• ベストアンサー

死刑の悪用について

hekiyuの回答

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.10

相変わらず頑張っていますね。 ワタシ、極めて幸せです。 ”罪と罰を逆方向で考えると、「自分の命を差し出せば、人を殺してもいい」  ということですか?”     ↑ 違います。 法はまず「禁止規範」として作用します。 つまり、 人を殺してはいけないよ、もしも守らなかったら 死刑にしますよ、ということで、死刑は禁止規範の 担保に過ぎません。 ”秋葉原や土浦のような悲劇に、この先何度も遭遇する  ことになりそうです。”    ↑ 仮にそうでも、全体からみれば少数派でしょう。 例外を基本にして、死刑制度全体を論ずるのは問題です。 ”遺族の気持ちを考慮すれば、ただ悪い奴を殺すというだけではダメだと思います。 遺族は一生苦しみ続けるでしょう。”     ↑ 死刑にしなかったら、もっと苦しみます。 ”「命は命で償う(償える)」という考え自体を変えなきゃいけない気がします。”     ↑ 刑法にはそんな考えはありません。 あるのは応報刑であり、教育刑です。 そもそも命を補うことなど、人間には 不可能です。 ”どうすればいいのか分かりません。”     ↑ 理屈をいくらこね回しても、得るモノは 無いですよ。 神学論争みたいなものです。 死刑を廃止したら犯罪が減るのか、より良い 社会になるのか、ということの方がはるかに 重要です。 かつて徳川家康は鐘に刻まれた文字を理由に 豊臣家を攻撃しましたが、こういう理屈は 鐘に刻まれた文字と同じで、それじたい 意味はありません。  

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >担保に過ぎません。 でも、宅間や加藤には この担保も無意味だったわけですよね。 >仮にそうでも、全体からみれば少数派でしょう。 いや、私は例外ではなく これぞ殺人者の真骨頂だと思います。 というのは、充実した人生を送っていて、大切な家族があって 幸せな人間が滅多に殺人なんか犯すはずがありません。大体、殺人を犯すのは 人生に絶望しやけくそになっている人が殆どだと思います。でも、そんな人間でも流石に死ぬのは怖いようです。 ここが私とhekiyuさんとの考えの最大の違いかもしれませんが、死刑が最高の刑であるのは 善人も悪人もこの世で命ほど大切なものはない 価値観が前提があると思います。しかし、この価値観は全ての人が 当たり前のように持つわけではないんです。自分の命を粗末にする人間は人の命も粗末にするものです。不良少年なんかは シンナーを吸ったり バイクで危険運転をしたり 自分の命も大事になんか思っていません。なぜ、そうなるかというと 一番大きな要因は愛情に飢えているからです。そして、そんな人間が命の大切さを認識することには 人を殺して法廷に立っていることが多いですが、これでは もう遅いんです。また、これも hekiyuさんに言ったことがあると思いますが、日本では年間 殺人件数が 約1000件に対し、自殺者数は3万人近くにのぼります。また、自殺者がもっと多く用いる方法は死刑の方法とも似ています。これは単純に考えれば この世には牢屋に入らなくとも 死刑よりも辛いことが沢山あることになるかと思います。 >死刑にしなかったら、もっと苦しみます。 池田小の事件の場合は 宅間が死刑になることで 宅間に対する憎しみは緩和されたと思いますが、宅間が法廷で「お前らの子供8人は わいが死刑になるために生れて来たんだ。」と吐いたセリフを認めるようで 却って 虚しさと悔しさと敗北感を感じたんではないかと思います。 > 死刑を廃止したら犯罪が減るのか、より良い 社会になるのか、ということの方がはるかに 重要です。 私は死刑を廃止しても変わらないと思います。死刑になるので殺人を思いとどまる人もいれば、死刑になりたくて殺人を犯す人もいるので、プラマイゼロでしょ。それに、日本は もともと殺人件数も諸外国に比べても低いです。日本は物質的に豊かで平和で医療も充実しているのに、年間3万人近くも自殺するような国が 果してよい社会と言えるでしょうか? 私も死刑をなくしたところで日本がよい社会になるとは思いませんが、日本も自殺者の少ない よりよい社会を目指せば やがては死刑も不要になるのではないかと思います。つまり、逆説かもしれませんが、死刑が効力をもつような「この世で命ほど大切なものはない」という価値観をみんな持つようになることが、死刑廃止へ中間プロセスかもしれません。

