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死刑の悪用について

罪と罰を逆方向で考えると、「自分の命を差し出せば、人を殺してもいい」ということですか? もしそうなら、(そうでなくても?)、秋葉原や土浦のような悲劇に、この先何度も遭遇することになりそうです。 遺族の気持ちを考慮すれば、ただ悪い奴を殺すというだけではダメだと思います。 遺族は一生苦しみ続けるでしょう。 新たな被害者・遺族を生み出さないために、「命は命で償う(償える)」という考え自体を変えなきゃいけない気がします。 しかしどうすればいいのか分かりません。 誰か教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • gouzig
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回答No.13

No.11gouzigです。 お礼コメントありがとうございます。 Erdbeerkegelsさんに苦い経験があるのですね。 確かに心に残る出来事ですね。 でもそれは死刑反対の理由にはなりませんでしょ? 凶悪な殺人を犯した人間に同じような思いはもてませんね。 「ご遺族の気持ち」と書かれていますが、どれほどのご遺族が犯人が死刑執行されて心を傷めているのか。 いないとはいいませんがかなりのご遺族が心を傷めてるはずはないでしょう? ですから、ご遺族を利用せずにErdbeerkegelsさんが反対だという考えをどんどん書いていただきたいのです。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

再度ありがとうございます。 >でもそれは死刑反対の理由にはなりませんでしょ? 勿論、死刑反対の理由にはなりませんね。 ただ、私は日本人の多数が死刑を支持する基盤として ネガティブ思考があると思うんです。 だから、日本は物質的に豊かで平和で医療も充実しているのに 自殺者も多く、死刑賛成者の多いのだと思います。 余談ですが、ブラジルなんかだと 殺人件数と自殺者数が日本と 真逆です。

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その他の回答 (12)

回答No.12

あなたの理屈からしたら、どんな罪でも罰を受ければやってもいいということになるんだけど? そんな屁理屈持ってきてなんで都合よく死刑だけをとりあげるの? そもそも社会において犯罪がなくならないのは当たり前。 罰あくまで減らす目的でしかない。 犯罪が0になったら、より厳しい法律を作って犯罪者を作り出すのが社会というものでしょ。 詐欺がなくなれば、損害を受けたわけでもないのにうそをついただけで犯罪になるとかね。 今すぐ犯罪をなくすのは簡単だよ。法律をなくせばいい。 あなたが言ってる屁理屈はこれと同レベル、 根本的におかしいからこんな考え方の基で解決策なんか模索してもまともな答えなんかでるわけない。 てかね、犯罪者を減らす努力は、 警察って治安を護る組織をつくったり、子供のうちから教育をしたり、 経済的な理由で人から物を奪わなくてすむように経済の安定を図ったり なにも罰を与えることだけが抑止力じゃないので、罰を受ければ罪を犯してもいいなんて発想自体がおかしい。 そんな発想でいいなら、子供に倫理教育する必要ないです。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >あなたの理屈からしたら、どんな罪でも罰を受ければやってもいいということになるんだけど? そんな屁理屈持ってきてなんで都合よく死刑だけをとりあげるの? 私自身の考えというわけでもなくて、一つの仮定ですね。 >あなたの理屈からしたら、どんな罪でも罰を受ければやってもいいということになるんだけど? 多くの人は そこで屁理屈と言って 不条理性から目を背けるんですよね。罪を犯したら罰を与えるというのは 性悪説の考えに近いと思いますが、それを屁理屈だというのは性善説に近いと思います。つまり、Akesimu2149さんも含めて 自分も明確な答えを出せなくとも 自分の優位性を保とうとする詭弁の一つなんですよ。例えば 自分の解けない数学の問題を出されて、分かりませんと降参しないで こんな数学の問題はナンセンスだというようなものですね。 >警察って治安を護る組織をつくったり、子供のうちから教育をしたり、 子供の教育をするのは警察の役目じゃないでしょ。 >そんな発想でいいなら、子供に倫理教育する必要ないです。 Akesimu2149さんも他の回答者より 少しは利口なようですね。

