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人間はどこまで自分を操作できていると思いますか?
こんにちわ。長くなるかもしれませんので興味のある方のみ見てください。 私は今悩みがあります。それは人間は自由意思に基づき自由に行動しているのか?または、環境、遺伝により拘束的に行動しているのか?ということです。 あるTV番組で物理学者がとある質問にこう答えました。 Q「先生は霊は存在すると思いますか?」 A「私は人間の思考は頭の中の化学反応だと思っています。」 これを聞いたときに鳥肌が立ちました。(大げさですが…) 人の思考が物理現象だとするならばつまり人間の言動も物理現象になるということになります。そこには人間自身の自由意思はなく、外部からの刺激に対して反応しているにすぎない人間の真の姿があるのではないかと。 多分この考えは物理学者特有の唯物論だと思いますが、私はこれにより説明できることがあるので支持できる考え方だと感じました。 これが事実だとしたら努力するものと怠けるのとの違いは努力をするきっかけがあったかなかったかの違いになります。ようは環境によりできる人間とできない人間が出来上がってしまうということになります。 すべての人の言動、また私がこうしてキーボードを打つことさえも必然なのかもしれません。物理現象にランダムが存在しないのであれば。 かなりおかしなは文章になりましたがみなさんはどう思われますか? 誹謗中傷結構です。いろんな方の考え方が知りたいのでどんな回答でもかまいません。今はひとつでも多くの意見がききたいです。よろしくお願いします。
- higka
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ご参考となるかもしれません。 本当にあった話なのか それともエジプト王 プサメテェイクのやった事を とり入れただけの お話かは知らないけれど ドイツ皇帝フリードリッヒ二世 生まれたばかりの赤ん坊を隔離した 授乳は認める 風呂に入れるもよかろう それから・・・それから けれど決して話しかけてはならない! 赤ん坊に聞こえる所では誰も口をきくな やがてその赤ん坊は どんな言葉を 話しだすだろうか? 最古の言語・・・ヘブライ語だろうか ギリシャ語か? ラテン語か? それとも両親の使っていた言葉だろうか? その赤ん坊は生きてゆくことができなかったってさ 生きてゆくことができなかった・・・ 愛撫されることも 楽しげな顔をむけられることもなく 優しげな言葉もかけてもらえなかったので 故三原順さん著「はみだしっ子」からの引用です。 この作品には私は9歳の時に出会い、終了まで愛読しました。 私は人を傷つけ、傷つけられ生きてきました。 子どもと侮っていたとは言え、当時、私に関わった大人たちには謝りきれないくらい、悪い事をしたという自覚くらいは持っています。 22歳、まだまだ、これからの人生です。
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- cucumber-y
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真摯な補足を頂いたので回答致します。 率直に失礼なところから入りますが、ヌルイと感じました。 私は小学校3年時には既に大人への不信感から図書館へ入り浸り、「悪童物語」や「ファウスト」、太宰治や芥川龍之介の作品集辺りを読み漁っていました。 小学校5年時に私が在籍していた学校では私を制御できる教師は存在せず、級友を飴と鞭で操り集団による授業妨害、暴力による制圧を仕掛けてきた教師に対しては暴力で応戦、遂には校長が家に訪れ父親に(この時は父親と二人暮らしでした。)「もう、わが校では手に負えません。転校させてください。」と土下座、公立小学校を強制転校という肩書きを持って6年で転校しました。 話は遡りますが幼児期に左手肘を粉砕骨折、関節に金属部品を埋め込まれ、医師には「左手の機能は諦めてください」と伝えられ、小学校低学年までは左手は、ほとんど使ってなく、それでもイジメの標的になるたびに相手を潰すことに専念していた時期もあります。 私が変わったのは中学の時です。 小学生の時の経験から、自分の中の「悪」を解放していたら誰も止めてはくれない、ロクでもない人生を送る道を進んでしまう。 そう考えてなるべく控え目な中途半端な不良になっていましたが、二年に上がった時に担任の女性教師から「○○さんの世話はあなたにお願いする。一年間よろしく。」と言われ一人の女子生徒の事を頼まれてからです。 