• 締切済み

A級戦犯は何の罪を犯したのですか?

Ganymedeの回答

  • Ganymede
  • ベストアンサー率44% (377/839)
回答No.7

どうも基本から分かっていらっしゃらないかも知れません。軍事裁判にはざっと3つの類型があります。 (a) ニュルンベルク裁判、東京裁判 (b) 軍律法廷 (c) 軍法会議 軍法会議は、主に自国の軍人を裁くものであり、軍には付き物だ。無茶苦茶な兵隊は野放しにせず、自国で取締らないと、軍の秩序も維持できないのである。 軍律法廷は、軍の司令官が占領地で軍律を布告して、被占領民(敵国の民間人や軍人)などを裁く。我らが日本は、日露戦争でも第一次大戦でも、軍律法廷を設置するための軍律を発布している。 ニュルンベルク裁判および東京裁判は、軍律法廷の一種でもある。ご存知のように、東京裁判はマッカーサーの発布した極東国際軍事裁判所条例に基づいていた。ただし、この2つはそれ以前の軍律法廷に比べてド派手だった。 いや、第一次大戦でも派手な軍事裁判が開かれる手はずだった。戦勝国は、敗戦国ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世(敗戦直後に退位)を、裁判にかけることを決定した。理由は、「皇帝は国際信義に反し、条約の神聖を汚した」というものだった。日本は戦勝国であり、この裁判に同意している。 ただし、ヴィルヘルム2世は中立国オランダに亡命し、オランダが連合国に対して引渡しを拒否したので、裁判は不発に終わった。 つまり、仮に第二次大戦後に戦勝国が天皇を裁判にかけたとしても、日本は抗議できる筋合いではなかったのである。天皇は憲法第3条(天皇は神聖にして侵すべからず)により無答責(責任を問われない)だったが、それはドイツ帝国でも同様だった。と言うか、君主の無答責はヨーロッパの方が先で、明治憲法はそれを真似したのである。にもかかわらず、第一次大戦後日本は、ドイツ皇帝を裁判にかけることに同意したではないか。 第二次大戦後は、天皇の身代わりのように、軍および政府の高官たちが裁判にかけられた。それが東京裁判である。 東京裁判に対しては、国際法の横田喜三郎、刑法の団藤重光という二大巨頭が、これを(部分的には批判しつつも)おおむね肯定的に評価したということが大きい。二人とも東大法学部教授、最高裁判所判事(横田は長官)、文化勲章受章者である。 それに比べれば、ネトウヨ御用達の佐藤和男(国際法学者)など小物も小物で、話にもならない。多くの学者は東京裁判を無効と考えているなんて、何を根拠に言うのか。……と、小物以下の存在である私が居丈高に申すのも滑稽なので、ここは一つ、なぜ碩学たちが部分的には批判しながらも結論的には肯定したのか、忖度(そんたく)してみよう。 前回の回答で述べたように、大陸法の考え方に照らせば東京裁判は事後法でアウトなのだが、英米法の考え方ではセーフになりうるのだ。それが分からなければ、どうぞ勉強なさってください。 「侵略戦争は国際法上の犯罪」、「その罪は可罰性を有する」という不文法が第二次大戦前から存在していて、それを確認し成文化したのが極東国際軍事裁判所条例(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19460119.O1J.html)である。したがって、行為当時の不文法に違反していた東京裁判の被告らの犯行は、裁判所条例によって裁かれ得る。 ただし、ここで私たちは高柳賢三を想起すべきだろう。英米法学者で東大法学部教授、東京裁判では日本側の弁護人を務めた。 彼は、コモン・ローの漸進性を強調する。これもご存知なかったならば、「コモン・ロー 漸進性」で検索してみてください。 この高柳の批判は、当たってもいるだろう。ニュルンベルク裁判と東京裁判はコモン・ローの漸進性に反していた。このように、東京裁判を批判する声は英米法学者(または英米の法律家)の間にもあるわけだが、それを誇張するのがネットのガセネタの通弊である。世界の多くの学者が東京裁判を否定だって? 批判と否定は同じじゃないだろ。そして、それを真に受ける御方も少なくないのだった。 また、A級戦争犯罪の法的な根拠についてであるが、裁判長は「のちほど申し渡す」と言い、根拠を判決(ジャッジメント)の中に書いた(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276125)。所詮、トートロジーのような根拠なのだが、ジャッジメントに書かれては弁護団はもはや反論できない(すでに裁判は終わっている)。連合国はネトウヨの何倍も頭が良かったってことだ。 しかも、日本政府は講和条約第11条でジャッジメンツを受諾したのだから、A級戦犯が国際法上の犯罪人であると認めたことになる。「同第十一条によって、日本国は、右裁判によって判決を受けた事件に関する限り、国際法上の犯罪であることについて反対しない義務を負ったのである」(外務省条約局第三課、1953年2月24日)。 これを逆に言うと、「国内法によって犯罪人とされたのではない」となるが、負け犬の遠吠えのように聞こえる。 また、法というのは弱者の味方もする。 B級(通例の戦争犯罪)ならば事後法の恐れはないのに、なぜ連合国はC級(人道に対する罪)を設けたか。これは、ナチスドイツに蹂躙された弱小国などを擁護して、連合国が助太刀するためだった。 弱小国と言っては失礼だが、チェコスロバキアなど、初期に早々とドイツに占領された国々である。ナチスドイツの残虐行為にさらされた。このナチス犯罪を剔抉(てっけつ)するには、「通例の戦争犯罪」の範疇だけでなく、それを拡大したような「人道に対する罪」の概念が求められた。 こうして、「ドイツに早々と占領された国々」の反乱軍と、英米などが、ガッチリ協力して第二次大戦を戦い抜く道筋ができた。いや、英米などは必ずしも大規模な戦犯裁判に大賛成でもなかったが(国際法上の瑕疵を意識していた)、ぜひとも約束する必要があった。 なぜなら、「占領された国々」がナチズムに馴致(じゅんち)されてしまったら、連合国の戦争目的が霞(かす)むからだ。「暴虐非道のドイツを打倒して、我々を解放してください」という声を、それらの国々に上げてもらってこそ、連合国の大義名分が立つ。 このC級(人道に対する罪)は第二次大戦後も適用例があり(例えば1993年旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷)、国際法として確立された。 平凡社『世界大百科事典』によれば、第1回国連総会は、「ニュルンベルク裁判所条例によって認められた国際法の諸原則」を確認する決議を、全会一致で採択した。これを受けて、1950年国連国際法委員会はいわゆるニュルンベルク諸原則をまとめた。「ニュルンベルク原則」で検索してみてください。 ニュルンベルク裁判所条例をまねしたのが東京裁判(極東国際軍事裁判)所条例である。つまり、東京裁判は否定されるどころか、肯定されたのであり、国連のお墨付きを得て国際法の原則となっていった。