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  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.11

とてもいい質問だと思います。 でも、Erdbeerkegelsさんの後半の内容に疑問です。 「しかしどうすればいいのか分かりません」と云っているのですが、「遺族の気持ちを考慮すれば、ただ悪い奴を殺すというだけではダメだと思います。遺族は一生苦しみ続けるでしょう」という結論を書いていますね。 「遺族は一生苦しみ続けるでしょう」ですが、ご遺族はそんなこと言っていないと思います。 ご遺族の気持ちではなく、Erdbeerkegelsさんの気持ちだと思います。 死刑論議はいいテーマだと思いますが、「ご遺族の気持ち」を利用するのはよくありません。 Erdbeerkegelsさんご自身の気持ちだと前面に出してほしいです。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >ご遺族の気持ちではなく、Erdbeerkegelsさんの気持ちだと思います。 いや、私も 仲良しのいとこが 飲酒運転の車で轢逃げされて、その運転手が自殺したという 悲しくて苦い経験があります。

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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.10

相変わらず頑張っていますね。 ワタシ、極めて幸せです。 ”罪と罰を逆方向で考えると、「自分の命を差し出せば、人を殺してもいい」  ということですか?”     ↑ 違います。 法はまず「禁止規範」として作用します。 つまり、 人を殺してはいけないよ、もしも守らなかったら 死刑にしますよ、ということで、死刑は禁止規範の 担保に過ぎません。 ”秋葉原や土浦のような悲劇に、この先何度も遭遇する  ことになりそうです。”    ↑ 仮にそうでも、全体からみれば少数派でしょう。 例外を基本にして、死刑制度全体を論ずるのは問題です。 ”遺族の気持ちを考慮すれば、ただ悪い奴を殺すというだけではダメだと思います。 遺族は一生苦しみ続けるでしょう。”     ↑ 死刑にしなかったら、もっと苦しみます。 ”「命は命で償う(償える)」という考え自体を変えなきゃいけない気がします。”     ↑ 刑法にはそんな考えはありません。 あるのは応報刑であり、教育刑です。 そもそも命を補うことなど、人間には 不可能です。 ”どうすればいいのか分かりません。”     ↑ 理屈をいくらこね回しても、得るモノは 無いですよ。 神学論争みたいなものです。 死刑を廃止したら犯罪が減るのか、より良い 社会になるのか、ということの方がはるかに 重要です。 かつて徳川家康は鐘に刻まれた文字を理由に 豊臣家を攻撃しましたが、こういう理屈は 鐘に刻まれた文字と同じで、それじたい 意味はありません。  