彼女は両足に障害を持ち、一年間休学していたため年齢的には一つ上で普通の学校に通いたいという希望を持って私と同じ学校にいましたが、やはり色々と不自由が多く、人間関係もうまくいってなかったようで私も最初は厄介なことを押し付けられた、適当なところで逃げよう。と考えていました。 登下校時の荷物持ちから始まり、遠足では行程の半分くらいは背負わされ、足のことでイジメのような雰囲気が流れ始めると喧嘩してでもその場で阻止し、そんなことが当たり前になっていた2学期の修学旅行は彼女のフォローは全て私がするということで彼女も参加することができて・・・。 実は最初から嬉しかったんですよね。 誰かに信頼されること、誰かを支えたことが認められ、誰かに必要とされること。が。 これをご質問者さんは「きっかけ」と呼ぶかもしれませんが、私は根本にあるのは私の考え方であり私の向き合った姿勢だと思っています。 補足で読み取れたのは「思いやり」の心は、お母様から譲られているとのこと。 それだけで親から貰えるものは十分と私は思います。 私は亡くなった父親を尊敬しています。 (数億の借金など私のようなサラリーマンではできません。) 母親は高校時代から私が守らなければいけない存在だと思っています。 現在、ご質問者さんは22歳とのこと。 私が交通事故で右足を失ったのが20歳の時で、母親に迷惑をかけまいと勝負に出て成功を収め、現在も勤めている会社に入ったのが22歳の時です。 もう、親がどうだった、その親がどうだったと現在のご自身の不遇に対する言い訳にしている年齢は過ぎてなければいけないと私であれば考えます。 ちなみに私も仕事のできなさには自信があって、その点ではご質問者さんより上です。 お望みの回答とはなってはいないと思いますが、この辺で。
お礼
親に暴力を振るう子、ベビーシッターにツバを吐く子、いろいろいましたが、結局いつも親がベビーシッターに責められるのでした。理由は両親が育児をしない、甘やかし、夫婦喧嘩、会話不足、愛情不足などが原因でした。それを改善すると一週間もたたないうちに子供たちがうそのように変わり始め雰囲気が劇的に変わりました。 そもそも私は環境の悪さを自慢し合うつもりはありませんでした。重要なのは環境により人はどうなるのか。遺伝子が違えども外部からの刺激が全く同じだとしたら人はどこまで似通った存在になりえるのか。ここに私の興味が集中しています。また、よく一般人から見れば「そんなことで自殺するのはおかしい」という事件もその人が小さい時どういった環境で育ったかで性格が決まり、それにより小さな出来事でも普通の人よりも10倍も20倍も考え込み傷つき自殺するケースがあります。よって出来事をみるだけでは真の本人の苦しみはわかりません。私はあなたの本当の苦しみは一生知ることができないし、あなたの私がどれだけ苦しんだのかはわかりません。(私が恵まれているのだと気付かせるために、少し挑発的な文章を書いて頂いているのだとしたらごめんなさい)ただ、こうしてネットを通じさまざまな境遇の中生きてこられた人とやりとりできて非常にうれしく思います。 最後に、私のような考え方は普通の人間らしくないものです。しかし、これから増えていくように思います。私だって初めはあなたと同じ考え方でした。自分がすべて決めている、うまくいかないのは自分のせいなのだと。しかし、どうしてもできないことがありました。なぜ私は人と会話ができないのか。私の場合はその答えは家庭にありました。会話のない暗い家庭の子供に会話のボキャブラリーがある訳がない、と。それは個人の努力なのでどうしようもないことだったのです。 ただ、人は成長し続けます。過去はそうだったのかもしれないが、これから先に様々な出会いがありそこから影響を受けて私は今の私には想像できないくらいの人になっているのだと思います。良くなるか悪くなるかは別として(笑) 本当にcucumber-y様の意見は参考になりました。本当にありがとうございました。
補足
長くなったので補足とお礼欄にお礼を書かせていただきます。 返信ありがとうございます。拝見させていただきました。 初めからわかっていたことですが、当然私より苦労しているのが伺えました。特に障害者はいじめの対象になりやすくこのような方には絶対的に両親の支えは必須だと感じます。また障害は消えないので精神的苦痛も想像を絶するものだと思います。 私が知りたかった答え。それはそのようは境遇で産まれ、人格形成に失敗してしまった子供たちが両親を抜きにしてどうすれば正常な心を持った人になれるのか?というものでした。なのでまさに求めていた答えでした。回答者様は女の子の世話により変われたとありますが、それに近いのがアメリカの凶悪犯罪者のいる刑務所で行われている犬の飼育です。