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還暦からの悟りについて
- 地球の歴史から考えると、私たちは細菌から進化してきた生物であり、肉体と知識を持つことができるようになった。しかし、私たちがこの世界で意識しているものはただの幻想なのかもしれない。
- 般若心経からの悟りは、人生の喜びや悲しみは一時的であり、心の安定を求めることが重要であることを教えてくれる。そして、私たちは肉体が老朽化し死ぬ運命にあることを受け入れる必要がある。
- 私たちはいつかこの世を去る運命にあるが、死後は新たな生物に転生する可能性がある。それは細菌のような微生物になるのか、それとも何か別の存在になるのかはわからない。
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自分が死んだ後の事に悩み苦しみが在る人は、ある意味では幸せと言う言い方も出来ると思いますが、必要以上に苦しむようでしたら、又論外と言うべきでしょうか? 仏教などの要諦は、目に見える世界以外にももう一つ世界が在ることを教えています。見えている世界は全てが真実の世界ですが、自我というフェルターが掛かってしまって『欲と得或は見栄や外見、或はお金の有る無し、或は社会的な地位や、その他には、美人だとかハンサムといった事柄』の世界で苦しむ事を言っています。 死んだら全てが終わってしまうという考えもありますが、死んだら全てが又始まると言う考え方もあります。 お金の在る無しや、命の在る無しの世界から飛び出して、お金が無くとも幸福になる世界や命の在る無しに関らず幸福で在る世界を見付けて下さい。 私の場合では、14歳から32歳までの、十八年間の間苦しみが続いた事がありました、所謂死に対する恐怖症、死にたくない為のノイローゼになった経験です。32歳の時に『自分自身の”無意識の意識”』と出会う体験をしました。 先の動画の世界と同じ体験です。苦しみの原因は苦しみを感じている人が、自分の頭の仲に作り出している幻です。本当の意味では『苦しみには実態などありません』どんなに苦しい状況に追い込まれたとしても、現実を受容れた時、苦しみが終わります。 人間の苦しみとは、『現実を受容れられないと思ってしまう事です。』自分の死でさえ『受容れた瞬間から安らぎに変わります。』動画に在るとおりです。 ノイローゼの最中に読んだ本に『鈴木大拙博士』の著作集があります。貴方にも読むことをお勧めします。禅に関しての世界的な研究者と思います。博士のお陰で『自分の中に永遠の存在がいる事を体験した事が在るからです。』
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- tumaritou1
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自分自身の中に全てを理解している者が存在しています、貴方も実は知っています。只知る術を持っていないだけだからです。 貴方が疑問を抱く原因が全てを物語っています。貴方に逆に質問です。 『では貴方は何故、貴方の疑問を感じているのですか?』 疑問を抱く時『貴方自身の中に答えはすでに用意されています。』 こう云った疑問の解消方法は、釈迦の教えの中の『教外別伝』の項目に入っています。それは”禅”の中に存在しています。禅は掴み所が無いものの代名詞になっていますが、要点だけをお伝ええして置きます。 禅は人間の思考方法の転換を要求しています。 人間の苦しみが『自我意識の発達』を契機にしている事に由来しています。どんな宗教にも共通している『一点』がありますが、人類共通です。その一点とは『心の分裂や矛盾や対立』の解消を目指していると言う意味です。 この『心の分裂や矛盾や対立』の産物が貴方が抱く『疑問』と言う意味です。貴方が抱く疑問は人類共通の疑問です。世界中に沢山の宗教があると思いますが、その疑問の解消にしっかりと道筋を示しているものの中に”禅”の存在がありますが、今の時代ではインドでも中国でも、禅はなくなってしまったと、今から60年も前に鈴木大拙博士が書いています。今の世界で禅が存在している国は日本だけのようですが、日本発の禅が少しずつヨーロッパに広がりつつあるようです。 禅の要諦を書くなら、その心理的な発生起源は聖書とも重なっています。聖書の言いたいことは『人間が何故苦しむように(疑問を抱くように)なったのか?そうして如何したらその苦しみから救われる事が出来るのか?に尽きると思います。。 世の中の生物や動物や植物の中で『何故人間だけに苦しみや深刻な疑問が湧きあがってしまうのか?』と言う理由を探る事が貴方の疑問を解消する手立てと思って書いています。 