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日ソ中立条約破棄の時期
私はこれまで、ソ連が日ソ中立条約を破棄して対日参戦したと習ってきましたが、日ソ中立条約のウィキペディアを見ると、1945年4月5日に、ソ連が日ソ中立条約の破棄を日本に通告したとあります。 ということは、「日ソ中立条約を破って対日参戦」ではなく、「日ソ中立条約をすでに破棄していたソ連が対日参戦」と教えるべきではないですか?
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確かにwikiにはそのように記載されていますが その下のほうの 『ヤルタ会談(と極東密約』の項目のところで さらに、ポツダム会談で、ソ連は「ソ日中立条約の有効期間中である」としてアメリカと他の連合国がソ連政府に「対日参戦の要請文書を提示すること」を要求した。 と書いてあります。 ポツダム会談は1945年7月17日から8月2日ですから 矛盾したことが書いてある。 さらに下のほうには 『4月5日:ソ連による「廃棄」通達』の項目のところには「日ソ中立条約廃棄に関するソ連覚書(1945年4月5日)」が記載されています。 これは その通告の文言の資料です。 --「ソ」連政府ハ二日「ソ」中立条約ハ明年四月期限満了茲後延長セサル意向ナル旨宣言スルモノナリ---- ということで これが原文そのままだとしたら 破棄ではなく ---延長はしない---と名記されていますね。 日ソ中立条約は5年間の約束ですが 第3条:条約の効力は5年間。 期間満了1年前までに両国のいずれかが廃棄通告しなかった場合は5年間自動延長されるとしている。 つまり 1945年4月5日をもって破棄するという意味ではなく 翌年の4月以降の自動延長はしないという意味の破棄です。
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- 19satoru75
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自動延長しないことを通告した=破棄を通告したみたいな感じじゃないでしょうか
- oska2
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>「日ソ中立条約をすでに破棄していたソ連が対日参戦」と教えるべきではないですか? 色んな考え方がありますよね。 一般的には、1945年2月のヤルタ会談(イギリス・アメリカ・ソ連)時に「ソ連の対日参戦が決まった」様です。 「樺太・千島列島をやるから、対日戦争に参戦しろや!」 「ホンマか?分かった。ついでに、北海道も貰うわ」 という事です。 この密約が、北方領土問題の原点。 余談ですが・・・。 イスラエル・パレスチナ問題の原点も、イギリスの空手形が原因です。 「戦費が足りないので、寄付しろや! パレスチナをあげるから」 ※パレスチナ一帯は、当時イギリスの植民地。 「ホンマか?戦争が終わったら、直ぐ建国するわ」 イギリスとしては、戦後すぐに世界各国からユダヤ人がパレスチナに集結するとは考えていなかった。 まぁ、連合国の身勝手が招いた新秩序ですかね?
- makaay10
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日ソ中立条約は自動的に延長されるもので、戦争したいなら決められた期限までに延長の破棄を通告して残りの期限が過ぎるのを待つ。その後に宣戦する必要性があります。ロシアが延長の破棄を通告した時期は問題ないですが中立が失効してない状況で宣戦布告して侵攻してきてるんで、日ソ中立条約を破ってと表記するのが正しいでしょうね。
- nagata2017
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破棄ではなく 不延長の通告です。 参戦はヤルタ条約に基づくものです。 昭和20年(1945)2月、アメリカ合衆国、イギリス、ソ連が、ソ連にある保養地ヤルタに集まって取り決めた秘密協定ですが、その内容は「ソ連が日本に対する戦争に参加すること。 日本の敗戦において、樺太の南部とこれに隣接する一切の諸島はソ連に返還され、千島列島はソ連に引き渡される」 日ソ中立条約の有効期間中に 宣戦布告をして攻撃してきたのです。
補足
ウィキペディアには破棄、日本側は不延長と解釈とあり、争いがあるようです。具体的にどういう内容の通告があり、それをどう解釈すれば破棄なのか、不延長なのかというところをできれば知りたいです。