関連するQ&A

  • 旧A級戦犯の方々なぜ今も戦犯と呼ばれ続けてるのか

    かつて極東国際軍事裁判で処刑された元A級戦犯の方々はなぜ今も”A級戦犯”と呼ばれ続けているのでしょうか。 一般に、裁判で死刑判決を受け、執行された被告人は”元死刑囚”と呼称されます。 ですが、極東国際軍事”裁判”で処刑された戦犯は未だに”A級戦犯”と呼ばれ続けています。 首相の靖国神社参拝問題についてもよく出てくる問題ですが、仮にも処刑され罪を償った元戦犯たちをどうこういう言うべきではないと思うし、分詞などは以ての外だと思います。 なぜ今もマスコミ等は今もなお彼らのことを”戦犯”と呼び続けているのでしょうか。

  • A級戦犯を罰した根拠「平和に対する罪」について

     A級戦犯を罰した根拠である「平和に対する罪」 (極東国際軍事裁判所条例 第五条(イ))は意味が ないという意見があります。  意味がないの根拠として「その法律(条文?)は もともとなかった。後から作った法律だからだ」と言 われます。  そこで質問です。 1 この説明は正しいですか?正しくないですか? 2 「正しい」とすると、その根拠を具体的に教えて  ください。(もともとなかった、後から作ったと  いう点について) 3 「正しくない」とするご意見も、具体的根拠を  あげて教えてください。 以上、どうぞよろしくお願い申し上げます。