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >担保に過ぎません。 でも、宅間や加藤には この担保も無意味だったわけですよね。 >仮にそうでも、全体からみれば少数派でしょう。 いや、私は例外ではなく これぞ殺人者の真骨頂だと思います。 というのは、充実した人生を送っていて、大切な家族があって 幸せな人間が滅多に殺人なんか犯すはずがありません。大体、殺人を犯すのは 人生に絶望しやけくそになっている人が殆どだと思います。でも、そんな人間でも流石に死ぬのは怖いようです。 ここが私とhekiyuさんとの考えの最大の違いかもしれませんが、死刑が最高の刑であるのは 善人も悪人もこの世で命ほど大切なものはない 価値観が前提があると思います。しかし、この価値観は全ての人が 当たり前のように持つわけではないんです。自分の命を粗末にする人間は人の命も粗末にするものです。不良少年なんかは シンナーを吸ったり バイクで危険運転をしたり 自分の命も大事になんか思っていません。なぜ、そうなるかというと 一番大きな要因は愛情に飢えているからです。そして、そんな人間が命の大切さを認識することには 人を殺して法廷に立っていることが多いですが、これでは もう遅いんです。また、これも hekiyuさんに言ったことがあると思いますが、日本では年間 殺人件数が 約1000件に対し、自殺者数は3万人近くにのぼります。また、自殺者がもっと多く用いる方法は死刑の方法とも似ています。これは単純に考えれば この世には牢屋に入らなくとも 死刑よりも辛いことが沢山あることになるかと思います。 >死刑にしなかったら、もっと苦しみます。 池田小の事件の場合は 宅間が死刑になることで 宅間に対する憎しみは緩和されたと思いますが、宅間が法廷で「お前らの子供8人は わいが死刑になるために生れて来たんだ。」と吐いたセリフを認めるようで 却って 虚しさと悔しさと敗北感を感じたんではないかと思います。 > 死刑を廃止したら犯罪が減るのか、より良い 社会になるのか、ということの方がはるかに 重要です。 私は死刑を廃止しても変わらないと思います。死刑になるので殺人を思いとどまる人もいれば、死刑になりたくて殺人を犯す人もいるので、プラマイゼロでしょ。それに、日本は もともと殺人件数も諸外国に比べても低いです。日本は物質的に豊かで平和で医療も充実しているのに、年間3万人近くも自殺するような国が 果してよい社会と言えるでしょうか? 私も死刑をなくしたところで日本がよい社会になるとは思いませんが、日本も自殺者の少ない よりよい社会を目指せば やがては死刑も不要になるのではないかと思います。つまり、逆説かもしれませんが、死刑が効力をもつような「この世で命ほど大切なものはない」という価値観をみんな持つようになることが、死刑廃止へ中間プロセスかもしれません。

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  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.9

お礼ありがとうございます。 スミマセン。 「どうすればいいのか分かりません。誰か教えてください。」に目が行ってしまいました。 > 「自分の命を差し出せば、人を殺してもいい」ということですか? それは「加害者の屁理屈」と言って良いかと思いますので、いくつも反論が可能です。 簡単なところでは、「罪」と「罰」は因果関係であって、「罪」が無ければ「罰」も存在し得ません。 言い換えますと、そもそも罪と罰には可逆性は無く、逆方向で考えること自体に無理があります。 あるいは、もっと判り易い話しで言いますと、「私の全財産を支払うので、この世で一番美味いモノを食わせろ!」みたいな、無茶な要求と考えてみて下さい。 即ち、「自分も死刑と言う膨大なコストを支払うのだから、何をしても良い」などと言う理屈は成立しませんし、「私の全財産」と「この世で一番美味いモノ」が等価かどうかも判らないのです。 「自分の命を差し出せば~」の場合、「自分の命」と言う、自分としては最大のコストを、一方的に支払ったところで、それは「捨てても良い命」であって、他人の命と等価では有り得ません。 せいぜい「自分は死刑になって良いから、死刑囚を殺させろ!」くらいじゃないと、等価じゃありません。 更には、所詮は「加害者の屁理屈」ですから、前提が「自分の命を差し出せば」である必要さえありませんね。 もっと値切って「無期懲役」とか、食い逃げ的な「バレなきゃ」「捕まるまでは」でも、何でもアリです。 「殺す」と言う動機に対して、加害者が「どういう屁理屈を付けるか?」に過ぎず、死刑の悪用にもなっていないでしょう。 一方では、「殺す」と言う動機が全てであって、それがいかなる屁理屈で行われたとしても無関係で、「動機(凶猛な意思)」が存在する限り、「この先何度も悲劇に遭遇すること」になります。 その抑止力としては、終身刑よりは死刑の方が、やや強いのではないか?とは思います。 その上は、既回答の通り、凌遅刑とか三属皆殺しなど、非人道的な残酷刑もありますが・・・。 確かに、被害者は誰かにとって最愛の存在であり、加害者を死刑にするのは当然として、加害者にとっての最愛の存在にも、厳罰を与えるなんてのは、妥当性はあるかも知れません。 ただ、そう言う刑罰がある中で行われる犯罪は、更に凶悪化する可能性なども否定は出来ません。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

