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長篠合戦=鉄砲となったのは何故でしょうか?
長篠合戦=鉄砲=三段撃ちと言うのがこれまでの定説で 私も歴史の授業ではそう習いました しかし近年では鉄砲の三段撃ちは無かった と言うのが定説になりつつあります 信長の一級資料である「信長公記」にも長篠で鉄砲の三段撃ちが有ったとは一言も書かれていないのにこの鉄砲説が広まったのは何故でしょうか?
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「信長公記』では鉄砲奉行5人に指揮を取らせたとだけ書いてあり、 具体的な戦法、つまり三段撃ちを行ったという記述はなく」 「『信長公記』には、「武田騎馬隊が押し寄せた時、鉄砲の一斉射撃で大半が打ち倒されて、あっという間に軍兵がいなくなった」という鉄砲の打撃力を示す、恐ろしい描写がある。より具体的には「長篠の戦いの緒戦で、武田軍は家老山県昌景を一番手として織田陣営を攻め立てたに対し、織田軍の足軽は身を隠したままひたすら鉄砲を撃ち、誰一人前に出ることはなかった。山県隊はさんざん鉄砲に撃たれてほうほうの体で退却し、次に二番手、三番手と次々と新手を繰り出すが、それもまた過半数が鉄砲の餌食になった(要約)」とされる。」 というように、大量の鉄砲と馬防柵の威力で当時最強だった武田騎馬軍団が もろくも敗れ去ったのは事実だったようで、それらが後世脚色され まことしやかに語り継がれたと考えるのが妥当なようです。 「最初の記述は江戸期に出版された通俗小説に見られる。それを、明治期の陸軍が教科書に史実として記載したことから、一気に「三段撃ち」説が広まったものとされる(これは「大日本戦史」として1942年に出版されている)。」 「 」内はウィキより抜粋 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%AF%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 個人的には三段打ちがあったという証拠はないが、 なかったという証拠もまたないのではないかと。 いう気はしているのですが。
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- lv48
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http://minkara.carview.co.jp/userid/160707/blog/6744061/ 上記抜粋 「そもそもなぜ真実と異なる間違った説が現在まで定着してきたかというと、江戸時代に書かれた『信長記』を元にしていることが最大の悪因です。 先の『信長記』は江戸時代に主観を交えて脚色されたもの! それが戦時中に陸軍が収載した『日本戦史』で採用されたため決定づけられ今日に至るそうです。 戦時中の陸軍は「少数でも大軍を破ることができる」ということを重視して、史実を曲げてそれを広めました。それが戦後もずっと採用され続けてきたわけです。」 以下12分余り、暇だったら見てください https://www.youtube.com/watch?v=vJy9npMnFHM
お礼
この動画テレビで放送されてたときに見ました 荒唐無稽すぎて単なる歴史お笑い番組として私は見てました
- izuhara
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鉄砲の三段撃ちがなかったという説も見直されているのが現状です。 平山優『長篠合戦と武田勝頼 (敗者の日本史)』(吉川弘文館、2014) を一読ください。現在の長篠の戦いに関する研究の集大成というべき本です。 質問の答えも実証を伴って書かれています。この本に勝る回答はできません。
お礼
私はどうもこの平山と言う作者を信用できないんですよねぇ ありがとうございます
お礼
長篠で鉄砲を使ったのは事実のようです 織田・武田双方の記述にほとんど書かれていますし 信長は弾正山に陣城を築き、つまり山そのものを砦にしてそこに勝頼をおびき寄せて撃滅したようです