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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:『本能寺の変』明智光秀の動機は何だと思いますか?)

明智光秀の謀反の動機とは?

このQ&Aのポイント
  • 『本能寺の変』明智光秀の謀反の動機には何があったのか?信長からのパワハラ、コンプライアンス違反、統一した日本に希望が持てなかったなど、様々な説が存在します。
  • 明智光秀が謀反を決めた最大の動機は何だったのでしょうか?信長からのパワハラや領地問題、天皇を放逐したこと、仏敵であることへの不満、統一された日本への希望の喪失など、数々の理由が考えられます。
  • 明智光秀が謀反を起こした背景には何があったのでしょうか?信長との関係悪化、領地問題、文化的な違い、個人的な不満など、さまざまな要素が絡んでいました。明智光秀の謀反の動機について考察してみましょう。

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noname#236410
noname#236410
回答No.12

私は1と4です。 明智光秀は、日常的に信長にパワハラを受けていてうつ状態だったので 仕事を任されても自分の力を十分出すことができなかった。 結果、怒られて評価が下がるという悪循環。周囲は、 「わー。また始まったよ。でも、光秀君が当たられてくれている間は こっちにとばっちりこないしなあ」とちょっと引きぎみだった。 魂抜けたような毎日を過ごしていた光秀だったが、 機会があったので謀反を起こしてしまった。 「むしゃくしゃしてやった・・・。後悔はしていない。 とりあえずこれでもう信長にいじめられることはない。」

oya_zico
質問者

お礼

ronjeさん、お礼が遅くなり申し訳ございません。 >日常的に信長にパワハラを受けていてうつ状態。 うまい!『鬱』と『討つ』が掛け言葉になってます(笑) 光秀の連歌『時は雨』が『土岐は天』に似ています。 窮鼠猫を噛むってこともあるかもしれません。 >仕事を任されても自分の力を充分に発揮できなかった。 確か、山岡宗八の歴史小説だったかな、光秀が最初に大失敗したエピソードは 徳川家康に対する接待で、何かしらの理由で大量に購入した魚を廃棄することになり、怒った料理人が魚を腐らせて腐臭で大変な事になったとかならなかったとか。 次に怒られたのが、毛利攻めが中々上手く行かないこと。みんな戦力がカツカツで協力プレイが上手く行かなかったらしいという噂も。 ちなみに、私の同僚も、光秀ほど優秀では無いが、ジャイアン上司にやられっぱなし。 自分のところに、とばっちりが来ないよう願う気持ちは良く分かりますし、彼の辛さもひしひしと伝わってきます。 ただ、その同僚は、反抗よりは、逃避ばかりしてますね。 ご回答ありがとうございました。

oya_zico
質問者

補足

『明智光秀は、病気だった。うつ病になるほど追い込まれていた。』 ふ~う、この可能性については、恥ずかしながら、そこまでは考えても見ませんでした。 パワハラは受けていたとしても、病気とまでは。。。 でも、よくよく考えてみると、光秀は(marcさんがおっしゃる通り)超が付くほどの真面目(居士?)。 現代においても、真面目で賢い人ほど、うつになると言いますし、 それに、実際に、古参幹部でも失敗すれば信長に領地を召し上げられていた事実があり、更に追い込まれていたこと、 そして、isokenさんの病気説の解説を読み、筋が通っている話だと思いました。 光秀としては、私欲ではなく、 一族郎党を守るためという大義名分、延暦寺に火をつけ将軍を追放した信長を倒すという大義名分があると考え、 更に、 パワハラされている自分に対する薄っぺらい同情を、自分への惜しまぬ協力と勘違いしてしまったのかもしれませんね。 確かに、病気であれば、冷静な判断力を失い、沢山の情報から、自分に都合の良いよいことばかりを取り上げ、その結果、見るも無残な3日天下となったとしても納得出来ます。 ronjeさん、私に、最初に病気説を教えていただきありがとうございました。 それから、本当に、皆様、色々な面白いご意見、ご回答をご紹介頂きありがとうございました。 (ちなみに私は、正しいかどうかは別にして、やはり、自分の希望も含めて、病気説よりも、秀吉陰謀説が好きですけどね~。)

その他の回答 (16)

