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南京への侵攻は侵略だろう
太平洋戦争(または大東亜戦争)で中国の南京への日本軍の侵攻はどうみても侵略になると思いますが、そうではないという意見がありましたら教えてください。 なお、私は南京30万人虐殺などは信じていません。白髪三千丈の中国のことですから3~5万人くらいは死者が出たのだろうと思っています。それも中国軍部指導部が逃げてしまい、残された中国軍人が軍服を脱いで市民の中に紛れ込んでゲリラ戦的な戦いになったので、犠牲者が多くならざるを得なかったという説明は理解しています。その上でのことです。
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侵略だと思いますよ。 ただ、侵略が悪い事という国際認識ができたのは、終戦からだいぶ時代を下ってからです。 当時は侵略は、特に強国にとっては普通に使われる外交手段の一環でした。 戦勝国で、侵略していなかった国はありませんよね。 東京裁判等で日本人に侵略が悪い事と印象づけることを強烈にやったのは、有色人種ごときが侵略しやがってという気分がなかったとは言い切れないと思います。 そして、侵略が悪い事というのが人道的見地で語られるようになったのはごくごく最近のことです。 イギリスとインドの関係なんかが象徴的ですが、侵略して植民地支配するより、独立させて自由貿易を行ったほうが経済的に効率がいい。それが、「侵略」という外交手段が過去のものになった大きな原因です。 マハトマ・ガンジーの功績を否定するつもりはありませんが、彼の「非暴力不服従」が意味を持ったのも、イギリス国内に「植民地にしておくより独立させたほうが良くね?」という勢力が台頭しつつあったからです。 現在進行形で侵略行為を行っている国の代表は中華人民共和国だと思いますが、そんな古めかしいことをやっていられるのも、「経済効率」ということを考えなくていい共産主義国だからこそだと思います。 なお、余談ですが、「白髪三千丈」は中国人の大げさっぷりの象徴のような言葉ですが、実はこれは無意味に誇大広告をやっているわけではないのです。出典の漢詩を中国語で発音するとわかりますが、音的に綺麗に韻を踏んでいるんです。詳しくは高島俊男著の「お言葉ですが…」というエッセイをお読みください。
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- sudacyu
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日本の第二次世界大戦時の大陸軍事侵攻についてのネットの議論は、国際関係の基本知識・常識がないために変な方向に向かっているようだ。 安倍総理が侵略の定義は定まっていないと言っているのはどういう意味かを踏まえて回答します。 <「侵略」という言葉の国際法的な定義について> 国際社会・国際法において、「侵略」という言葉が何を意味するか、極めて慎重に取り扱われており、概ね国際法の用語として共通認識があるものの、世界共通の基準として厳格に定義された上での運用はされていません。 ・国際法の用語としての「侵略」については、国連決議によって概ね共通認識があります。 侵略の定義に関する決議(しんりゃくのていぎにかんするけつぎ、国連総会決議3314、英語:United Nations General Assembly Resolution 3314 on the Definition of Aggression)は、1974年に国際連合総会で採択された侵略の定義に関する決議。略称は、UNGA Res.3314。 「侵略」に対する実際の運用について ・課題1 国連安全保障理事会による侵略に対する制裁 ・課題2 国際刑事裁判所(国際司法裁判所ではありません。)による侵略行為に対する刑事裁判 「侵略」については、1・2のような強力な国際的制裁の対象となるので、厳密な定義がなされるべきだとの観点から、国際刑事裁判所締約国会議の侵略犯罪に関する特別作業部会において運用段階の議論が行われ、2010年、カンパラで開かれたローマ規程再検討会議において、侵略の定義に関する国連決議の内容に一致した定義に規程独自の定義を付加し、管轄権行使の諸要件と手続きをも含めた改正条項を採用する決議(RC/Res.6)が参加国111カ国のコンセンサスにより採択されました。(この時、日本政府は投票には参加しなかった。)但し、同改正は現時点では、発効していません。 安倍総理発言の「侵略の定義は定まっていない。」と言う言葉は、この状況を指しています。 <国際刑事裁判所締約国111カ国による採択条文。