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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:江戸時代の町人は、亭主だけが稼ぐ、というのが標準だ)

江戸時代の町人、亭主の稼ぎについて

川原 文月(@bungetsu)の回答

回答No.3

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 基本的には亭主が稼ぐ、女房は家にいる。・・・で、正しいです。 まずは、現代と違って女性の職場というものが非常に少なかったため、限られていました。 庶民について言えば、 遊女、芸者、料亭の仲居、大店などへの通いの賄い婦や住み込みの賄い婦など。 江戸時代も中期になると、一杯飲み屋ができてそこでの女中。 さらに、上記の職業に就くにしても、身元保証人が必要でした。 では、亭主が身元保証人になれば・・・という訳にはいきませんでした。 その道には、その道のしっかりとした財力や知名度などがある者しか保証人にはなれませんでした。 ただ、後家になったような場合には「口入屋」に多少の金銭を支払うことで、保証人になってくれましたが、 口入屋にしても、例えば、仲居などに紹介をして保証人となったような場合、女が店の金銭を盗んで逃げてしまったりしては一大事。 従って、それ相応の身元調査がなされました。 <髪結いの亭主> これは、確かに江戸時代にできた言葉です。 髪結いには店を構える者と通いの二種類がありましたが、店を持てるのは男の髪結いだけでした。 ただし、男の髪結いは女の髪を結ってはいけない、また逆に、女の髪結いが男の髪を結ってはいけない、というお触れが出ていました。 しかし、好色の男にしてみれば、女の髪結いに結ってもらいたい・・・ 従って、潜りの通い女髪結いもいました。 また、遊女や芸者は当然女性ですので、女髪結いに結ってもらっていました。もちろん、通いです。 これは、公然と認められていましたし、遊女や芸者になると、毎日の仕事でしたしそれ相応の料金をもらいましたので、こうした女髪結いと一緒になった亭主は、亭主よりも稼いでいましたので、亭主も次第に堕落していったことは事実です。 ちなみに、江戸中期の史料によると、 大工の年収は・・・約120万円 遊女や芸者をお得意さまとする女髪結いの年収は・・・約200~220万円 100万円もの差があり、大工の稼ぎより良い、となれば、亭主は左団扇になるのも頷けるというものです。

park123
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございました。 <女性の職場というものが非常に少なかったため、限られてい> たのですす。女房の稼ぎを当てにできない、大多数の亭主は、外に出て行かねばならないのですね。しかし、幸運な男もいるのですね。髪結の亭主は(それなりに気を使っているのでしょうが) <左団扇> なのですね。

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