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イラッとするカタカナ英語、外国語の発音
カタカナ英語や外国語は時としてとても便利で私もつい使ってしまいます。 ただそれらを何故か難しく発音したがる人がいてイラッとする時があります。 こういう方々は語源がフランス語かイギリス英語かも理解していないと思います。 同じ日本人同士の会話で何故ひねりたがるのでしょうか? 「それってどういう意味?」とか「英語うまいね」って聞かれたいのでしょうか? 例 カレー→カリー ピザ→ピッツァ ビュッフェ→バフェ キッシュ→キッキュ ボーカル→ヴォーカル ホイール→ウィール ビレッジ→ヴィレッジ エキップ→エクイップ 後者の方がより本来の発音に近いのはわかりますが使ってる人ほど英語が出来ないです。 耳にすると「ネティブのつもり?どちらにしろあなたの発音では通じないよ」と思ってしまいます。 であれば日本人同士なんだから昔から使われている簡単な前者で良いと思います。 うちのおばあちゃんなんか後者は殆ど理解できません。 より正しい発音に近い方が良いという考えなのでしょうがだったらこちらも留学経験があるので チョコレート、ホイップクリーム、プリンなど市民権を得たカタカナ英語を正確に発音してしまうと 聞き取れなく会話が途切れると思います。
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そういう人にはオージーイングリッシュで反撃しましょう アイト(eight) ダイ(day) ツダイ(today) イーマイル(e-mail) チアーズ(cheers)ありがとう バイスボール(baseball)野球 リフト(lift)エレベータ ノイス(nice) チップス(chips)ポテトチップ
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- ohmy-pasta
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罪と罰という有名なロシア文学があって、 これまでに10人弱が日本語訳を成し遂げています。 私が今手元に持っている解説書には米川正夫氏の訳と思われる引用文が多々載っていますが、 ドストイエフスキイ ですし、 ロヂオン です。 ドストエフスキー ロジオン と書かないと「かっこ付けやがって」と思って目障りですか? これ以外にも、音を正確に写し取るためには、日本で一般的に書かれている表記をかなり直さないといけない、という話もたくさん聞きましたよ。 カステージャ、カステーリャ が カステラ に聞こえるのに、 エリツィン は エリチン となぜ書かないんでしょうね。 (ひょっとしてチンが新聞的にアウトだからですか?) 質問者さんを責める気なんか全くないんですけど、 あれ? 私はヴォーカルにイラッとするのに、 エリツィン にはなぜ違和感を覚えず受け容れられるのだろう? とお考えになったらよろしい。 エリツィンは許せるのに、 ベネチア を ヴェネツィア と書くのは「日本の多数派に合わせていない」と感じる、 ということはないですよね? 単に見慣れているかいないかの話だけだと思いますよ。私は経験上、ボーカルよりヴォーカルと書いてある方を目にするのが多いです。接している世界が広いか狭いか、とは言いませんが、単に今まで接している世界になかっただけじゃないですか? だって私の今までの世界に、エキップなんて言う人いませんでしたし。山登りでもダイビングでも。絵切符? と思ってしまいます。エクイップ もしくは イクイップ ですね、私側の世界では。もちろん日本国内ですよ。イクイップメント です。 e で始まるのに「イ」クイップと言うのに違和感ありますか? エンジョイ を インジョイ と発音する日本人は嫌いですか?(さすがにインジョイと書く人はいないと思うけど。) eと書いて「イ」と日本語訳(カタカナ語)を当てている単語もいっぱいありますよ。その方が正確に聞きやすい場合もありますし。 (エキップが英語由来なのか他の言語読みなのかわかりません。英語をそんな風に書き写す人がいるんですか? フランス語っぽいけど。) じゃあなんで、 アンド を エンド と言う人のことは許すのですか? a なのに。 ヒット エンド ラン はただちに ヒット アンド ラン に直してもらわないと気持ち悪い ですか? ハーワーユー? エンドユー? という時にエンドというと「本場っぽく言おうとしやがって」 というコンプレックスが頭をもたげるだけ、ということはないですか? シェケナベイビー と言うのと同じだと思いますよ。サンキューもかな。なんで誰もサンクユーと書かないんだろう(笑) 「本来の発音に近い」のがいいと言ったり、嫌だと言ったり、けっこう日本人全体がわがままなのかも知れませんね。 たぶん 発音の問題じゃない んじゃないかな。 レストラン に リストランテ と屋号を付ける店も増えてきて、 「日本の文化が浸食されてきている!」 という恐怖を感じる、排他的感覚、攘夷的感覚の問題だと思います。 リストランテ。 おもしろいじゃないですか。次から次と新しい単語を受け入れるのが日本語の良いところでしょ? 留学経験がおありならなおさら、国粋ではなく、日本の良いところも見えてきているのではないですか? 別の側面です。 ロシア文学の人名の日本語訳では、 リザヱ”ータ スヰ”ドリガイロフ という今の世では珍しい文字が当てられている訳があります。 最新の訳では リザヴェータ スヴィドリガイロフ になってますよ。でもこれぞまさに、す゜(す に丸)のように、今まで日本になかった音を表そうとした表現の自由ですよね。 詳しくはこちらもどうぞ ヴァイオリンとバイオリンのどちらが正しい日本語表記でしょうか?ネットで検索す... http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14116193834 下記参考リンクにおいて、 フュ や デュ が第二表に入れられているというのが、文科省の頭の固いところを示すようで、ほほえましいです。 フュージョン や フォンデュ は 使っても良いよ という程度の立場 なのですねぇ。正式に教えるべき、ということを決めなかったら、 フュージョン や フォンデュ が読めない大人 がこの先育ってきてもかまわない のかなあ? 文科省が関与したり突き放したり、納得がいきません。 まあ、基本的に、 あ”? とか言っても書いても自由な世の中の方が、私は好ましいですけど。 loose を ルース と書かずに ルーズと定着させた最初の頃の人 はたいそうな迷惑かけてくれた と感じます。 逆に見れば、東京Tokyoを トキオ、トキョウ、トキヨー で読まれるのと同じだと思います。最初から正しい発音で読んでくれれば、後世に迷惑かからなくて済むんですが…
#17のplapotaです。短かすぎたので、もう少し。 言葉は、共同体に属すると同時に個人に属するものです。さまざまな考へ、表現があつて、それが全体としての言語を豊かにしてゆきます。もちろん、使用する状況によつては、ふさはしい、ふさはしくない、の判断は必要です。 私は、このQ&Aサイトの投稿文のどれもが魅力があると感じます。たとへば、他人の文章を非難してこんなものは、ただの馴れ合ひだ、といつた内容のものがあるのですが、私はそれを読むと、このQ&Aサイトがどうあるべきか、を考へさせる質問提起のやうにおもへます。 他人の発言や行動を、良いと思ふか、悪いと解釈するかは、受け手次第です。
いろいろな人がゐるから、世の中、楽しい。
- ohmy-pasta