現時点では未発効である定義> 第1条 (侵略の定義) 侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう。 第2条 (武力の最初の使用) 国家による国際連合憲章に違反する武力の最初の使用は、侵略行為の一応の証拠を構成する。ただし、安全保障理事会は、国際連合憲章に従い、侵略行為が行われたとの決定が他の関連状況(当該行為又はその結果が十分な重大性を有するものではないという事実を含む。)に照らして正当に評価されないとの結論を下すことができる。 第3条 (侵略行為) 次に掲げる行為は、いずれも宣戦布告の有無に関わりなく、二条の規定に従うことを条件として、侵略行為とされる。 (a) 一国の軍隊による他国の領域に対する侵入若しくは、攻撃、一時的なものであってもかかる侵入若しくは攻撃の結果もたらせられる軍事占領、又は武力の行使による他国の全部若しくは一部の併合 (b) 一国の軍隊による他国の領域に対する砲爆撃、又は国に一国による他国の領域に対する兵器の使用 (c) 一国の軍隊による他国の港又は沿岸の封鎖 (d) 一国の軍隊による他国の陸軍、海軍若しくは空軍又は船隊若しくは航空隊に関する攻撃 (e) 受入国との合意にもとづきその国の領域内にある軍隊の当該合意において定められている条件に反する使用、又は、当該合意の終了後のかかる領域内における当該軍隊の駐留の継続 (f) 他国の使用に供した領域を、当該他国が第三国に対する侵略行為を行うために使用することを許容する国家の行為 (g) 上記の諸行為に相当する重大性を有する武力行為を他国に対して実行する武装した集団、団体、不正規兵又は傭兵の国家による若しくは国家のための派遣、又はかかる行為に対する国家の実質的関与 <回答者のコメント> 1、現時点では、未発効ではあるものの、将来的には、あまり条文内容が変わることなく、いずれ発効するであろうと思われる。 2、質問者さんの「侵略」に対する判断は、第3条を基本として判断されるのが良いかと思う。 3、マスコミもこのような基本知識を一般化するために、社会的に存在するはずだが、営利機関であるためか、あまりにも基本情報を報道しないのは嘆かわしい。 <<付記>> 回答者の個人的意見につき、無視して結構です。 『歴史はなんのために学ぶか。』 敵を知り、己を知れば百戦すれども危うからず。 歴史を学ぶのは、自分自身、自国の歴史をきちんと理解することによって、失敗を繰り返さないようにするためと捉えている。 日本国土の上で、子供・老人・女性が他国の軍隊によって何十万人も殺されたのは、日本史上最大の失敗であることは明白です。 なぜこのようなことが起こったのか、その理由を明確にして、どの時点の何が失敗につながったのか、国民として知っておく必要があります。
お礼
ありがとうございました。 >安倍総理発言の「侵略の定義は定まっていない。」と言う言葉は、この状況を指しています。 このような説明を受けるとだいぶ理解できるし、専門家はとっくに知っていることでしょうが、ネトウヨと言われることもある私でも「安倍さん大丈夫かな」と思っていました。 ご説明のような内容をもう少し簡単にして一般の人が理解できるような形で紹介する活動があると良いですね。Wikipediaにでも専門家の人が「一般向け」と「専門家向け」に分けて書いていただくと良いと思います。 中韓が勝手なことを言いふらして世界中で活動していますので、日本人が自信を持つ活動が必要です。
- key00001
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お礼ありがとうございます。 > 現代の感覚で当時を語っていたとよく認識できました。このような理解する能力を持たないと、話になりませんね。 柔軟な理解力に敬服します。 極論すりゃ、「侵攻(進撃)か侵略か」は結果論であって、「戦争に勝ったか負けたか」で定義付けされると言っても良いかも知れません・・。 現代人の感覚だと、パットン(米)やらモントゴメリー(英)は進撃で、ロンメル(独)は侵攻,侵略などの熟語を使うと思いますが。 当時のドイツでは「ロンメル将軍が快進撃!」と報じられていたでしょうから。 従い、現代において「当時の日本軍は、侵略などしていない!」などと主張したところで、一理も二理もありますけど、「実質的な意味は無い」と言わざるを得ないでしょう。 特に、中国人などを相手に「それを理解せよ!」と言うのは、無茶な話しです。 少なくとも現代においては、国際的にも、第二次世界大戦における敗戦国である我が国は、「侵略戦争を引き起こした」と定義付けられていますので。 我々日本人も、その事実を認識した上で、「侵略ではない」と主張せねばなりません。 とは言え、やはり当時の事柄は、当時の事情や感覚で考慮,判断すべきであって、その観点からは、現代の我々は、当時の日本(人)のアイデンティティやメンタリティに対しても、何ら恥じる部分は無いと思っています。 一方では、日本(人)のアイデンティティやメンタリティを、現代の感覚で損なおうとするのが、反日国のやり方です。 それは卑劣極まり無い行為で、「精神的な侵略行為」です。 それに対抗する目的から、当時の日本軍の戦争行為を「侵略戦争では無い」とする意見には、私は擁護的な立場です。
