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日ソ中立条約と関東軍特殊演習

日ソ中立条約の締結から2ヶ月後の昭和16年6月、ドイツが不可侵条約を破りソ連に攻め込むと、陸軍は関東軍特殊演習の名目のもとに、満州への大幅増員をかけましたが、それでは、もしソ連の極東軍がドイツとの戦いで西進していたら、日本は日ソ中立条約を破るという裏切り行為をして、ソ連に侵攻するつもりだったのですか?

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  • ベストアンサー
  • ithi
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回答No.2

mkfdhさん、こんばんわ。 関東軍特殊演習 は本当は関東軍特種演習というらしいです。は確かに日ソ開戦に向けての兵力の動員、および演習です。陸軍は多分モスクワが陥落すれば、すぐにも条約を破棄して、会戦するつもりだったのでしょう。かなり大規模な兵力が動員されていました。 しかし、仏印進駐など南方進出を蹶起として、米、英、蘭との関係が緊張したため、そちらに対して兵力を動員することになります。その後も日米開戦や南方の兵力の不足や本土決戦のために部隊は引き抜かれ、日ソ開戦のときにはすっかり見る影もないほど、兵力、装備はは少なくなっていました。因みにソ連はこの時の演習を利敵行為とみなして、日ソ開戦のよい口実にしました。 詳細は下記のURLを参照ください。 関東軍特種演習 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E8%BB%8D%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%BC%94%E7%BF%92

その他の回答 (1)

  • eroero4649
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回答No.1

おそらくドイツ軍の勝利でモスクワが占領され、シベリアが無政府状態になったら火事場泥棒的に何か奪えないかくらいに考えていたのではないかと思います。 現実的には、極東ソ連軍と関東軍では兵力そのものが3:1になろうかというくらいに兵力差がありましたし、何より関東軍にはあの「ノモンハンのトラウマ」があったので極東ソ連軍に対して攻撃に出ることは二の足を踏まざるを得なかったと思います。

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