルワールドが存在し、眠っている間に、超自我が別世界に行く。そこには、すべての宇宙の生命が共有する図書館のようなものがあり、そこに記録を残している。それを見た人が、知識を記憶し、覚醒したときに、戻ってきた世界、つまり、私達の世界で、その知識を利用することができる。 そういうものなのではないか、と。 否定とか、そういうものを求めているわけではないのですが、ネタ的に、これはどうか? と、何かフィクション作品に使えそうなアイデアを、私のこれを元に、何か提案してくれたら、うれしいのですが、どうですか? そんなわけねーだろ、的なくだらん回答は、スルーです。

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noname#212313
noname#212313
回答No.3

 以下、個々の事例は事実であるものの、それらの組み合わせや解釈は個人研究になりますので、ご容赦をお願いします。  人間の自我認識、自由意志といったものは知能研究の大きな題材です。人間の脳がコンピュータのような機械的、決定論的なものだと、そういうものは存在できないのです。ロジャー・ペンローズは、それらが量子力学の確率的過程から生じるのではないかと考えています。物理学的には決定論的でないものは、量子力学だけなので、自然な考え方です。  しかし、多くの生物学者は量子力学の確率論では人間の知能は説明できないと考えています。それも理があって、確かに人間の意思決定などは、確率に支配されたものとするには、あまりにも整然としています。  ということは、もしペンローズ、生物学者の双方が正しいとすると、人間の脳は量子力学的な確率を制御しているということになります。 (※このことは、熱力学が確率的過程であるとする統計力学の確率論にも影響し、人間の脳から無限のエネルギーを生み出せることを示唆しており、魔法少女まどかマギカのインキュベーターが魔女化した魔法少女から取り出すエネルギーが説明可能になる。)  量子通信というものがありますが、量子もつれ(量子エンタングル)を利用しており、超光速の通信となります。ただし、量子による超光速通信内容は暗号的なものになってしまっていて、単なる確率的なものと見分けはつかず、光速度以下でしかできない普通の通信で送られた暗号解読用のデータを利用しなければ、通信内容が分かりません。  そうなるのは、量子力学が純粋に確率的であるからですが、人間の脳が量子力学の確率を制御しているとすると、光速度以下で送られる暗号解読用データを待たずして、超光速通信が可能になります。つまり、通信がどんなに離れていても瞬時に伝わります。また、脳内の全ての情報が同時に通信可能です  脳が量子力学的なものだとすると、その情報処理が量子コンピュータ的と考えることも可能で、しかも脳が量子力学の確率を制御しているなら脳内の情報伝達でも超光速が可能となり、脳の思考は量子コンピュータ以上ということにもなります。それが、他人にも伝わる、伝えることができるわけです。誰とでも知識、思考を共有可能なわけです。  心理学者のユングは、人間の精神が見えない領域で繋がっており、個人の意識は見えない領域からこの世界に突き出たものだと考えています。上記を全人類の意識のネットワークだと考えると、ユングの説に対応させることが可能です。  さらに、量子力学の解釈問題では(例えば、シュレディンガーの猫がどういう物理学的状態なのか、といったこと)、エヴェレット解釈と呼ばれるものがあります。たいていは多世界解釈という、あり得る状態全てについて量子力学的な確率に従って、宇宙が分岐していくと説明されています。  しかし、エヴェレットのオリジナルの説は、多世界ではありません。この宇宙がありとあらゆる可能性を持つ一つの実体であり、人間は無限の可能性の中から一つだけを観測できているとしています。  ということは、ある人が自分がある一つ状態だと観測しているとしても、あり得る全ての可能性の中の一つでしかないということになります。昼食がカレーかラーメンかといった非常に近いものだけでなく、古代的な世界にいる自分もあれば、非常に未来的な科学が無限に進歩した世界にいる自分もあります。  そういう無限の可能性を併せ持つ自分がいながら、一つの自分しか観測できないのは、量子力学的な確率のせいです。脳が確率過程を制御できるなら、あり得る全ての自分を知ることも可能になってきます。古代的、未来的といった、物理学的に可能な全ての自分を知ることができるということになります。  疑似的ですが時間的に無限の過去から未来までの自分が分かり(多世界的なタイムトラベルのようなもの)、それを全人類が共有することになります。それが、どんな人でも起こせるということにもなります。 P.S.  上記は荒唐無稽ではあるんですが、絶対に無理というものは含んでいません。