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ビルディング ディ が ヂ で代用されていたのは、 ぶっ殺り と同様、日本語にそれまで ディ と発音する語があまりなくて、新聞などが一番近い音を独自で選らんだのでしょう。政府はあまり介入していなかったと思われます。 要は構音と見慣れの問題です。 今ですら、ディと書いて di と読む場合と dei と読ます場合と混用されていますよね。 グリーンディ など(プロモーション上、メディアで正式にはグリーン・デイのはず)。 ディーバを ジーバ と書く人は、ようやくいなくなったわけですが、ディが登場し立ての頃は、グァ と同様、どう読んだら良いかわからなかった人が多かったと思われるので(テレビはまだなく、ラジオも、そんなに一般的だったかどうか、なんとも言えませんから)、 大衆を相手にした活字媒体では ビルヂング と書いた のではないかなと推測します。ヂと書いて dzi ではなく di と発音させていたのかも知れません。 固有名詞や業界用語によっては、最初に「そう聞こえた通り書いた」単語が、21世紀になっても定着している例がありますね。 エジソン アイザック・アシモフ マリー スパナ ストリッパ コンピュータ プリンタ コントローラ ワイヤ ワイシャツ テレビ ティッシュ プリン、ホイールはこの部類に入ると思いますが、他は???です。 定着しているものをわざわざ変える必要はない、という点では質問者さんが正しいでしょう(ティシューちょうだい、と言ったら変人だと思われますね)。 ただ、エレベーターを エレベーターと言っている(アクセント)日本人も、もう少し世界からどう思われるか、を意識して良いんじゃないかな、現地語に近付ける運動が起きても良いんじゃないかな、と思います。タイ等の親日国で間違った日本語発音、間違った英語発音が定着しているのを聞くと、「元の言語と全然違うのを恥ずかしいとは思わないのかな」 とついつい思ってしまいますから。人のフリみてなんとか、ですね。 私はあくまでもディベートとして反対意見も述べたまでです。
- ohmy-pasta
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探偵ナイトスクープという関東以外で人気のあるテレビ番組がありまして(DVD売上も常に上位)、 ブロッコリーを ブッコロリとしか言えないおばあさん が人気ある話題です。 私は「構音学」というのを勉強したことがありますが、人間は1才2才で、ありとあらゆる音を脳に刻み込んだ後、 使わない音を「聞く脳力」を捨てて 行きます。だから日本人は 英語のア の聞き分けができない、lとrが聞き分けできない、ともよく言われるのです。 趣味レーション の例も、日本語に シミュ と発音する単語が極端に少ないからなのです(方言を除く)。もしかして質問者さんは ミュ も気持ち悪い方ですか? ならいっそ、シムレーション と書いたらいかがでしょう? おっしゃっていることはそれに近いと思いますよ。「日本人どうしで昔から使われている」かどうかを一つの基準となさっているようですけど、 mu の音を ミュ と書き写したことにだって、根拠は何もない のです。何年間か、モチベーションと同様、「日本語に今までなかったけど、何それ?」という時期を経て、ようやく市民権を得たのでしょう、きっと。 それとも、教科書に書いてあれば信じる派、ですか? ウィップも、wh が日本語の構音にないから仕方ないですね。 でも、whatは ホワット でも ワット でも通じる、というのはご存知でしょう? グァバ、グァテマラ、グァム は何と発音なさっているのか教えてください。 グ「ア」バ、グ「当て」マラ、「グ」「編む」 と読んでますか? 私は、「グ」「編む」と発音する人のことは非難はしませんよ。でも、グァムとかグワムとかガムとか書く人が出てきたら、歓迎します。そういう価値観も認めるからです。 かっこつけ、とか一言で片付けようとする人は、なんだかんだ言って、 「外国語を正しく話せる人はかっこいい」というコンプレックス の裏返しだと思います。 教える立場の人間が、若い子たちに、より国際社会で通用しやすいよう願いを込めて、言葉を少しずつ改良していくのは、自然、ということを締めとして強調しておこうと思います。 ご精読ありがとうございました。
- ohmy-pasta