回答No.17

今日は、事故調さん。こりゃまあ、ニンニンの問題かなぁ、、 事変直後に各地に潜んでた伊賀忍者が小規模ながら一斉蜂起したそうで、第三次天正伊賀の乱,とも言われてる。 明智殿は、前年迄の伊賀攻めに不参加の様なので、信長に駆逐された忍の者を当てにしたか?~光秀の所領は近江に加増されて丹波の国。此処に伊賀衆は逃げ込んでましたね。~主に伊賀焼の陶工ですが、誰が忍か判らぬ土地柄。当然忍者も含まれ此れは、江戸時代に岡山池田藩のお抱えになった資料が近年出てます。調略法で麻薬の扱い方も詳述されてる。ハシッシュでのアサシンと同じか⁈~伊賀の乱の将は上忍筆頭の,百地丹波(三太夫)だしね。 ~処が、信公と同盟の,神君家康が伊賀越えに、茶屋四郎次郎と,服部半蔵が伊賀の山賊を説得し協力を取り付け、難無く脱出出来た。 家康は寝耳に水で、当初は死を覚悟。堺に滞在当日の供回りは30数名で四天王も含まれ、捕われたら致命的。~なのに明智は何故取り逃がしたのか?其れが不思議!~伊賀衆に裏切られたか?、徳川方は這々の態で逃げたのだから明智と内通してたとは思えません。殺害しない迄も、捕虜にして味方に引き込めば違う展開も可能だったのでは? ですから、ご子孫の明智憲三郎さんが主張する、家康との共謀説は成り立たないと思う。~しかしながら結果的には、此れで徳川の天下の芽が出た訳です、信長存命では叶わない。後々は明智に感謝の意を持ったとも思えます。天海伝説も其れを匂わす。 家光の 乳母: 春日局;お福さんの父ごは斎藤利三、光秀側近ですからなぁ。 ~動機というなら、既に皆様仰る様な事でしょう。白隠禅師も罹った心火逆上なる心身症ですかね。信長とは相性悪過ぎ、互いが解らない。他の主君に仕えれば優秀な官僚だったと思いますが、真面目居士は冗談でも弄ると根に持つ人居ますね。 猿様だって長浜に蟄居させられたり散々雑言浴びせられたけど身分違い過ぎて蟠らないか。比べると光秀は自尊心が可成り強そうです。~信長殿は丹波の領国経営を褒めた書状も残したのですがね、扱い間違えた哉。~今でも六古窯の一,丹波焼の里訪れると、明智さんは名君と慕われてる様。~時代劇で丹下左膳らがぶら下げてる文字入りの徳利は大抵丹波 http://www.kikumasamune.co.jp/toshokan/10/10_05.html 貸徳利 通い徳利 http://www.hi-net.zaq.ne.jp/yousan/core-room3-6.htm ~情勢を、信長の敵、と云う切り口でも少し考えてみます。 叡山の山法師。一向宗、石山本願寺、その討伐には 明智も参戦してるので、当てには出来ないかな。では浄土真宗とは別の密教系で、根来寺。 さらに分裂気味で何方にも付く雑賀衆、孫市の鉄砲隊。紀州の惣国勢力は祭ろわぬ者共なので厄介だ。山の民は鉱山と蹈鞴の技術を独占し鉄砲拵え、更に海の民でもある。~根来と雑賀鈴木孫市は当初、木下藤吉郎の友らしく親織田派でしたが、石山合戦の後には秀吉に徹底して攻め込まれます。敗残者は非人に落とされ、後の被差別部落に繋がってる。京都の次に部落が多いのが和歌山と兵庫だと云う。カムイ伝が非人部落出自なのも故ある哉。 〈 紀州攻め〉太田城水攻め。刀狩も此処が端緒だ。此れで地侍の中世が終焉し、無縁の界と云う不可侵性が終るのですね。寺社と惣国の自治の象徴、此の地が重要なのは、徳川政権が御三家を置いて直轄した事でも明らかです。 明智勢はどうも、寺社や雑賀とも通じてた感は有りますが、さてどうなのか? 朝廷も期待はしてたのでしょう。反信長の公家と足利将軍家。毛利水軍、雑賀と長宗我部の連合軍、どう通じてたのか?、細川さんは当てに出来ません、機を見て逃げ出します。 後ろ盾、密約 も有ったかも知れませんが、登った梯子外された感ありですね。 忍者学は史学から排除され続け、漸く今世紀から真面に扱われるよになったので、此れから未だ史料が出て来ますよ。一寸前迄は 神保町で二束三文濡れ手に粟だったそうで、明智探偵事故長さんは捜査に行って下され、一攫千金かも。謀反は金儲けてからで(^^;。 あと地方の旧家や収集家が相続無く廃絶が増え、旧い物の値打に不明で其の儘ゴミと扱われる事態が出来し始めてます。鑑定団では廃屋から尾形乾山の皿が出たなあ。