494ehhr49e4h9
質問者

お礼

ユンク゜の話、本当に面白い、と思いました。この論理を、是非とも勉強して、作品に使ってみたいと思います。とても感謝しています、ありがとうございました。

その他の回答 (3)

noname#202474
noname#202474
回答No.4

この世界での知識は普通に人間が作り出したものですが その根源が実は干渉されていたものだった、と言われても否定することはできませんからね なにかの設定としては(珍しいものではないですが)面白いものだと思います

494ehhr49e4h9
質問者

お礼

ありがとうございます。ちょっとした、フィクション作品をつくろうと思いましたが、皆様の知識をお借りしたいと思った次第です。本当に感謝です。

  • ultraCS
  • ベストアンサー率44% (3956/8947)
回答No.2

そういうのを万能理論として体系化したものに、ルパート・シェルドレイクの形態形成場理論というのがあります。 だけかが知識や経験を会得すると、形態形成場が形成され、それに共鳴できるものが新たな知識を体得しやすくなるというのもで。ライアル・ワトソンの100匹目のサルの話やグリセリンの結晶化の話に対してよく持ちだれる理論です。 もっとも、この100匹目のサルの話自体がワトソンの捏造だし、グリセリンの結晶化も温度管理を厳密にすればできることがわかっているので、何も説明していないんですけどね。 シェルドレイクの仮説にしても質問者の仮説にしても反証不能な万能仮説で、何らの傍証もなく、ニューエイジ相手ならともかく取り扱いは注意が必要です。

494ehhr49e4h9
質問者

お礼

素晴らしく、知的で興味深い話を教えてくださいまして、本当にありがとうございます。きっと、調べてみます。

  • -ruin-
  • ベストアンサー率31% (239/769)
回答No.1

何が言いたいのかよくわかりませんがそれはアカシックレコードの概念と近いですね。 おそらくどこかしらで既出でしょう。 空気中には知識を伝播拡散する未知の粒子が含まれているというのはどうですか。 私たちは知識を伝播する力があるのではなく粒子を無意識的に扱う能力があるのです。

494ehhr49e4h9
質問者

お礼

ありがとうございます。どこで覚えたのか、おぼろげですが、『アキラ』を見て、こういうイメージを持ちました。アカシックコード。調べてみます。

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  • 観測の仕組みこの世の仕組みとは?宇宙は何故美しい?