お礼
再度ありがとうございました。 >当時の事柄は、当時の事情や感覚で考慮,判断すべきであって、その観点からは、現代の我々は、当時の日本(人)のアイデンティティやメンタリティに対しても、何ら恥じる部分は無い しかし、次は誤解を招きませんか? >当時の日本軍の戦争行為を「侵略戦争では無い」とする意見には、私は擁護的な立場 侵略ではあったが当時は似たようなことを何処もやっていた、のですよね。
- fullfill
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安倍総理は侵略の定義は定まっていないと言っていたようですが、それとの関係は如何なんでしょうか? そもそも、他国の軍隊が進駐するということがどういう意味をなしているのかということから考えなければならないと思います。 列強が世界中で商売を始め、多くの人間がチャイナに住むようになり、居留地では治安が悪くてそういう人々の安全を確保できないという状況で、そのためには軍隊を派遣して自国の居留民を保護する必要が発生しています。 幕末日本は欧米諸国と通商条約等を締結し、商売人らが居留することになりましたが、軍隊の進駐はなされませんでした。 日本の場合は、国(幕府)の治安維持政策が機能しており、一部攘夷派による外国人襲撃はありましたが、一応は安全は確保されていました。まずはこの違いを考える必要があります。 清朝政府が締結した条約をきちんと履行する意思と行動があって、外国人の安全をきちんと守っていれば外国軍隊を進駐させる必要もなかったのではないかと考えます。 ある一点だけを取り上げて事を論じることは正確さに欠けるもので、常に因果関係を把握していく必要があると思います。
お礼
ありがとうございました。 >外国人の安全をきちんと守っていれば外国軍隊を進駐させる必要もなかった 国がちゃんとした姿勢を保っていることの大切さを痛感します。当時は、侵略が悪ではない最後の時期だったという理解ができました。 これに対して、中国ではいまだに侵略が悪ではない時期が続いているようですけど。
- key00001
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質問者さんの侵略と言う定義を、否定も出来ないですが、結局のところ「どの時代のどの立場で、どう定義するか?」と言う話しです。 WWII後は、基本的には敗戦国の戦闘行為の悉くを、侵略戦争と定義付けることを目的としている様なもので、この判断や価値観においては、日中戦争やそれに連なる日本の戦闘行為も、侵略と定義されるでしょう。 更にその後は、侵略に関する国連決議もありますが、それによれば、古今東西の戦闘,戦闘行為や武力衝突の殆どが、当事国のいずれか(又は双方)による侵略と定義付けられる様な内容です。 従い、戦後の感覚で言えば、侵略で良いと思います。 一方、軍事上の侵略とは、領土や主権を略取する目的の侵攻であって、侵攻の一部ですから、両者を区別することに、さほど大きな意味はありません。(侵略戦争は、自衛戦争との対義語と解釈すれば、判り易いかと思います。) また国際法上は、WWII以前には、明確な侵略の定義はありません。 そもそも当時は、日中双方の思惑で、最後通牒や宣戦布告も無きまま、戦争状態に突入しており、後世に日中戦争と言われるまでは、主には「支那事変」と呼称されており、それに至る武力衝突も、事変どころか事件とも言われ、南京侵攻も「南京事件/事変」です。 事変や事件と言うのは、さすがに当時でも詭弁的ではありますが、戦争としても、直前の上海事変からの追撃戦であって、悪く言っても報復戦争とか、当時の上海は、当時の国際法上、正当な条約で入手した租界ですから、良く言えば自衛戦争の一環とも言えます。 手続き的にも、上海事変と南京事件の間に、和平交渉も行っており、その決裂を経た上で、南京陥落に至りますので、南京への侵攻は、日本の立場では、たとえ侵略の意図であっても、それなりに正当性が主張出来るものであることは確かです。 従い、少なくとも当時の日本においては、侵略などでは有り得ませんし、この時点では、まだ国際社会にも日本に擁護的な意見も少なからずあり、日本も国際社会との協調路線を模索している段階です。(アメリカが日本との通商条約を破棄したのは、この2~3年後で、この後に日本は、本格的に孤立化に向かいます。) そういう状況において、日本が当時でも国際社会から後ろ指をさされる様な、侵略を行ったとは考えにくく、また同様に、如何に軍部が暴走状態と言えども、大虐殺をしたなども、更に考えにくいです。