oya_zico
質問者

お礼

marcさん、お礼が遅くなり申し訳ございません。 舛添さんのところにも事故?調査委員を派遣しましょうか? ヤメ検(元検事)よりも情報収集に優れた元伊賀忍者の方が有効かもよ。 ただ、お金に忠誠を誓うのであれば、どちらでも同じかもしれません。 (↑) こんな風に書きましたが、そもそも、忍者自体何者なのかも判っていない。 忍者が出て来る書物って漫画とか小説しかなくて、読んだ小説は、 『忍びの国』『真田太平記』『風神の門』『あずみ』『忍者ハットリくん』『さすがの猿飛』『伊賀のカバ丸』くらいで、全然当てにならない。 その中でも和田竜の『忍びの国』は、正に天正伊賀の乱を描いたものですが、あれは、もうファンタジー。 多くの忍者が、棟梁の幼少時からの洗脳で操られるも、一人だけはマインドコントロールから逃れ、好いた女とお金を稼ぐためだけに生きる。 そうなんですよ~。読み終えて、忍者が、より分からなくなってしまいました。 それにしても、明智光秀って、忍者とか身分の低い下々の人間と付き合うようなイメージが全く無い。 朝廷とか公家とか将軍家とか宗教界の重鎮とか、そういった方々とは良好な関係を築きそうですが。 だから、私のイメージでは、第三次天正伊賀の乱は、後出しジャンケン? 信長が死んだのを知ってから、今がチャンスと準備もなく慌てて蜂起した。そんな気がします。 ただ、百地三太夫が、こっそり明智光秀の寝所に忍び込み、ダメ元で『信長を討て』と催眠術(暗示)をかけていたとすれば、新説、本能寺の変の真相!!! ふ~う、そんな忍者関連の資料が、門前仲町の骨董市に並んでないですかね~(笑) 新しい視点からの、面白いご回答ありがとうございました。

  • kamejrou
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回答No.16

こんにちは 面白い質問をされる No 15の方が諸説出尽くしている中で常識的な説をとると言われる 仰るようにそれが一番分かり易く、 私自身もおそらくはそうであったろうか?思いもするのですが 敢えて別な見方をしてみたい 「本能寺の変」の2~3年以前、 重臣、佐久間信盛並びに林、丹羽などを信長、追放する訳ですが 光秀、明日は我が身と考えたことはこれは想像に難くない No15の方の仰るとうりかと ただ、私がここで疑問に思うのは光秀は信長旗下で随一の知将と言われた 果たして一時の衝動的な判断で謀反を起こすに至るだろうか? 家臣、妻子を含めれば何万と言う一族郎党 私はそこ迄の鬱、あるいは錯乱状態であったとは考えられないのです 秀吉の「大返し」が早すぎたと言われる方もおられる ただ、遅かれ早かれ勝家も秀吉も駆けつける 光秀、尋常な精神状態であったと仮定すればですが 細川、井筒などの合力のみを頼りに謀反を起こすだろうか? 私はおそらく光秀成算あっての事ではなかったろうか?そう考える ならこれは天皇と結ぶしかない 時の天皇は正親町天皇です 信長は入洛のさい天皇を手厚く庇護しておりますが 私に言わせれば天下平定の為に天皇の権威を利用しているのに過ぎない 信長と言う武将は権威と言うものに無縁の世界にいる 天皇がそれにお気付にならない訳がない なら、尊皇の志の篤い光秀に自分が後ろ楯になってと 考えても満更これは不思議な話しでもないように思いますが おそらく利害が一致した事は十分に考えられるのです 「宣旨」でもあったろうか? このような例は歴史の中には実に多いのです 近くは幕末、天皇水戸家に密かに「宣旨」を出されるのですが 首尾一貫しない、為に水戸斉昭蟄居に追い込まれる これはある意味明治維新までの天皇と言うものの宿命と言えるでしょうね 光秀、誤算があったとすれば 天皇と言う存在への過度の信頼、私はそれであったろうか? そうも考えますが、いずれにしても又これも推測に過ぎません No15の方と少し違う見方をしてみましたアハハハ