人間に深い苦しみや深刻な悩みや深い疑問が湧き上がる以前の姿を、聖書では『天国に一番近い存在は幼子。』と記しています。同じく仏教では『嬰児』です、科学的に苦しみの説明を脳の未発達の段階と指摘しています。 ここで脳科学の現在までの進展状況です。ウイキペデアからご紹介してみます。 ”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。” この説明で子供から大人になる段階で『自分の裸を人に見せる事で「恥ずかしい」と言う感情が沸き上がる理由が説明できます。 幼子には見ている自分『一人しか脳内には存在していない事実』を読み取る事が出来ます。思春期頃から”心”は複雑に発達してゆきます。様々な感情や考えが沸き始めている事を意味します。 幼子には想像出来なかった考えとは『自分は何者か?』或は人生とは何ぞや?或は自分(人間)は何処からやって来て何処に行くのか?と、思考をするように成ります。こう云った様々な想いが錯綜する世界観が『妄想』となって、天国から追放されてしまう、と聖書は書いています。 人間に知恵が付いたためと表現していますが、その実は、人間の心に『相対する心が芽生えた事』を意味します。つまり『見ている自分』vs『見られている自分』と言う構図です。 思春期頃になって初めて、もう一つ心が生まれて、人間の心から切り離されてしまう事を意味します。更に悪い事に『この心は』人間の意識界から姿を隠してしまう事です。 此処のところに科学がメスを入れる事が出来ない事で、精神医学界では間違った説がまかり通っているようです、その間違った認識が間違った精神医療界の常識になって間違った精神医療をを支える事になって います。 その最たる弊害が『精神科医の自殺率の高さです。』人間の心の苦しさを治療する人達の第一線で活躍している人達が『自分の心さえ守る術を教えてもらっていない事から、自分の命すら守れない医師達が』国家の威信をかけて、『薬による治療にかまけて、患者の自殺率を高止まりにしている実態が今の世界中に広がっています。』この問題は此処において置いて。 禅の要諦は『自身の中のもう一人の自分との出会い』です。つまり見性と言う体験です。ソクラテスが言った言葉『汝自身を知れ。』と言う意味です。キリスト者なら『神との和解です。』 人間が考えたり感じていると思っている”心”は左脳に存在する人格です、顕在意識とも言われています。釈迦が『我を去れ』と言う意味は『顕在意識にある心は、見栄や欲や得など、期待する心から成り立っているので、この心を捨て去って、もう一つの心”期待しないほうの心を探し出して、期待しない方の心を主体で生きなさい。』と言う意味です。 この期待しない方の心、つまり右脳の人格を説明します。右脳の人格の説明をする場合に丁度善い動画があります。脳科学者が脳卒中になってしまって、内部から右脳と左脳の人格の違いを的確に表現しています。よく観察して下さい。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この動画で語られている内容が、見性です、キリスト者なら、神と和解している最中です。貴方が信じようが信じまいが、全ての人間は『脳内の対話から全てが始まっています。』 普通の日常の中で、人間を突き動かしているものがあります、納期が迫った時などの”あの”感じです。或は身の毛がよだつと言う場合では身の毛を”よだたせている者”です。高いところにいる”あの感じ”です。或は好きな人に会っている時の”あの感じ”です、或は不安が襲ってきた時の”漠然とした得体の知れない恐ろしさと共に感じている”ものです。 こう云った人間に影響を与えているものが、右脳からの情報です。右脳の働き(機能)は『生命維持活動の全てです。』全人格に働きかけているものが、右脳からの情報です。 誰でも知っている事なのですが、ひょっとして忘れている可能性がありますので、確認のために書いてみます。命在るものが全て備えているものがあります。それは『命そのものの働き』です、桜ならその種としての性能や特徴を備えている働きです。昆虫でも動物でも皆同じです。そのものをそのものたらしめている働きです。 人間とて例外では在りません。赤ん坊が何処からやってきたのかは、問わないで置いて、赤ん坊が全てを熟知して命を営んでいます。この営みを知っている者が、命の働き=仏性です。 分かり易く説明するために便宜上三つの分野として分けて説明しますが、本来的には三つに分ける事自体が、全人格的な人間を説明するとしては、無理な事なのですが、この事をお断りして説明します。 一つ目は、赤ん坊が持っている性能(機能)の内、感情や考えが湧き上がるシステムの中での『感情や考えを湧き上がらせている者としての機能が右脳の働きです。