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■ それと、ノスタルジアかどうかは別として、今使われている言葉と少し変えることが、そんなに悪いことでしょうか? かっこいい、クールと紙一重 だと思います。 大阪中心に みっくすじゅーちゅ という飲料がまあ根強い人気を保って売られています。果汁を使っていないからジュースと書けない、という食品表示法上の理由もしりますが、「ジュースだと聞き飽きているから目立たないのに、じゅーちゅだから目立った」という理由も無視できないのではないでしょうか。 ハウスのカリー屋カレー もそうですね。 「なんだ、カリー屋、気持ち悪い」となりますか?(カリー屋カレーは、折衷案ですが。) 咖哩屋 も時々見かけます。(中国語由来でしょうけど、中国から直輸入、というよりは、「私は日本を出たことないけど、日本でも咖哩というのを見かけるし、おしゃれ」という理由であえて名付けているんじゃないでしょうか。コーヒー珈琲と一緒だと予想します。) 屋号は、目立つということが命ですから、わかっていただきやすいかも知れませんが、屋号以外でもあります。 キーマカリー などですね。私はこの表記を気持ち悪いとは感じません。むしろ、徐々にカリーと書く人も増えてって良い、と歓迎しています。 インドカレー食べたことありますか? 日本の、英国式とろみカレーに比べて、南アジア・東南アジアはシャバシャバに近いですね。まあ、日本国内のインド料理店は、バングラディシュ人やネパール人が経営していたりして、日本人好みにとろみ付けている場合もあるでしょうけど、私が言っているのは、オリジナルのインドカレーです。イメージで結構ですから、イメージしてください。 日本人が普段食べているカレーとは別物なのですから、それはもう カリーと呼んだっていいじゃないですか。目くじら立てるほどではないと思います。おしゃれと思って受け容れている人もある程度いるのですし(ハウスが受け容れたくらいですから)。 カリーをカレーと一緒にしないでくれ!という人すらいると思いますよ。 カレーと言えば新宿中村屋をご存知だと思いたいですけど、あちらも当初は 「純インド式カリー」または「カリ・ライス」 と呼んでいたと思います。 ライスカレーと言い方が流行ったのも、カレーライスとの差別化だったかも知れませんしね。 現代人の方がむしろ、 「カレーと呼ぶ人が多分9割だから、なぜ全て統一してカレーにしないのか。」 という画一化に染まってしまっている人が散見される、と感じます。 私は ハンカチを ハンケチと呼ぶ(和製英語とは違うカタカナ語だけど、まあ和製英語に分類しても罰は当たらんでしょう)商品は、おしゃれだと思いますがね。「古くさい」は一周回って通り越しています。「わざと英語の正しい読みを真似している」わけではないのは、おわかりですね。 なお、カタカナ語が戦後いったん減った理由について誤解している人もいると思いますので、鬼畜米英 敵性語禁止政策とは関係ない、ということを申し添えておきます。 ----------------------- 戦後に作られた戦中伝説、あるいは戦中神話によりますと、〈戦争中の日本においては、欧米系の外来語はファナティックなまでに使用を禁止されて、例えばベースボールを野球と言い、テニスを庭球と呼ぶ、という具合に、何でもかんでも日本語(漢字の熟語)に変えることを強制された〉ことになっています。 しかし、念のために読み直してみればお分かりのように、昭和19年という、まさに戦争の真っ最中、太宰は日常語化した外来語を何の遠慮もなく自在に使い、フランスの政治家や芸術家のエピソードを語っていました。逆に言えば、強制的に外来語と代置された日本語と思われるような言葉は出てきません。 http://homepage2.nifty.com/k-sekirei/otaru/tsugaru_03.html ----------------------- ■ 教育は、明治維新、GHQ統治で二回に渡って作り変えられました。方言は隅へ追いやられ、教科書「で」共通語(東京弁をベースにしていますが東京弁とはまた少し違います)を教えることが必須となりました。 