お礼
ありがとうございました。 >日本が当時でも国際社会から後ろ指をさされる様な、侵略を行ったとは考えにくく、 現代の感覚で当時を語っていたとよく認識できました。このような理解する能力を持たないと、話になりませんね。 侵略された中国は嫌だろうけど、あまりそればかり言ってても将来がありませんね。それを彼らに分からせる行動を日本も取らないといけません。平和の海などとアホウドリのようなことばかり言ってるのではなく、排日発言を繰り返す中国へは新技術は渡さないなどの戦略ある行動が必要ですね。
- hideka0404
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訂正します。 便衣兵の戦死者は8000千人は 8000人の間違いです。 失礼しました。
お礼
再度ありがとうございました。
- 2014tawaba
- ベストアンサー率29% (10/34)
>そうではないという意見がありましたら教えてください。 ↑は【悪魔の証明】(無実の証明)と言われているもので、不可能です。 この場合、「告発側の立証責任」により「侵略をした」と主張する側が、その根拠や証拠を出す義務があります。 (なので、侵略でないという証拠はないという屁理屈は通用しません。) 私の見解は、 【当時の国際法には、日本軍の行為を侵略と断定できる条文はありません】 としか言えません。 >太平洋戦争(または大東亜戦争)で中国の南京への日本軍の侵攻はどうみても侵略になると思いますが、 侵略になる理由が不明なので、評価できません。 南京当時の日本と国民党は宣戦布告をしていないので、国際法上の「戦争」にはなっていません。 質問者様の考える侵略とはどのようなものなのでしょうか。 このような質問は過去もありましたが、質問者も回答者もそれを明確にしない為に、 結果として 他国で戦闘をした=侵略 という安易な思考や、ぼくのかんがえたしんりゃく を語る場になってしまっていました。 私は、時代と個人の数だけある正義感とやらで、それを考えたり、全てを知っている(と思っている)現代人の立場から、過去の暗中模索で苦悩していた当事者の行為を評価し、彼らを悪人として吊るし上げることで、ごりっぱな人間 を気取る趣味はありません。 私は、この問題は、まず当時の国際法で考えるべきで、個人の安っぽい正義感を混ぜるべきではないと思います。 このサイトでも誤解している方がよくいますが、 国際法で侵略が違法行為となったのは、WW1の後のパリ条約からですが、 そもそもパリ条約は自衛や侵略以前に「戦争」そのものを否定したものでした。 しかし、それを厳密に解釈すると、侵略に対する自衛戦争すら条約違反になってしまいます。 その為に、当時の調印国は自衛戦争は認められると解釈していましたが、その自衛権の範囲も各国で違っていました。 これについて、当時のアメリカは↓のように言っています。 【この条約は自衛権を制限するものではなく、その内容と範囲は各国が判定できる】 【当事国が決定するものであり、その自衛の範囲は海外への軍隊の配備まで含む】 ↑は、他国に軍隊を出して戦闘を行っても、自衛の為と主張できるということで、事実上ザル法でした。 (話し合いで合意に達しなかったのは、各国が自分に都合のよい解釈をして故意にそうする為でもあります) 「侵略=悪」という認識があったとしても、調印国が「侵略」共通する明確な定義を共有しなければ、意味がありません。 そして、自衛戦争を肯定するには、対となる「侵略」の定義が必要になりますが、 自衛戦争が各国の解釈によるものである以上、侵略もそうならざるを得ませんでした。 これらの結果、その条約では加盟国の様々な事情で、侵略か否かの決定が 【当事国の裁量権に任せる】 となっており、これでは当事国が 「私は侵略をしました」 と言わない限り侵略にはなりません。 ↑のことは、東京裁判では全く問題にされず、日本だけが連合国の都合で侵略をしたと決め付けられ、多くの人が戦犯の冤罪で処刑されています。 当時のアジア情勢ですが、 日清戦争で日本は遼東半島を獲得しましたが、その後三国干渉によって返還させられています。 その後、ロシアは義和団事件に乗じて満州を占領したため、日露戦争がおこります。 日本は日露戦争の勝利により、ロシアから満州鉄道を譲り受け、旅順、大連の租借権を得ました。 