• ベストアンサー

平和を愛する中国の公正と?更生だろ!

憲法前文一部抜粋 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、 われらの安全と生存を保持しようと決意した。 おかしいな~俺の感覚では、 平和を愛さない特ア国民の不正と虚偽に元づく行いで われらの安全と生存を脅かされているのだが・・・ 既に奪われた領土は、1万歩譲って外交交渉でもええが、 これから奪われようとする領土の守りは防衛・軍事力で死守だろ? 左はなぜ、軍事力を背景にやってくる侵略国の脅威を 外交力で問題解決しようとする?無理だろw?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.1

>>左はなぜ、軍事力を背景にやってくる侵略国の脅威を 外交力で問題解決しようとする?無理だろw? 憲法の前文にある、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」は、現時点でも侵略を続けている、帝国主義、侵略主義国家、ヤクザ国家の中国には適用できません。 つまりは、日本国憲法の適用外国家です。 そして、ヤクザ国家とは交渉なんてできません。 (最近の中国と安倍総理や菅官房長官とのやりをみてて、そう思えます) 日本は国と国民を守るためには、いずれ中国と戦争するかもしれませんね・・・。

takanoisoroku2
質問者

お礼

ありがと

関連するQ&A

  • 助詞「に」の意味

    憲法前文に 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」 とあります。 この「公正と信義に信頼して」の中に出てくる「に」は、どういう用法でしょうか? 個人的意見では、広辞苑ー助詞「に」、に載っている、動作作用のある状況~云々に該当するのではと思っていますが、どうも確たる自信がありません。 ちなみにその項には、例として万葉集の「月読みの光に来ませ~云々」の歌が挙げられています。 前文の例で、「公正と信義を信頼し」のように「を」を使うとすると、未来の「公正と信義」を信頼する、という意味になるかと思います。これからの~を信頼する、と。これに対して「に」にした場合は、現状にも視点が向いているというか、事実と認識しているというか、そういうニュアンスが感じられますが、いかがでしょうか?

  • われらの安全と生存(憲法前文)

    日本国民の安全と生存は、何によって保持されていますか? 1 平和を愛する諸国民の公正と信義への信頼 2 米軍の力の誇示 3 韓国への謝罪と償い 4 その他

  • 「日本国憲法」前文より

    以下、「日本国憲法」の前文より抜粋します。 >日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。  われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。  日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 (引用ここまで) Q アメリカと北朝鮮は「平和を愛する諸国民」により構成される国家であり、その「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」すれば、我が国の平和は保たれるのでしょうか?

  • 日本国憲法の前文はまさに反省文だと思いました。

    日本国憲法の前文を読みました。 2点、違和感を感じました。 1. ) 日本人が作ったとは思えない。 日本に関する歴史、文化、精神などの記述が全くない。さらに言い方も日本人っぽくない。 例えば、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、 われらの安全と生存を保持しようと決意した。」。なんか第三者的な視点で書かれているような気がしますし、そもそもそんな言い方しませんよね? 2. )文章の初めから最後までが戦争に関すること。 日本が絶対悪だという前提で憲法が書かれているような印象を受けました。さらにその悪が戦争をしていたので、諸外国にはご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。もう二度と戦争はしません。のような反省文になっている。 世界で類似の憲法前文はありますか? また、なぜこのような懺悔的な書き方になっているのでしょうか?

  • 憲法の改正について

    日本国憲法の改正について皆さんの意見を聞かせてください。 一応、僕の意見を述べさせていただきます。まず初めに、この憲法自体が日本人の手によって作られていな事、そして日本国民からの承認を経ていないことが大前提です。そして9条をはじめとした詳細のところも現在の状況にあっていないと思い突っ込みどころが満載で、どこから突っ込んでいいのかと思うのですが、一点だけ突っ込みたいと思います。それは前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」ですね。なんで自国の安全と生存を他国民に任せる点ですね。日本の憲法なのにしょっぱなから他国民が出てくるのは、やはり日本人が作っていないからだと思います。 簡潔に述べると、自国の憲法なのに自国民の手によって作られていないため改正すべきだと思います。 みなさまのご意見をお聞かせください

  • 尖閣への中国の暴力的威嚇に台風16号よ神風と成れ!

    あの元寇を撃退した故事の如く・・・ 国内の守りを固め、強いリーダーシップと結束力で固め、 不当不法な脅威の中国艦船を神風と成って追い払ってほしい! 我が国の領土領海[尖閣諸島並びに沖縄諸島・宮古列島・八重山列島]での被害は困るが、尖閣の領海を守る程度の局地的な風と波浪をもって侵略船を平和的に駆逐してください! ◇質問 ※進路はどうでしょうか? http://tenki.jp/typhoon/

  • もしアメリカが一国平和主義になったら?

    空想小説としてお答え願えれば幸いです。もしアメリカが一国平和主義になれば、国際社会、特に日本の将来の姿はどうなっているでしょうか? 私の考えたシミュレーションとしては、アメリカがユニラテラリズムの反省として極端な一国平和主義になる - 極東地域での軍事的プレゼンスの必要性がなくなり、日本や韓国の軍事基地から全面撤退 - その後 1.米軍がいない今、朝鮮半島や中国からの軍事的圧力が日増しに強くなり、国内には国防についての世論が強まり、紆余曲折のすえ、ついに日本は核兵器保有国になり近隣諸国との緊張が極度に高まる。 2.米軍がいない今、中国からの軍事的・外交的・経済的圧力が日増しに強くなるが、日本は長年にわたるぬるま湯にひたった状態から脱却できず、いつの間にか中国の支配下におかれる事になる。但し、中国近隣諸国への影響を考え、国名・公用語・国内法が従来どおりとするが、外交・防衛・経済政策等は全て北京政府の決定に従うという事になる。 有り得ない事とお叱りを受けそうですが、どちらになるか、または第三の選択肢があるか、お教え下さい。

  • 日本国憲法前文後半を哲学する。

    「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」 上の前文の後半の価値と間違いを指摘して下さい。

  • 危険は遠ざかりつつあるのでしょうか

    最近になり近隣諸国が平和外交に転換したのか、ミサイルの脅威が 急速に減りつつあるようです、たぶん会談への準備に備えて環境を 整える動きなのかと思います、日本にしてみればこの動きは事前に 通知されていなかったのか、突然の出来事のようです、これは脅威が 遠ざかりつつあるのでしょうか、あるいは実戦配備の前触れになり 脅威が高まりつつある兆しなのでしょうか、どちらにいくかは 他国の思惑で決まってしまうのでしょうか、宜しくお願いします。

  • 日本はいまだに平和ぼけ?

    中国は尖閣問題も視野にいれて急ピッチで軍事戦略を立てて、空母の開発も成功したようで、また尖閣ともっとも地理的に近い福建省で大規模な軍事基地を作る予定で、これも尖閣を監視する目的のようです。  尖閣、竹島、北方領土の難しい問題を抱えている中で、とくにアメリカでも尖閣の問題は極めて緊迫していると認識しているのに、日本は自民党の政権公約の中で自衛隊を国防軍に名前を変えると提示しているだけで、各政党と民間団体、一部の左翼のメディアが大騒ぎしているのをみて、この国はいまだに平和ボケから抜けていないのではないかと思いました。 尖閣が実際に中国に侵略されるまでは本当の危機感を抱かないのではないかと.... このような考えはまだ少数派なのでしょうか?!