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知るは楽しいは 馬の鼻先の人参か?
fuukakouの回答
- fuukakou
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なんだろう?微妙に違うような気がします。 楽しいから知る方向に行く。確かにある。 にんじん。ご褒美、うんうん。 自己満足。言われればそうかも。 でも利己??? 自己満足を得るために手段を選ばず、周りに迷惑をかけるなら 利己的で、また、自分が納得したらそれでお終いでそれを全く役に立てない、得たものを分けないならそうなのかも。 でも知った人々ってそれだけを追い求める訳じゃないよね? むしろ雄弁な気がする。 それとなんかもやもやする。なんだろう? 馬の鼻先の人参に違和感が。 楽しいから知ることを追い求める…ご褒美があるから頑張る的な意味なのかな?なんか違うな。ご褒美、美味しいから、どんどん行くよ!!な気が。 楽しいを味わってるから、食ってない?この馬人参を。 でもまだまだ追い求める…続く… 鼻先じゃない!! あちこちに人参がぶら下がってて、それを次々と求めて走って食べてる。が正しいような… 一本の道筋の物を食べてく馬もいれば、あちこちを食べてく馬、本馬は真っ直ぐなつもりでも傍から見たら道がズレだぞ状態、また逆もあるか。 楽しいから知ることを求めるに、マッチしないような気がします。 まぁ、周りの事を気にしないで走り回って食べてたら、迷惑だよねぇ。事故がどんどん発生しちゃう。 きちんと周りを見て行動してるなら問題はないような気がします。
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ふうかこうさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ・・・ でも利己??? 自己満足を得るために手段を選ばず、周りに迷惑をかけるなら 利己的で・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ あぁ。そうなら 《利己》の定義がちがっていたかも知れません。 つまり この場合は 《利他》ではない。利他という心つもりはない。ということを 自己を利する行為だという意味で使いました。 つまり 他人の利益を考慮していませんが それを損傷しようとも奪おうともしていません。《知るはたのしみ》という主題ですから。 ★ また、自分が納得したらそれでお終いでそれを全く役に立てない、得たものを分けないならそうなのかも。 ☆ そこまでのことは 扱わないという前提で 使いました。《たのしんでいる》姿までとしてです。 ★ でも知った人々ってそれだけを追い求める訳じゃないよね? / むしろ雄弁な気がする。 ☆ えぇ。ふつう そういうものだとわたしも思います。 ★ 馬の鼻先の人参に違和感が。 ☆ 特に《鼻先》にでしょうか。鼻先だと 何かの拍子でうまく口に来ることでもないと 馬は食べられないようですね 考えてみると。そんなこんなで: ★ 楽しいから知ることを求めるに、マッチしないような気がします。 ☆ 残念ながら そうみたいですね。知ることのたのしみは どんどん味わって行きますから。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ まぁ、周りの事を気にしないで走り回って食べてたら、迷惑だよねぇ。事故がどんどん発生しちゃう。 きちんと周りを見て行動してるなら問題はないような気がします。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ えぇ。人間が知るという場合には それをたのしみにしているのだという範囲で 質問者も《問題はないような気がします》。 タトエの適切さに 問題があったのかも知れません。 みなさんの回答とそれを受けたやり取りで だいたいは分かって来たように思っています。ありがとうございます。もう少し開いています。