犬を飼うことで犯罪者は自分を必要としてくれる存在に気付き改心していくことがあるようです。犬と比べるのは失礼ですが、それが心理的にいい影響を与えたのは理解できます。 「私は根本にあるのは私の考え方であり私の向き合った姿勢だと思っています。」 これは否定しません。それはあなたの答えだからです。 一つひっかかるのは「私は小学校3年時には既に大人への不信感から図書館へ入り浸り、「悪童物語」や「ファウスト」、太宰治や芥川龍之介の作品集辺りを読み漁っていました。」 とありますがこのような性格にした原因は環境ですよね。人は赤ちゃんの頃から思考を始めています。あなたはこのような人間になりたくてなったのではないでしょう。 「こうなったのはあなたの努力不足でしょう。どんな親であっても好きになる努力をしなさい」といわれれば腹がたちませんか? 私はこのような子供にする親が他人であっても許せなくて今の考えに至りました。おそらく不倫ばかりする父親が原因だと思いますが。 猿を使った実験で2匹の赤ちゃんを用意し一匹の赤ちゃんは布で作った親猿をつかって育て、もう一匹は針金の親猿を使って育てました。当然まともには育たず、他の猿に対し敵意をもつようになりました。(面白い実験なのでURLを載せておきます) http://blogs.yahoo.co.jp/kosodatejityan/13894518.html 上の例も動物で申し訳ないのですが、人間での実験は禁じられているので参考にしてください。 一番いいのはやはり人からの影響だと思います。本からの影響もありますが人にはかないません。また、この考え方を言い訳にし逃げているのではありません。真実だと思うから共感しているのです。私が私なのはもう仕方がないことと受け止めています。私は環境が人を作るということに気づいてからは自分で環境を変える努力をしました。昔は父に褒められたことがなく無視され続けた為、自信もなく存在意義も感じられず通行人に私の姿を見てもらうだけで自分は存在しているのだとうれしくなるくらい病んでいました。今では恐れてきた人前で話すことに積極的に取り組み、父親の代わりになるような尊敬できる教師を見つけてはいろいろ話しを聞きくようにし、また、今まで嫌いだった勉強は本のおかげで趣味にまでなりました。 あなたが持っていなくて私がもっているもの。それは健康と愛情を注いでくれた母と最低限生活できるお金です。 あなたがもっていて私がもっていないもの。それは喧嘩をする勇気があることと前向きさ、主体性でしょうか。 私は力がなかったわけではないのですが、畏怖の期間が長かった為どれだけ侮辱され、自尊心を傷つけられても喧嘩ができませんでした。今思い出しても情けないです。これからは違いますが。いいたいことが言えて行動できるということはとても素晴らしいことだと思います。基本的なことですが。 私とあなたは正反対の人間だと思います。環境に適応しずらい性格の人間は2種類いて 1つは私のような非社交的でおとなしく、それでいて責任感が強く過労死や自殺をしやすい弱いタイプです。 2つ目はあなたのように、他人に敵意を持ち、人を(あなたの場合は大人)傷付けてもそこまで罪悪感はなく、必要に応じて暴力を振うことをためらわない攻撃的なタイプです。 昔のことでしょうが先生を傷つけたことを今思い返すとどう感じますか?やはりひどいことをした、考えられないことをした、と感じておられるのなら私としてもうれしいのですが。 私が環境の影響の強さを信じるにはそれなりの根拠があります。 以前、世界まるみえTVでナニー911というアメリカの番組が放送されていました。それは親の言うことを子供がきかないのでベビーシッターのナニーに助けてもらおう、という番組でした。
- burahuman
- ベストアンサー率27% (167/604)
その物理学者の言う事はかなりの部分で納得できます。 自由意思と言いますが人間とは環境から様々な刺激を受けそれを記憶し過去の知識と照らし合わせ今の自分の状況を理解しそれらを総合的に判断して行動をする主体・・・・とまあ教科書的な回答をすればこのようになります。 実際はこれらの欲求が刻一刻と変化する為に一見矛盾に満ちた行動を採るかも知れませんが。 仮に過去の記憶も知識も全く無い人間が真っ暗闇で一切の音も無く気温も暑く無く寒く無く自分の手足は真綿で包まれて肉体的な刺激も無い状態で置かれたらどうなるか、多分まともな思考は出来ないと思います。 外部からの刺激が無ければ思考が出来ないなら自由意思は存在しないのかとなりますがこの場合存在すると言っても良いんじゃ有りませんか。 外界からの刺激に対する反応を起こす能力を過去に外界から受け取り蓄積し自分の体調などを感じつつ次なる外界からの刺激に反応する。 