    観測することで、「物質が現れる」らしい?です。 シュレディンガーの猫の実験では、箱を使っていますが、 観測する前で状態が確定しないらしいです。 実験では、死んでいる状態と、生きている状態が確定しないらしいです。 これって、現実では、人が「立っている状態」と、「歩いている状態」とかにも置き換えられますかね? つまりは、様々な確率が宇宙に存在する?ということです。 他世界宇宙論?違う。。。多世界解釈?・・・。パラレルワールド? 観測前は、存在する、存在しない、とかありますか? 例えば、自分が見えている範囲=自分が観測している、物質は観測されている、 だから、自分が見えている範囲のみしか、「存在しない」? つまりは、自分が見えていない範囲=遠い場所=遠い駅、人、建物、モノなどは存在しない? ということなのでしょうか?(そういう解説のブログがありました 神Eyeというようなブログ名。) 特に疑問に思ったのは、 「自分」と、「他人」の観測の関係です。 両方とも、「目」や、5感があります。 つまり、「両方とも観測が可能な存在、生物」だということです。 人と人が対面している時は、「互いに観測し合っている」ということでしょうかね?・・・w でも、観測する=物質の状態を確定させている、ということですよね? この辺が、「何か変なよーな?」という疑問になります。 例えば、自分の目で、自分の手、自分の服、などが見えますよね? そうすると、わかりやすく言えば、 「自分の肌の色」が見えるわけです。大きさとか?・・・。 で、相手の目でも、観測行為ができます。 相手の目で、自分の手、自分の服を観測する、される。 「自分の肌の色」も、相手に観測されます。見えます。大きさとか?・・・。 自分の目と、相手の目で、同じ物質を観ている、、、ってことか。 つまりは、机の上にりんごがあって・・・・ 同じ物質を観ているが・・・大きさ・形・色、などは、完全に同じ物質として、観測できているのか?ということです。 大げさに言っちゃえば・・・・ AさんとBさんがいて、Cさんを観測するとします。 その時・・・・普通、一般的、常識的には・・・・ 「同じCさんを、AさんとBさんを見ている」ということです。 そこで、A「Cさん、最近ちょっと太ってきてない?」と言います。 B「うん、確かにそうだね。」と言います。 Cも、自分が太ってきたのを知っています。「そうだねぇ・・・」と言います。 これらの事実からすれば、確かに、「Cは太ってきた」と、客観的にも事実であり、真実であり、 物事は確定されている、と結論付けることもできます。 これは、今でも、「常識」となっています。 また、TVを観ても、「同じ話題」で、皆楽しむことができるわけです。 「○○という芸人はxxという馬鹿なことしてて、面白かったね~w」と、「共通の話題」で楽しくなれます。 「太ってきた」という、会話もまぁ似たようなものです。 これらから考察すれば・・・・? 宇宙は1つであり、真実は1つ。だということにもなります。 「観測していても、真実は1つずつ」だとも言えます。 原子・分子・クォークなどは、確かに動いているが、それはそれだけで、確かな動き、だということです。 ただ・・・初めに書いた通り、「観測の問題」というのがあります。 シュレディンガーの猫などの実験です。二重スリット実験というのもありますが・・・よくわかりません。 「物体は、不安定な存在で、確率によって決定されるのか?」という謎です。 YouTubeにありますが、バシャールは、宇宙はパラレルワールドで、 自分が宇宙を選択している、と言っています。(彼は合ってるような、有り得ないような動画が多々あるが。例えば宇宙人とか有り得ないことを・・。) http://www.youtube.com/watch?v=QNaip71ZO5Y これなんかそうですね。輪廻転生なんかも、私は信じてません。ただ、死んだ後はどうなるか?わかりません。 ん~・・・・・動画を観ると・・・?宇宙というか、地球が無限?にあるらしいです。 本当にそうなのでしょうか? 時間とは何か?ということです。 瞬間瞬間の連続が、時間の流れになっています。 動画のようですね。 ABCDEFGH・・・・という、フレームが、時間の流れ=現実となっています。 現実を自分が選んでいる、観測し、決定している、とすれば? 瞬間瞬間を自分が選び、決定している、ということですよね? つまり、オカルトで言うように、現実は自分が創造している、というような話になります。 1人1宇宙論です。エヴァンゲリオンです。 