• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:江戸時代の町人は、亭主だけが稼ぐ、というのが標準だ)

江戸時代の町人、亭主の稼ぎについて

川原 文月(@bungetsu)の回答

回答No.5

こんにちは。 お読みいただきありがとうございました。 あなたは落語が好きとのことですので、雑学を一つ二つ・・・。 私も落語は好きです。 落語で良く出てくる「クマさん」「八っあん」がお馬鹿の代表のように語られていますが、 ところがどっこい、長屋を借りるにしても大家の厳格な審査があり、 例えば、大工などでは棟梁(親方)などの身元保証人が居ないと借りられませんでした。 また、独身で入居して、さて嫁でももらうか・・・ となると、またまた大家の許可を得なくては同じ長屋に住むことはできませんでした。 勝手に女を連れて来て「今日からは、俺の女房だ」などと簡単にはいかなかったのです。 大家と店子は「親も同然」「子も同然」という言葉はここから生まれました。 すでにご存じかとは思いますが、 江戸は100万人の当時としては世界一の人口を誇っていましたが、 男60%、女40%位の非常に女性の少ない都市でした。 これにはもちろん、女性が田舎などから出て来ても働く場所が無かったことも大きな要因の一つでした。 従って、一生涯を独身で過ごした男たちがゴロゴロしていたのです。 庶民が嫁をもらう、と言うことは非常にラッキーなことだったのです。 そうした独身の男たちを慰めるために、吉原などの遊郭が公認されていたのです。 遊郭の遊女も「太夫」(後の花魁)「格子」「散茶」(さんちゃ)「梅茶」「五寸局」(ごすんつぼね)「三寸局」「なみ局」「次」などの階級があり、「太夫」や「格子」は、良く言われるように一晩で30両などと言われ、お大尽しか遊べませんでしたが、庶民などの安賃金の男は、「散茶」以下の安い遊女と夜を共にしました。 ちなみに、酒食の接待を除いては、 「散茶」あたりで・・・一晩20,000円位 「「梅茶」・・・・・・・・・15,000円位 「五寸局」・・・・・・・・10,000円位 「三寸局」・・・・・・・・7,000円位 「なみ茶」・・・・・・・・5,000円位 「次」・・・・・・・・・・・・3,000円位 従って、遊女たちも客に酒食を頼ませてバックマージンが、いわゆる、自分の小遣いになったのです。 楼主もそのことを承知の上でしたので、朝飯などは茶碗に半分くらいで、おかずも一品くらいしか食べさせなかったので、遊女はいつも腹を空かせていたのです。 話が横道に逸れてしまいましたが、「よもやま話」です。

park123
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございました。 1.大家は、今の時代の貸主とはかんがえられず、強い権限を持っていたのですね。「親も同然」「子も同然」とについて、私は今まで誤解していました。 2・遊女も生活は大変だったのですね。勿論、庶民の男たちも同じくらい苦労しているのでしょうが。落語では、花魁と若旦那の優雅なストーリーがありますが、それとは全く別な、お直しなどもありますね。

関連するQ&A

  • 江戸時代の町人について

    百姓は年貢を収めていましたが,商人や職人などの町人には納税義務はなかったのですか?

  • 江戸時代の町人ものでおすすめありますか?

    読書の秋ですね。 連休、そんなに予定を入れてないので本でも読もうかな~と思ってます。 そこで、おすすめがあったら教えてください。 今読みたいのは、江戸時代の町人ものです。 宮部みゆきの江戸ものや、畠山恵の「しゃばけ」シリーズみたいに 気軽に読めるものでおすすめはないでしょうか? または江戸時代の風俗をトリビアっぽく知ることができる本なんかも あったらご紹介いただけると嬉しいです。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代。町人の五人組帳。

    百姓の五人組帳については、詳しいサイトがあるのですが、町人の五人組帳については探したのですが見つかりません。 百姓を対象にしたものと町人を対象にしたものとでは、どんな違いがあるのでしょうか。 町人を対象とした五人組帳について説明した、できれば条文が出ているサイトがあれば教えてください。 京、江戸、大坂でも、どこかの城下町でもかまいません。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代。町人・村人の一人称は。

    古文書をちょっと見た限りでは、町人も百姓も「拙者」を使っていたようです。 西鶴や近松などの文芸物は調べていませんが、町人・商人・村人の一人称はだいたい何が多く使われていたのでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代の町人,百姓の支配について

    町人の支配は江戸などの町では町奉行,百姓の支配は幕領であれば郡代や代官だと理解しています。そこで町人・百姓の支配について2点質問があります。 (1)幕領以外の諸藩に住んでいる町人や百姓はの支配体制はどのようになっているのでしょうか?藩独自に江戸幕府に習った役職などを設置していたのでしょうか? (2)藩内の百姓から集められた年貢は領主である大名に納めるだけで,その後さらに幕府へ納めるということはなかったのでしょうか?

  • 江戸の町人の訴訟。

    金銭の貸し借りで揉めた場合、町人は、町役人(名主・家主・書役など)が付き添って奉行所に訴え出ることができますが、訴える役所は町奉行所ですか、それとも勘定奉行所ですか。 ”カネ”のことですから勘定奉行所ですか。 回答者によってまちまちなので質問します。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代の標準語

    江戸時代に標準語というのは、あったんでしょうか?(Q1) 一般庶民は縁がないとしても 参勤交代などで、中央の役人と話さないといけない 地方の大名かその家来は、『標準語』として江戸で話されている言葉を勉強したのでしょうか?(Q2) 京都から江戸に遷都したわけですが、言葉も一緒に『遷都』されなかった(?) のはどうしてなんでしょうか?(天皇を連れて来ただけ?)(Q3)

  • 江戸時代。「帯刀」を許された町人や百姓の刀。

    刀の長さや装飾に関して何らかの制限はあったのですか。 表向きには制限があったとしても、豪商、豪農や有力町人は、財力にものを言わせて意匠を凝らした“名刀”を作らせていたのでは、と想像しています。 豪商や豪農は、どんな刀を所有していたのか教えてください。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代:武士、農民、町人の所得

    無謀にも、江戸期の武士、農民、町人の所得を比較したいと考えています。統計的な比較は困難であろうと思いますが、下級武士の実質所得、農業雇用の賃金、奉公人の賃金など、断片的な数字を拾って、比較できないでしょうか? また、たとえば米の消費量とか、旅行に出た回数とか、銭湯に行った回数とか(?)、葬儀や結婚式の費用とか、何か間接的な比較できるものがないでしょうか? すぐにもご回答が欲しいのですが、気長に待ちますのでよろしくお願いします。

  • 江戸時代、町人が額の両端からたらしている前髪について

    この場所で質問していいものか分からなかったのですが。。。 江戸時代の町人で、おしゃれなかんじの男の人がよく前髪をたらしていますよね。 いまだと、マツケンサンバの松平健さんが粋な町人役で、額の両端からそれぞれ一筋の前髪をたらしていますが、 あれはなんという部分ですか? 松平さんがテレビでその部分について固有名詞で答えていたのですが、たしか「色○○」とか言っていたような気がします(定かではありません) どなたか、あの部分についてご存知の方、教えてください。