不安や安心や恐怖等は誰も赤ん坊に教えなくとも備わっていると言う意味です。 二つ目は、赤ん坊が持っている性能(機能)の内、行動に関しての機能です。手や足や口の動かし方などは、赤ん坊が始めから知っていた事を意味すると言う意味です。 三つ目は、赤ん坊が持っている性能(機能)の内、身体に関する生命維持機能です。心臓でも肺でもホルモンの分泌でも、発汗作用でも、これ以外でも供えている全ての生命維持機能の事です。 今の三つは右脳の機能=命の働き=仏性が全て実効支配しています。この支配権に『左脳の人格である自我意識が割り込んできた場合にだけ、障害に見える現象が表れてきます。』 人間の生命維持を『感情面や思考面で』支えている働きに『自我意識が、出来ない事を出来ると勘違いして、割り込んでくる事があります。この場合が一番の事柄、すなわち心がおかしくなったと思ったり、心に湧き上る考えや感情に、疑いを抱く現象『心を病む』と表現します。 人間の生命維持を『行動面で』支えている働きに、『自我意識が、自分でやっていると勘違いして、割り込んでくる事があります。この場合に二番目に挙げた事柄、行動の自在性を疑う現象、神経症になっています。 人間の生命維持を『身体の機能面で』支えている働きに『自我意識が、出来ない事を出来ると勘違いして、割り込んでくる事があります。児場合では、疑いを持った部位が異常に感じてしまう場合があります、そうして意識する力で、その意識した部位に異常感を作り出しています。この場合を『難治性の心身症』つまり自律神経失調症や過敏性腸症候群と表現しています。 今挙げた疾患と見られている現象は、自我意識が意識するする力で頭の中に作り出している事が原因で作り出している疾患群です。』つまり本人が頭の中に妄想として作り出している事柄です。身体の検査でも脳の検査でも異常が見付からない場合の事です。ノイローゼの一環として作り出された疾患に入ると言う意味です。 今書いた三つの疾患と思われる事柄も、悩みや疑問の解消と同じで、見性体験を通じて完治します。何故なら『心の矛盾』の産物として出ているからです。これ等の疾患の大元が『死に対する不安や恐怖』から派生する事に対して、自分自身に疑いを持つ場合には『永遠に対する憧れが』その大元をなしていると考えられます。右脳の仏性は永遠からやって来ています。心が一つになる事は『嬰児』を意味します。
お礼
ありがとう御座いました。何度も読んで理解をしてみたいと 思います。
補足
読まさせて頂きました。自分に纏わるしがらみから脱し、堪え 忍ぶ訓練で心を強くする事、「教外別伝・禅」で心を空にする こと。で良いでしょうか。 「では貴方は何故、貴方の疑問を感じているのですか?」 還暦を過ぎ、過去を振り返り、廻りの知り合いが死んでいく、 自分は何をしてきたのか、これから何をしていこうか、少し ばかりの財産(土地)はどうなる。など考えてしまいます。 土地など無ければ考えずに楽なんですけど、つまらない事を 心配します。仏教では、初めから無い物は無い、何も考えず 土地が有っても無い物と考える。楽になるそうです。しかし、 その土地の税金だけは必ず有ります。苦しみます。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
- ベストアンサー率11% (26/222)
大変、よい情報交換をされていて小生感動致しました。あなた様は、ご自分の死期を既に感じられておられるように思います。しかし、我々は毎日、死んでいる。だいたい半年でほとんどの細胞が確か入れ替わります。水分にいたっては、3日間で、完全に入れ替わるようです。以下による任意の「認識の深まり」が、あなたに幸有らむことを。 私の回答: >宇宙から来た単細胞が多細胞へと、全ての始まりですね。 いいえ。元々この、あなたが見ておられる世界は、あなたの五感の末端神経の【一番外側の、一番小さな単位(量子)】が、あなたが外と感じる何かと【交換される】だけの実は現象です。(それを脳内で演算処理して私達の五感が成立します。) >自分とは孤立して外に存在がある生物、年月が経ち老朽化し、消滅したものは宇宙に還るのですね。 それは、エネルギーを持った【物=粒子】として、単純に自分の75年たらずの生涯を、自己と仮定して言うならば、間違ってはおりません。 ◎以下の事【物って? 同時に別の場所に存在なんてSF小説じゃないの?】という疑いを抱いて、少し考えてみてください。そして、最後の、ある小生の姉貴のポエムを連想してみてください。何か感じたらそれが答です。ここに書かれている文字は不正確な記号を用いた言語と呼ばれる道具でのみしか表現できませんかなね。