再度ありがとうございます。 >それは「加害者の屁理屈」と言って良いかと思いますので、いくつも反論が可能です。 ちょっと key00001さんを買い被っていたかもしれませんね。ちょっとガッカリです。key00001さんならもっとマシな詭弁を返してくれると思ったんですが。 >簡単なところでは、「罪」と「罰」は因果関係であって、「罪」が無ければ「罰」も存在し得ません。 なるほど、因果律にもって行きましたか。しかし、本来「罰」は「罪」を抑止する効果がなければならいないのに、宅間や加藤のように 罰を受けるために罪を犯すような輩に対しては「罰」そのものの在り方を見直す必要があるかもしれませんね。 >あるいは、もっと判り易い話しで言いますと、「私の全財産を支払うので、この世で一番美味いモノを食わせろ!」みたいな、無茶な要求と考えてみて下さい。 key00001さんは 話を却って難しくする癖がありますね。(笑) いや、珍しくないと思いますよ。 美食家で 自分の死期が分かっているのなら 最後に全財産を支払ってでも この世で一番美味いモンを食べたいと思うんじゃないでしょうか? >「自分の命を差し出せば~」の場合、「自分の命」と言う、自分としては最大のコストを、一方的に支払ったところで、それは「捨てても良い命」であって、他人の命と等価では有り得ません。 少なくとも、key00001さんは 命を命で償うという 考えは正しくないと思っていますよね。 例えは 悪いですが、金持ちが貧乏人に ベンツとキャディラックを壊されて 仕返しに 貧乏人のポンコツ車をスクラップにしたところで 何ら報われませんからね。 >一方では、「殺す」と言う動機が全てであって、それがいかなる屁理屈で行われたとしても無関係で、「動機(凶猛な意思)」が存在する限り、「この先何度も悲劇に遭遇すること」になります。 そうですね。宅間もすぐに死刑にしてしまったので、どうして宅間のような人間が現れたか分析もできず、同じような事件の再発防止のカギも失ってしまいましたよね。 >その抑止力としては、終身刑よりは死刑の方が、やや強いのではないか?とは思います。 どうでしょうかね。死刑が抑止力を発揮するには 善人も悪人も この世で命ほど大切なものではないという価値観を共有することが前提にあると思うんですが、この前提が崩れた時、死刑も恐れず殺人を犯すのかもしれません。それに、殺人を犯すくらいの人間は厭世的で自暴自棄になっている人が多いと思います。生きているのが苦痛だけど死ぬのが怖いみたいに。そういう人間は終身刑の方が辛いんじゃないでしょうかね。 >確かに、被害者は誰かにとって最愛の存在であり、加害者を死刑にするのは当然として、加害者にとっての最愛の存在にも、厳罰を与えるなんてのは、妥当性はあるかも知れません。 そうなんですよね。結局、そこに行き着くんですよね。どんなに凶悪な悪党でも、また別の悪党に捕まり、自分は殺されてもいいから、妻と子供だけは見逃してくれ 命乞いすることも珍しくありませんからね。 >ただ、そう言う刑罰がある中で行われる犯罪は、更に凶悪化する可能性なども否定は出来ません。 そうなんですよね。刑罰というのは 社会における免疫作用みたいなものだと思うんです。つまり、害になると認知したものを 抗体で退治するわけですが、かといって、過敏に反応して その害になると認知したものをを全滅させようと 抗体が暴れれば 却って弊害が起きてしまいます。 人体の生理現象で言えば アレルギーみたいなものですね。そのうち、アナフラキシーショックが起きて大変なことになるかもしれませんが。 余談ですが 日本人は食物アレルギーを持つ子供も多いしね。

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  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.8