あと、忘れないうちに書くと、 アニメ小説の、とある魔術の禁書目録で、量子論とか、出ますが・・・・ 「飴玉が箱に入っています。この中は何が入っているでしょう?」と言います。 外へ出し、確認します。飴玉です。それをまた箱へ入れます。 「さて、中に入っているものは何でしょう?」と問います。 回答者は、「飴玉に決まっている。」と言います。常識的にはそうです。しかし、 「でも、チョコが入っていると思い込むことができたら?」 >小萌先生はシュレーディンガーを持ち出し「チョコの箱の中にアメ玉あると信じ、実際にアメ玉を手にした人」が超能力者と説明する。説明を受けるシスター。 つまり、可能性、確率が色々とあって、「自分の望む確率」を手に入れる=超能力=自分だけの現実(パーソナルリアリティ)、だということらしい。 「自分の望む現実」ということかもしれません。 現実は、自分が望む望まないに関わらず、自動的に、勝手に決定しているのでしょか? それは、常識です。 だから、例えば人は、自然災害に対してどうしようもありません。 ただ、もしかしたら、潜在意識で、台風の方向とか、天気とか、操っているのかもしれません。 そして、例えば、「自分は無力で、ただの人間で、何もできない無能な人間」だと、アニメの上条当麻のように思っていれば、「そのような望む現実を創造する」ということかもしれません。 現実は、自分が創っているのか?それとも、外部が創っているのか?ということです。 オカルトでは、前者の意見があり、常識では後者の意見となります。 シュレディンガーの猫の実験などの、確率って、「一体何が決定しているのか?」という、謎です。 確率が存在するならば、一体何が決定しているというのか? 単純に考えれば、ルーレットのように、完全にランダムに動き・・・そして、決定される。 でも、この世=現実=例えば目の前にある、りんご、なんかあるとします。 そうすると・・・? 「りんご」は、形としては、綺麗で、色もまぁまぁ良いし、食べられるし、「存在としてはとても良いもの」だとできます。少なくとも生物にとっては。 「この世、現実の景色」だということです。 宇宙です。 宇宙の形です。 タイトル追加しましたが、「宇宙は何故美しいのか?」という、謎です。 星々は、何故、美しいのでしょうか? 宇宙は、人間がいないと、存在できないらしいです。嘘か本当か? 観測するものと、観測されるものは、一体で、一対らしいです。 そうなると・・・?人間がいなかった時代は、宇宙は存在できたのでしょうか? 微生物だけの時代には、宇宙は存在できたのでしょうか? もしかしたら、人間が誕生したと同時に、宇宙が瞬間的に誕生したのかもしれません。 この辺の問題は、学者は考えているのでしょうか? 人間と似た、猿でも、人間の代用ができるのか? ・・・さて、戻ります。 宇宙は、星々は、何故美しいのか? 人間原理というのもありますが、よくわかりません。 宇宙は、人間のために、存在する?ということです。 それならば、人間が宇宙を観測し、宇宙が観測される、代わりに、宇宙が人間に、資源でもエネルギーでも何でも好きなものを提供していく、ということかもしれません。 Win-Winの関係です。 月が無ければ、地球は、人間は生物は、上手く生きていけないらしいです。自転とかなんとか、重力とか。海水とか。 つまり、月すらも、人間が生きていくために、宇宙が用意したということです。 宇宙は生きていないとされていますが、宇宙の意思は感じられる、ということです。 つまりは、宇宙には意思がある、宇宙は生きている、と考えても問題はないでしょう。 宇宙は、美しい。秩序がある。(知りませんw) 秩序と言えば、物理法則。決まり。それは、不変の法則となって、宇宙を動かしている。 秩序=決まり=法律? 人間も、法律が無ければ、秩序が無くなり、混沌な社会となってしまいます。 南アフリカのどっかだか、アメリカのデトロイトのように。 そんな、宇宙の秩序も、徐々に崩壊しているそうです。 これって、宇宙の危機であり、人間の危機だとも言えないでしょうか? 別名もありましたが、忘れました。物質がどうたらこうたら・・・。 さてはて。宇宙は美しい?という疑問です。 別に、美しくなくとも良いわけです。物理法則だって、無くても良いわけです。 つまり、「混沌な無差別な宇宙」もあっても良いわけです。 自由=混沌な宇宙、 不自由=秩序のある宇宙、だとも言えますが、本当かは??? オカルトでは、宇宙誕生前は、自由で、何でも叶う世界だったと言います。 つまり、宇宙誕生後は、不自由で、何でも叶わない世界だとも言えます。 そうなると・・・?混沌=自由ということなのでしょうか? 字数制限終わり

