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奪った命の為に死ぬのは合理的です
まず、私は死刑賛成派ですが、「あなたの家族が殺されても死刑反対と言えますか?」というような事は思った事が無いですね。 第三者の感情なんて、二の次です。問題は 生きる筈の命を 安易に奪ってしまった事への対価だと思います。死んでしまった人に、償いなんてできないのだから、加害者がこれから生きて社会に貢献しても、被害者の為には何もできていません。被害者を蘇らせでもしない限り、結局 加害者と世間の自己満足でしかない。だから、奪った命の為に死ぬのは合理的です。 そこで質問ですが、この考えに問題点はありませんか?
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その論理では、交通事故での過失致死でも死刑です。 奪った命の対価というのは、処罰感情の言い換え
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- key00001
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> 日本は科学技術とか経済では先進国と肩を並べても、本当の先進国ではないということですね。 「死刑存廃」と言う法律問題から、どんどん離れている様に思いますが・・。 日本が「本当の先進国ではない」と仮定すれば、世界中に先進国と言える国は、ほぼ消滅しますよ。 既に回答しましたが、明治維新と戦後の二度に渡り、法体系は西洋化させていますが、当然、「日本は独自のメンタリティを保有しつつ」と言う前提でしょう。 即ち、日本人にとっての、法律と道徳律などとの関係性は、独自性はあっても、欧米の先進国と同種の構造であって、それが欧米先進国に対し、引けを取るものとは思いません。 また恐らく死刑も、そのメンタリティの中に属するもので、それは「凶悪犯罪者は死刑になって当然」と感じると共に、そう感じると言うことは、法律以前に「凶悪犯罪を犯してはいけない」と言う宗教律や道徳律として存在する証しでは?と思います。 別に、アナタの同害報復的な合理性を批判しているワケではありません。 むしろアナタの考え方には、「同害報復的な合理性がある」と言っているのです。 ただ、「それだけしか無い」ワケで、昨今の国際的な死刑に対する反対的な風潮が欠落しているのは、当然でしょ? 一方で日本は、古くは中国文化などの影響を受け、近代化後は欧米の影響を受けた国であって、イスラム圏との接点は甚だ薄く、世界的にも最もイスラム圏の影響を受けていない国と言えるでしょう。 従い、日本文化とイスラム文化に共通点は少なく、また、たとえ共通点があるとしても、それを同源と考える様な発想は甚だ奇異であって、共通点がある理由は、日本の歴史の中で探るべきであり、それは「日本文化」です。 たとえば我が国とイスラムには、「死」を美化する様な、共通の意識はあるかと思います。 我が国は、たとえ敵であっても、仁義や忠孝に殉じた者を、畏怖したり尊崇する文化ですが、一方のイスラムは、、殉教者は死後、もっと良い世界に迎えられると言う、純然たる「宗教観」です。 言わば「赤穂浪士の最期」と「自爆テロ」を、並列に並べるか?と言うことですよ。 また、赤穂浪士の義に感ず日本人のメンタリティは、世界と共感は難しくても、それを以て「日本は先進国では無い」などと、貶める様な性格では無いです。
お礼
>従い、日本文化とイスラム文化に共通点は少なく、また、たとえ共通点があるとしても、それを同源と考える様な発想は甚だ奇異であって、共通点がある理由は、日本の歴史の中で探るべきであり、それは「日本文化」です。 でも、人類のルーツはみんな同じですからね。だから、日本文化もイスラム文化も人類の原始的な部分をより多く残しているということじゃないですか?