 犯人が死んでも生きても遺族は確かに苦しみ続ける。だから死刑は無意味なのか。過去「仇討ち」ができた日本は、そこを美徳というか、ヒトの生き死にに法は無意味でしょという感があるね。  本村氏が「自分が殺します」というような意味合いで言ったとき、それほど正しい言葉はないと思ったな。俺も子供を殺されたら、その後の人生は犯人を殺すことに生きがいを見いだすと思う。あらゆる手を使って。結局は、それをしてみて、司法に問うのが一番じゃないのかな。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 toshipeeさんは辛口の回答が多いですが、時として鋭い指摘をされることもありますね。(笑) >過去「仇討ち」ができた日本は、そこを美徳というか、ヒトの生き死にに法は無意味でしょという感があるね。 仇討というのは 返り討ちも覚悟で 自分が負けたら 恨みっこなしのルールなんですが、現代の日本人に そんな武士道的な潔さを持った人間が どれだけいるでしょうかね。 球技で言えば、例えば テニスやバドミントンだったら 負けた屈辱は 相手のラケットを盗んで晴らすのが 今の日本人のメンタリティーを象徴しているんじゃないでしょうかね。 仮に、特別に仇討が認められたとして本村氏が負けていたかもしれないしね。

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  • bn10000
  • ベストアンサー率7% (19/259)
回答No.7

「命は命で償う(償える)」?償える訳ないでしょ? 殺人者と被害者の命を同等だと思っているから そうなるのですかね? 最悪てめえの命だけで良いと思うから、死刑だけではもう抑止力には ぬるい感じなんでしょう? 遺族からしたら、その糞を作って公の場に出した呑気な馬鹿親も 殺したいぐらいでしょうね。 可能であれば亡くなった被害者達に聞いてみたいですねw 殺人犯の血族はみんな自害しろって!なんて言われたりしてねw

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >可能であれば亡くなった被害者達に聞いてみたいですねw どうですかね。池田小事件で犠牲になった いたいけな女の子が そんな復讐の悪魔に変身しますかね?

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  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.6

> しかしどうすればいいのか分かりません。 誰にも判りません。 有史以来、「新たな被害者・遺族を生み出さない」方法は、未だ発見されていませんので。 発見されていない中で、日本は死刑に有効性を見出して、死刑を存置しているだけです。 そこで日本の治安が悪いと言うなら、死刑を廃止すれば良いですが、実際の日本は、世界でも屈指に治安が良い国です。 なぜ日本の治安が良いか?は、複数の要因がありますが、死刑存置が全く無関係ではないでしょう。 その事実,現実の中で、最高刑を含む刑罰の体系を変更すると言う行為は、かなり勇気が要ることではあります。 尚、かつては殺さずに、肉体的,精神的に苦痛を与え続ける凌遅刑など、残酷刑がありましたが、近代では加害者の人権も担保される方向です。 また、残酷刑そのものが為政者の法治精神の逸脱を示すものであり、その様な刑罰が存在する時点で、法治が行き届かないとか、むしろ治安の悪化を招く可能性もあるでしょう。 もう一つ、犯罪抑止に効果的な方法として、犯罪者予備軍を事前に拘束する、予防逮捕や予防処罰も考慮されますが、これは国家権力の増大に他なりません。 「万全の方法など無い」と言う前提で、死刑は考慮されるべきですが、私は実際に、世界でも屈指に治安が良い日本やシンガポールなどにおいては、死刑存置が許容されると言う考え方です。 言い換えれば、日本より治安が悪い死刑廃止国の意見に、耳を傾ける必要性は無いし、日本の死刑制度は、治安が悪い死刑存置国と同じでは無いと言う考え方です。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >その事実,現実の中で、最高刑を含む刑罰の体系を変更すると言う行為は、かなり勇気が要ることではあります。 トルコやロシアは かなり勇気の要る決断をしたことになりますね。でも、日本でも形式的には残しても 執行を停止して 死刑を有名無実化してなくすことは可能でしょう。特定秘密保護法も施行されることだし、死刑執行の公表もそれに盛り込めば不可能ではないでしょうね。 >世界でも屈指に治安が良い日本やシンガポールなどにおいては、死刑存置が許容されると言う考え方です。 シンガポールは麻薬でも死刑になりますからね。 日本でも ヤクザに覚醒剤を打たれたのが切っ掛けで 覚醒剤を覚えた若い女性が 公開処刑でもされたら 日本の死刑に対する世論も大きく動くでしょう。 >言い換えれば、日本より治安が悪い死刑廃止国の意見に、耳を傾ける必要性は無いし、日本の死刑制度は、治安が悪い死刑存置国と同じでは無いと言う考え方です。 結局は死刑の有無はそんなに大きなファクターでないということにもなりますね。ただ、日本で犯罪を犯して高跳びした場合、死刑制度がネックになって 犯罪者の引き渡しができないこともありますからね。テレビで 日本で殺人を犯して ブラジルでのうのうと暮らしている奴を見たことがあります。