^^/ https://www.youtube.com/watch?v=-cM6aVIyQ_I https://www.youtube.com/watch?v=HsbV_QHCBT8 https://www.youtube.com/watch?v=wLKJz73DTGE https://www.youtube.com/watch?v=kYsGS5QAORE +++++++++ 「認識体=観測者」の数だけ宇宙はある、と言えます。『博愛目的で無から』生じるのが、ヒト型の現代レベルの【自分=外界(=宇宙=時間と空間があるイメージ)】です。この「自我と宇宙」の関係は「相補性」であり、 実際のイメージは、絶対無に、ある運動を仮想定すれば【自我】と【時空(=宇宙)】が【相補分化】して【愛し合い目的】で「併存する」、ようなイメージが持てる。 頭の悪い我々一般人でさえも、下記を参考に ""感性のアンテナをのばす"" ことで、「(量子を知る=)物理 =もののことわり」-->「もののことわり=助け合う愛や【笑顔】に満ちた世界」が、イメージとして直感でき、 【現状の地球人は、博愛による美しい『均衡が、崩れ』かけている原因が、自分自身の心理状態によるもの】というようなイメージを直感できる。下記の映像は読者へのプレゼントです。 ++++++++++++ じょうずに なんて ならなくて いい You need not become skillful in every (possible) way. うまく 泳ごう なんて 思わなくて いい You need not have the will to swim better in your everyday life. たくさん 身につけたのなら If you'd have gotten many things by now, それを ひとつずつ 忘れて いけば いい it would be good to forget them one by one. わたし という からっぽの 湖を Into the empty lake called me, ゆっくりと 満たしていく 水の音 there is the sound of the water that slowly fills my lake. その 透明な きれいな 音を That transparent, beautiful sound, 耳を 澄まして I am straining my ears for it, 静かに 聴いている だけで いい and I realize that it's enough for me to just listen to its sound calmly. どんな 言葉 からも 観念 からも 遠く It is here, whatever the phrase and idea is, at a great distance, 静かな 明るい 空の下で under the peaceful bright sky, わたしが 少しずつ 満たされていく I can feel that I shall be filled little by little by the water that keeps flowing into my lake. やがて その水は わたしの ふち から あふれだして In the end, the water naturally overflows my lake's barriers, 別の 誰かを 満たし はじめる and is beginning to fill another person's lake. それが いっぱいに なれば また 別の 誰か へ When that person's lake gets full, it will go to another somebody's lake, そして また 別の 誰か へ and after that to other people's lakes. きこえない時は 何も きかなくて いい When you cannot hear it, you don't have to listen to anything. かわりに 何かを 考えよう としては いけない You must not try to think of anything instead of that. きこえなくても 水は たえまなく 注いでいる Although you could not hear it, the water still keeps flowing into your lake without a break. 何のため でもなく Not even for the sake of anything, ただ わたし と あなた を 満たす ために but merely for the sake of filling me and you.