関連するQ&A

  • 罪と罰を逆方向で考えると

    とある フォーラムで死刑について話題になり、秋葉原や土浦のような悲劇を見ると、本当に犯人はふざけているとしか言えません という話になりました。そして、それに関して 「 罪と罰を逆方向で考えると、自分の命を差し出せば、人を殺してもいい」ということですか?」という疑問が提起され、それに私は 偉そうに ”あなたの理屈からしたら、どんな罪でも罰を受ければやってもいいということになるんだけど? そんな屁理屈持ってきてなんで都合よく死刑だけをとりあげるの? そもそも社会において犯罪がなくならないのは当たり前。 罰あくまで減らす目的でしかない。 犯罪が0になったら、より厳しい法律を作って犯罪者を作り出すのが社会というものでしょ。 詐欺がなくなれば、損害を受けたわけでもないのにうそをついただけで犯罪になるとかね。 今すぐ犯罪をなくすのは簡単だよ。法律をなくせばいい。 あなたが言ってる屁理屈はこれと同レベル、 根本的におかしいからこんな考え方の基で解決策なんか模索してもまともな答えなんかでるわけない。” と偉そうに 答えたんですが、 自分で答えが出せないことを 屁理屈だと卑下し、相手の質問か ら 逃げていたと反省しています。 勿論、"自分の命を差し出せば、人を殺してもいい"とは なりませんが、どうしてなのか私も説明できません。 説明できる方はおりますか?

  • 死刑は自らの命で償うというオトシマエの問題

    殺人の被害者遺族の中には、死刑を望まない人もおります。しかし、大半の遺族は苛烈な処罰感情に苦しんでいます。 犯罪被害者遺族の会の記事なんか読むと、加害者が死刑にならない 限り、自分達は再出発できないと言ってます。 しかし、そもそも被害者の遺族感情は死刑の是非と論じる根拠にして はいけないと思います。 死刑は、利己的な動機で罪のない人の命を奪った罪に対して、自らの 命で償うというオトシマエの問題です。 例え、被害者遺族がバリバリの死刑反対派で、死刑だけは止めてくれ と泣いて頼まれても冷徹に執行されるべきだと考えます。 みなさんは、どう思いますか?

  • 死刑制度に賛成?反対?

    死刑制度に賛成の方は「反対派は被害者遺族の気持ちを考えていないから・・・」とか言っていますが、逆に死刑囚側の気持ちを考えていないのも事実です。 例  ある男が無差別に10人殺した          ↓    10人の被害者の生存権が奪われた          ↓    だから男の生存権も奪ってよい とはならないでしょう。生存権を奪った者がいたなら、その者の生存権を考慮し、一生をかけて反省させながら、真面目に生かしておけばいいのではないでしょうか。「人を殺したから、そいつも殺す」という考えでは負の感情しか産まれないのでは?  皆さんはどう思いますかね。

  • 死刑は必要か不要か

    最近、死刑制度についていろいろと考えを巡らせています。 この制度があった方がいいのか、ない方がいいのかということです。 自分の最愛の人が殺された場合、遺族の立場としては、被疑者が生きていることや、同じ空気を吸っていることすら許されないと思うでしょうし、そう考えると死刑は必要と思えます。 死刑廃止論者の方もたくさんいますが、そういう人は、自分の最愛の人が殺されても死刑の廃止を訴えられるかどうか知りたいです。・・・残念ながらそういうのを聞く機会はないですが。 死刑廃止を訴える人の気持ちも理解はできます。被害者や遺族の感情ではなく、客観的に、悪人であれ人の命を奪う行為がいいことなのか、もしえん罪だった場合に取り返しがつかなくなるとか、秋葉原殺傷事件のように、自分を死刑にしてほしいがために殺人を犯すとか、いろいろな理由があるでしょう。 秋葉原の事件の例があると、死刑の存在もどうなのかと思ってしまいますが、自分を殺してほしいがために殺人をするような人には死刑を執行せず、終身刑で仮出所もなく、一生苦しみながら過ごす刑のようなものを作ってほしいです。 そして、やはり死刑は無くさない方がいいと思います。 さらに、殺人だけではなく、幼児誘拐や幼児への暴行、女性への暴行は、たとえ被害者が殺されていなくても死刑を求刑できる制度にすれば、性犯罪や弱い人への犯罪抑止効果になるのではないでしょうか。 どうしても死刑を反対する人の気持ちが分からないのですが、悪人であれ罪人の命を奪うこと、冤罪リスクを避けること、これら以外に何か死刑を廃止すべき強い主張をお持ちの方いたら教えてください。 (もちろん、自分の最愛の人が殺されても、それでも廃止すべきという考えを持っている人に限ります)