で、文字も そ や さ や た や お や ん などにいくつかの字体があったのに、「こう書くことだけが正しい」という形で統一されたわけです。 江戸時代はさらに、遊びも含めてかなりの変体字・変体仮名が存在していました(「そば」屋ののれんでご存知のはずです)。 文字の統一は、識字率を高めるために近代国家が通る道ですから反対しません。しかしその過程で、 消された文字がありました。 ゐゑヰヱ がその代表です。そのため、 「正しい日本語」そのものが 政府主導で変えられました。 まあもしかしたら、アメリカ人(GHQ)が日本語を読めるように、という裏事情もあったかも知れません。ともかくも、 用いる などの ワ行活用 の語 は、本来の活用そのものが学校国語からは削除されています(古文以外)。 同じことが、今この現代も 「ぢ」「づ」 について行われています。 少しづつ、というのは学校国語では「間違った日本語」とされてしまいました。 いなづま も いなずま に せかいぢゅう も せかいじゅう に統一されそうになっていますね。 私がキーボードで ぢゅう を打つのに苦労するくらいですから。 本来の つま や ちゅう はどこ行ったのでしょう? 質問者さんが、「ピッツァはピザと書けよ」 とおっしゃるのは、こういう、 ぢゅう をやめさせよう と強制する運動 と同じにおいを感じます。ぢゅう をやめさせるのは、何百年の「正しい日本語」の根拠があるわけでないと思いますよ。わずか数十年の話です。 私は、ヴァイオリン 賛成派です。ヴァイオリーン はやり過ぎですけど、バイオリン は最近気持ち悪く感じるくらいです。ヴァイオリンじゃないとヴァイオリンに聞こえない、という感覚が私に染み付いています。 でも、ヴァ が許容されたのは割と最近なのですよ。 (まあ、夏目漱石か誰かも、変わったカタカナに点(”)を付けて独自の字を生み出していたと記憶していますが。) ある英語教師は、 th の音を す゜(すに ○)と書いて、 す(s)とは区別しよう ということを提唱しています。 ヴ も最初はこれと同じ違和感 だったのでしょうね。 でも、もう既に「戦後日本」でもなくなって、海外旅行する人も増え、駅前留学も増え、 日本で正しいと思っていた発音が通じない 海外に行きたいなら、もう一度 英語はカタカナ語と別、 として覚え直す必要がある と感じる人が増えたら、 ビレッジ を ヴィレッジ ボーカル を ヴォーカル と書く「反省派」の人が増えたっていいじゃないですか。 反省派全員が海外経験者だ、という意味じゃないですよ。 ボーカル より ヴォーカル の方が生の英語に近いなら、 最初からそっちで覚えよう という人たちのことです。私も含めて(私は海外よく行きますけど)。 そういう人たちがいていいんじゃないですか? 日本のためになるじゃないですか。 ビレッジ のままが 昔から使われているし簡単で良い、 ボーカル のままが 昔から使われているし簡単で良い、 そう思うのは自由ですけど、 そういう人ほど英語が出来ないです。 何故ひねりたがる? 「英語うまいね」って聞かれたいのでしょうか? ということを言い始めると、 新しいことを受け容れられない「頭の中が古い」人々の一人 と思わざるを得ないですね。 新しい言い方だからといって、本人たちがかっこよいと思って使っているとは 限らない と思いますよ。 VがBと違うなら、なるべく正確に ヴォーカル と表記しておく その方がイメージも伝わりやすい と思っているだけの人も多いと思います。 でもそういう人たちが 「ボーカル は間違った発音だ!」 と非難するのは あまり聞かない でしょう? どちらが懐が広いのでしょう? ヴォーカルは定着しつつある、ヴォイスはまだ定着していない、ただそれだけのこと だと思いますよ。耳触り、というなら、 シミュレーションを 趣味レーション と発音する人を先に何とかしてくれ! と私は思います。留学帰りなら、そういうのは気にならないのですか? シュミレーション は市民権を得た読み、日本人同士で多用されている読みだから認めるべきだ、ということですか?
