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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:源氏と平氏)

源氏と平氏の違い - 源平合戦から戦国時代まで

TANUHACHIの回答

  • TANUHACHI
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回答No.5

 黙って成り行きを眺めていましたが、回答の中ではNo.1のtさんのそれが最も適切ですね。 何も源氏だから………、平氏だから………との理由などどこにもないのですよ。実際に北条氏が源の後継者となりえたのも、当時の政権構造に起因し、その後の得宗専制へと展開し得たのであって、平氏だから滅びたなどの理由もありません。それならば室町幕府が源氏であったことを説明できないはずです。  そしてもう一つのポイントは「領国支配」の問題があります。如何に武勇に優れるとはいっても、それだけで領国経営を維持することは不可能であり、守護大名から進化した戦国大名は何れも分国法を基盤として領国支配を実現しているともいえます。   有名どころだけでみても質問者が挙げられている「源氏系」の守護大名でこれに相当するのは今川・武田・大内であり、「平氏系」では北条氏が領国支配に成功してもいます。北条が滅んだというのも、恐らくは幕府が崩壊し政権の座から去ったことと混同されていることによる勘違いかとも存じます。足利氏も将軍職にありながら「滅び」もしました。これ一つみても「源氏だから滅ばずに平氏だから滅んだ」とは言えないでしょう。  守護大名が守護職(しゅごしき)としての側面を有することも忘れてはならず、その任免権者が誰であるかも考える必要があるでしょう。  そのためにはNo.1のtさんのご指摘が妥当であると存じます。一般的(あるいは俗流といっても過言ではありませんが)経済感覚で全てを推し量ろうとするのでは、「運動としての権威と権力の相克関係」を歴史の中で見落とすこととなりもしますので、一言申し上げさせていただいた次第です。  補足 (1)元々、武士は日本の法体系からすれば想定外の存在ですから、その存在を証明するには彼等としても裏付けを必要としていた明らかで、その一例が貴姓と呼ばれる四つの家柄を求めていたことに覧られもします。  土俗が存在を誇示するには実力だけでは限界もありますから。 (2)源氏の領地は云々との部分ですが、平氏没官領が関東御領として幕府財政や恩賞の基盤となっていた部分をどう評価するかとの問題にもなり、断定は危険でしょう。領地が海国だとしても、平氏政権の財政基盤は対外貿易と国内の荘園経済に依存もしていますから、領地が海国だから豊かだったとはならないはずです。この文脈では海上交通に関する税の取り立てを行いそれが財政基盤だったと読めてしまいますから、補足をお願い致します。

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