同時に、これらの防衛や現地邦人保護のため、満州へ軍隊を置く権利も得ています。 (当時の満州は、清国の政策に拠って住人のいない空白地帯で、更にモンゴルの領有権は中国ソ連も主張しており、日本は国防上の理由から満州を放置できませんでした。) このように日本は、南満州の特殊権益は国際的に認められていました。 アメリカも1917年の「石井・ランシング協定」により、これを認めています。 一方で、当時の中国は清が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態で、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。) そして、当時の世界では、外国人の生命・財産の安全を保証できない国は、それにより被害にあった国が保護監督下におくのも仕方が無いと言う認識が持たれていました。 中国の軍閥政権は大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、現場の緊張は極限状態に達していました。 当然治安も悪く、テロも多発しており、日本人の大尉が中国兵に惨殺される事件も起きています。 【中村大尉事件】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91% … (陸軍参謀中村震太郎(1897年-1931年)大尉と他3名が軍用地誌調査の命を受け、大興安嶺の東側一帯(興安嶺地区立入禁止区域に指定)に農業技師 と身分を詐称して調査旅行していた際、中国張学良配下の関玉衛の指揮する屯墾軍に拘束され、銃殺後に証拠隠滅のため遺体を焼き棄てられた事件のこと) これらの結果、現地の部隊が暴発し、独断行動による戦闘が発生してしまい、それが満州事変や南京攻撃に発展します。 これを侵略とするなら、その原因となった中国の行為も侵略であるはずです。 当時の中国領ですが、多くの国が投資しており、日本人以外にも在中外国人が多数住んでおり、日本政府は彼等の保護を中国に要請してもいました。 更に、共産党が勢力を伸ばしていたことも問題でした。 当時の世界では、共産主義はその掲げている理想に関わらず、結果的には国家そのものを滅ぼす思想であると思われていました。 だとすると、当時の中国の状況は、異なるイデオロギー間の内戦ではなく、外敵の侵略に等しい状態です。 そのような国と国境を接し、現実に日本はその脅威を受けていました。 満州国の独立は、以上のように国防上の為のものでありましたが、同時に南満州鉄道を守る為でもありました。 満州事変以前の国境線のまま中国と接した場合、テロや破壊活動を阻止できません。(画像も参照) 満州国を傀儡政権とかいう意見もありますが、中国に乱立していた政権も清国の後継政権を自称しています。 しかし、その統治は圧政と略奪でしかありませんでした。(満州に人が流れたのはそれが理由です) そのような彼らが認められるなら、傀儡であっても清国の正当な血統である皇帝であり、治安も良く発展していた満州も認められるべきだと思います。 (というか、満州政権の方がよりふさわしいと思います) その後、満州国は日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。 日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。 日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。 これが日中戦争に発展します。 以上から、私は、南京以前の中国の朝鮮での破壊活動やテロはどうみても侵略になると思いますが、そうではないという意見がありましたら教えてください。 【満洲事変~日本が一方的に侵略?】 https://www.youtube.com/watch?v=XNcCsK274NE 【通州事件の真実 01 Sさんの体験談】 https://www.youtube.com/watch?v=U7vJtEzXo_g
お礼
ありがとうございました。 >国際法で侵略が違法行為となったのは、WW1の後のパリ条約から >当時の世界では、外国人の生命・財産の安全を保証できない国は、それにより被害にあった国が保護監督下におくのも仕方が無いと言う認識 >当時の満州は、清国の政策に拠って住人のいない空白地帯で、更にモンゴルの領有権は中国ソ連も主張 >日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩か なければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。 よく理解できました。 >中国の朝鮮での破壊活動やテロはどうみても(日本などへの)侵略になる なるほどこのような理解もできますね。国とは何かということにも遡りますが。 現在の中国の外に向かうパワーを減らすには、中国内での騒乱がさらに多くなり、中国政府が外に向かう余力をなくすしか手がないのかもしれませんね。