oya_zico
質問者

お礼

kamejrouさん、お礼が遅くなり申し訳ございません。 『信長の棺』を読んでらっしゃったとは、読書でもkamejrouさんには敵わないですね。 >光秀、誤算があったとすれば >天皇と言う存在への過度の信頼、私はそれであったろうか? 朝廷&公家陰謀説、 敢えて、違う説を選択していただきありがとうございます。 確かに、光秀は将軍家や公家側に近い人達と仲が良かったと言われていますし、この説の方が妄想をかきたてられて楽しいですよね。 『信長の棺』でも、その様な描写がありましたし。 でも、山岡宗八の『織田信長』では、信長の父の時代から天皇に寄進(寄付)をしていますし、 他の本では、信長も父親同様、天皇家には気を遣っていたという話ですし、公家の近衛文麿卿とも蜜月状態だったとも言われている。 そして、おっしゃる通り、光秀がそこまで愚かだとは思えない。 そこで出て来る説が、(光秀に罪を擦り付けての)秀吉(官兵衛)謀反説。 闇にまぎれて明智軍を装っての、本能寺襲撃。 そして、光秀謀反との噂をばら撒き、反論が出来ない内に一気にカタをつける。 ふ~う、雄大な歴史ロマンに思いをはせながら、色々妄想させて頂きました。感謝です。 ご回答ありがとうございました。

  • isoken
  • ベストアンサー率32% (596/1825)
回答No.15

zico さん、おはようございます。 「 近藤~~です !」 ・・、鶴太郎のギャグで一世を風靡した 近藤正臣 さんという俳優さんがおりますね、今は 『 真田丸 』 に本多佐渡役で出ておられる・・。 私の中の明智光秀像は彼に被るんです、・・というのもその昔NHK大河『 国 盗り物語 』 で光秀を演じまして、ついでに申し上げるとその妻 お槙 の役が当時の人気女優 中野良子 お姉様、そりゃもうお綺麗だった、話が横道に逸れてすみません。 ・・と言う事で 本題、 >『本能寺の変』明智光秀の動機は何だと思いますか? 本邦の歴史としての本能寺は関ヶ原と並び、最大級の興味の対象と申し上げても過言ではないでしょう、依ってありとあらゆる仮説は出尽くしている、但し私はごく常識的な説を取ります。 さて北に数万の軍勢を率いた柴田勝家、西には5万の毛利勢に対峙するに十分な兵力を持った羽柴秀吉・・、つまり信長の寝首を掻いた途端、その他合算すると10万を超える兵が彼の首一つを目掛けて襲い掛かって来る・・、しかも彼等の目の前に 「 主君の仇討ち = 大手柄 」 という巨大な人参がぶら下がるとなれば、世界一の楽観主義者がどう絵図を描こうとあの客観情勢で謀反の成就は見込めないでしょう、それほど光秀は精神的に追い込まれていた・・、そういう事であったのであろうと・・。 無論動機は恨み辛みそして死への恐怖・・、信長からのパワハラに依り今で言うノイローゼであったのでしょう、かつての重臣 佐久間信盛 ・ 林佐渡 の憐れな追放劇を身近で見ておりましたからねぇ、多くの一族郎党を抱える彼の立場で社会的抹殺は死にも等しい、・・であるなら殺られる前に殺っちゃえと・・。 謀反自体にさほどの躊躇いはなかったでしょう、統治する側の論理としての儒教的倫理観が根付くのは遥か後年江戸初期に於いてです、しかも彼は信長の子飼いではありませんから。 その一方で信長を殺すまでの成算は無論充分、但し織田家一の怜悧な頭脳と称された光秀にしてはその後がなっちゃない・・まあ子供並みの戦略と言っていい、その点こそが彼が心の病を裏付ける証左ではないかと思います。 与力の筒井順慶・細川幽斎を抱き込んだ上で、毛利・上杉・長曾我部そして南紀の本願寺残存勢力に依る織田包囲網・・、漠然とそんな策を思い浮かべていたのではないでしょうか、ところがその思惑がルノアールのココアより甘かった。 明智本隊は僅か1万数千、あてにした筒井順慶はその与力を合わせても45万石の勢力でしかない、つまり総浚いしても動員能力は精々1万・・、細川幽斎に至っては12万石・・つまり3千がやっと。 そもそもそれ以前の話として、次代の天下人を嗅ぎ当てる幽斎の嗅覚は殆ど名人芸の域・・、神算鬼謀と申し上げても過言ではないでしょう、先ずは足利義昭を見限り織田信長に付いた、次いで秀吉そして家康・・、彼の読みには一点の狂いもない、故に細川氏は紆余曲折を経て肥後一国50余万石を束ねる大大名となる、つまりあの客観的情勢下に於いて光秀に加担する訳がありません。 他方毛利の外交は小早川隆景という出来物に委ねられておりましたが、彼は織田家の内紛に乗じて中原に討って出るほど甘い武将ではない、加えて元来毛利の家風は冒険そして天下を望まなかった、他方脆弱な長曾我部に中原での争覇は無理な注文、残る上杉にしても当時は領内に敵対勢力を抱えて四苦八苦しておりましたから、恐らく1万内外の動員能力しか持たなかったと思われます。 他方本能寺の手薄な布陣は、信長の思考法の裏側にあったのではなかろうかと・・、つまり信長という合理主義者にとって、当時彼を亡き者にする事でメリットを享受する家臣が見当たらなかった、仮に光秀に二心があったとしても、その反作用を考えれば謀反など起こせるはずもない、・・とすれば必要でない兵を傍に置くのは無駄な事であり、一兵でも多く戦場に送った方がいいと・・。 あにはからんや当の光秀の精神状態が尋常ではなかった・・、つまり本能寺に至る本質とは信長の心の隙と光秀の心の病、まあ面白いものです。

