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人間は機械なのではないか?

私は昔から哲学的なことに興味が有り、よく考えていました。 そして最近は、人間はとても精巧な機械で、全ての思考や反応、感情でさえも諸条件から機械的に算出されるのではないかと思うようになりました。(また、それと同じように世の中の全てが機械的に成り立っているのではないかとも思っています) 諸条件と言うのは、目に見える物見えない物、今の科学では分からない物も含めた全てです。 要するに、人間に自由意思はなくて、人間が自分の思考や選択だと思っている物も、順を追った機械的な反応のようなものではないかと思っているのです。 また、そう考えるとその機械的な人間だったり機械的な世界を作った創生主もいるのではないかと思えてしまいます。 創生主といっても、宗教の中での神様ではなくて、作られた立場の人間では知ることのできない、意思を持った何かということですが・・・。 以上のようなことを考えているのですが、科学的な知識や哲学的な知識がないため、この考えがどれだけもっともらしいかも分かりません。 科学的にこの考えは間違っているのでしょうか? また、哲学の中では今まで同じようなことを考えた人もいると思うのですが、その考えがどう扱われてきたのか、またそういったことについて書いてある本など教えて頂けるとありがたいです。 さらに、回答者様がこのことについてどう思うかも教えて頂きたいです。 お願いします<(_ _)>

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回答No.6

人間機械論というのは17世紀にデカルトが心身二元論を唱えてから、ずっと続いていて、その時代に機械論的世界観というものができ、その延長で現在も人間は機械なのではないかという考えが持たれています。 デカルト自身も「方法叙説」の第4部で動物機械論を展開しています。 人間だけが心を持ち、精神を持ち、動物はあらかじめプログラムされた本能によって動いているだけの機械なのではないか、というものです。 それを受け継いでラ・メトリが「人間機械論」を著しました。 だから人間が機械なのではないかという考えは今に始まったものではなく、3世紀前の昔からありました。 それが今も続いているのです。 その背景には14世紀末に機械式歯車時計が発明され、そのアナロジーで世界も歯車時計のようにできているのではないか、という機械論的世界観が蔓延したことがあります。 ニュートンは世界は歯車時計と同じで、神がいったんネジを巻けば自動的に世界は回るのだから、そうなったらもう神は要らなくなるといいました。 カントは「純粋理性批判」で、この世界の出来事は因果によってつながっているので、自由意志なんか存在しないのではないかという問いに対して、第2部の二律背反論で、世界を二つに分け、1つの世界ではすべては因果的に決定されているが、もう一つの世界ではすべては自由だといい、そのもう一つの世界を英知的世界といい、人間は二つの世界にまたがった存在で、だから一方は因果的に必然の世界であると同時に一方では自由であるという「二世界論」を唱えました。 カントに言わせれば、人間は生物であると同時に英知的存在、つまり神に近い存在です。 そして神はこの世界の創造者ですから、人間も自由を持っている、自由によって世界を再創造できる存在なのです。

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その他の回答 (16)

回答No.7

そのような「未来は機械的な運動によって決められる」 という決定論的な考えを、ラプラスの悪魔といいます。 しかし、そうした機械=存在を成している要素の原理的 な確定において、分子>原子>素粒子>クォーク>超弦 と還元され、その超弦が、不確定性原理の実体化である 量子の定常波である時、そうした決定論は根拠を失います。 不確定性原理において、時空的実体を成す上で対を成す 「位置Sと運動量St」と「時点Tと質量Ts」の一方を 確定しようとすると他方が無限不確定に発散(=無)する 事において、有限な存在性は、先述の階層現象を表面的 に(いい加減に)捉える事で二次的に派生していると言 えるのです(原理的光速性の現象的非光速化)。 自我仮説(時間の流れ=記憶=過去=超光速)と時空仮説 (空間の広がり=予測=未来=光速下)の相補分化として (無=不確定性無限の潜在的認識可能性(感受表面での 量子相互作用=光速)からの対発生)。 決定論の依拠する存在的確定性が、いい加減な認識に よる現象表面的虚構として得られているなら、決定論も 幻想に過ぎない。 環境は、あなた(自我仮説)が成立するための必要として、 あなただけに感じられるものであり、あなたの死と共に 消滅するものに「永遠の未来の決定」もクソもない。

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  • kakibesuto
  • ベストアンサー率19% (248/1301)
回答No.5

機械とは人間生物以外の動力を持っているものです。 人間は生命体です。 そういう考え方を一言で言うと「運命」なのです。 運命とは結果論であって私は存在しないと思っています。

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  • rimurokku
  • ベストアンサー率36% (2407/6660)
回答No.4

難しい事は解りませんが、たとえ人間であっても、物理的な法則に沿った機械的物で有るとの考えに、私も同感です。 人間は感情ある生きものであるとは言いますが、所詮これまで積み上げられた情報の集積に従って、感情も思考も決められるものでしかない。 勿論、生物が生まれてからの情報だけでなく、細胞のDNAがこれまでの歴史を記録しで置いて次世代に伝え、その生涯に得た経験を、又新たにDNAに積み重ねて行くものと思って居ます。 人間は、たまたまより多くの経験とその情報の蓄積によって複雑な思考回路を手に入れましたが、結局はその回路の決められた機械的判断によって、いわゆる感情と言われる働きをしているだけだと。 >作られた立場の人間では知ることのできない、意思を持った何かということですが・・・。 私は、この宇宙の発現によって、長い歴史の中で無機物の組み合わせが出来上がり、偶然の結果生物と言われる細胞の組み合わせが出来上がってきたと考えます。 勿論、その規模の大きさは計り知れませんが、人間が知りえないその大きさは信じられないほど壮大であると。 場合によっては、この宇宙のビックバーンは、さらに壮大な次元で行われた花火の小さな火花なのかも知れません。 そうゆう事に成れば、ご質問者様がお考えのように「意思を持った何かということですが」と成るのかも・・・ まとまりの無い表現ですが、rurubesan様の疑問に同意する部分が有って、失礼ながら思いつくままに書き込んでしまいました。

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  • imagine
  • ベストアンサー率35% (74/206)
回答No.3
rurubesan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 学問的な知識がなかったので、哲学の中での位置づけが分かって良かったです。 リンク先の論文は読み慣れていないので難しく感じますが、時間をかけて読んでみたいと思います。

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回答No.2

機械なら機械で良いんじゃない それで楽しんで人生終わらせば・・・ 新時代は もう既に出来上がってて それを知らない人は 時間に流れながら生きてたら 新時代の人間になってます 但し あなたの子孫が あなたの やらなきゃならない事を引き継いでやってから後になるから あなたが新時代を実感出来るのは その後になるけどね

rurubesan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに良いのですが。 でもそれなら現在の自由意思が前提の法制度はいかがなものだろう・・などとも考えてしまいます。 申し訳ないのですが、新時代とはなんのことなのか理解できませんでした。 どういう意味なのでしょうか?

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  • cubetaro
  • ベストアンサー率24% (1290/5172)
回答No.1

 そもそも、コンピュータの仕組み(CPUやメモリー、HDDなど)が人間の脳の仕組みそのものですから、そういう意味では人間はコンピュータ(機械)とも言えるのではと思います。

rurubesan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。 人間=機械というより、様々な条件付けによって思考などが決められている機械的な物なのでは?という意味で質問したのですが、そもそも機械の仕組みが人間の脳の仕組みをまねて作られたのならそれは当たり前かもしれませんね。 人間=機械と言ってしまって良いのかも。

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