• ベストアンサー

高村智恵子の発症原因は

高村光太郎が戦中に戦意発揚の詩をバンバン書いていて、そのせいで戦後まったく書けなくなった。それで智恵子は発症してしまったのだという説を聞きました。本当でしょうか。(ただし、多くの文化人同様、光太郎が戦争推進の詩を書いていたのは事実です。先日、宣戦布告を報じる読売新聞の一面トップで見ました。)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • heisenberg
  • ベストアンサー率23% (591/2556)
回答No.1

智恵子が亡くなったのは、昭和13年(1938)の10月5日のことです。 あの大戦争が終わったのは、昭和20年(1945)の8月15日です。 つまり、終戦の7年も前に智恵子は亡くなっていたのです。 それゆえ、戦後の光太郎のことは、智恵子は知りません。 智恵子の発症と光太郎の戦後は、関係ないと言えるでしょう。 なお、智恵子が亡くなった日のことは、有名な「レモン哀歌」で光太郎が詩に詠んでいます。 参考までに・・・。

gesui3
質問者

お礼

的確なご指摘をありがとうございました。やはり事実関係を確かめるべきでしたね。感謝します。

関連するQ&A