oya_zico
質問者

お礼

isokenさん、お礼が遅くなり申し訳ございません。 真田丸、毎週、楽しく見させて頂いてます。 「 近藤~~です !」とネタにされていた時の二枚目イメージなど微塵も感じさせず、 表裏のある、徳川タヌキ軍団一の知恵者をシブく、そして相変わらずニヒルに演じてらっしゃいますね。 >というのもその昔NHK大河『 国 盗り物語 』 で光秀を演じまして、ついでに申し上げるとその妻 お槙 の役が当時の人気女優 中野良子 お姉様、 そうだったのですか? 近藤正臣さんは、てっきり現代劇ばかりだと思っていました。 でも、そう言われれば、明智光秀のイメージとも合いそうですね。 中野良子 お姉様、素敵ですよね。上品で美しくて。可愛いところもあるし。 >光秀ノイローゼ説 ふ~う、実は私、光秀がノイローゼだったとは考えても見ませんでした。 でも、そういわれてみれば、知恵者らしくない余りにも酷い末路についても辻褄が合う。 ん?ということは『 国 盗り物語 』 の光秀もノイローゼ気味だった? あ~『 国 盗り物語 』見てみたい!!! 最近、私の妻が『とと姉ちゃん』見たさに、NHKオンデマンド?で朝ドラをまとめて観ているのですが、そこに『 国 盗り物語 』がストックされていないのかな?今度チェックしてみます。 >合理主義者の脳 『まさか、あの光秀が!!!』 同じ合理的な頭脳を持っているはずの、あの光秀が! 延暦寺焼き討ち等、まさかと思うこと、するはずが無いことをやり、のし上がってきた信長が、まさかと思うことをやられてしまったとは、皮肉な結果ですね。 う~ん、興味深い説です。 非常に勉強になりました。ご回答ありがとうございました。