Erdbeerkegels
質問者

補足

この質問の 趣旨である「罪と罰を逆方向で考えると、「自分の命を差し出せば、人を殺してもいい」ということですか?」の部分をスルーされましたが、key00001さんは いかがお考えですか? これも 前件否定の虚偽の一例だと思いますが、key00001さんのような聡明な方なら「屁理屈だ」と目を背けずに 演繹できることを見込んでお尋ねします。

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  • nacci2014
  • ベストアンサー率35% (200/569)
回答No.5

終身刑を採用せず死刑を採用しているのは国家が 刑務関係の費用を節約したい都合があります。 終身刑の場合 懲役刑ではないので牢獄につながれているだけで生産的な労務に従事しないので食事代をはじめ、監視員費用が国庫負担になるので、どうせ社会復帰が叶わないのなら社会から抹殺されたと同様なので死を与えることにより刑務関係費用の節約になるので死刑を採用したいきさつがあります。 ただし実際には冤罪の可能性も残るとか、死刑廃止論者が法務大臣になり死刑執行を遅らせるとかの要因により必ずしもすぐに死刑執行ができない現状なので 国庫負担をなくすために用いた制度ですがうまく運用できていない側面もあります。 そこで死刑の次に無期懲役刑を設け終身 刑務所で労務にあたってもらい刑務経費を補填し国庫負担を少なくしようという制度も考えられましたがこちらも実際には刑務費用の方がかさむので 模範囚には社会復帰の機会を与えているのが現状です。 また、終身刑を制度化した場合には刑務所から社会復帰しない囚人が増えるわけですから現在の刑務所数では足りず、刑務所を新たに設立したり刑務員を増やしたりしないとならないので国庫負担が増えるわけです。 刑法は国家都合で成り立っているのです。死刑にすれば刑務負担が減るという考えからです。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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回答No.4

>しかしどうすればいいのか分かりません。 >誰か教えてください。 簡単です。 あなたが、多くの人に尊敬されるような人柄や功績のある人物になる事です。 人は尊敬する人間の影響を受けます。 あなたを尊敬する人は、あなたの考えに影響されます。 死刑に関しての考え方も影響されます。 あなた自身が、影響を与えるような人間になって下さい。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >人は尊敬する人間の影響を受けます。 現代の日本人って自分が一番偉いと思っているでしょ。 STAP細胞の問題だって、高卒や理系音痴の馬鹿ほど 小保方女史の研究内容もロクに理解できないくせに 思いあがって偉そうに叩く傾向があるでしょ。 たしかに kannzou001さんの言うことも一理ありますが、人が1人で出来ることって限られると思うんです。

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  • aokii
  • ベストアンサー率23% (5210/22062)
回答No.3

死刑問題は単純です。 犯罪予防や再発予防のため、死刑有り。 だが、冤罪がゼロでないので、死刑なし。 終身刑や懲役でも、本人にすれば、冤罪なら、死刑とあまり変わらない場合もあるので、人が人を罰する限り、終身刑があるなら死刑も有りが、理にかなっている。 死刑を廃止しようとする人々は『私はあなたを殺さないと一応約束する。しかし、この約束に違反してあなたを殺すことがあっても、あなたたちは私を殺さないと約束せよ』と要求しているに等しい。これは実に理不尽である。

Erdbeerkegels
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >死刑問題は単純です。 却って ややこしい感じがしますが。(笑) >これは実に理不尽である。 それなら、「俺も死ぬからお前も死ね」と言われたら納得できるんですか?