これはれっきとした自由意思と言って良いと思いますし無理して外部の主体にコントロールされているなどと考える必要は有りません。 ですから私は将来人間のように自ら考え判断しアイデアを出すコンピュータは必ず出来ると思います。 今のPCはキーボードやマウスなどの刺激に反応する受動的な機械ですが家電製品などに組み込まれているマイコンは各種センサーからの刺激を受けてプログラムに従った行動を自らとるようになっています。 基本的にはPCと同じ事をしている訳ですがこのプログラムが膨大な種類蓄積されればプログラムが別のプログラムを書き変えたり外界の刺激に反応して別のプログラムを操作するようになるかも知れずそうなれば自分で勝手に判断する機械が生まれるかも知れません。 結果機械が非常に人間ぽい行動を採るようになるでしょう。 そう言う意味で人間の思考回路と機械とでは根本の部分では差は無いかも知れません。
お礼
回答ありがとうございます。私も将来そのようなPCは作られるだろうと思っております。CPUも人の脳組織の数だけ必要かもしれませんが。 確かに自由意思の定義を人間の内なる欲求だとするともちろんその通りです。お腹がすいたなどは外部の刺激とは関係なく内部からの刺激です。ただ、その内部欲求は他人との差が私から見るとほとんど差がないように見えます。よって環境によりほとんど決まってしまうんだろうと思いました。 また、私のコントロールされているという言葉は確実に間違いですね。人は内部欲求と外部からの刺激を受けながら思考し、行動するというのが正しいようですね。 人の個々人の能力の差はいったいいつできるのか。それは環境か本人自身の努力か遺伝子か。また、生まれたばかりの赤ちゃんにはすでに性格の差はあるのか。またその性格は環境や出来事の違いによるものなのか。私の永遠のテーマです。ありがとうございました。
- cucumber-y
- ベストアンサー率17% (1847/10423)
補足に誤りがあります。 誤「まともな両親」→正「凄くまともな両親」 人生の中で両親が揃っていた期間は合計で3年間くらい、母親だけだったり、父親だけだったり、父親と仲の良い女性とだったり(笑)、親戚の家だったり、小学校を同じ区内だけでも3回転校してます。 そんな父親は40代で故人となって残した負債は軽く億を超えていた(数倍単位ですが)ので見知らぬ男性達が家を占拠に来たり、当然、義務教育修了後は母親から学費がでたこともなく、高校時代は賃金の1/3は母親に渡していた・・・と。 私はトラウマなんか呑気に持っている暇も無いくらい親には沢山与えて貰った、正真正銘のお坊ちゃまですよ。(^^)v あ、ついでに身体障害者手帳も持ってますね。 先天性疾患もあるし♪ さて、不幸自慢が楽しみです。
補足
わざわざ回答していただき感謝しています。かなりひどい環境だったのですね。 ここの質問とか関係ないのですが私の理想はかなり高いです。普通の両親の子に生まれている子は6割前後でしょうから(社会で生きていけるスキルが20歳までに習得できる家庭)この中に入りたかったという考えは自分でも贅沢だと思います。長くなるかもしれません。 私の環境を簡単に説明すると私の両親はともにひどい親を持っている家庭でした。父は幼少期に腕を切断、そして母親は一人逃げ父親とおばあちゃんに育てられました。家庭での会話は一切なく無言が多かったようです。母の両親は厳しい母と素面で暴力を振るう父に育てられました。ここでは言えない虐待を受け、当然小学校では対人恐怖症のあまりしゃべれずいじめられていました。そして現在両親はどんな親になったかといいますと父親はずっと無言状態、しゃべるときは些細なことで激怒する時のみ。母親は愛情は注いでくれましたが、虐待や畏怖の後遺症か会話がスムーズに行えず、物事を処理する能力が平均を下回っています。また、私の父親は子供と接るのが嫌い(苦手?)であり母親に押しつけ部屋に閉じこもるばかり。そのストレスと母親の母の死が重なり、母は私を殺そうとまでしました。幼少期の頃、両親は喧嘩ばかりでした。初めて普通の会話をしたのは最近です。私が現在22歳です。両方とも環境が悪かったがためにこうなったのです。責めはしませんが父親は嫌いです。父の人格は理解しがたく私が話すたび癇癪を起こすので男の大人に対し今でもそのトラウマは完全にはきえません。 それからさまざまな心理学の本を読み、やっと親と対等に意見ができたのが21歳頃。それまで私は主体性のない人形でした。 あなたに両親が共にいた時期が少なかったことはとてもつらかったろうと思います。ですがいないほうが子供にとってましな親というのもいるのですよ。 