お礼
ありがとう御座いました。勉強になります。 仏教の全ては空から、いろいろ始まって考えている内に 分野が広がりました。
補足
ありがとう御座います。 未だに分からないのは、肉体は地球に残ります。肉体から抜け出た霊は、本当に宇宙へ散るんですか。存在はあるんですか。 文ですが、意味を考えてみます。「じようずになんてならなくていいから~ただわたしとあなたを満たすために」理解するためにすこし時間がかかると思います。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
深く考えておられますが、その範囲までは日常生活の延長 で得られる「自分とは独立して外に存在があり、結果的に 自分が生じ、その属性として精神が派生している」という、 いわゆる素朴唯物論で理解できます。 そこから先に拡張していくと、そうした世界観を一新する 様相が現れます。 進化において「単細胞生物から多細胞生物、さらに社会的 生命として集団化した」というのは「生物進化」といいます。 それは、ランダムな相互作用(エントロピー増大)の中で、 持続性のあるものが残っていくという事であり、生物進化の 前にも、ビッグバンのエネルギー(量子)から素粒子(超弦 =量子定常波)が生まれ、その集まりの中から安定した原子 が蓄積し、原子の相互作用から分子が生まれ(ここまでを 「物質進化」と呼ぶ)、そうした塵が集まってできた恒星系 の惑星の海で様々な化合反応が起きて安定な有機物が蓄積し (これを「化学進化」と呼ぶ)、その中から、「安定ゆえに エントロピー増大に抗して残る」のではなく、「増殖する事 でエントロピー増大に抗する」反応が生まれました(それ 以降が「生物進化」)。 ここに表れる「量子(超弦)>クォーク>素粒子>原子> 分子>細胞>個体(意識)」という進化は、ある単位の相互 作用の中で安定な反応が残り、それが新たな相互作用の単位 となるという「階層現象化」としての本質があります。 その根源である量子は、我々の日常的意識の素朴唯物論の 「意識の外に先入的存在(あるいは絶対時空)がある」と いう世界観をゆるがす、不確定性原理(存在性を構成する 相補的確率性の一方を確定しようとすると他方が無限不確定 に発散する)の実体化である、あるいは相対性理論の四次元 時空において時間軸は虚数関係にあり、空間軸との等距離点 に0の面(界面原点)が生じ、それが光(量子)の描く軌跡 (ライトコーン)である(意識において発生した時空への 無の射影)といった形で、「本質」や「根源」を乖離させる ものになります。 これらが時間性なら、「微生物が分解した土に育った植物を 食べた動物を我々が食べ、死んで微生物に分解される」とい うのは、物質循環=進化の過程の空間への射影だと言えます。 「『進化の過程の射影』と言っても、前段の物質進化や化学 進化は射影していないだろう」と言いたくなります。 しかし生物の食物連鎖は、それ自身で完結している閉鎖系で はなく、宇宙に広がる開放系なのです。 生態系の本質は、太陽光線のエネルギーによって励起された 化合物の合成(光合成=植物)と分解(消化=動物)の連鎖 反応です。 植物が成長(合成)するために、二酸化炭素と水、窒素など の化合反応の材料が必要であり、動物抜きの分解(紫外線に よる分解や大気による風化・酸化)より、動物による能動的 摂食と生化学反応による高速の分解の方が、有効なのです。 生命の進化とは、いかなる“強い種”の創出でもなく、地球 に降り注ぐ太陽光線が、輻射によって再び宇宙に還って行く プロセスにおける、生態系としての多様化=地球上の熱容量 (物質循環量と速度)の増大だと言えるのです。 そこに表れる「宇宙につながる連鎖反応」は、光=量子相互 作用が本質的に同時作用(前後を入れ替えても変らない)に おいて、「太陽から光が目に届いて、全宇宙で太陽が見える」 と「全宇宙の目から光が発して、太陽に集中して輝いている」 という事が等価である、あるいは量子論の「強い人間原理」 において自己(現在=感受表面=量子相互作用=光速)から過去 (記憶=自我仮説(時間)=超光速)と未来(予測=時空仮説 (空間)=光速下)への相補分化の、パースペクティブとしての 138億年の進化=半径138億光年の宇宙なのです。 その「過去と未来」「時間と空間」の対発生の、138億光年 彼方における対消滅としての宇宙の果てはまた、先述の量子 相互作用の同時性による等価としてのビッグバンなのです。