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    【日本の現行の死刑制度に賛成ですか?それとも、反対ですか?】 非常に難しい問題であると思いますが、皆様からの御投稿をお待ちしております。 さて、私はと言うと…死刑制度には【賛成】です。 そのように言うと、死刑囚(加害者)の【人権】はどうなるのだ…という御意見も出るかとおもいますが、では逆に、「被害にあってしまい殺された人達(被害者)の【人権】や遺族感情はどうなるのだ 」と言うことも出来ます。 何人まで人の命を奪ったら死刑、どのような方法・動機で人を殺めたら死刑という【基準】となるものが存在していません。実際、ひとりの人の命を奪うということ自体、人として、人間としての道にそれることであるわけです。決して、許されることではないわけです。 つまり、何人の人の命を自らの犯行によって奪ったから死刑を求刑されるという【基準】があること自体、私は大きな疑問を感じるわけです。 ひとりの人のかけがえのない命を奪うという行為自体、同じ人間として、断じて許されることではありません。 【死刑=贖罪】であると、私は考えます。 この問題に関しては、賛否両論に分かれると重々、承知しておりますが、皆様からの御意見・御回答をどうぞよろしくお願い致します。 最後まで読んで下さって、ありがとうございます。

  • 死刑によって得られるものには

    死刑によって得られるものには 「被害者とその遺族への同情」と「報復感情」 それと、「犯罪の抑止効果」があると思います。 死刑を廃止した国では、軒並み殺人が増加しています。 10万あたりの殺人の件数ですが。 ・英国では 0,73件 → 1、11件 ・フランス 2,68 → 4,72 ・カナダについては、アムネステイインターナショナルは、 3,09 → 2,4 と減少したと発表しました。 しかし、これは 警官殺人と一般殺人を比較したもので しかも、わざと時期を変えています。 時期を同じにして一般殺人と一般殺人をを比較すれば 1,25 → 3,03 とやはり激増しております。 また、不公平感もあるでしょう。 片や理不尽に生命を奪われているのに、生命を奪った 極悪人の方は、税金で医衣食住を賄われ、天寿を全う することを国家が保障する、というのですから 不公平も極まります。 それから、被害者遺族が死刑を希望する理由は ↑ 以上のような不公平感に基づく恨みでしょう。 罪も無い家族が殺されているのに、殺した奴は のうのうと生きている。 これは許せない、という感情です。 あと、“死刑執行後に 遺族の苦しみは軽減されたと思いますか?”という問いには 遺族へのインタビューなどをみていると、 これで安心したとか、これで被害者も救われる、とかの 発言が目立ちます。 少しは軽減されたと思います。それは 不公平感が除去されるからです。 最後に こういう不公平感は人間の根本に通じているらしく、 不公平には幼い子供でも抗議します。 みなさんはどう思いますか?