- hideka0404
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南京攻略戦は「侵略」ではなく「進撃」ですが? そもそも盧溝橋事件に始まる中国軍の戦闘開始による報復です。 しかも上海事変の時に、中国は首都南京を放棄。重慶に遷都しています、 市民も100万人から25万人に減り、日本軍が進駐後32万人に回復しています。 南京攻略戦の前哨戦での中国軍便衣兵の戦死者は8000千人で、南京城開門前の話で、南京城内の市民の死者報告はありません。 もっとも、中国軍の正規防衛軍は、このとき既に重慶に退却済みです。 日中戦争は、日清戦争、日華戦争と同じで、戦争開始は全て中国側によるものです。 日本はあくまで「後手」側ですけど? それでも侵略? 日本語おかしいですね。 中国側からすれば、この蘇州も「イギリス領」であり、後の国民党南京政府を支援する目的なので、日本領にする気がサラサラありませんでした。 ですので、日本軍が進駐してすぐに、南京政府ができたので、日本はそれを正統な政府と承認したのです。
お礼
ありがとうございました。 別の方のご回答で、当時の外交の手段として侵略はおかしくなかったという理解ができましたので、その理解で読んでいます。 盧溝橋事件は先方が先とか何とか言っても、他国でのいざこざですから進行しあわよくば領土にしよう=侵略しようと考えていたことはあるのでしょうね。 中国に対しては、当時はそう言う考えでやっていたが、今ことを起こすと核戦争にまで発展し、地球がなくなる恐れがあるよと教えてやらねばならない時期ですね。
- hekiyu
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侵略ですね。 ・当時は侵略は悪ではありませんでした。 現代の価値観では侵略は悪ですが、当時は悪では なかったのです。 現代の価値観で評価すれば、歴史の英雄はほとんどが 独裁者だったり殺人鬼だったりです。 ・英米仏独と、どこでも侵略をしていました。 彼らは地球の裏側まで侵略していますが、どういう訳か 中国は彼らに抗議しませんね。 抗議するのは日本に対してだけです。 そして、反日日本人も同じくです。 特に彼らは、過去の日本を非難しますが、中国や北の 現在の所業については口を閉ざします。 これも理解しがたい行為です。
お礼
ありがとうございました。中国へは進行し侵略したが当時は侵略は外交手段であった、という理解ができました。そう言えば元も攻め込んで来ましたからね。 第二次世界大戦を経て、武力による外交はあまりに犠牲が多過ぎる、武力による領土拡張は許されない時代に入って来た、仲よくせねば核戦争に至る危険がある、と世界人民は理解して行動しているわけですな。 歴史上不幸な時期があったが、今後はオレも助けるからお前も助けろ、前向きに仲良くしようということですね。しかし中国などは、世界がおとなしくなったこの時期に、もっと領土を拡張したいと騒ぎを起こしている、という構図になりますかね。
- KappNets
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他国(中国)を侵略/に侵攻したという言い方は正しいと考えられます。英語で言う invasion ですね。 でも一都市である南京を攻略した場合英語で言うと take / capture Nanking となります。 なお、侵略と侵攻はほぼ同義です。侵略は侵攻した上で領土を取るといったより大きな意味で用いるニュアンスはなきにしもあらずですが、目くじら立てて論じるほどの差ではありません。
お礼
ありがとうございました。日本は中国に進攻し、侵略した、うまくいけば領土を取りたかった、ことになるのでしょうか。それとも別の理解があり得ますか?
アメリカ軍が日本に上陸したのも侵略になりますが。 その定義だとね。 >日本軍の侵攻はどうみても 日本からは「進攻」という字を使います。 敵が攻めてきた場合に「侵攻」は使います。 >太平洋戦争(または大東亜戦争)で 太平洋戦争と大東亜戦争は違うものです。
お礼
ありがとうございました。 それで日本は中国を侵略したとお考えですか、別の理解があるか教えていただければ助かります。
お礼
ありがとうございました。そういうことですね。 侵略ではあったが当時の列強国間の常識であり、外交手段だった、という理解ですね。 だいぶすっきりしました。