- ohmy-pasta
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まず先に大事と思うことを釘刺しておきますがね。 ~はなぜなのでしょうか? というご質問をする時には、ご自分と違う意見の人もいる、ということをわかった上で回答を受け付けてくださいね。 もしも、「自分と同じ意見の人の話しか聞きたくない」 「うん、うん、そうだねと同感してくれる人を集めたい」 ということだと、他の方もおっしゃる通りなんとも浅い と言われかねないです。質問者様はそんなにふところの浅い方ではないと思って話を進めます。 > 難しく発音したがる人がいてイラッとする時があります。 > 英語っぽく発音する人がいるとしたら、気持ち悪いですね。 など、共感する日本人は、実際かなりの数に上るでしょうね。 わかりますよ。私も、 エレベーター を 「エ」レベイター という人と出くわしたとすると、こちらがエレベーターと日本的な発音を続けて やんわり抵抗 しても 相手が 「エ」レベイター を続けていたら、 この人、日本で暮らすのには苦労するんだろうな、とイラッとする と思います。なんの単語か忘れましたが、似たような体験は以前ありました。 郷に入れば郷に従え ということですね。 ただですね、最初からいきなり釘刺しから始まりましたけど、ここから冷静に話を聞いていただきたいと思います。 ごうに はいれば ごうにしたがえ という人と出くわしたとするでしょう? ごうに いれば ごうにしたがえ と言い直したくなりませんか? このように、言葉には誤用が付き物ですし、 ある意味、正しい読みを知らない人は恥をかきますし、 漢字でも、誤用が定着して、正しい読み方と併用されている事例もありますし、 (相殺 そうさつ 続柄 ぞくがら 早急 そうきゅう などの慣用読み) 学校教育ならば、なるべく統一しようとするのは自然の運び です。 間違えて読む人が多過ぎて漢字そのものが変わってしまった例 (独擅場など 漢字が似ているから、まあいいか、となった。読みも変わった) 二つ以上の漢字が、「面倒だから一つにしてしまえ」と混合されてしまった例 (弁護士の弁の旧字など) もあります。 あまりに簡略化の流れが進むと、「もう少し正しい言葉を見直そうよ」という復古運動が起きるのが、当然の流れだと私は思います。好ましいことだと感じます。 漢検が急にブームになったのも、漢字が読めない書けないという人が増えたことの、反動でしょうね。暗に反省している人が多いのでしょう。 そこで、私はエレベーターでいいじゃないか、という立場でありながら、「こういう意見にも配慮した方が良い」という反論をいくつか挙げておこうと思います。一種のディベイトですね。 ■ 私は英語を教えます。 発音問題で途惑う人・英語が嫌いになる人が多いのは、ご存知の通りです。 中でも多い問題は、 オウ オー の区別 などです。だから私は、 ノートを取る時は ホウム と書いて口も大げさに動かして意識するように と指導します。もちろんこれは ホーム のことであり、ユニフォームなどと明確に区別して覚えさせるため。 日常生活では ホウムは日本人に通じないぞ ということも教えた上 ということですよ。これが、 > 難しく発音したがる人がいてイラッとする。 > 英語っぽく発音する人は気持ち悪い。 ということにつながりますか? 私は逆に、ユニフォーム を ユニホーム と書く人の方が気持ち悪い ですね・・・。 ディベイト も私の教授法の一つです。ディベートと書く方が日本で一般的でしょうね。 コミュニケイション も私の教授法の一つです。コミュニケーションと書く方が9割以上でしょうね。 長音の発音に K ケイ ケー 両方があることから、「発音問題は発音問題としてもう一度、スペルと別のものを覚え直す」という二度手間が生じていて、教育上は困っているのです。一度コミュニケーションで覚えてしまった生徒に、コミュニケイションという「発音」をひも付けして、もう一度覚え直してもらうのは、たいへんな作業なのですよ。 よく言われるように、 言葉は生き物 です。 