兵士の配備先を親が知っている?

このQ&Aのポイント
  • 戦時中、水木しげるの両親が兵士の配備先を知っていたのは実際にありえたのか疑問です。
  • 兵士の行き先は軍事機密であり、一般人には漏れないようになっていたと思うのですが。
  • 水木しげる氏はニューブリテン島に配備されることを出発前に知らされていなかったとのことです。
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兵士の配備先を親が知ってる?

水木しげる氏の自伝的漫画「昭和史」を読んでいて気になる場面がありました。 戦時中、自宅で新聞を読んでいた水木しげるの両親が 「ニューブリテン島に敵上陸!?」 「エエっ、しげるの行った所だ!」 「兄は結婚したと思ったらビルマ行き・・・今度はしげるまでもが殺される!!」 などと叫んでいましたが、親が息子の詳細な配備先を知っているなんて実際ありえたのでしょうか? 部隊の行き先は軍事機密であり、一般人に漏れないようになっていたと思うのですが・・・ (ちなみに日本を出発する時点で水木しげる氏は南方行きと言われただけで、ニューブリテン島配備になるとは知らされていませんでした。配備後に手紙で教えたのでしょうか?検閲されなかったんでしょうか?)

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回答No.5

 日本の軍事郵便の形式は、陸軍と海軍また戦役によって異なりますが、「ニューブリテン島」であれば太平洋戦争の南方地域の郵便形式ということになります。  まず海軍のばあいは、葉書の左上に「海軍軍用郵便所印」が押されました。これは三段からなる丸印で中央が日付、下段に★が三つというパターンでした。  ヤフオクで「軍事郵便 海軍軍用」で検索すると、その例を見ることができます。少なくとも郵便所印だけでは場所を特定はできません。  陸軍の場合、前線で郵便を扱う部隊は「第〇〇野戦郵便隊」と称し、地名を冠していませんでした。そうして郵便所印も消印もなく、例えば「比島」(フィリピン)とか、「緬甸」(ビルマ)、あるいは「南方」、「馬来」(マレー)など大きな地域に分けて、その後に「派遣〇〇部隊‥‥」と続きます。    ニューブリテン島の場合は、「南海」という地域となり「南海派遣第〇〇〇〇部隊〇〇隊」そして名前という順になるのが基本です。  これもヤフオクで「軍事郵便 猛第三七九五部隊」で検索するとその例を見ることができます。  したがって、 >「兄は結婚したと思ったらビルマ行き・・・」  というのは郵便で知ることができたでしょうが、「ニューブリテン島」を肉親が特定するには、葉書の表(おもて)では判らないといえます。また、検閲なしで送ることもできませんから具体的な文章で知らせることも不可能です。  ただ、この島は当時戦時歌謡で唄われた「ラバウル航空隊」がいたことで有名でしたから、歌詞の一部を入れ込むかして居場所をそれとなく教えていたかもしれませんね。    

その他の回答 (5)

回答No.6

補足ですが… 戦前・戦時中、信書の検閲って内務省では行っていないんです 軍事郵便の場合は上官が読んでチェックをしますが、生死の話とか悲惨な状況を書くのは止めておけというレベルでさしたる規制はありませんでした 最悪が日記です 上層部からは日記を書くのを止めさせろと通達があったのですが、小学校以来日記を書くようにと教育された兵隊達は日記を書くんです。世界でも有数な識字率を誇った軍隊が日本軍なんです。兵隊のほとんどが字の読み書きが出来るんです。米兵は日本兵を殺したり捕虜にした場合、日記を回収したんです。日記に行動が事細かく書いてあったんで、日本軍への攻撃計画が立てる指針は日本兵の日記だったんです。 米軍なんて未だ絵解き教科書です。 ドイツ軍も戦時中にティーガー絵本という本を配布したのですが、簡単に言えばティーガー戦車の乗員はドイツ語が解らないヤツが乗ってたという事なんです。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.4

> 部隊の行き先は軍事機密であり、一般人に漏れないようになっていたと思うのですが・・・ 開戦時はそうですね。 ただし、戦争が進むにつれて割とルーズになるわけでして。 例えばミッドウェイの時には作戦開始前から中学生(当時の中学生は現在の高校生)でさえ作戦についてある程度知っている程です。

回答No.3

部隊の移動や新規配備情報は極秘でも、 配備後の家族との交信は許されていました。無論検閲はありましたが。 但し、戦局優勢であればの話です。 部隊の規模や配備、作戦に関すること、戦況に関する悲観的な情報の記載は不可でしょう。 現地に於ける皇軍の武威や、勝利の戦果を伝えることは、概ねOKでしょう。 戦局不利な展開になると、補給線も途絶え、交信不能となりました。

  • chie65535
  • ベストアンサー率43% (8516/19358)
回答No.2

戦時郵便にも「消印」がある。 占領などした戦地には「野戦局」という郵便局が置かれ、消印には、占領地の地名に「野戦局」と付けられた「○○野戦局」とか、移動郵便局の固有番号の数字に「野戦局」と付けられた消印が用いられた。 そのため、届いた郵便物の消印をみれば「どこで出した郵便物なのか?」がある程度は把握できた。 氏が出した郵便に「ニューブリテン野戦局」と言う消印があれば、移動中に投函したとしても、ある時期にニューブリテンに居たのは明白。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (811/3029)
回答No.1

手紙の検閲があるから基本的にはわかりません。 でもそんなもの、家族で暗号でも決めておけば済む話ですからね。 例えば暗号を植物の頭文字と決めれば、何気なく文章の中に桜、イチョウ、パンの木と入れてしまえば、サ・イ・パ・・・サイパンかな?とかわかるものです。 ニューブリテンはちょっと伝えにくいかもしれませんが、手紙のやり取りがある以上完全に隠すのも難しいでしょう。

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