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明智光秀の謀反と理由

莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)の回答

回答No.7

解答ではなく、人間の行為として一人の歴史的主役の行動を見る時。 こういう効果があった、そしてこういう効益がありえた。 という観点からの分析も大いに有益であろう。 しかし人間の行為動機や目的や心理は意外に単純であり、また奥深いものであろう。 私は、その時の心の弾みも大きいと思っています。これは思慮を越えた行為へと押すものですね。 色んな動機とともにその時の光秀なる才人の心中がどうメカニカルな起伏をしていたかが大きいと存じます。 歴史学とは私は文学であるとかねがねおもっているが、この歴史選択の心中は寧ろ、小説を書くように思うと真実的実在が描かれてくると思う。 たぶん、油断して冷静をかいた出来心でしかないのだろうと。

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