あと重要なのは両親がどういう人で幼少期自分がそれに対しどう感じたか具体的に教えていただけないでしょうか。また、両親以外に友達や近所の人との交流はどうでしたか?私はほとんど皆無です。私の両親をまわりは避けていましたので。 それと私が思う人にとって大切な能力は3つ。コミュニケーション能力と人に対する思いやり。それと仕事の処理能力だと思います。私は案の定、対人関係は苦手で仕事もできないダメ人間です(笑)ただ母親から思いやりだけは受け継いでいます。この先いい人と仕事をする機会があれば伸びていくだろうと思っています。あなたはどうですか? めんどくさかったら返事は結構です。ですがあなたのような方と話せる機会はもうないと思いますので是非回答下さい。
- cucumber-y
- ベストアンサー率17% (1847/10423)
DNAによる差異を認めているのに環境に重きを置くのでしょうか。 その物理学者が自説を証明するには、生まれたときから監視下に置き、一定の環境を与え続けた人間が成人して、「○月○日に彼は箪笥の角に足の小指をぶつける」と断言できるレベルまでコントロールしなければならないわけですが、それは不可能でしょう。 人生は常に不測の事態の連続で成り立っているのですから、関わる物理現象も常にランダムです。 「自分はやればできるのに、あの時親が・・・」という言い訳を面倒臭く綴っているように感じます。 努力はきっかけで行うものでは無く、自己の意識で行うからこそ人間でしょう。 補足しか返ってこないのは、承知の上なのでお構いなく。(^^)v
補足
回答ありがとうございます。今はあなたの用な考え方を持った方が一番多いと思います。そういう方の返信を待っていました。 no1さんへの私の返信は誤りがあります。同じ空間には一つのものしか存在させることができないので、違う空間のものがまったく同じ結果を出すことは不可能でしょう(空間の差からの誤差)。またDNAの差があるということは原子の量や質にも差が生じるため物理現象に差が生じるということですので同じ結果は求められません。私の勉強不足です。 ただだからといって物理現象にランダムがあるとは言えません。物理現象が起きるにはかならずその過程が存在します。事故にあうにも我々の認知できる情報の少なさからくる自然現象であってランダムではありません。 また、あなたの言うとおりこの文書には親への憎しみもこもっています。というよりあたなのように努力は自分の意思で行うべきだ!という方に限ってまともな両親に育てられている可能性が高く羨ましい限りです。 犯罪者の多くはまともな環境で育っていません。また成功者の多くは愛情ある家庭で育った人が多いのも事実。私の用にさまざまなトラウマを抱えた人間は社会にでるのも難しいでしょう。 現段階で確実にいえることは性格は環境できまってしまうということです。ありがとうございました。
- zki-yumi
- ベストアンサー率29% (83/277)
そのことについて、一時考えていたことがあります。 そして、その物理学者の発言と同じ結論に至りました。 よく、自然(森林や海など)と科学文明(宇宙船や兵器の開発)を 分けて考える人がいますが、私は同じものだと思っています。 科学も自然の一部です。 例えばスペースシャトルは、有機物である人間が生成した素粒子のかたまり。 動物が酸素を吸って二酸化炭素を排出したり、 植物が二酸化炭素を吸って酸素を排出するのと同じです。 科学技術はスペースシャトルを生成するまでの過程に過ぎません。 同じことがご質問の件にも言えます。 人間を特別視するから「意思」や「感情」などというものを意識してしまうんです。 人間なんて、この広い宇宙の、粉粒よりずっと小さな微粒子のような地球を構成する、 様々な要素の中のひとつでしかないのですから。 人間もミジンコも地球という構造体から見たら同じレベル。 ただ生きてモゾモゾと蠢いているだけです。
お礼
私も同感です。物事を自己中心的に思考するとそのような化学的におかしなことが起きていまうのだと思います。もっとマクロな視点で物事をみると人間も自然の一部じゃないかと皆気づくと思います。 まだ、脳科学は日が浅いですがこれからどんどん発達を続けていつの日かこのような考え方が広まるとうれしいです。もちろん正しさが証明されてから。 そうなると世界からカルト団体が消え、悪徳霊媒師が消え、長きに渡る誤った宗教的風習の見直しが図られ少しはまともな社会に近づけるかもしれません。
- ota58
- ベストアンサー率27% (219/796)
どこがおかしいのかもわかりません。 アフリカなどのジャングルで暮らす人間がキーボードを打つことはないとおもいます。
補足
