• ベストアンサー

介錯人が首を切り落とすまでにかかる時間

jkpawapuroの回答

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (812/3033)
回答No.4

一瞬で切るのが基本で理想です。 ですが人間の背骨というのは固いもので、なかなか一刀両断とはいきません。ですが骨と骨の隙間、椎間板なら簡単に切断できます。 これは料理をする人間ならわかるのですが、鱈などをぶつ切りにしようとすると、骨に包丁が当たると切れません、ですが軟骨部分にあたれば簡単に切れます。ですので力を入れて切ろうとせず包丁をトントンと二・三度軽く振りおろします。 おそらく一太刀目刃が弾かれても、二三度振りおろせば簡単に切れるでしょう。 話は変わりますが武市半平太は切腹のときあえて三文字の切腹を行ったため、倒れてしまい首を切ることができず介錯人は胸をついたと言われています。要は介錯人の役割は瞬時に苦しまないようにすることで、首がすぐに切れないとなれば手段は問われなかったのでしょう。

uvdpxvpysxc
質問者

お礼

回答頂きありがとうございました。

関連するQ&A

  • 切腹って首を切る事を言うのでしょうか?

    「介錯」と言う言葉について調べていたのですが http://www.weblio.jp/content/%E4%BB%8B%E9%8C%AF を見ると、(2)に 「切腹をする人のそばにいて、その首を斬ること。また、その人。」 とかかれています。 「切腹」はお腹を切る事だと思っていたのですが 首を切る事を言うのでしょうか? 首を切る事は斬首だと思っていました。

  • 日本史史上最年少の介錯人は誰ですか?

    タイトルの通りです。 ふと疑問に思ったのですが、日本史史上で最も若く・幼くして切腹の介錯を務めたのって誰でしょうか。 沖田総司の甥の芳次郎もかなり若くして務めたと思うのですが(数え14、13の説もあり)、それ以上若い方っておられますでしょうか?

  • 介錯棒の使い方

    演劇の照明のシュート時に灯体のどこに介錯棒を当てて、首上げ・下げなどをしていいのかが分かりません・・・

  • 江戸時代の切腹:本当に切るの切らないのか誰が決める。

     江戸時代の切腹は、江戸初期では実際にお腹を切っていましたが、江戸中期になると刀や扇子を腹に当てるだけで介錯人が首を落としてお腹は切らないのが一般的だったと聞きました。江戸末期になると、またちゃんとお腹を切る切腹が一般化した様で、堺事件や神戸事件の時など、外国人の前で立派にお腹を切っています。  そこで質問ですが、切腹が行なわれる際に(ただし、自分で勝手に切腹する場合ではなく、藩など、上から申し付けられての切腹の儀式での場合で)、実際にどれ位お腹を切るか、切らせるかは、誰が決めるのでしょうか。切腹を申し付けた方が、または切腹人を預かった方が、切腹の儀式の段取りの中で、決めてしまったのでしょうか。あるいは、切腹する人が、「見苦しくないよう、早めに首切って。」とか、「せめて最後は武士らしく死にたいので、介錯はぎりぎりまで待って。」などの指定が出来たのでしょうか。

  • 絞首刑よりもギロチンの方が文化的では!?

    生きながらえたり、首が半分だけもげたりして、のたうち回る可能性のある残虐な絞首刑よりも、スパッと確実に一瞬の内に生を絶つ、事故の少ない確実なギロチンの方が文化的ではないでしょうか!? 昔は、切腹には介錯は付き物だったようですし、ギロチンは日本の伝統にもピッタリ合っていると思います。死刑にギロチンを導入しないのはなぜですか!?

  • 切腹の介錯は自殺幇助?

    三島由紀夫は切腹で自決され森田必勝に介錯されました。森田もまた切腹しました。まではわかりましたが、ということは森田を介錯した方もいたと思うのですが、森田氏を介錯された方は自殺幇助もしくは殺人罪で起訴されたのでしょうか? また起訴されたとして判決はどうなったのでしょうか? よろしくお願いします。

  • 切腹は腹を切らなくていい?

    歴史に詳しい友人に聞いた話なのですが、江戸時代の切腹は形式的なものであり、切腹用の刀に手をかけた瞬間に介錯により首を落とし、実際は腹を切らなくていいと聞きました。また、刀の代わりに扇子が置かれていたこともあると聞いたことがあります。これは本当なのでしょうか。もし本当であれば、斬首と切腹はどのように意味合いが異なっているのでしょうか?どうか回答よろしくお願いします。

  • 切腹の際の立ち会い役人の種類

    切腹する際に介錯人とは別に立ち会う役人はどういう人たちがいたのでしょう。幕府から?警察から?お家から?

  • 三島由紀夫の首切られるときの心境について

    現在自殺方法にもたくさんの方法があり、多くの人間は苦しまずに死にたいはずです。 硫化水素ガス、練炭による自殺が楽に死ねるようですね。 最近ではないですが、ほんの昔の1970年に起きた三島由紀夫の切腹した後に子分に日本刀で首を切り落とされるという事件について恥ずかしながら3日前に知ってからずっと考えてきました。 子分の森田にいたっては三島由紀夫の首を切りつけて、何度も失敗しているにも関わらず(三島が腹を深く切りすぎてもがいたために首を命中しづらかったようです)、すぐ自分もと、血だらけの三島の横に三島が腹を裂くのに使った短刀を三島の手から取って、もう1人に首を切らせて絶命しています。 ちょっと想像ができません。 現代社会の中で育ったためでしょうか。 自分の身を傷つけることもそうですが、自殺を決意したとしても楽なように死にたいと思うのです。 しかし三島は首を切断されて死ぬという考えられない自殺を選んでいます。 このときの三島の気持ちはどうだったでしょうか? また回答者の皆さんは首を日本刀で切断されるということに恐怖を抱きますか? 私はとんでもない恐怖で力が入らなくなります。そして忘れたくてもこの数日考えてしまいます。そのとき切られる、あるいは切る人間は何を思うのか、ということを。 切腹という行為は日本古来の伝統的な自殺方法なのは知っていましたが、首を切られて死ぬということは恥ずかしながら知りませんでした。侍が腹を切って死ぬ、よくそんなことができるな、昔の人は違う世界の人だ、とそんなふうに思っていました。 調べてみると苦しいので後ろから日本刀で首を切ってもらう(なぜ首なのかが分かりませんが)ことを切腹というのですね。 結局は首を切り落とされて死ぬのだから斬首と言っていいのにと思ってしまいました。 話が逸れましたが、悪人で強いられたのではなく、自ら切腹行為を選び、介錯され死んだ人間の気持ちが理解できません。 右翼的な、あるいは武士道における道徳観や美を追求するとそういった行為もできるんでしょうか? だとしたら三島由紀夫や武士たちは、経済的な豊かさに満たされ、伝統的な美意識や大義を失った現在の日本に生きる人々を見て理解できずにひどく失望するんでしょうか。 散文失礼しました。

  • 昔の刑罰の切腹のとき介錯人の刀に水を掛ける理由は?

    江戸時代の赤穂浪士の切腹の時などに、テレビや映画でよく見られますが、介錯人が罪人(切腹する人)の後ろに立ち、刀に水を注がせてから、介錯の刀を振り上げます。この水を刀に注ぐ行為は何を目的にしてなされるのか、何かの効用があって、なされるのか、また。この行為をなんと呼ぶのか、疑問に思っています。どなたか教えてください。