補足
外国のサイトにも質問を出してみました。 もし フランス語をご存知ならご覧ください。 http://fr.answers.yahoo.com/question/index?qid=20140114002825AAuwn3Y
- key00001
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> 日本の大衆の考えでは キリスト教の「右の頬をぶたれたら、左の頬を差しだしなさい」みたいな博愛思想よりは イスラム的な考えの方が支持されているような気がします。 日本の法体系が「キリスト教的」と言う根拠も無ければ、「イスラム教的」と言う根拠もありませんけど、歴史的には、明治維新で西欧化し、WWII後にGHQが深く関わって制定された憲法を持つ我が国の法体系は、「西洋的である」と言うのが事実です。 > だからこそ、世界レベルでは キリス教徒よりもイスラム教徒の方が多いのも頷けます。 いわゆる「先進国」においては、イスラム教国は少ないです。 イスラム教国の長所は、法律に宗教律が深く関わっており、宗教律が国民生活にも浸透し、法的などの規範にもなっている点が挙げられるかと思いますが、それは同時に短所です。 先進国では、法律と宗教律は別個のものになっており、二重の規範(宗教律や道徳律は、法律の内側で個人を律するもの)なので、犯罪抑止などにはより効果的かと。
お礼
回答ありがとうございます。 >いわゆる「先進国」においては、イスラム教国は少ないです。 日本は科学技術とか経済では先進国と肩を並べても、本当の先進国ではないということですね。
- kannzou001
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>そこで質問ですが、この考えに問題点はありませんか? 私も死刑存置派です。 その理論の問題点は、人を一人殺した場合と、複数殺した場合の刑罰の差。でしょうか。 一人殺した場合は、安楽死的な死刑、複数なら絞首刑などの殺し方で差をつけるのも厳しい気はします。 となると、「人を殺しても死刑にはならない」ケースがどうしても出てきてしまいます。 その辺の折り合いはどうするのか?と言う点でしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 >その理論の問題点は、人を一人殺した場合と、複数殺した場合の刑罰の差。でしょうか。 1+1+1=1なんでしょうか。これも、死刑賛成派の人が感じる矛盾の一つですね。実際は無意味でしょうけど、死刑を原則廃止して 懲役刑にすれば 表面上の形式的な辻褄は合わせられますね。 更に突っ込むと、裏返しに考えれば、もともと死刑を覚悟しているのなら 何人まで人を殺していいのかということにもなります。 ですから、もっと大きな問題点は 人を一人殺したら あとは抑止力が利かなくなることです。むしろ、口封じのために連続殺人を誘発しやすくなるとも言えます。
- key00001
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> 奪った命の為に死ぬのは合理的です。 イスラム法の様な、同害報復(同害賠償)的な合理性は認められますが、我が国における死刑存置の考え方とは、必ずしも相容れません。 事実、我が国の刑罰は、更生を旨としており、殺人罪でも更生の余地が認められたら有期刑で、現実もそうなっています。 しかし質問者さんの理屈では、「漏れなく死刑にすべき」ですから、我が国の刑罰の考え方や実情とは違います。 問題点としては・・・たとえ「合理的」であっても、こと先進国においては、「非人道的」な考え方に分類されるであろう点に、収斂すると思います。 「法治」と言う考え方そのものは、合理性を好む傾向はあるとは思います。 しかし「法」そのものは、必ずしも合理的にドライである必要も無く、血が通った部分も必要かと思いますし、法の施行や司法判断にも、そう言う部分があっても良く、その必要性があるのでは無いでしょうか? 「〇〇違反」すれば、何でもかんでも逮捕とか裁判するのは、合理的ではありますが、事情や状況などにより、現場の司直とか個人の裁量やアローアンスなども働く社会の方が、多様性があるし、住みやすいですよ。 人間が理性や合理で生きる生物なら、それでも良いでしょうけど、根底は正反対の感情などを基調とする生物です。 それゆえ、法で縛る必要が生じるのでしょうけど、その法で縛る対象も、「壊れたらスクラップ」と言うワケにも行きませんし、スクラップにするかどうか?と判断するのも、完全には合理的では無い人間です。 「非人道的」と言うより、完全には合理的では無い人間の「人間性を無視している」と言えるかも知れません。 あるいは、直接的には「死んでしまった人に、償いなんてできない」は正論でしょうけど、間接的には可能だし、直接的以上の成果を上げる例だって有り得ます。 そもそも「直接的」のみを「合理的」と考えるのは、質問者さんの主観であって、必ずしも合理的とは思えず、それが質問者さんの感情論では?とも感じますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 >イスラム法の様な、同害報復(同害賠償)的な合理性は認められますが、我が国における死刑存置の考え方とは、必ずしも相容れません。 でも、日本の大衆の考えでは キリスト教の「右の頬をぶたれたら、左の頬を差しだしなさい」みたいな博愛思想よりは イスラム的な考えの方が支持されているような気がします。だからこそ、世界レベルでは キリス教徒よりもイスラム教徒の方が多いのも頷けます。
- livetodie
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死刑囚の多くが殺人犯ではありますが、 殺人(あるいは致死)と死刑とは直接の関係はありません。 死刑になりうる罪 http://www.geocities.jp/waramoon2000/tsumi.html
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 私も そのことには疑問を感じました。