  • 書き損じた原稿の問題点を添削してください。

    下記テキストは個人的な哲学研究ノートをアマゾンかどこかで電子出版するつもりで書いた廃棄原稿です。 3回目の試作品です。 何か突っ込みをお願いします。 ちなみに5枚のテキストがあり、冒頭の1枚以外は補足欄で追加します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1章「自我とは何か 無我とは何か」 自我論、自我説は宗教、哲学、心理学、IT技術系、様々な分野で課題の一つとして取り組まれている。 学問というのは、一定の習熟をして全体が見渡せるような視野に立って展望できれば大先生だ。 ところが、自我論は多様な学問で扱われていることが災いして、特定の高い視野から全体を展望するという事が、学問としてほぼできない。 自我とは自己の核心の研究だ。 ひとまず、人格の解説をしよう。 人は他者と共感したり、心を通わせることができる。 その明白な各個人の体験を論理的に裏付けるための、過去の仮説が自我論だ。 心理学では、客観の原型となる客体が、心理の奥底に観察されている。 客体とは自己に内包した誰か他者で、考えてみよう、他者に配慮する人間存在は、親しい他者からの助言や、社会的関係から他者への配慮を続けている。 書物からも、他者の言質に大きな感銘を掻き立て、自己の規範として取り入れる。それが教えを受けることだ。 この他人の気持ちが客体だし、欲望とは、自分の望みではなく他人の望みを預かって自分の望みと取り違えることだ。 無欲という美徳は、望みが確固とした自己の望みであり欲望ではないことだ。 多くの場合に、人は欲望の犯す過ちを警戒するあまりに、自らの望みすらかき消そうとする。 内面において、自己の核質たる自我と別に構成する人格の全容は社会性ある人間の総括的資質の一つであり、このように人格が他者の影響を受けることは一人で生きていない巖然たる事実の前に避けられない。 その精神の全体像の中で自己の核心を自我というのだ。 この自我論は、論理的たたき台としての「自我仮説」同然だ。 その学説はいわば「人間玉ねぎ論」だ。 人格を総括したのが、仏教でいう本来の我のことを指す。 その自己から、玉ねぎの皮を一つ剥がすと、自我になる。 もう一つ剥がすと霊になる。 さらに剥がすと神になる。 おおむねこのような想定から生まれた学問上の研究手法であり、論理だ。 これは同じ時代に世界について考察した「原子論」と同一だ。 どんどん分割していくと、世界の最小単位に到達する。 そちらは、はるか後世に証明されて、現代の物理学が成立している。 原子論は、おそらく世界を研究するために編み出された。 世の中に対して、自覚や理解に到達する事が命題であり、古来から宗教では、その宗教の世界観として扱われた命題から派生した研究課題である。 しかし物理学は、細分化では成果を上げたが、伝統的な世界観は、宇宙にまで拡散しさらなるなぞへの挑戦が始まっている。 いわば古代の原子論などの分割型学説は、原子の発見には貢献しても、本来の目的である世界観については解明していないのだ。 本来の命題の意義である世界観の確立は宇宙への探求で結論は遠のいたという印象があるが、それは錯誤であり、紀元前の世界観は徒歩で旅行できる範囲の地理的な探求だった、その範囲は現在完全に踏査されて地球上の多くの地理的特徴は全容が理解されている。 過去の世界観の命題に関していえば、もはやいったん完成して、宇宙観という命題は過去に想像できなかった新たな命題だと切り分けて判断したほうがいいだろう。 そうすると、歴史上の人類の宿題はいったん片づけたからこその研究だと理解できる。 同時期に同様の手法の仮説的予言である自我論も、結論することに同様の危惧があり、自己の精神を自覚する場合には、人格についての自覚についてだ、したがって人間玉ねぎ論の研究は、総括的な自己の自覚と研究するほどかけ離れていく類の専門家向け学問の探求なのだ。 世界観と並列して命題化された自我仮説では、人格をいったん解体するという仏陀の修行が必要だ。 そして人間を玉ねぎ化して探求することは、掘り下げるほど自己の核心を深めると同時に分割化するほど総体としての自己の社会基盤への理解からかけ離れる性質があり、一般的に需要のある自己の存在についての学問とはかけ離れていく。 原子論の成果は宇宙論まで拡大するとまだ成果の途上だ。 自我とは、解明してもそれで自己の存在が確立するとは限らない。 むしろ自覚した自我を中心に自己の社会性を再編成して、それにより人格を再構成する手続きが必要になる。 人と人がお互いに理解しあえてこそ、人間としての自己を理解したことになる。 さて、仏教における無我、日本の伝統について語ろう。 無我は自我が無いという意味ではない。 人格を取り払い、自己の本質を見極めよという宗教的な命題なのだ。 人格として総括した「我」という自己のうち、他者の影響などを取り払って、安定した自己の本質、すなわち現代語の自我の流布の前に、それを仏性という特別な言い回しで表現して、我=人格を構成する要素は心惑わす煩悩であり、仏性を発見しない限り仏陀にはなれないという論調なのだ。 ところが現代では、無我イコール自我が無いという定説にすり替わり、その重大な錯誤から発展した迷走から、仏典編纂時期には命題と宗教活動が、「無」という教えが形骸化していた。 そして、仏教徒が「無」の代わりに命題としたのが「空」である。 これは仏典が書物として編纂される時期には進行していた変節で、したがって仏典とは末法に編纂され、形骸化していた「無の悟り」に関しては、伝承された事実について、片鱗が記述されるのみである。