  • citytombi
  • ベストアンサー率19% (1721/8628)
回答No.14

多分、こういう理由だと思います。 https://www.youtube.com/watch?v=_b77mjDbips

oya_zico
質問者

お礼

citytombiさん、お礼が遅くなり申し訳ございません。 面白い動画ですね~笑。 体を使ってリズミカルに歴史を覚えるとは!!! 確かに、本能寺の変の当日には坊主が宿泊していて、黒人と茶器と一緒に脱出したとかしないとか。 そういえば、安土城を設計したときの棟梁、岡部又右衛門は、山本兼一の小説『火天の城』において、信長と一緒に死んだことになっているが、生き延びて織田信雄に召抱えられたという話もある。 『火天の城』説では、安土城の天守閣には特別な部屋があり、信長はそこに天皇を住まわせようと画策していたらしい。 そこで、信長は、『信長の治世は安心』だということを天皇に示すためにも、少人数で本能寺に宿泊したと書かれていたが、この踊る本能寺の変の説では、お茶会から宿泊まで、全て光秀がセッティングしたとされている。 う~ん、どっちだろう・ では、折衷案を採り、動機を想像(創造)してみよう。 踊る本能寺の変にあった動機は、長い間、ハゲだといじられたことが原因とあったが、それは普通だから却下、 その代わり?、光秀のセッティングで本能寺に宿泊することになったを、正解としましょう。 『天皇を安土に移すため、天皇を説得させるために、ティーパーティで、天皇のご友人を接待して下さい』 光秀はそう信長に言いつつも、実際、光秀が一番怖れたのは、 信長が天皇を安土城に拉致監禁し、傀儡政権を作り恐怖政治を断行することだった。 この機会を逃せば、天皇を手に入れた後では、誰も信長に逆らえなくなってしまう。 準備(根回し)はまだ整っていないが、やるしかなかった!!! ふ~う、申し訳ございません。また、妄想してしまいました。 面白いご回答ありがとうございました。

回答No.13

1? 「自尊心を傷つけられたから」・・・色々あったのではないでしょうかね?大きな動機というより、色々重なった事によって・・・チャンスが到来したので「えいっ」ってやっちゃって、今後の事をちゃんと考えずにやってしまった結果、3日天下になった?ちゃんした根回しも何もしてなかった??だとしたら、計画的ではなかったのかもしれないと想像(苦笑)そういうのは最終的には失敗する・・・終わるって事ですかね~~

oya_zico
質問者

お礼

gozyou3553さん、お礼が遅くなり申し訳ございません。 >大きな動機というより、色々重なった事によって 最初は、自分に無いものを持つお互いを認め合う良い関係だったのに、少しずつ、色々な事が気になり出し、嫌な部分が見え始め、でも、光秀は不満を口に出来ないマジメ過ぎる性格のため発散できず心の中に蓄積するだけ、そしてついに、DVを受けたことで、怒りが爆発し、凶行に及んでしまった。。。 (gozyou3553さんの考えと違ってたら申し訳ございません) う~ん、ありえる。 積もりに積もった恨みを、何処にも持っていけないのであれば、『えいっ』ってこともありえるかも。 >今後の事をちゃんと考えずにやってしまった結果、3日天下になった? >ちゃんした根回しも何もしてなかった?? でも、この場合、根回しはかなり難しいかも。 バレたら最後、坊主さえ殺されるということで、血判状等、謀反の証拠を残す事も出来ない。 血判状が無いので、誰が覚悟を持つ味方なのかが分からない。 それに、もしかして、京言葉??? そう言えば、京都の言葉は、思わせぶりだと聞いたことがある。 例えば、『良かったら、デートしてくれませんか?』に対し、京都の人は、『ええ、今度行きましょう』と返答するのですが、実際にデートすることはほとんど無く、返事だけは良いそうです。 『謀反しようと思ってるのですが、良かったら協力してくれませんか?』に対し、『ええ、分かりましたよ』と期待させる返答をするも、実際には動かなかった、ってこともある? ふ~う、脱線して勝手な妄想を膨らませてしまい申し訳ございません。 ご回答、ありがとうございました。

