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平家と平氏

源平の合戦で源氏と戦った一族を、昔は「平家」と呼んでいましたが、最近は「平氏」と呼んでいます。なぜ変わったのか教えてください。

みんなの回答

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1068/1663)
回答No.7

昔も今も「平家」「平氏」両方使われています。 たとえば『平家物語』でも「平家の事あしざま申者あれば」(巻一)「平氏の一類、皆六波羅へ馳集る」(巻六)など、「平家」「平氏」どちらも使われています。 現代でも、田中文英『平氏政権の研究』(2016年)という本もあれば、前田英之『平家政権と荘園制』(2017年)という本もあり、やはり、同じように使われています。 ちなみに「源家」という呼び方は、現代ではほとんどしませんが、昔は「源氏」と同様に「源家」もよく使われたようです。『吾妻鏡』には「源家之人、藤氏之人」(巻一)、「吾為源家累代家人」(巻一)など、「源家」も「源氏」とともに多数使われています。 小林鶯里『源家と平家』(1924年)、筒井敏雄『源家物語』(1943年)、渡辺保『源家三代』(1964年)、入江康範『源家の海―西行と義経』(2005年)など、調べるといろいろ出てくるので、「源家」は現代でもまったく使われないわけではないようです。

回答No.6

今でも伊勢平氏の清盛とその一門の事を「平家」と呼んでいますよ。 また、武士ではなくて文官貴族として都にいた清盛の妻や源義経の妻の一族も「平家」と言われています。 こちらの「平家」は明治維新まで存続していました。 称している家も現代まで続いています。 「平氏」と言っても清盛一門以外の「伊勢平氏」がいますし、「北条」なども「平氏」を自称していますし、他にも沢山「平氏」がありますので、区別として「平家」と言っています。 が、あまり歴史に詳しくない人が「源氏」を「源家」と言わないから「平家」も「平氏」と言うべきだ。と言い出したみたいで、そこまで歴史に詳しくない人の間であまり「平家」と言わなくなったようです。 ちなみに「源氏」も清和もそれ以外も滅茶苦茶沢山いますので、頼朝達の一族を「河内源氏」と呼んでいます。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.5

北条氏は平氏の一族ということになっているが、時政の父親の名前すらはっきり分かっていないくらいなので、僭称の可能性が高い。「北条時宗」では時宗のオヤジ(渡辺謙が演じていた)が言っていたくらいだ。鎌倉幕府で政治の実権を握った時に伊豆の土豪では格好がつかないので平氏の一門ということにしたのだろう。

  • hiodraiu
  • ベストアンサー率15% (451/2846)
回答No.4

最近っていつ頃を指しているのか分かりませんが、昭和50年代頃には「平氏」も使われていたと思います。もちろん「平家」も使われてました。

  • 5555www
  • ベストアンサー率48% (143/292)
回答No.3

昔は「平家」と呼んでいたのかなぁ???ただの「平」だったかもしれないし。それに今だって、「平家物語」ですよね。 何も変わっちゃいないと思います。今でも「平家」とか「平氏」とか見ますよ。使い方に定義になんかないんじゃないかなぁ。ただ、「平家物語」を「平氏物語」というと笑われるかもしれないけど、それだって大した問題じゃないと思う。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

 私が変えたわけではないんで断定はできませんが、以前は高名な「平家物語」の影響で「平家」と言っていたものの、もう一方が「源家」ではないことを考えると、「バランスが悪い」と思ったダケなんじゃないでしょうか。  言葉的には「平家」というと「平(たいら)を姓とする一族」(広辞苑)となりますが、「平を姓とする一族」と「源を姓とする一族」が争っていたわけではなく、清盛たちの「異姓の家臣」も争いに加わり、逆に平を姓とする一族でも争いに加わっていない者もいました。  それどころか、平家には頼朝に味方していた者さえいたわけですから(例えば政子の一族、北条氏)。  でもそんなことは昔から分かっていたことです。  「研究していたら別人らしいことが最近分かったので『足利尊氏』の画像としていたのを『伝:足利尊氏』画像に変えた」とかいうのと違って、今更変える理由にはなりません。気分が変わったダケでしょう。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

平家は平氏の一門です。ざっくり言うと、平氏のうち清盛の一族を平家と思えば間違いないです。

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