おかしいというのは人間も物と同じだという私の考え方です。 アフリカのジャングルではコンセントもないでしょうからね~。 ありがとうございました。
いやあ~大変おもしろい質問だと思いました。^^ そうかもしれません…。 私も、以前聞いたことがあります。 「感情」というのも、所詮“脳内物質”の、“単なる化学反応である”と…。 所詮人間も、全て“物質”の固まりなわけであって…。 更に聞いたところによると、 「完全に人間と同じような、 自らの意思が存在する、ロボットを作ることはできるのか?」 という問いに対して、 「人間だって、神様が作った“ロボット”のようなもの」 …だそうです。 つまり、人間も、ただ決められた物理現象や、化学反応によって、 決められた通りに動いてるだけー‥。 そう考えると、「不思議~(^O^)」な気がしたのを、 覚えています。
お礼
私と同じ様な事を考えている人に出会えてうれしいです。 これが現実だとしたら面白いとともに無気力になる人が現れそうですね。今まで人間は特別な存在だとか神に作られしものだとか人間を誇張する考え方が主流だったので急に人間も物質と同じでした~と言われたら人としての誇りを失ってしまう人も出るんじゃないかなと思います。 しかし、逆に環境を変えることで人を救うこともできるかも知れません。すべてを知るにはやはり生命誕生のきっかけが鍵となりそうですね。ありがとうございました。
- cucumber-y
- ベストアンサー率17% (1847/10423)
難しいことが考えられるのですね。 私なら >Q「先生は霊は存在すると思いますか?」 >A「私は人間の思考は頭の中の化学反応だと思っています。」 この会話の流れに付いて行けずにTV消しています。
補足
私の説明下手のせいです。 まとめると人間も物と同じだということです。この物理学者の先生は物質ですべてが説明できると考えています。 なので思考は物質であって霊魂やら幽霊のような精神的な物は存在しないと言っているのです。
- altered
- ベストアンサー率17% (64/371)
全ての物理法則が解明されていない以上何とも言えないのが現状だと思います。 しかし、人の行動を見ていると、性格、価値観、能力等によって ほぼ決まっているように思います。 自分に関しては、せいぜい「今日は疲れているから止めとこう」とか 「元気だからあれもやろう」ぐらいですね。 だから、ほぼ決まってるんでしょうね。 ただ「予測」に関しては、「将棋」なんかですら組み合わせの数は 人間の能力からすれば「無限」に等しいらしいですから 人間の行動を完璧に予測するのは不可能じゃないかと思ってます。 そこが面白いとこですね。 まぁ「量子コンピュータ」とか出来ればどうだか分りませんが。
お礼
おっしゃる通りだと思います。このことを証明するためにはDNAの違う健康な赤ちゃんを複数用意してDNAや性格が全く同じ両親を用意して赤ちゃんの周りで起きる出来事を全く同じにして過程を観察し大人になった時の思想、性格、能力を比較しどの程度似通っているかを検証するくらいしか思いつきません。ただ、人のDNAの違い(容姿や体型、脳の構造)このことから周囲の出来事や自分の能力に差が生じる可能性は大いにあると思います。将来的には物理法則を一つのスーパーコンピュータに入れて過去や未来をシュミレートできたら面白いことになりそうだと思います(笑)
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- ベストアンサー
- 恋愛相談
お礼
とても興味深いお話ですね。私ももっと早く自分の境遇に似たストーリーの本と出会いたかったです。 人は賢く適応能力が高いと言われているにもかかわらず一人では生きていけない動物です。一人でいきていける昆虫や魚の方がそういう点では優れているのかもしれないですね。 たぶんcucumber-y様はこの本に癒されていたのだと思います。私もすいぶん本に癒してもらいました。 私の場合ジョセフ・マーフィーの引き寄せの法則に救われました。この本には「思考は現実化する」ということが書かれていたものです。 私はいつも誰かにいじめられる、馬鹿にされると考えて行動していました。その思考は無意識に行動に現れその通りになりました。そのことに気ずいてからは明るいことを想像しながら行動してみました。すると環境が一変。前のように傷つけられることは減り前向きに生きれるようになりました。思考は出来事に多大な影響を与えていることに気付きました。いまでも宗教で救われている人の原因はこれです。 今回で締め切らせていただこうと思います。。cucumber-y様幾度もありがとうございました。