回答No.11

(5)モンストで仲間外れにされた 本能寺の変とそれに続く三日天下は後から見れば場当たり的で無計画、無謀そのものに見えます。 当時、織田家の家督は信忠が相続していましたから、織田家転覆を狙うなら信長と信忠を同時に弑しなければなりません。記録によれば本能寺で信長が自刃した時点でも二条城に明智軍は到達していません。だとすると信忠はいくらでも脱出のチャンスがあったはずです。ところが信忠はその場から動かず、結局切腹しています。 光秀の謀反は結果的には上手くいきましたが、信忠脱出の目があったとするなら、あまりにリスクの高い暴走としか考えられません。 しかし光秀は当時知られた教養人でしたし、武将としても信長から軍団の一つを任せられていたのですからそれなりに優秀だったはずです。 その彼がほとんど丁半博打のような行動に出るとは考えられません。 本能寺で信長を討った後で二条城に向かっても十分だという根拠があったはずです。 とするなら、謀反を成功させる根拠として、信忠は脱出出来ない、脱出しても無駄、ということだったのでしょう。 それは京都周辺にいる全員が仲間だったということでしか説明できません。 本能寺の変当時、京都周辺にいた人は以下の通り(◎は光秀配下の武将)です。 細川藤孝:光秀の与力大名、親戚 高山右近:光秀の与力大名、津田宗及を通じて茶の湯仲間 中川清秀:光秀の与力大名、津田宗及と旧知 池田恒興:光秀の与力大名 筒井順慶:光秀の与力大名、友人 丹羽長秀:津田宗及と交流 神戸信孝:津田宗及と交流 蒲生賢秀:信長の忠臣 明智秀満◎ 山崎片家◎ 斉藤利三◎ 阿閉貞秀◎ 蒲生賢秀だけは信長の忠臣ということもあって金で買収しようとしていますが、それ以外は何らかの形で光秀と縁があります。 中でも津田宗及がキーマンで、本能寺の変前年から光秀に急接近している人物です。 本能寺の変の直前には、茨木城で羽柴秀吉、津田宗及、中川清秀の密会が行われています。 おそらく、秀吉(及び黒田官兵衛)の意向を受けた津田宗及が光秀を動かしたのでしょう。 そして、本能寺の変後、これら宗久がらみの人物たちは秀吉に組して光秀を討つ側に回ります。 みんな友達だと思っていたのがいきなりハブンチョですから、光秀にしてみればポカーンだったでしょうね。 このことからあなたが学ぶべき教訓は、実行犯は所詮使い捨ての下っ端に過ぎないということです。 奥さんに謀反を起こすなら、あなた自身が実行するのではなく、他の人を使って討つというのが賢い方法でしょう。

oya_zico
質問者

お礼

GIANTOFGANYMEDEさん、こんにちは。 (5)モンストで仲間外れにされた 信長と光秀が仲間になってモンスターを倒すんじゃなくて、 信長がモンスターだったのですね。 ふ~う、非常に面白い説ですね。キーマンは津田宗及ですか~。 確かに、堺から高い税金を徴収した信長に対する恨みはあったかもしれないが、 逆に、信長に重用されたという話もある。 そういえば、光秀が『時は今 雨が下しる…』と詠んだあの有名な歌会にも、黒田官兵衛と仲が良い歌人?が出席していたらしいですよ~。 黒田官兵衛も、信長の命で息子が殺されそうになったこともあったし、恨みがあるといえばあるんですよね。 >光秀にしてみればポカーン 高い木に登らされた後で、ハシゴを外された気分? でも、光秀がそんなマヌケだったとは思いたくないという気持ちも働きます。 >このことからあなたが学ぶべき教訓は、実行犯は所詮使い捨ての下っ端に過ぎないということです。 >奥さんに謀反を起こすなら、あなた自身が実行するのではなく、他の人を使って討つというのが賢い方法でしょう。 ご教授ありがとうございます。 ただ、他人に頼むにしても依頼するためのお金が無い、 結婚した直後に、刀狩(カード狩)、 そして、既に妻からの兵糧攻め(小遣い少な目で美味しい弁当)で、生かさず殺さずの生活、謀反する元気もありません(笑) ご回答ありがとうございました。

  • 2012tth
  • ベストアンサー率19% (1893/9468)
回答No.10

50代♂ (6)その他 現在、最も↓有力視される新説。 http://biz-journal.jp/2015/07/post_10593.html 織田信長を殺したのは、明智光秀ではなかった? 黒幕は宣教師?新説・本能寺の変

oya_zico
質問者

お礼

2012tthさん、お礼が遅くなり申し訳ございません。 リンクありがとうございます。 『信長の棺』、 これは、柔道で言う、併せて一本!!!という感じですかね。 光秀が謀反を起こすに違いないと予想した秀吉は、脱出路を塞ぐという形で、間接的に信長を。。。 いや~面白かった~! 確かに、宣教師にも2種類、 (1)紳士的に布教のみを目指すタイプ (2)武力行使も辞さず領土化を目指すタイプ 居たと思う。 そうですか~、信長を操って日本統一を目指すも、危険思想の持ち主だと知り、光秀に討たせた? そういえば、坂本竜馬すら、西欧人の傀儡だったとする説もありましたね。 でも、傀儡説は正直ツマラナイ、日本民族として面白く無い説ですよね。 ところで2012tthさんは、どの説が一番、納得出来ますか? ここは学会じゃないので、思う存分、妄想出来ますよ~(笑) ご回答ありがとうございました。