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    最近、URLの羅列をして回答をしている人がいますが、これは世界知識資産を作ろうとするOKWebの理想に反するのではないでしょうか。 この手の質問は過去にも出ましたが、今改めて問うておきたいのは、 「URLの羅列では世界知識資産など望むべくもない」ということです。 いうまでもなく、URLというものは無限に存在するものではありません。情報の住所として一過性のものとして表示されるわけです。転居(URLの移動)したり、死亡(情報の削除)したりすることもあります。それにも関わらず、URLの羅列がはびこっていることにはらわたが煮え繰り返る思いです。 また、OKWeb運営サイドからの回答者への要望は、 「回答は自分が知っている範囲でしてほしい」ということだったはずです。 その点で、URLばかり羅列して親切な気になっている、回答者の意図が知れません。 URLを羅列した回答をしている人は、その点をどう思っているのでしょうか。 また、URLで回答せず、普通に文章で回答していらっしゃる方は、この手の回答をどう見るべきだとお思いでしょうか。 「世界知識資産」という観点からのお答えをお待ちしています。 「質問した本人が納得すればよい」といったお答えは結構です。 「世界知識資産がどうあるべきか」というスタンスからお答えを頂ければと思います。 よろしくお願いします。

  • 宇宙の構造(思いっきり素人です。)

    私が素人なりに浅い知識を元に勝手に日頃考えていることを書きますのでそれについて是正や意見を下さい。専門家の方笑わないで下さい。 まず小学生の頃に原子の構造と太陽系の構造が似ているなと思い、太陽系はマクロの世界において原子なのではないかと考えました。 そしてその考えはいまだに捨てられず、例えば私の体の中のミクロな世界には宇宙があると信じています。 そしてその中には地球のような惑星も存在しているはずです。 つまり宇宙よりはるかに小さい世界にもはるかに大きい世界にも無限に世界が広がっていると思うのです。 そして、ビックバンとはブラックホールの出来上がりのことではないでしょうか、ブラックホールに吸い込まれた(タイムスリップした)物質は新たな宇宙へと拡散していく。こうして宇宙は3次元的に隣り合わせて存在し、それこそが物質(素粒子など)を形成しているのでは? 宇宙が数え切れないほど集まって物質を形成し、その物質の存在する宇宙もまた物質を形成する。つまりミクロとマクロは本質的に同じものなのではないかと思うのです。 どうでしょう、親切な方、笑わずに教えてください。

  • 魔法少女とは実在するのか?

    末期的中二病患者の手遅れな魔窟へようこそ。 私はユリ系魔法少女 時渡 世麗美だ。 現実世界では49歳の男性に化身している。 裸の心を笑う者。 裸で生きて、 笑うわたし。 なぜなら私は美しい。 裸裸裸裸裸ー。 訳〉ラララララー。 さてと、下記質問を拾ったよ。 たたき台に引用するよ。 宇宙人の知識をお持ちな方や専門家の方 https://okwave.jp/qa/q9593031.html 私は回答しなかったが、いかなる事態か説明しよう。 信仰では世界観が重視され、神話上はそれは天界と言われた。 宇宙という概念がある現在は、神話上の天空の存在は「イタコ」体質霊能力者に憑依するときに、便宜上「ワレワレは宇宙人だ」と表明するんだよ。 まあ、過去のドラゴンとかペガサスとかと同じタイプが、現在は宇宙人を名乗っていると考えた方がいい。 したがって彼女は宇宙人ではなくて、古い言い方で魔女だよ。 守護霊様というのをたいてい誰もが何らかの予備知識があるだろう。 その宇宙人と疑われた彼女は、霊感が高いから天界の守護が大きくて、人間離れした印象を与えたんだ。 なぜ人間に見えないか解説しよう。 心理学で超自我というのが説明されている。 人間という自我存在にとっては、こうした超越存在は伝統的に魔獣ケロべロスか、各種聖獣のいずれかなんだよ。 その片鱗で、一体化が大きいほど人間離れするんだ。 超自我を感知した時の、抵抗不能な恐怖と同一だよ。 まあ、解説は以上。 彼女は天界から使命のより何らかの形で突発的に獣化はするが普段は普通だよ。 人間に用がないから、人間には恐怖を与えてしまっても、むやみに危害は加えない。 ここは学問カテゴリーで、研究目的でとりあえずリポートを書きました。 研究を先に続けるために何か読書感想文でもご回答ください。