  • 私も死刑肯定派ですから。

    冤罪が100%考えられない案件(例:池田小児童殺人事件、秋葉原通り魔事件など)については、『長期間の拷問の後極刑』という方法があってもいいくらいです。 だって、何の関係のない、ただただ犯人の個人的な自暴自棄や社会への恨みつらみに強引に巻き込まれ、ましてや命まで失うなんて考えられない。 ある日突然、大切な家族が目の前からいなくなる悲しみ・喪失感・絶望、、、その心情は計り知れません。 もし自分が被害者家族の立場なら…、加害者が刑務所で衣食住を与えられて(税金うんぬんは別にしても)生活できているなんて、考えられません。 光市母子殺人事件の加害者も同じだなー。 裁判であそこまで手のひら返して、あの手この手で極刑を免れようとするあの様は、何重にも被害者遺族を苦しめている。正直、事件の解明ってどこまで必要なんだろう?どこまで掘り下げても、結局は被害者遺族を苦しめて加害者は好き勝手な言い訳をする機会が与えられているだけのような気がする。 加害者がこの世からいなくなって初めて、被害者遺族は第二の人生を歩めるんじゃないんだろうか? 少なくとも自分だったらそうだと思う。 そこで質問です。みなさんは 死刑の存続について いかがお考えですか?

  • 死刑制度に賛成ですか?反対ですか?

    【日本の現行の死刑制度に賛成ですか?それとも、反対ですか?】 非常に難しい問題であると思いますが、皆様からの御投稿をお待ちしております。 さて、私はと言うと…死刑制度には【賛成】です。 そのように言うと、死刑囚(加害者)の【人権】はどうなるのだ…という御意見も出るかとおもいますが、では逆に、「被害にあってしまい殺された人達(被害者)の【人権】や遺族感情はどうなるのだ 」と言うことも出来ます。 何人まで人の命を奪ったら死刑、どのような方法・動機で人を殺めたら死刑という【基準】となるものが存在していません。実際、ひとりの人の命を奪うということ自体、人として、人間としての道にそれることであるわけです。決して、許されることではないわけです。 つまり、何人の人の命を自らの犯行によって奪ったから死刑を求刑されるという【基準】があること自体、私は大きな疑問を感じるわけです。 ひとりの人のかけがえのない命を奪うという行為自体、同じ人間として、断じて許されることではありません。 【死刑=贖罪】であると、私は考えます。 この問題に関しては、賛否両論に分かれると重々、承知しておりますが、皆様からの御意見・御回答をどうぞよろしくお願い致します。 最後まで読んで下さって、ありがとうございます。

  • 死刑によって得られるものには

    死刑によって得られるものには 「被害者とその遺族への同情」と「報復感情」 それと、「犯罪の抑止効果」があると思います。 死刑を廃止した国では、軒並み殺人が増加しています。 10万あたりの殺人の件数ですが。 ・英国では 0,73件 → 1、11件 ・フランス 2,68 → 4,72 ・カナダについては、アムネステイインターナショナルは、 3,09 → 2,4 と減少したと発表しました。 しかし、これは 警官殺人と一般殺人を比較したもので しかも、わざと時期を変えています。 時期を同じにして一般殺人と一般殺人をを比較すれば 1,25 → 3,03 とやはり激増しております。 また、不公平感もあるでしょう。 片や理不尽に生命を奪われているのに、生命を奪った 極悪人の方は、税金で医衣食住を賄われ、天寿を全う することを国家が保障する、というのですから 不公平も極まります。 それから、被害者遺族が死刑を希望する理由は ↑ 以上のような不公平感に基づく恨みでしょう。 罪も無い家族が殺されているのに、殺した奴は のうのうと生きている。 これは許せない、という感情です。 あと、“死刑執行後に 遺族の苦しみは軽減されたと思いますか?”という問いには 遺族へのインタビューなどをみていると、 これで安心したとか、これで被害者も救われる、とかの 発言が目立ちます。 少しは軽減されたと思います。それは 不公平感が除去されるからです。 最後に こういう不公平感は人間の根本に通じているらしく、 不公平には幼い子供でも抗議します。 みなさんはどう思いますか?