文科省審議会などが「正しい言葉」を定めても、それが発表される頃には、 定めた時と微妙に言葉が変わっている、 審議会の50代60代の学者さんが知っている言葉と20代の使っている言葉の 間に乖離がある、 20代の使っている言葉が「定着した」とみなすためには10年近く「時による 洗練」が必要であり、進化・廃れの早い言葉もある(やばい、ださいなど) だから、正しい表記の他に、いろいろな表記ゆれがあっても良いじゃないですか。 コミュニケーションをコミュニケイションと書いても許容される日本社会が 早くきて欲しい と思いますよ。 ■ 私は最近太宰治や夏目漱石などの作品をよく読みます。 あの頃は、「外来語を使うのがカッコよい」とされている時代だったのだろうな、とも想像します。 帽子をシャッポと呼ぶ などが良い例じゃないでしょうか。もちろん、英語とは限りません。オランダ語やポルトガル語が日本にたくさん入ってきて日本語になっているのはご存知の通りです。「えっ、外来語だったの!?」という言葉もありますね(雨合羽など)。 外来語をおしゃれだと思うのは、日本人が誇りに思って良い価値観だと思います。我々は表音文字(カタカナ)を持つので、 蘇格蘭 に比べてずっと、英語読みに近い発音をすることができるし、学ぶことができます(スコットランド)(学ぶというか、カタカナさえ身に着けていれば、小学生でも読める)。 コンピュータ・ウィルス 電脳病毒 インターネット・エクスプローラ 探険家 という訳語をいちいち当てはめるのは面倒でしょう? 最近 モチベーション(モチベイション) 動機、意欲、やる気 (私はモウティヴェイシャン とは書きませんが、そう書いたとしてもかまわないでしょう。) も日本で定着していますね。これについては、15年前に私が論争したことがありました。当時私は、 既に日本語にやる気という言葉があるのに、 主にサッカーファンがモチベーション、モチベーションとカタカナ語(外来語 とは区別してこう呼びます)をわざわざ使う必要があるのか。気持ち悪い。 と同級生と言い合ったのです。 15年経ち、 私もモチベーションに違和感を覚えずに済むようになりました。 教育現場は横に置いておいて、 検索する を ググる と言ったり、 見下げる 非難する などを ディスる と言ったり、 言葉は生き物であって、遊びでもあり文化でもあるのですから、 いろんな派生語が生まれてかまわない と私も柔軟に思うようになったのです。 ディスる の語源が ディス なんなのか。 を知らなかったりしても、 みんながディスるディスるって言っている場面から、「こういう時にこういう 意味で使うのかな」と真似する者が現れて、ディスるの意味が少しずつ変わる ということがあり得て、 10年続けば、ディスる は定着したとみなされ、語彙の中に加えられる ということになるでしょう。 ダブる が典型的な先輩 ですね。 私の見方によれば、私生活では、 他人の使う言葉使いにあーだこーだ言うのは、目くそ、鼻くそを笑う だ と思うのです。私自身が、 変な日本語 も使っていますからね。「ら抜き言葉」なんか、一番わかりやすい例です。 太宰治や夏目漱石には、正確な引用ではないですけどイメージとして、 イタリヤ テクスト カルチベート ポッケット ハンケチ などが使われています。参考 http://www.jpf.go.jp/j/intel/exchange/organize/ceeja/report/09_10/pdf/09_10_04.pdf 私の意見は#3の方と似ていると思われるかも知れませんが、 > ノスタルジアに浸ることがかっこいいと勘違いしている > せっかく発音しやすいカタカナ英語にしたのに戦前にもどりつつある という見方は一面的過ぎる、という印象が否めません。 確かに、 この平成の世の中に、わざとハイカラという言葉を使ってノスタルジーを演出する という賢しい人もいるでしょう。ただ、それは悪いことなのでしょうか? 嘲笑の対象とするのは、浅いと思います。 > せっかく発音しやすいカタカナ英語にしたのに 逆ですよ、ホウムホームの話がわかっていただけたことを祈ります。ホームという長音に頼り過ぎたために、ホウムという二重母音なのかどうかがわからない、というジレンマを、戦後日本人自ら招いてしまったのです。最初っからホウムと書き写すようにしていたら、英語の試験で迷う人も減ったでしょうに。 長文連投失礼致します。