  • 死刑制度については

    死刑制度について議論されるべきは制度存続の是非ではなく、 刑の執行方法が現行のままで適切かどうかについてだと思います。 被害者=死んではならない人が強制的に苦痛を伴う死を強いられた というのに、加害者=他人の命を理不尽に奪った者 が絞首刑という 安楽死(温情刑)で苦痛の無い安らかな最期を与えられているという あまりにもアンフェアな現状に激しい憤りを覚えます。 死刑は司法による殺人などではなく犯した罪に対する適正な処罰です。 理不尽に他人の命を奪ったのは殺人犯の方です。 他人の命を奪うという犯罪が存在しているのですから、 自らの命をもって償うという罰が存在するのは当たり前のことです。 死刑囚は他人の命を理不尽に奪ったから死刑を言い渡されたのです。 自分が先に殺さなければ死刑判決を受けることなど無かったのです。 死刑判決を言い渡される原因を作ったのは犯罪者自身なのですから。 刑罰には犯罪者に罰を与えるというだけでなく 見せしめることで犯罪抑止力を持たせるという役割もあります。 犯した罪の重さと比べてそれに課せられる刑罰が著しく軽いようでは 犯罪抑止の効果は全く期待出来ないと思います。 たとえば100万円を盗んだ罪に課せられる刑罰が罰金10円では、 刑罰としての体を成さないばかりか、犯罪抑止にも繋がりません。 しかし、これが我が国の刑罰の現状なのです。 支那人によるサンゴ密猟事件がその良い例ですね。 また、死刑を廃止するということは、 どんな罪を犯しても国と法が犯罪者の存命を保証するということです。 どんなに残虐な方法で、どんなに多人数を殺しても 更生不能な凶悪犯罪者の生存が保証されるということです。 これはまさに国による殺人許可です。法による殺人幇助です。 適正な罰則規定があってこそ公序良俗、安寧秩序が保たれるのだと思います。 そこで質問ですが、みなさんは 死刑制度について いかがお考えですか?

  • 死刑制度について

    突然ですが、皆さんは死刑制度というか、死刑について、賛成でしょうか、反対でしょうか。私は賛成です。ていうか、今の法律おかしすぎですよ。何で加害者ばかり、守られて被害者は、守られてないんでしょうか。人を殺した時点で、更生とかいう以前に、生きる資格はありませんよ。それは、いかに10代でも、その人の回りの環境が、悪くてもです。人の命を、誰も奪う権利はないからです。お金をもらう方法も、ありますが人の命は、お金にかえることは、出来ないと半分思います。それでも、更生が大事だというなら、10代でも名前と顔を、出すべきでしょ。その上で、自分が犯した罪を一生、背負いながら生きていくのが、普通だと思うんですが。皆さんは、どうお考えでしょうか?

  • 死刑は「正義の実現」のためです。

    本来、死刑に「効果」を求めるのは間違っているのです。 人間の命は平等です。被害者の命を奪った罪に対して死刑以外の 刑罰では「加害者の命>被害者の命」となり公平を欠くのです。 それは正義ではありません。 罪無き人の命を奪った罪は、自らの命で償わせる。 これが原則であり、正義の実現です。 正義が軽視された社会に、理想も調和も秩序も発展もありません。 死刑反対派は、死刑は権力の乱用、人権侵害だと言いますが、 加害者に人権があることは、犯した罪に対する罰を逃れる権利が あるというわけではありません。 日本で死刑になりたくなければ、人を殺さなければいいだけです。 それでもルールを破って人を殺す者の人権は、社会に制約されて 当然です。 死刑賛成派は「正義の実現」の為に、加害者の命を奪う死刑の重責 を、社会全員で背負ってゆく覚悟がありますが、死刑廃止はこの 重責から逃げているのです。 死刑を廃止すれば、もうどんなケースであろうと死刑が出ないの だから、死刑か否かと悩む必要もなく、気楽なことでしょう。 でもそれは、何が正義かという厳しい判断を放棄し、正義を実現 する責任からも逃避することです。 そして死刑反対派は、逃げながら折衷案のつもりで、死刑よりも はるかに人間の尊厳を損なう終身刑などというものを持ち出します。 人間というものに関する無知なるがゆえ、そして臆病で卑怯で 無責任なるがゆえ、より大きな過ちを犯そうとするのです。 今のところ、日本人の85%はそのような妄想的非常識人ではない ので、当分死刑が廃止される気遣いがないのが幸いです この考えで間違っている部分はありますか?