oya_zico
質問者

補足

申し訳ございません。 (2)は間違いでした(涙)信長が放逐したのは、天皇ではなく将軍でした。

noname#234143
noname#234143
回答No.9

(1)信長からのパワハラに耐えかねて(DV、領地) (3)信長が統一した日本に希望が持てなかった もし自分が明智光秀だった場合この選択肢になります。

oya_zico
質問者

お礼

iPhone9Sさん、こんばんは。 (1)信長からのパワハラに耐えかねて(DV、領地) 大河ドラマ『真田丸』でも、一瞬だけでしたがパワハラDVシーンがありましたし、 領地についても、土岐一族を各地から集めてようやく安定させた領地を召し上げられて、取ってもいない敵地を新領地にするという信長からの命令、 これが、本能寺の変の決定的な原因になった、という一番信じられている定説ですよね。 (3)信長が統一した日本に希望が持てなかった この動機は、光秀自身(または光秀の子孫)が個人的に、信長の下では、息も自由に吸えないくらい窮屈であろうと考えたから? それとも、日本国そのものの将来を憂えてのことでしょうか? 確かに、仰る通り、私も、こんなパワハラオヤジの下では安眠すら出来ないかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。

oya_zico
質問者

補足

申し訳ございません。 (2)は間違いでした(涙)信長が放逐したのは、天皇ではなく将軍でした。

回答No.8

大福さんお邪魔します 私は歴史モノにとんと疎いんですが、この中では4でしょうか? 他の歴史上の争いって「◯◯の乱」とか「△△戦争」って言うのに、どうして「本能寺の『変』」なんですか? (まぁ、今で言うクーデターですから戦争とは違いますけどね) きっと明智光秀も心ここにあらず、一種の気の迷いでもあったのでは? 出る杭は打たれるのではなく抜かれるのが世の常です

oya_zico
質問者

お礼

michiyoさん、お礼が遅くなり申し訳ございません。 それにしても、わざとボケてみた『(4)むしゃくしゃしてやった』に一票を入れて頂けるとは、 流石、関西人!感謝しております。 『変』と『乱』の違いは、ザックリ言えば、クーデターが成功すれば『変』、失敗すれば『乱』です。 しかし、中には例外もあり、クーデターに失敗した『由井正雪の乱』のことを『慶安の変』とも言いますから、あくまでザックリ分類ですね。 ちなみに西南の役の『役』は、地方反乱を意味します。 >きっと明智光秀も心ここにあらず、一種の気の迷いでもあったのでは? 信長からのプレッシャーに耐えかねて薬物依存、朦朧とした頭とハイな気分、気が付いたら謀反してた、なんてことは無いですよね。 ご回答ありがとうございました。

oya_zico
質問者

補足

申し訳ございません。 (2)は間違いでした(涙)信長が放逐したのは、天皇ではなく将軍でした。

回答No.7

(6)で、 いろんな人から、 「次の天下人は光秀さんしかいないっす」とか 「信長さんより光秀さんのほうがたぶんうまく日本を牛耳れると思うんすよねえ」とか 「支持するのでがんばってください」 「明智さんがボスになったらマジ一生ついていきます」 とかなんとか乗せられてその気になってしまって、やってみた。

oya_zico
質問者

お礼

96megabrownさん、こんにちは。 いや~この気持ち分かるわ~ 『兄さん!』とか『社長!』とか煽てられると、つい、財布を出しちゃいますから(苦笑) でも、用心深い戦国武将が、そのような煽てに簡単に乗せられてしまうのか?という疑問もありますが、 もし、明智出来杉くんが、スネオやのび太、しずかちゃんから、 「出来杉くんに一生付いて行くから信長ジャイアンを倒して!お願い!」と繰り返し哀願されたとすれば、 「みんながそう言うのであれば」と、魔が刺したかのように、謀反を起こしちゃうかもしれませんね。 興味深いご回答ありがとうございました。

oya_zico
質問者

補足

申し訳ございません。 (2)は間違いでした(涙)信長が放逐したのは、天皇ではなく将軍でした。

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