  • 死刑制度については

    死刑制度について議論されるべきは制度存続の是非ではなく、 刑の執行方法が現行のままで適切かどうかについてだと思います。 被害者=死んではならない人が強制的に苦痛を伴う死を強いられた というのに、加害者=他人の命を理不尽に奪った者 が絞首刑という 安楽死(温情刑)で苦痛の無い安らかな最期を与えられているという あまりにもアンフェアな現状に激しい憤りを覚えます。 死刑は司法による殺人などではなく犯した罪に対する適正な処罰です。 理不尽に他人の命を奪ったのは殺人犯の方です。 他人の命を奪うという犯罪が存在しているのですから、 自らの命をもって償うという罰が存在するのは当たり前のことです。 死刑囚は他人の命を理不尽に奪ったから死刑を言い渡されたのです。 自分が先に殺さなければ死刑判決を受けることなど無かったのです。 死刑判決を言い渡される原因を作ったのは犯罪者自身なのですから。 刑罰には犯罪者に罰を与えるというだけでなく 見せしめることで犯罪抑止力を持たせるという役割もあります。 犯した罪の重さと比べてそれに課せられる刑罰が著しく軽いようでは 犯罪抑止の効果は全く期待出来ないと思います。 たとえば100万円を盗んだ罪に課せられる刑罰が罰金10円では、 刑罰としての体を成さないばかりか、犯罪抑止にも繋がりません。 しかし、これが我が国の刑罰の現状なのです。 支那人によるサンゴ密猟事件がその良い例ですね。 また、死刑を廃止するということは、 どんな罪を犯しても国と法が犯罪者の存命を保証するということです。 どんなに残虐な方法で、どんなに多人数を殺しても 更生不能な凶悪犯罪者の生存が保証されるということです。 これはまさに国による殺人許可です。法による殺人幇助です。 適正な罰則規定があってこそ公序良俗、安寧秩序が保たれるのだと思います。 そこで質問ですが、みなさんは 死刑制度について いかがお考えですか?

  • 死刑制度について

    突然ですが、皆さんは死刑制度というか、死刑について、賛成でしょうか、反対でしょうか。私は賛成です。ていうか、今の法律おかしすぎですよ。何で加害者ばかり、守られて被害者は、守られてないんでしょうか。人を殺した時点で、更生とかいう以前に、生きる資格はありませんよ。それは、いかに10代でも、その人の回りの環境が、悪くてもです。人の命を、誰も奪う権利はないからです。お金をもらう方法も、ありますが人の命は、お金にかえることは、出来ないと半分思います。それでも、更生が大事だというなら、10代でも名前と顔を、出すべきでしょ。その上で、自分が犯した罪を一生、背負いながら生きていくのが、普通だと思うんですが。皆さんは、どうお考えでしょうか?

  • 死刑は「正義の実現」のためです。

    本来、死刑に「効果」を求めるのは間違っているのです。 人間の命は平等です。被害者の命を奪った罪に対して死刑以外の 刑罰では「加害者の命>被害者の命」となり公平を欠くのです。 それは正義ではありません。 罪無き人の命を奪った罪は、自らの命で償わせる。 これが原則であり、正義の実現です。 正義が軽視された社会に、理想も調和も秩序も発展もありません。 死刑反対派は、死刑は権力の乱用、人権侵害だと言いますが、 加害者に人権があることは、犯した罪に対する罰を逃れる権利が あるというわけではありません。 日本で死刑になりたくなければ、人を殺さなければいいだけです。 それでもルールを破って人を殺す者の人権は、社会に制約されて 当然です。 死刑賛成派は「正義の実現」の為に、加害者の命を奪う死刑の重責 を、社会全員で背負ってゆく覚悟がありますが、死刑廃止はこの 重責から逃げているのです。 死刑を廃止すれば、もうどんなケースであろうと死刑が出ないの だから、死刑か否かと悩む必要もなく、気楽なことでしょう。 でもそれは、何が正義かという厳しい判断を放棄し、正義を実現 する責任からも逃避することです。 そして死刑反対派は、逃げながら折衷案のつもりで、死刑よりも はるかに人間の尊厳を損なう終身刑などというものを持ち出します。 人間というものに関する無知なるがゆえ、そして臆病で卑怯で 無責任なるがゆえ、より大きな過ちを犯そうとするのです。 今のところ、日本人の85%はそのような妄想的非常識人ではない ので、当分死刑が廃止される気遣いがないのが幸いです この考えで間違っている部分はありますか?