お礼
大変難しい説明ですが、理解しようとしています。しかし、自分なりに簡単に解釈してしまいますので、説明を付け加えるほうが複雑でややこしいので、大筋、的をえているようであれば満足です。ありがとうございました。
補足
宇宙から来た単細胞が多細胞へと、全ての始まりですね。自分とは孤立して外に存在がある生物、年月が経ち老朽化し、消滅したものは宇宙に還るのですね。このように理解してよろしいでしょうか。
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
こんばんは。 1はまぁ良しとして・・・。 ☆人間も「好適環境水と空気」だけで生き延びられる日が来るかもしれない。 ◇のはずはありえません。人間の脳は、大量のエネルギーを必要としますので。 《好適環境水》が砂糖水でもあれば、エネルギー的な条件だけはなんとかクリアーできるでしょうけれども。 そもそも「好適環境水と空気」だけで生きられるとしたら、それはもはやヒトという種ではなくなっています。 ☆ この世の全ては、人間の意識が創った錯覚なのか。 ◇かもしれません。この可能性は否定できません。 ☆人間は便利な物を作り運動もしなくなり、将来は退化し脳だけの物体へと変わ りゆくのだろうか。 ◇進化と退化は表裏の関係ですよ。 また、脳だけでは生きられませんよ。呼吸もできなければ、必要とする栄養の補給もできませんから。 ですが、将来、科学技術の力を借りて、脳だけは元のまま、その他は機械ということはありえるかもしれません。 ただ、この時、この存在を人間やヒトと呼べるかは、クエスチョンマークがつきますが・・・。 ☆☆☆☆☆☆ 経典の解釈は一人ひとりの自由である、と一言ことわった上で、 厳しいかもしれませんが、 3はまったくお話になりません。 『般若心経』のどこをどう読めば、このようになるのでしょうか? この件につきましては、お相手いたしますので、 あらたに質問なさってみてはいかがでしょうか? ☆☆☆☆☆☆ ☆肉体は土葬・火葬・海葬いずれにしても海に陸地に帰 り、細菌となって新たな生物と生まれ変わり輪廻転生される。細菌(細胞)が、この次 は何になるのであろう。 ◇物質循環と輪廻や進化(?)を混同なさっているのではありませんか? まったく別なものですよ。
お礼
丁寧なご説明ありがとう御座います。 生物・哲学・宗教がごちやまぜですが、自分なりの人生を振り返れば、なにも残っていません。走馬燈のように思い出されますが 全て過去のこと、一秒先をしっかりと粍単位でやるべきことをするだけです。いつの間にか年齢だけが増えています。 なぜか、のんびりと楽しそうな国をみていると、その国に生まれなかったのか、他国はいい国に見えます。
補足
般若心経の日本語訳の本を読みました。全てが空につながつています。自分の肉体も無く五官も無い、空であると。 諸行無常「秒単位で世の中が変わり」の習わしは「粍単位で物事が進んでいく」繋ぎなる。過ぎし日は「一秒後は過去現実では無い」夢の又夢「過去は戻らない無いのと同じ、写真のみが現実へと蘇る」我が身は空「自分の肉体は無い」無心なり「肉体が無いのだから心も無い、苦しみも痛みも無い」簡単ですがこのように 理解しました。現実には苦しみも痛みもあります。その弱さに対して「善悪強弱は我が心に有り」仏に頼るより自分自身の意思です。「愛を守る責任から欲へ、欲の未練が悩み苦しみへ」 家族を愛し、好きな車を買い、大事に守る、その責任からさらに欲がうまれ、思いどおりにならない未練で悩み苦しむ、ならば、 初めから空、無いものである愛や好みを全て捨てれば楽になると、般若心経は教えています。
お礼
有賀という御座います。 鈴木大拙博士の本の題名は何ですか。 読んでみたいと思います。
補足
同窓会の幹事をしたことが有ります。 自腹はもちろんで、他の人の要望や意見も聞きます。 しかし、幹事なりの欲望もあり、企画するのがわく わくしてきます。それなりに苦労もあります。 しかし、ある程度段取りが終わりつつあるとき、突 然に幹事を交代させられました。段取りのほとんど が変わってしまったのです。悔しいのやら腹が立つ やら、そこで、後は任せて私は見ている事にしました。 気持ちが楽になりましたが、すきま風も吹いています。 未練である苦しみを受け入れました。