  • 「戦犯」という言葉について

    何気なく「戦犯」という言葉を使ってふと思いました。 「負けた責任を負う人」という意味で使ったのですが、そもそもは「戦争犯罪人」という意味であり、戦争時に戦時法を守らず犯罪を行った罪に問われる人の事です。 でも日本人は極東軍事裁判における戦犯のイメージから、負けたがために責任を負わされる人、という意味に転じたのかと思い、 wikiを見てもそのように書かれてました。実際問題、戦勝側が戦争犯罪を問われる事なんてほとんどないでしょうから、「負けた責任を負う人」というのが本当の所だと思います。 ここから本題なのですが、もっと細かく考えたとき「戦犯」のイメージはどれでしょうか? 「負けた責任を負って然るべき人」 「負けた責任を負わされ吊し上げられる人」 「負けた責任をあえて負い犠牲になる人」 その他のイメージやご意見がありましたらお願いします。

  • A級戦犯について

    靖国に合祀されているA級戦犯は、国家にとってはどういう扱われ方をすべきなんでしょうか?戦勝国によって裁かれましたが、日本を戦争に突き進ませた張本人達だと思います。 国のためという大義名分のもと何の義務もあるべきはずもなかった国民を戦場に行かせたのは彼らなのでしょうか?山本五十六は戦争に反対し続けたが誰も耳を貸さず、戦争に突入したときいてます。やはり、命令を受けて殉死した人と合祀すべきじゃないんでしょうか? また山本五十六は合祀されてるんでしょうか? 中国のいいなりで靖国参拝をやめるという考え方には反対ですが、やはり A級戦犯は、一緒に扱われるべきではないんでしょうか?

  • A級戦犯と靖国参拝問題・・基礎から教えて下さい!

    こちらのサイトで、たった今、A級戦犯について勉強しました。まだまだ理解までには至りません。だから教えて下さい!! まずは私的な感情から・・・。 A級戦犯の意味がとてもショックでした(>_<)戦争犯罪人などと名付けられ、同じ国の人間が同じ国の人間によってを処刑されたなんて、とてもショックでした。 戦争に誰が悪いなんてあるのですか?みんなが悪いしみんなが犠牲者ではないのでしょうか?でも、責任者が責任を取る・・それと同じだと聞き、そしてそれは、言わば見せしめの為でもあるという残酷なことも知りました。東京裁判所への批判はあっても、その当時は仕方のないやり方だったと言われると、そうだったかもしれない・・(;_;)としか言えません。 (1)戦争を進めさせた昭和天皇は裁かれず、A級戦犯合祀を批判するのはおかしくありませんか? (2)でも、合祀されたということは、時代とともにその方達への弔いの気持ちが現れたということではないのですか? (3)それならば、なぜ、小泉首相はあんなにまで批判されなければならないのでしょうか?弔いの気持ちひとつで参拝しているのを、どうして穿った見方をするのでしょうか? 無知を承知で質問をぶつけています!どうか、教えて下さい!

  • A級戦犯での処刑者はいない

     以前池上彰氏の番組で、A・B・C級戦犯の 違いを説明していました。  B級戦犯は捕虜虐待に関するもので、WW2以前から あった国際法なので仕方ないが、A・C級は大戦末期に 事後法で決めて、多くの人が逮捕されました。  そんなことがまかり通るのなら過去の戦争もすべて事後法で 犯罪者をあぶり出せるので無効だという声はすべて却下され、 東条英機たちはA級戦犯として裁判に掛けられました。  しかし、A級戦犯で有罪判決を受けたものが全て処刑された わけではなく、東条ら7名はB・C級戦犯として死刑判決を受けた と言うことです。さすがに連合国側でも事後法で処刑はできないと 思い、色々理由を付けてB・C級で処刑した、というのが池上氏の 説明でした。  それでも世間一般では東条英機たちはA級戦犯で、靖国神社に 合祀されているのは間違ってるという問いに、池上氏の答えは 無かったのですが、この問題はどう解釈すべきでしょうか。

  • 靖国神社のA級戦犯の合祀

    A級戦犯の合祀はどのような理由で何時、誰が決定したのか? いったん合祀したらそれを除去することはなぜ出来ないのか? これほど国際問題化しているのに、神社宮司の発言が 全然聞えてこないのは何故か?