  • 「死後の世界」に疑問を抱いています。

    ここ最近はもう結論づいているんですが、過去に死への恐怖に怯える日々を過ごしていました。主に理由は「死ぬことによる己の自我の消滅への恐怖」。諸説(天国地獄・輪廻転生etc)ありますが、一番現実的である死の消滅=無を直視すると確かに怖い。でも、私自身物事を宇宙規模で考え自分の生まれた理由を考えている内に死への恐怖より生に対する喜びに浸る事で満足しようと言う所に結論づきました。「来世があるなら来世も楽しもう」「天国が有るならそっちに行ってから考えよう」…そう思うのですが、いざ考えてみると輪廻転生と死後の世界どちらとも1つずつ分からない所があります。 まず、輪廻転生に関して。輪廻転生は俗にいう「生まれ変わり」ですよね。それはそれで良いんですが、人間は輪廻転生し続ける…即ち、永遠に→生→死→生→死→を繰り返す訳ですよね。それでは生命の存在の意味自体に疑問を抱きます。それこそ、ファンタジックに別次元・パラレルワールドに移動するならまだしも同じ世界をただ永遠に生まれては死にを繰り返すのは少し酷では無いでしょうか?それこそ、輪廻転生による魂の移動をし続けるよりは一点に留まらせ続ける方が達観出来るし、生命の神秘を紐解くには有利な気もします。 次に死後の世界に関して。死後の世界…私の知る知識では死後、人間界での罪の量によって行ける世界が変わる… そこはまだ分かりますが、その死後の世界に「死」と同等の恐怖が無いわけですよね? 己の消滅に対する恐怖が。そうなるとすると少なくとも人間界がある地球が存続できる150億年はその世界で暮らし続けなければいけないんですよね?本当に死後は永遠を彷徨わなければいけないのでしょうか?  皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

  • 以前から気になるP氏の宇宙論について 理解できなく質問させて頂きました

    以前から気になるP氏の宇宙論について 理解できなく質問させて頂きました。 分らないまま推察しますと P氏発想の基本に物理学での不確定性原理の適用範囲を 宇宙(外)+思考世界(内、脳内)にまで拡張したい と考えておられるとおもいます。 因みに 不確定性原理の表現形式の一つは  ΔS・ΔP≧h またはΔt・ΔE≧h   ただし、h:プランク定数、 ΔS:位置のバラツキ、ΔP:運動量のバラツキ       Δt:時間のバラツキ、ΔE:エネルギーのバラツキ と表され 微粒子の動きを捉える場合の正確さを表している。 前者に注目しますと 微粒子の位置を正確に捉えようとしても(ΔS⇒0)運動量のバラツキは無限大になり(ΔP⇒∞)、逆に運動量を正確に捉えようとしても(ΔP⇒0)位置精度は無限大になり(ΔS⇒∞)ということです。 P氏理論は 推察します(誤解の可能性もあります)と、 ここで自我仮説(心、存在論)のバラツキをΔSに、時空仮説(時間)のバラツキをΔPに対応させます。自我仮説を∞まで広げるとします。自我単位が無限に広がることは 存在密度(有限単位の存在密度)は無になります。その時 自我仮説のバラツキは誤差≒0で正確に現れる(宇宙構造が正確にわかる)ということのようです。ただし時空仮説のバラツキは擬似∞になります。時空仮説の観察は光ということです。さらに光に注目して、超光速から光速下のバラツキに対応させ、超光速を過去に 光速下を未来に対応させているように思われます。 このような思考の自我仮説と時空仮説を物理法則に対応させ る というのは新しい試みであることは間違いないと思います。しかし 大きな疑問は この仮説の評価であります。物理法則ではないことは確かです。今後の研究、探求を続けることによって 多くの物理学(科学)と思考を結びつける 論理かもしれません が 一方では 単なる 物理法則の借用であって 深い意味はない かとも思います。私には後者のように思われるのですが。 興味をお持ちのみなさんはどのようにお考えでしょうか。