#8です。ふと目が覚めたので(^^; バフェ→○にしましたが、△ぐらいかな。自分はビュッフェと言います。 海外旅行カテゴリーを読んでいるとバフェと書く方々もいるのでそれで馴染みがあるんですが、一般的と言うほどでもないと思います。 海外旅行カテで読んでいる場合は別に「カッコつけちゃって」とも思いません。そういう話題のカテゴリーですし。 「英語ではビュッフェではないらしい?」と気づいておくほうがむしろ良いと思います。ほんとは「バフェイ」「ブフェイ」ぐらいなんだろうけど。 時と場合によります。 外国語カテゴリーでこういう質問をするとクールな回答が多いかもしれないけど、外国語が出来る人が多いカテゴリーですから、みなさんもうそういう時期(発音を非常に気にする)を抜けてしまっているというか越えてしまっているからかなと思ったりします。もともと気にしない人もいるかもしれませんが。 原音に近いのがエライとか上等とは思ってないでしょうし、いろいろと気にしているとキリがありませんので。 確かに、出来ない人のほうが発音を過度に重視しますね。それはあると思います。
- wy1
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カレー→カリー ピザ→ピッツァ ビュッフェ→バフェ キッシュ→キッキュ ボーカル→ヴォーカル ホイール→ウィール ビレッジ→ヴィレッジ エキップ→エクイップ 私は英語を仕事で使っていましたし、大学ではドイツ文学を専攻しました。 しかし、所謂カタカナ語は嫌いでできる限り使わないようにしている積りです。今の首相のカタカナ語を聞くと、気分が悪くなりそうです。 あなたが挙げられたうち、バフェ、キッシュ、キッキュ、エクイップ、エキップ は全く使ったことがないし、聴いたこともありません。 どんな言い方をしても、原語にはほど遠いものです。 あなた自身もできる限り使われないことをお勧めします。
- kakurekiri
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基本的に貴方のご意見に賛同します。仰るとおりです。 ほんらい外国語の言葉が、原音とはかなり違った発音で、 「カタカナ日本語」として定着しているのに、いまさらそれらを、 元に近い積りの発音にもどしてもしようがないでしょう、という ご趣旨には賛成します。 (中国語からのたくさんの言葉は、もうすでに「音読み日本語」 として、中国語とは似ても似つかない「日本語そのもの」になっ ているのを、いまさら、中国らしく発音しても、普通には理解 してもらえない、というのと同じですね。) でもね、 貴方のご意見の表現には、少し勘ぐり過ぎのところがなきにしも あらず、と言う感じもします。欧米語関係が主になっていますね。 つまり、英語や仏語からの外来語を原音らしく発音している人の 中には、無意識のうちにそうしている人もいるからです。別に、 外国語の知識をひけらかす意図はないのに、たまたまそうなると 言う場合もあるからです。 私は40数年の海外生活の経験から、英仏独伊西でしたら、ほぼ ネイティヴに近い発音で通せますが、日本で「カタカナ日本語」が 会話の中にでてきたら、それに付き合います。 それでも、ときどきボロがでますが。たとえば、「ピューレ」のかわり に「ピュレー」と言ったり、「ブーケ」の積りで「ブケー」と言ったりします。 一瞬、しまったと思います。この人は「カタカナ日本語を知らないのだ」 と思われる場合もあります。 ですから、意図しないで出ている場合もありますので、いちいち目くじ らを立てなくともいいような気もします。 貴方のご意見の基本的なところで賛成しつつ、私が気になるのは、 動詞を、しかも省略したりして使うほうが「変だなあ」と感じます。 たとえば、 「夕べ、高速でトラブッてね」、 「それは今、ネゴ中なんだ」、 「すぐにネグレクトした」、 「リスペクトが必要だね」 などなど・・・・ 感受性のちがい、年代の相違・・・などもあるかもしれません。 貴方の、語感を大事にする心に敬意を表します。 (語感を大事にするハートとスピリットをリスペクトします、と言うべきか。)
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お礼
オージーイングリッシュがわからないです(笑) 早速の回答ありがとうございます