  • A級戦犯合祀がなぜ靖国参拝反対になるのか?

    この時期になると、いつも政治家などの靖国参拝を反対する人がいます。 戦争を美化するだとか、A級戦犯が合祀されてるとかの理由ですが、A級戦犯の合祀が何故反対の理由になるのでしょうか? もちろん、作戦ミスや戦況判断の誤りもあり、全く悪くないとは思いませんが、そもそもA級戦犯とは、東京裁判で連合国側の理屈により決められたわけで、もし日本が更に多くの犠牲を出しても、アメリカに勝っていたなら、逆にトルーマンやマッカーサーが戦犯として処刑されていたと思います。 つまり、戦犯とは「負ければ賊軍」になるだけのことであり、戦争において良い・悪いは本来は誰にも決められないはずだと思います。 靖国参拝を反対する人は、連合国の理屈を盲信し、悪いと決められた人が合祀されてるから、反対なんでしょうか? それとも、戦争に負けて、「当時の判断に誤りがあったから」とジャンケンの後出しのように、60年後の現在を知った上で戦犯たちを非難しているのでしょうか?

  • A級戦犯について

    賀屋興宣氏は、 近衛文麿内閣大蔵大臣、北支那開発株式会社総裁、東條英機内閣大蔵大臣を歴任し 大東亜戦争の計画や準備、実行などに主導的な立場で取り組んだとして 28名のA級戦犯の内の一人として訴追され、 極東軍事裁判で終身禁錮刑を宣告され服役しました。 しかし、戦犯釈放を願う署名運動を日本社会党が推進し、 当時の日本の人口7000万人に対し4000万人もの署名が集まり 衆議院は、1958年に戦争犯罪による受刑者の赦免に閲する決議を行い (日本社会党・日本共産党も賛成)により正式赦免となりました。 賀屋興宣氏は、 自由民主党公認で東京都第3区から衆議院議員総選挙に立候補し初当選 (以後5回連続当選) 自由民主党外交調査会長、自由民主党政務調査会長 第二次池田内閣法務大臣、第三次池田内閣においても法務大臣留任と 要職を歴任し、「戦犯」の立場からから見事な名誉回復をされました。 質問1. 与党の政策責任者(自民党政調会長)や 外国人の在留許可、永住許可、帰化を所管する国務大臣(法務大臣)に かつてのA級戦犯が就任する事に際し、 当時は何故、国内や近隣諸国から反対意見が寄せられなかったのでしょうか。 現在は、「A級戦犯」が合祀されているとの理由で、国務大臣が在任中に靖国神社を 参拝する事さえままならないのが現状です。 質問2. 禁固刑などで服役中の「戦犯」は赦免によって名誉回復の道が開かれた (この様に要職を歴任した人がいる)一方で、 前任の近衛文麿氏が決定した対米戦の開始を 内閣総理大臣として、懸命に回避すべく努めたにも関らず絞首刑に処せられた 東條大将に対しては、「戦犯」の汚名を着せられたまま 何故、名誉回復の道が全く無いのでしょうか。

  • 靖国神社からA級戦犯を追放する方法

    靖国神社からA級戦犯を追放する方法を教えてください。 確かに中国や韓国がA級戦犯が合祀されているので政府要人の靖国参拝を問題視しています。 しかし、他国の評価などではなく日本人の評価として東條英機をはじめとするA級戦犯が合祀されているのは容認できません。靖国には第二次大戦関係で200万以上が合祀されています。さらに言えば靖国に合祀されていない民間の戦争犠牲者も多くいます。これだけの犠牲者を出した責任者が合祀されているのは日本人として許せません。 で、このA級戦犯を靖国から追放する方法を教えてください。